”夢見るルビー”




 老人をノアニールに送り届けて、私たちはまたエルフの里近くまで戻ってきた。
 
「行け」


 ヒースの腕から舞い上がった鷹が、空高く旋回する。
 これまでに何度か見たけれど、ヒースが鷹を使う時、彼はとても無防備になる。
 集中している間、何の音も聞こえていないらしい。


 私たちはモンスターが近づかないよう警戒しながら待つ。

「大丈夫なのでしょうか……。”魔力酔い”を逆に利用するだなんて、可能なのですか?」

 不安そうにポーラが聞く。

「挑戦してみると言っていた以上、ある程度の確信はあるのだろう」

 レンが答え、物問いたげな視線を私に向けてきた。
 私が頼んだのだと気づいてるのかもしれない。


 しゅぅ……。しゅぅしゅぅ……。

 ヒースの首筋から煙が上がる。
 脂汗が浮かんでいて、顔色が悪い。気分がよくないのがよくわかる。


「……っ」

 ヒースが閉じていた目を開いた。痣の浮かんだ場所を押さえて大きく息を吐き出す。

「どう、ヒース?」

「うん……、見つけたよ。たぶん、間違いない」

 ヒースが手をどける。痣のあたりから出ていた煙は消えていた。

「洞窟みたいなのがある。エルフの里から見ると南のあたりだ」



   ※※※



 深い森の奥、隠れるようにその洞窟は存在した。
 洞窟の入り口は開けていて、人の出入りがあるらしいことが分かった。
 朽ちた看板が入り口に転がっている。
 木でできていたようだが、もう何が書いてあったのかは分からない。
 海が近いせいだろうか。洞窟の内側は水気が多く、凍りつくように冷たい空気が漂っている。


 そして、中にあったのは目指すものだけではなかった。

 

 
 角を曲がると、むわっと腐臭が漂ってくる。
 びちゃりと床を汚す臭いのせいで鼻がおかしくなりそうだ。


「うぐぅ。また……!?」

 さっきのモンスターの体液が残る剣を握りしめ、私は身構える。
 角の向こうから低い影が姿を見せるのと同時だった。
 背後からぞわぞわと気配が沸いてくる。


 がっと首筋に牙を突き立てられ、私はぐらりとよろめいた。

「こ、このっ……」

 返す刃で背後のモンスターを切り捨てる。
 案の定、それはバンパイアだった。
 こうもり男と似た種族だが、こっちの方が強い。青い顔をしていて、ヒャドまで使うのだ。
 一撃だけではまた倒せない。私はもう一度切りつける。


 ひゅうん!と鞭が鳴った。

 ヒースが前方から来たバリィドドッグたちを薙いだ音だ。
 あばら骨があらわになった、死した犬。目玉が頭蓋骨からはみ出し、腐臭を漂わせる。
 ぞっとする見かけだけではない。生前の習性を残し、群れで行動する。


 ”る・か・な・ん……る・か・な・ん……る・か・な・ん……”

 ぞっとするような魔力が私を包む。鉄の鎧が急に軽くなる。
 守備力減退呪文ルカナンだ。死犬の嫌なところは、これを重ねがけてくるところにあった。
 これをかけられると、硬い鎧に身を包んでいても防御力が紙同然になってしまう。


 数瞬遅れてレンがバリィドドッグにとどめを刺したが、全部は倒せない。

「無事か、アルテア!」

「まだ、へいき!」

 剣を握りしめ、バリィドドッグをにらんだ。
 その視界が紫色の雲に阻まれる。目がかすむ胞子の雲だ。


「うあ……」

 頭がくらくらする。この胞子に目をやられると、意識がふっと遠のいていく。
 どさりと誰かが倒れこむ音がした。
 誰だ、ヒースか、レンか。どっちにしろかなりの戦力ダウンなのは間違いなかった。


「ポーラ、起きてる!?ホイミお願い!」

「はい!」

 胞子で前はよく見えないけど、後方を守るポーラから癒しの呪文が届いた。
 ポーラが無事ならまだ大丈夫だ。
 私は柄の感触を確かめて、思い切って剣を振り切って薙いだ。


 ざんっと確かな手ごたえがかえる。
 
 マタンゴは紫色の傘をかぶった巨大なキノコだ。
 黄色い、魔王によって毒された瞳を向けて胞子を吐き出す。
 おばけキノコの上位種で、マタンゴというらしいが、こんなの紫キノコで十分だ。
 元がキノコなだけあって、床や天井すれすれなどを狙えば当てずっぽうでも切り裂ける。
 
 ばちばちばちばちっっ。
 嫌な羽音が耳元で鳴った。
 背に衝撃が走る。体当たりを食らったのだ。
 普段ならどうってことないダメージなのに、紙同然の鎧は衝撃を殺せない。
 がくんと力が抜ける。
 
 ”ま・ぬ・ぅ・さ……”


「しまっ……」

 まずい。
 目の前が白くかすむ。マヌーサの霧に捕まったのが分かる。
 振り返った先にあった人面蛾の姿が、二重・三重に重なって見える。
 視覚を頼りに剣を振るうけど、手ごたえが返って来ない。


 どどんっと足元に衝撃が走った。不意を撃たれてよろめく。
 マヌーサは眠りの胞子と組まれるとかなりたちが悪い。
 戦力ダウンしたところで空振りが増えるので、避けられず蓄積するダメージも増加して、焦る。
 
 落ち着け、落ち着け。 
 片手を空けて、かすかな気配のする方向へ、私は右手を突き出した。


「ギ、ラッ!」

 力んだのが悪かった。私の呪はなんの効果ももたらさない。ぷすんという幻聴が聞こえるようだ。
 発動しそこねた魔力が拡散していく。


「伏せろ」

 レンの声だ。私はとっさに身を屈める。
 頭上を風が通り抜け、打撃音が響く。


 しばらくしてマヌーサの霧が晴れた。
 動くモンスターは、視界の中には残っていなかった。
  




 疲れた顔でお互いを見やる。
 互いの傷の状態を確かめて、薬草や毒消し草など必要な道具を袋から取り出して使う。


「ポーラ、大丈夫?」

 私が声をかけると、疲労の色が濃い顔でポーラはうなずいた。
 ポーラは我慢強いから、大丈夫かと聞けば大丈夫と答えるに決まっている。
 それでも声をかけずにいられないのは、それだけ戦闘がポーラの負担の大きなものだったからだ。
 
 洞窟の中はモンスターだらけだったのだ。


 息が整う程度に休憩をして、私たちは歩き出した。
 かなりのモンスターが今の場所に集まっていたから、少しの間は襲ってこないだろう。


「このような寒いところに、その二人はいるのでしょうか……」
 
 僧侶の法衣を両手で抱きしめ、ポーラがつぶやく。
 声が反響して、わんわんと響いた。
 本当に、芯から冷えるような空気だ。ぞくぞくと背筋が寒くなるような気がする。
 手で身を抱きしめようにも、鉄の鎧ごしじゃ暖かくはならないのだけど。
 鎧が冷たくなっていて、手袋ごしじゃなければ指の皮が剥けてしまうかもしれない。


「少なくても、”夢見るルビー”についてはきっとあるよ」

 私は言った。

 片手を壁に当て、もう片方で剣の柄に触れる。

 洞窟の天井は低く、床はところどころか水が溜まっている。
 とても暗いのだけど、ほのかに光が灯っていて足元が見えないということはない。
 何だろう、これは。ヒカリゴケか、蛍みたいな発光する生き物なのだろうか。


「嫌な空気だな」

 ヒースが顔をしかめる。
 ”魔力酔い”を起こすかと思ったけど、洞窟に入ってから調子が悪そうな様子は見せなかった。


「下がれ」

 道を進んでいく途中、ふいにレンが口を開いた。

「またモンスター?」

 声をひそめて私が聞くと、レンは首を振った。



 確かに、モンスターではなかった。

 不思議な輝きをした泉のそばに僧侶の服装をした男の人が膝をついていたのだ。

 

   ※※※
 



 その泉は周囲を水に囲われていた。
 四本の柱が台座を作り、中央に泉が沸いている。
 不思議な輝きは泉の奥から放たれているようだった。
 この洞窟に入ってからあちこちで見かけたほのかな光と同じものだ。
 ヒカリゴケか蛍のような生き物かと思っていたけど、どうやら光っているのは水自体であるようだ。
 水の中に光る粒子が含まれている。
 
 旅の僧侶といった雰囲気の男の人は、私たちを見てわずかに会釈した。


「旅の方、どうやらお疲れのようですね」

 穏やかな声だ。
 私たちは訝しげに彼を見やりながら、でも疲れているのは本当だったのでうなずいた。


「あの……、何をしているんですか?」

「祈りを捧げています」

 悲しそうに彼は微笑んだ。
 私たちが通れるよう、道を空けて彼は言う。


「お疲れなら、泉の水を一滴口に含んでいかれるとよろしいでしょう。
 これは聖なる泉。神と精霊の祝福を受けた泉です」
 
「聖なる……?」


「はい。一口飲むだけで、体力や気力を回復してくれるでしょう」  

「試してみてもいい?」

 仲間たちに確認してから、私は泉の水に手を伸ばした。
 一滴、すくい取って口に含む。
 おかしな味はしなかった。舌がぴりっとしたりもしない、ただの水だ。
 だが効果はてきめんだった。
 体に残っていた細かな傷が、まるでポーラのホイミを受けた時みたいに回復していく。
 疲労がすっかりと消えて力が湧いてくるのだ。


「っ、すごい……。ポーラも呑んでみて!」

 私たちは全員一口ずつ泉の水を飲んで回復した。
 特に疲労の濃かったポーラにはありがたいことだった。
 念のため、水筒で持っていけないかと尋ねてみたけど、男の人は微笑んだだけだった。


「飲み水として使われるのであればよろしいのでは」

 水筒に汲んでも聖なる効果は発揮しないということみたいだ。

「これ、一度きり?もう一度来たらまた効果はあるのかな」

 私の問いに、彼は答えない。
 穏やかなだけど、たぶん返答は分かる。自分で考えろってことだ。
 そして、自分の考えを信じるなら、効果はあるけど頻繁には使えないってことなんだろう。
  
「どうしてこんなところに、聖なる泉があるの?」


「分かりません」

 男の人は首を振った。

「ですが、悲しげな呼び声が聞こえます。そのため私は祈るのです」

 男の人はそれきり何も言わず、また聖なる泉のそばに跪いた。
 一心に祈りを捧げる姿はポーラが祈っている時と少し似ている。
 聞きたいことはまだあったのだけど、それきり男の人は反応を見せなかった。


「行きましょう、アルテアさん。お邪魔をしてはいけません」

「う、ん……。せめてアン王女たちを見かけたことがなかったか、聞いてみたかったんだけどな」

 ポーラは黙って首を振った。

「たとえ見かけたことがあっても、彼は言わないでしょう」

「どうして?」

「あの服装は、霊魂を慰めることを旨とする神父の証なのです。
 生者にも死者にも等しく、ひとは秘密を漏らされることを嫌います。
 神父の服装をしている人間は、たとえ殺されても他者のことを語りません」


 神父の役割は聴くことなのだとポーラは後に言った。



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