”夢見るルビー”




 洞窟の最深部にたどり着くまで、私たちは誰にも会わなかった。
 旅の神父と別れた後のことである。
 モンスターには数え切れないほど遭ったが、聖なる泉で回復できた私たちは洞窟に入る前よりもずっと強くなっている気がした。連携がうまくいき、モンスターの特殊攻撃も食らわなくなってきた。


 アン王女とノアニールの若者の生活の形跡はどこにもない。



 洞窟の最深部で私たちが見たのは、地底湖の中央に浮かぶ小島と島にかけられた橋。
 そして小島の中央に建てられた八本の柱。
 円を描く柱の中央には古びた宝箱が一つ置いてあった。


 冷たく透き通った水は、聖なる泉のものと同じなのだろう。
 ほのかに光を放っていて、その場を幻想的に演出している。 
 まるでこの世ではないかのように。


 ぞっとする。

 宝箱を見て、ヒースが私たちを橋のところまで下げた。
 八本の柱に囲まれながらヒースが一人で宝箱の罠をチェックする。
 かちりと金属的な音が鳴り、ヒースが顔をしかめる。
 しゅぅぅ……。煙立つのと同時にヒースが床に座り込んだ。”魔力酔い”だ。


「ヒースさん!」

 ポーラが駆け寄る。床に座り込んだヒースが首筋を押さえながら私を見た。 
 うなずいて、私はレンと共に宝箱を覗き込む。


 宝箱を開けるのが怖かった。

「開けるよ」

 古びた宝箱は蝶番が錆びているだけでなんの変哲もない箱だった。
 中に入っていたのは一通の手紙と布に包まれた宝飾品。
 私はおそるおそる手紙を開く。


 文字は読めなかった。
 だが手紙に触れたとたん、文面が頭に流れ込んできた。


 『わたしたちはエルフと人間。この世で結ばれない運命ならば、せめて天国で一緒になります。アン』

 女の人の声だ。
 強い意志を感じるけれど、それ以上に悲しみに満ちていた。
 疲れて、絶望して、そしてどこか諦めた声だ。


「あ……」

 手紙をぐしゃっと握りしめて、私は小島の淵にかじりついた。

 冷たい水。凍えるような寒さ。モンスターばかりの洞窟。
 地底湖に残された手紙。持ち出した宝。
 こんなところで、普通の人間が生きていけるわけがない。


 彼女たちは始めから、死ぬつもりでここに来た。
 宝といわれるものを持ち出したのは、探しに来た誰かに、この声を届けたかったから。
 自分たちが命を賭けるほど本気だと、知ってほしかったから。


「あ、ああ……」

 力が抜けた。

「アルテア」

 突然小島の淵に駆け出した私を不審に思ったのだろう。
 仲間たちがそばに来て、声をかけてきた。
 手紙を広げて見せる。
 ポーラは不安げな顔をした。ヒースは首筋を押さえたまま首をかしげる。
 そしてレンは、眉根を寄せて「そうか」とつぶやいた。


「なんて、書いてあるのでしょうか……?」

「アルテアのこの様子じゃ、いいことじゃないのは分かるよ。貸して」

 ヒースの手に手紙を預け、私は宝飾品を包んだ布を抱きしめた。
 どのくらいの間ここにあったのか、石の質感を持つそれは、冷たい。


 ゆっくりと布を解いた。
 居間などに置く飾り物なのだろう。すごく大きなルビーだ。
 上下に金の装飾がされ、長方形にカットされている。
 赤い透明な石の内側にエルフに似た少女の像が入っている。
 ひゅんと伸びた耳は同じだけど、昆虫に似た羽もあるから、エルフではないみたいだ。
 少女の表情が何かを伝えようとしているように見えて、私は思わず覗き込んだ。


 ”……、……”

 羽のある少女の目が私を見つめる。
 なに。何を言おうとしている?
 尋ねようとして、私は口が動かせないことに気づいた。
 手も動かない。




   ※※※




 赤い世界が広がっている。
 
 目の前に見えるのは、ノアニールとエルフの隠れ里を結ぶ道だった。
 グリーンの髪をしたエルフの少女と見覚えのない若者がそっと木々の間に身を隠している。
 ざわざわと森の木々が騒ぎ、そのたびに少女はびくりと身を震わせた。
 見覚えのない若者は全身に傷を負っていた。
 剣で切られたにしては不自然だ。おそらく魔法で焼かれたのだと分かる。
 荒い息をつきながら、若者は薬草を傷口に塗りこんだが、焼け石に水だった。


 『しっかりして。ノアニールまで行けば村の人たちが助けてくれるわ』

 『アン……、僕はもう走れない。君だけでも里に戻るんだ。女王も君だけなら許してくれる』

 若者の言葉に少女は激しく首を振った。
 
 『あなたを置いていくなんてイヤよ。
  それに、あなたをこんな目にあわせたお母さまになんて、もう会いたくない』


 『わがままを言わないで。僕がいけなかったんだ……、君を女王から引き離そうとしたから』

 『ねえ、弱気を言わないで。それより、そうだわ。ここからなら洞窟の方が近いかも』

 『洞窟……?』

 『聖なる泉があるの。体力も気力も回復してくれる不思議な泉よ。そこに行けば治せるわ』

 『そんな場所が……』

 よろよろと若者が立ち上がり、エルフの少女がそれを支える。
 少女たちは荷物と言えるものをほとんど持っていなかった。


 場面は切り替わる。

 聖なる泉のそばだ。
 モンスターによって受けた傷により二人はさらに傷を負っていた。
 泉の力により傷は癒えるが、モンスターのために洞窟を出ることができない。
 疲労が二人を蝕み、いつ倒れても無理はない。
 少女を庇うことで、疲労は若者の方がはるかに濃かった。


 『しっかり、しっかりして……』

 エルフの少女の目に涙が浮かぶ。
 ぽろぽろとこぼれ落ちたそれは赤いルビーのような色をしている。 
 
 『そうだ、この”夢見るルビー”を使いましょう?
  これはね、人に夢を見せてくれるらしいの。どんなかしら、夢を見せるって……』


 現実から逃げるように、少女は荷物の中から宝飾品を引っ張り出した。
 首を振り、若者は少女の手を握る。


 『やめよう。もうこれ以上は』

 『どうして。二人で生きるって決めたでしょう?諦めたりしないって誓ってくれたでしょう?』

 『ああ。僕はずっと君を愛している。だけど、だからこそ君が死ぬのに耐えられない』

 若者は言って、”夢見るルビー”に触れた。

 『ごめんね、村に文献があったから知っていたんだ。
  この”夢見るルビー”は人に夢を見せる……、夢の世界では永遠に死なない。
  これがあれば君と一緒に生きられると思ったんだよ』
 
 かくんと力が抜けた。若者の手が滑るように地面に落ちる。 


 少女が叫ぶ。声にならない悲鳴はもう若者には届いていなかった。
 ”夢見るルビー”が指からすり抜け、地面に転がる。


 その光景をルビーの中から羽のある少女が見つめている。

 場面は変わった。

 ノアニールだ。
 上空からの光景など見たことはないけど、建物の配置がそっくりだった。
 人々が笑っている。毎日の生活に何一つ不満がない様子だ。
 村の入り口には、一人だけ不安そうな様子でうろうろと歩く、落ち着きのない男性がいた。
 誰かを待っているらしい。顔を上げては下げ、太陽を確認しては首を伸ばす。
 人待ち顔でその場にいたが、やがて待ちきれなくなったように村から外に出た。
 
 赤い光がさぁっと村を包んだ。
 
 男性が驚いたように村を振り返る。
 村はすでに変化していた。
 誰もが眠っている。立ったまま、座ったまま、何の疑念も覚えない顔で眠っているのだ。
 男性は驚き、村中を回ったが例外はなかった。
 何が起こったのかがわからず、男性は困惑する。 


 その様子を羽のある少女が見下ろしていた。
 少女は”夢見るルビー”の少女と同じ顔をしていた。
 



 これは夢だと私には分かった。



 
   ※※※




 ”夢見るルビー”は覗き込むものを麻痺させる。
 
 私が麻痺していたのはほんの数瞬のことで、仲間たちの誰も私の様子には気づかなかった。


「……だめだな。オレじゃ読み取れない。魔力が込めてあるから、シンクロできれば伝わるだろうけど」

「概要なら分かるが」

「読める?」

「ああ。だがその前に、その石は確かに”夢見るルビー”なのか?やけに大きいが……」

「ああ、そっか。確認するよ…、て、アルテア……?」

「これは”夢見るルビー”だよ。間違いない」

 私はうなずいた。

「絶対に、間違いなく」

 布でくるみなおして、私は”夢見るルビー”を抱きしめた。
 冷たい石の感触が伝わってくる。
 ”夢見るルビー”は、何も言わない。


 ノアニールを眠らせたのはエルフじゃない。
 だからエルフたちには、”夢見るルビー”が戻るまでは呪いを解くことができないのだ。




   ※※※



 私たちはエルフの隠れ里に戻った。
 森に包まれた隠れ里は変わらず美しい緑にあふれている。
 グリーンの髪をした少女たちが興味深げに、それでいて恐れるようにこちらを見てくる。
 人間に対してかなり偏見の目があるらしい。 


「ひーっ、人間だわ。さらわれてしまうわ」

 がたがたと震えて見せるが、かといって逃げ出したりはしない。

 私たちはまっすぐに女王に謁見を望んだ。
 彼女は”夢見るルビー”の魔力が分かるらしい。
 私が袋から取り出す前に、驚いた顔をした。


「その手にもっているのは”夢見るルビー”では……?」

 うなずき、私は”夢見るルビー”を取り出して手渡した。

「隠れ里から南に、聖なる泉の沸く洞窟があります。その、地底の湖のそばにありました。
 この手紙と一緒に」


 すでに私たちの手でくしゃくしゃになっていた手紙だけど、女王には読めたらしい。
 アン王女の筆跡を見て悲鳴を上げる。


「……なんと!アンと男は地底の湖に身を投げたというのですか!?」

 身を投げますと書いてあるわけではない。
 だけど、この文面を読んで、あの洞窟の内情を知っているのであれば他に思いつかない。
 増して男が死んだ後、アン王女がそうしなかったという希望は、私には思い当たらないのだ。


 女王はわなわなと指を振るわせた。

「おお……、わたしが、二人を許さなかったばっかりに……っ」

 私は不思議な気持ちだった。
 どうしてこの人はアン王女の生存を信じていられたのだろう。
 男に騙されて宝も奪われて、里にも帰れず辛い思いをしているだろうと言っておきながら。
 辛い思いをしているかもしれないなら、なぜ探そうとしなかったんだ。


「ノアニールの村を包む呪いを解く方法を教えてください。
 エルフの魔法はエルフにしか解けないと聞きました。
 それが、”夢見るルビー”の力であっても同じではないでしょうか」


 女王はなにやら黙り込み、やがて重いため息をついた。

「……分かりました。さあ、この目覚めの粉を持って村にお戻りなさい。そして呪いを解きなさい。
 アンもきっとそれを願っていることでしょう……。
 おお、アン。ママを許しておくれ……」


 目覚めの粉は、”夢見るルビー”の台座からこぼれ落ちる粉だった。
 台座の一箇所が開閉できるようになっていて、そこには粉が入っていたのだ。
 女王はそれを、掌に載る程度手に取って袋に詰め、私に渡した。


「村に着いたらこれを風に乗せるのです。まもなく呪いは解けるでしょう」

 粉は赤色をしていた。ルビーと同じ色で、ガラスの粉のようにきらきらとしている粉である。
 ふっと息を吹きかけたら、散逸してなくなってしまいそうだ。


 ”夢見るルビー”を手元に置き、女王はがっくりと肩を落とした。

「勇者アルス。あなたがここを訪れるのが、もう10年も早かったら。
 わたしは人間を信じることができたかもしれません」


 責めるような声で、女王は言った。

「精霊に祝福された目をしている。
 ”夢見るルビー”と波長を合わせることができたのはそのためでしょう」


 なぜ遅かったのだと私を責める視線だった。
 その視線に理不尽なものを感じて、私は黙る。


 女王は諦めたように告げた。
 
「あなたがたにはお礼を言わねばなりませんね。
 けれど……。わたしは人間を好きになったわけではありません。さあおゆきなさい」
 
 疲労の色を見せた女王は、美しいエルフの女王ではなく、ただの一人の母親に見えた。




   ※※※



 ノアニールは目覚めた。
 掌に載せた目覚めの粉が、風に乗って村中へと運ばれる。
 人々はまるで何もなかったかのように動き出した。


 長い長い眠りに包まれていたことに人々は気づかなかった。
 だけど、自分たちが眠っていたのは自覚があるらしかった。


「ふわぁ……あれ?なんでこんなところで眠ってたんだろう……?」

「うーん、おかしいな。なんだか何年も眠っていたかのようだ」

「ありゃ!うたたねしておったら村中が茂みに覆われとる!」

 お互いに不思議そうに顔を見合わせ、首をかしげる。
 原因がエルフの王女とノアニールの若者の恋物語にあるなんてことは、きっとずっと気づかない。


 村の入り口で、老人が待っていた。
 件の若者の父親だという老人は、私たちの姿を見て喜んだけれど、表情はやがて悲しみに変わった。


「なんということじゃ!
 息子が死んでいたなど……。わしの妻が目を覚ましてこの話を聞いたらどれほど悲しむことか…。
 ああ うそだと言って下され!」


 うそだと言うことができたら、どんなによかったろう。
 
 困惑し、悲しみに沈む姿を見て、”夢見るルビー”が見せた映像を思い出す。
 ”夢見るルビー”がノアニールの村を眠らせた時、偶然にも村を出てしまっていた男性。
 この老人には確かにあの男性の面影があった。
 映像の時に比べればずっと老け込んで見える。どれほどの月日が彼の元に降り積もったのだろう。
 
「力不足で、ごめんなさい」


 私にはそれしか言えない。





 この世界には神と、魔と、精霊がいる。
 各地の教会・神父や僧侶たちが力を借り、奇跡を起こす源となるのが神。
 魔法使いたちがその理を知り、結界や旅の扉のような大がかりな装置に利用する力の源が魔。
 そして、人々の運命を祝福するのが精霊。


 エルフは魔に近い存在で、精霊の祝福を受ける生き物だという。
 では王女の幸せを疎んだのは誰だろう。悲しい運命に引き合わせたのは誰だろう。


 誰もが幸せな未来なんてないと知っている。
 だけど、行き場のない思いでやりきれない気持ちになる。


 
 村で待つといっていたはずのエリディンはどこにもいなかった。



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