”アッサラームの商人”




 街に近づくに連れて日差しが強くなっていく。砂漠の国イシスに一番近い街だからだろうか。
 アッサラームについたのは夕方だったけど、まだ明るい街角は往来する人々の波でいっぱいだ。
 どこからか鳴り物の音もして、賑やかな街というのが実感できる。
 ああ、なんかわくわくする。お祭りみたい。


「街に入る前に言っておくけど、アルテア、ポーラ」

 外門をくぐる前に、苦い顔をしてヒースが忠告する。

「この街では、絶対に一人でうろつかないこと。いいね?特に夜はだめだよ」

「え。な、なんで?」

「なんでも」

 無理やり言いくるめるように言って、ヒースは私たちを先導して外門をくぐった。

 外門の外から見たとおり、街の中は賑やかだった。 
 荒れた砂地の地面のせいか、空気は乾燥している。


 街の中央には水を湛える人工池があり、それを囲むように露店が出ている。
 夕方なのに人の往来が激しくて、田舎の村とはずいぶん違う。
 それも帰路に着くといった雰囲気ではない、これから街に繰り出すような明るい顔だ。


「おや、旅のご一行だね。この街の名物はベリーダンスだ、楽しんでいってくれ」

 兵士の格好をした人にまでにこやかに言われて、私はぱちくりと瞬きする。
  
「ベリーダンスですか?」


 それはなんだろうと首をかしげる私の首を、がっしりとヒースが押さえた。

「い、いたたたた?」

「寄り道しない。宿屋に行くよ」

「は?ちょっと?」

 無理やり引っ張られて抗議する私を見て、兵士の格好の人は思わず笑った。

「可愛らしいお嬢さんだな。悪いやつに引っ掛けられないように気をつけな」 

 いやいや、兵士の格好の人。この鉄の鎧と鋼の剣が見えないのでしょうか。
 こんな無骨なお嬢さんにちょっかいかける悪漢なんて、そうはいないと思うんだけどな。




   ※※※



 宿屋に荷物を置いた私は、街を見て回ることを提案した。
 魔法の鍵を作る職人の居場所について情報収集しないといけないのだ。


 絶対に単独行動をするなと言った矢先にヒースは一人で盗賊仲間のところに情報収集してくると言う。
 まったく説得力ってものがない。


 私とポーラを一人にしないためには、残りは2択。
 1、私とポーラ、レンで動く。
 2、私とポーラとレンで動く。
 ここは平和的に2を選択することにして、ヒースの顔を立てることにした。


「うーん。これだけ賑やかな街なら、お店もいろいろあると思ったのに」

 街を歩いた私は、正直なところ拍子抜けだった。
 やっていないお店が多くて、閑散としている地区もあったりする。


「アッサラームは夜が本番の街だからな」

 レンが言う。

「どういう意味?」

「夜にしかやらない店などもある。この地方は昼間が暑いから、そうなったのだろう」

「へえー。レンは来たことあるの?この街」

「……一度な」

 なにやらくぐもった声でレンは答えた。

「あ。ここだ!道具屋!」

 街の外れの方に開いている店を見つけて、私は喜んで扉を開けた。

 店内は狭かった。カウンターがあって、その奥に商品が陳列しているだけ。
 薬草、毒消し草、聖水、まだらくも糸、キメラの翼……それにやけに太い金色のネックレスなど。
 店員さんらしきターバンの男が座っていた。


「おお!私のともだち!ようこそいらっしゃいませ!」

 にこやかに笑って両手を広げ、歓迎の声を上げてくれる。

「知り合い?」

 レンに尋ねると、彼は顔をしかめた。

「お待ちしておりました。売っているものを見ますか?」

 もちろん、店屋に来て品物を見ない客はいないだろう。
 私がうなずくと、ターバンの店員は奥に並んだ商品を見やすいように並べてくれた。


「薬草も足りなくなってたよね。後はぁ……この金のネックレスって、どういうやつ?」

「おお!お目が高い!薬草は128Gですがお買いになりますよね?」

「……は!?」

 目をむいた私を誰が責められよう? アリアハンの薬草は、8Gなのに!

「おや、何を驚いておられるのです?
 アッサラームでは近隣でよい薬草農場がありませんし、遠くから仕入れる関係上どうしても高くならざるをえないのです。妥当な金額だと思いますが……」


「どうしてもって、だって、いくらなんでも高すぎるでしょ!?」

「おお、お客さん、とても買いもの上手。私まいってしまいます」

 ターバンの店員はいささか芝居じみた手振りでため息をついた。

「では、64Gにいたしましょう。これならいいでしょう?」

「だからっ!」

「おお、これ以上まけると私大損します!」

 ターバンの店員は悲しげに両手で顔を覆い、嘆くように言う。

「でもあなたともだち。では32Gにいたしましょう。これならいいですか?」

「よくない!てか、無理だってばっ。
 アッサラームの宿屋が一人7G、4人で28Gだっていうのに、それ以上を薬草に割けなんて絶対変!」 


 増してや私たちにはポーラがいるから、多少の傷ならホイミで治る。
 薬草の在庫が尽きるのは怖いけど、万が一の時にはロマリアまでキメラの翼を使って往復できる。
 キメラの翼は往復に二枚。25G×2=50G。
 購入する薬草が仮に五枚として、8G×5=40G。
 キメラの翼を使って購入すると合計が90G。


 ルーラ(失敗可能性あり。でも一日かければ往復できる)した場合はどうかと言えば。
 往復に必要な魔力を得るのに一日宿泊。7G×4人=28G。
 購入する薬草が仮に五枚として、8G×5=40G。
 旅に出るには魔力を回復させないといけないのでもう一日宿泊。7G×4人=28G。
 宿屋を使って購入すると合計が96G。


 現在このターバンの店員が提示している値段で購入した場合は。
 購入する薬草が仮に五枚として、32G×5=160G!


 間違いなく他で購入する道を模索するべきだという結論が出る。


「おお あなたひどい人!私に首つれといいますか?」

 おおお、とターバンの店員は大げさに言って、私を見つめた。
 さっきまでの芝居がかったようすとは違う、真剣な目だ。


 ……どうしよう。
 もしかして本当に仕入れが大変で、こんなに高くなっちゃってるってことはありえるんだろうか。
 アッサラームは砂地なせいで、良質の草が育てられないのは本当だと思う。
 宿屋とは事情が違うのも、確かだし。
 
「……分かりました」


 にっこりと、さっきまでの嘆き方はなんだったんだという顔になってターバンの店員は告げた。

「では16Gにいたしましょう。これならいいでしょう?」

 現在このターバンの店員が提示している値段で購入した場合は。
 購入する薬草が仮に五枚として、16G×5=80G!
 
 ぐう……。
 その値段なら、なんとか、元が取れる、ような……。
 
「断る」


 横から口を出してきたのはレンだった。
 お財布を開ける寸前だった私とポーラをぐいぐいと連れて、店を出てしまう。


「そうですか。残念です。またきっと来て下さいね」

 背中を追いかけるようにターバンの店員の声がした。



「アルテア、あんなのに引っかかるんじゃない」

「え?あんなのって……」

「……せめて物を買うなら、他の店を検証してから購入しろ」

 はあ、と息を吐いてレンは言った。



   ※※※

  
 
 明るい音楽が聞こえてくる。
 鈴の音色だろうか、しゃんしゃんと鳴る楽しいリズムだ。
 それに笛の音。ゆらゆらと飛ぶ蝶の燐粉のように、いつの間にか夢の世界に誘われる。 


 喉が渇いた。

 ぎしぎし言う体を起こして、私はぼんやりと窓の外を見やった。
 夜だ。星が瞬き、暗い中を雲が流れていくのが見える。


 昼間の探索では何も得るものがなかった。
 夕食をとってヒースの戻りを待っている間に、眠ってしまっていたらしい。
 鉄の鎧も鋼の剣も、マントと一緒に傍らに置いてあった。


「お水もらおう……」

 隣を見るとポーラが眠っている。起こさないようにと音を忍ばせて私は宿屋の主人を探した。

 風に乗って音楽が聞こえてくる。
 私は誘われるように街に出た。
 
「星が綺麗……」


 さすがに夜は出歩いている人も少ない。
 涼しい風を身に受けて、私は目を細める。
 風に乗って流れてくる不思議な音楽に誘われて、私はいつの間にか大きな劇場の前にいた。


 昼間とは違う煌びやかな明りを灯らせて、気持ちが高揚する音色を響かせている。
 出入り口からそっと覗くと、綺麗な女の人がカウンターに座っていた。


「いらっしゃいませ。ここは劇場です」

「劇場?なんの劇ですか?」

「百聞は一見にしかずと申しますよ」

 にこやかな笑顔に促されて、私はさらに奥へと進み、空いている椅子に腰掛けた。
 観客席は満員だった。
 昼間の街にいた人たちなんだろう、男たちがひしめき合っている。
 女の人の姿はない。ちょっと居心地悪い気持ちになりながら、背中を丸めて身を小さくする。



 舞台に現れたのは、薄布と飾りで煌びやかに色づいた女の人たちだ。
 舞台の袖では音楽を鳴らす劇団員たちが控えている。
 シャン、と鈴の音が鳴ると同時に舞台は始まった。
  
 舞台の上は魅惑の世界だった。
 彼女たちは腰をくねらせ、指先で誘い、瞳で観客を興奮させる。
 長い波打った髪にはきらきらした粉を振り掛けているのだろう。
 動きをするたびに妖艶にうごめき、生きているかのようだ。
 胸元も腰のくびれもお尻も、私が今まで見知ったどんな女の人たちよりも肉感的だ。


 抜群のスタイルで肢体もあらわな薄布だけで踊るから、音楽が鳴るたびに男たちが騒いだ。 
 鼻息を荒くあるいは鼻の下を伸ばして、だらしなくも夢中になっている。
 
 間違いなく、私は場違いだ。
 
 帰ろうかと思ったけど、あまりに踊りが綺麗だったので最後まで見てしまった。
 妖艶で、魅惑的で、だけど指先まで美しい。


 中でも踊りがうまくて美人だったのは中央の女の人だった。
 彼女が何かをするたびに客席から「ビビアンー!」と歓声が飛ぶ。
 ビビアンは夢を見るような顔をして、誰よりも踊りに真剣だった。



 踊りも最高潮に達した時だ。舞台袖で悲鳴が上がった。

「うわああああ!」

「きゃあああああ!!」

 ざわざわと観客席が湧いた。
 音楽を担当していた劇団員の一人が倒れている。他の劇団員が逃げ出そうと席を倒した。
 舞台袖には場違いな男が一人いて、椅子をなぎ倒して舞台へ上がろうとする。


 悲鳴が上がり、舞台の踊り子たちが持ち場を離れていく。
 ビビアンだけが一人、中央から動こうとしない。


「ビビアンちゅぅぁあん、今夜こそ、おれのものになってよぉおぉ……」

 呂律の回らない声で男は言い、劇団員を太い腕でなぎ倒しながら舞台へ近寄る。
 明らかに酔っ払っていた。


「おやめください、お客さま!踊り子には手を触れないで……」

 止めに入ったガードマンがあっけなく振りほどかれる。

「このぉっ……」

 舞台袖に近づこうとした私は、あまりの観客の多さに近づけない。
 パニックを起こした観客たちが入り口に殺到する。人の波と転がった椅子で動けない。 


 男の手がビビアンに届こうとした。
 
 じゃらん、と鈴にしては鈍い音を立てたものが旋回した。
 音を立てたのは長い棒だった。
 棒の先端に奇妙な意匠のついた鳴り物がついている。
 一振りするごとにじゃらじゃらんと鳴り物が音を立て、酔っ払いをなぎ払う。


 鳴り物のついた長い棒を持っていたのは男だった。
 黒い立派なひげをしたおじさんだ。頭にターバンを巻き、にこやかな笑みを浮かべている。
 素肌の上に短い上着を着て、白いだぶっとしたズボンにサンダル。肩から大きなカバンを提げていた。
 あれ?どこかで見たような……。


「いけませんよ、お客さん」

 にこにことターバンの男は笑った。

「踊り子さんには、お手を触れちゃあ、いけません。お代をいただきますからね」

 じゃらん、とターバンの男はもう一度鳴り物を鳴らした。
 奇妙な見かけのわりに、長い棒はえらく攻撃力があるらしい。
 ビビアンに近づこうとした酔っ払いはぴくりとも動かない。
 手荒な酔っ払い撃退法を披露した男は、ビビアンを見てにこにこと笑った。


「いやあ、踊りを邪魔してしまって申し訳ありません。
 あなたの踊りはスバラシイ。いつか私の開く劇場でも踊りを披露してくださいね」


 ビビアンは少しだけ微笑んで答える。

「商人さん、あなたの開いた劇場がアッサラームよりも魅力的だったら考えるわ」
  
 それは、今見たベリーダンスよりもよほど舞台みたいな光景だった。




   ※※※


 
 劇場を出た私は宿屋に戻ろうと歩き出した。
 舞台は一晩中続くらしく、踊り子を入れ替えて何部も行うらしい。さすがに一晩中は見られない。
 
 私はうかつなことを忘れていた。
 夜中の街は昼間と違って暗い。しかも、数少ない灯りのために街は別物であるかのように見える。
 つまり、宿屋がどの方向にあるのかさっぱり分からなくなってしまったのだ。


「こっちだったような気がするんだけど……」

 宿屋を出た時は音楽に引かれて歩いて行ってしまったので、どちらから来たのか分からない。
 記憶を頼りに歩いていくと、まったく見覚えのない路地に出てしまった。 


「うーん……。一度街の外に出た方がいいかなあ……。外門から近かったと思うし」

 いったん迷ってしまうと焦っても仕方ない。
 きょろきょろしながら歩いていると、街頭にぽつりと佇む女の人を見かけた。


 ベリーダンスの服装をした女の人だ。
 さっきの舞台にはいなかった気がするけど、踊り子さんはたくさんいたので、控えの人かもしれない。
 肌もあらわな薄布で街頭に立ち、星を見上げている。
 とても綺麗な星だけど、このような街角で見上げるには少々無用心じゃないだろうか。


 声をかけようと近づいた時、ぽんと肩を叩かれた。

「どうしたんだ、お嬢ちゃん?」

 肩を叩いたのは知らない男の人だった。男の人は振り返った私を見て、驚いた顔をする。 
 
「あれ……、お嬢ちゃんどこかで見た顔だな。前に会ったことはないか?」


「え、そうですか……?」

 困った。覚えがない。私が首をかしげていると、彼は合点のいった顔をした。

「分かった。ベリーダンスの舞台を見ていただろう。女の子がいるのは珍しいからびっくりしたんだ」

 なるほど。そうかもしれない。
 実際に舞台を見た感想として言うけど、あまり女の子がすすんで見たがる内容ではないと思うし。
 私もポーラを誘いたいとはまったく思わない。


 かといってヒースやレンを誘って見るかと言えば。
 彼女たちの踊りに釘付けになって鼻の下を伸ばしてる二人って、あまり想像したくないんだけど。


「ベリーダンスに興味があるのか?あの女は偽者だから、声をかけるのは止めた方がいい」

「え?」

「興味があるなら、俺が紹介してあげるよ。
 綺麗な服を着て、煌びやかな舞台でスターになれる。君くらい可愛い子ならすぐにトップスターだ」


 自分の言葉に酔ったかのように男は言い、ちょっと言い過ぎたかなと笑った。

「偽者?」

「偽踊り子さ。
 アッサラームのベリーダンス劇場の踊り子はスターだから、お近づきになりたい男は山ほどいる。
 それを悪用して、ああやって踊り子の格好をして甘い言葉で誘うんだ。
 ほら、また引っかかったやつがいるぜ」


 男が指差す先には、先ほどの女の人が男の人に声をかけているのが見えた。
 言葉の内容は分からないけど、なにやら女の人の言葉にうなずいて、二人で家に入っていく。
 男の髪は銀髪だった。


「………………」

 アッサラームに、どれだけの人種が住んでいて、どれだけの人が訪れるのかは知らない。
 だが私は、銀色の髪をした人間を、他に見たことがない。


「ねえ」

 私は男の人に尋ねる。

「偽踊り子は、男の人を誘ってどうするの?」

「そりゃあ、口では言えねえような……」

 言いかけた男の人は途中で言葉を切った。

「あ、いや。そうだな。
 もし君がああいう綺麗な格好してみたいっていうなら、さっきも言ったけど俺が紹介してあげるよ。
 さあ、行こうぜ」


 いささか乱暴な掴み方で私の腕をとり、男の人は引っ張っていこうとする。
 だけど男の人がいくら力をこめても私の足は進まない。
 そりゃあ、そうだ。腕力だけならそこらの戦士にも負けはしない。


「行くって、どこに」

 尋ねた私を、彼は忌々しそうににらんだ。
 
「……くそ。おまえら!」


 男の人が号令をかけると、路地から数人の男たちが飛び出してきた。
 始めから待機させていたのだろう。
 飛び出してきた方は、手にナイフを持ったチンピラ風だった。


 男の人は私の腕を掴んだまま、飛び出してきたチンピラたちを使って私を取り囲む。

「……これ、どういう意味?」

「優しくしてる間に言うこと聞いた方が身のためだぜ?
 綺麗な格好させてやって、面倒も見てやろうって言ってんだ。さあ、来いよ」


「そうだそうだ、アニキの言うとおりさ」

「へへっ、ついでに俺たちも面倒見させてもらっちゃうけどな」

 ぐいと、男の人はもう一度腕を引いた。

「……よくわかんないけど」

 私は腕を掴む男の人の手をとると、身を捻って体を入れ替える。
 ぐきりと音を立てて男の人の腕が逆に曲がった。


「ぎゃ!?」 

 関節技の基本は、力の入る方向を見定めることにあると思う。
 それとは違う方向に曲げてやれば、大の男だろうとあっけなく悲鳴を上げる。
 力が抜けたところを狙い、足元をすくって投げる。
 
 ずさああっ、と男の人は背中から落ちた。


「て、てめっ……この女、ふざけやがって……っ」

 残念。
 地面が砂地なのが男の人にとって幸運に働いている。それに加えて、思ったよりも身が軽い。


「道案内なら嬉しいけど、暴力反対」

 鋼の剣を持って来ればよかった。鉄の鎧を着ていればよかった。
 そうしたら少なくても、こんなに甘く見られずに済んだ。


「宿屋に戻りたいんだけど、どっちか分かる?街の出入り口でもいい」

 ダメもとで尋ねたのが悪かったのかもしれない。
 馬鹿にされたとでも思ったらしい男は、チンピラを手駒に私に殴りかかってきた。


「殺さねえ程度に痛めつけろ!」
  
 避けるのはわけない。
 一撃を食らっても衝撃はたいしたことはない。
 だけど、反撃していい理由も思いつかないし、この人たちはチンピラ風ではあってもただの街の住人だ。
 迷いのせいで私は防戦一方だった。




「こっ、このあまぁっ!」

 いくら攻撃しても私が堪えないので、男の人は焦れたように叫んだ。
 あまりに大声だったせいで、周囲の家から住人たちが顔を出してしまった。
 私は旅人だからいいけど、この人はきっと知り合いもいるだろうに。後のことは考えられないのだろう。


「もう、許さんっ!商品にならなくても構わねえっ、殺せ!」

 男の人がヒステリックに叫んだ瞬間だった。
 路地に闇が下りてきた。


 より正確に言うと、それは糸だった。まだらくも糸という相手の動きを鈍くする効果を持つアイテムだ。
 路地を覆うように空から降ってきたそれに、私もチンピラたちも絡めとられる。
 身動きがとれないところに、覚えのある音が鳴った。
 
 ぴひゅんっ……


 しなる、風切り音。
 まともに身動きがとれなくなっている私の目の前で、チンピラたちが次々に地面に沈んだ。


「アルテア、言ったはずだよ。特に夜は一人でうろつくなって」

 私は身に絡んだ糸を解くのに苦心しながら声の出所へ視線を投げる。
 見知った銀髪をした青年が、鞭を手にこちらを見ている。
 
「道に迷ったの」


 後ろに誰も連れていないことになぜだかほっとした。



 ヒースに付き添われて私は宿屋に戻ることになった。
 道中ちらちらとヒースを見上げる私に、不審そうな目が返って来る。


「なんかついてる?」

「べ、別にっ。なんでも?」

 なんとなくであって、深い意味はない。
 ヒースは昼間アッサラームに着いた時と別段変わった様子はなかった。
 装備も、雰囲気も。別に香水の匂いとかが漂ってきたりもしない。


「そ、そうだ。鍵職人、どこにいるか分かった?」

「ああ」

「そー、そーなんだ。早いね!すぐに手に入りそうじゃない!」

「アルテア」

 ぐいっと、ヒースの腕が私の首に絡んだ。
 背中側から抱きしめられたのだと気づいたのは、泡を食って硬直した後だった。
 耳元にふわっと暖かい息がかかる。
 ヒースは、たぶん意地悪げな笑みを浮かべながら言った。


「なーんか変なこと考えてるみたいだけど」

「ななななな?」

「劇場にいたんだろ。女一人であんなとこに入るんじゃないよ、おかげで目立つったらない」

「べ、別にいーでしょ!ビビアン綺麗だったし!」

「おれはアルテアのベリーダンス姿も見てみたいなあ」

「ふざけないで!」

 首に絡んだ腕を振りほどき、関節を決めるなり投げる。
 見事に決まったと思ったのに、着地で体勢を整えられてしまう。
 まったく、八つ当たりのしがいのない男だ。
 
 むくれてにらみつけているうちに、何が気に入らなかったのかが分からなくなったのでよしとするけど。





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