”眠りの村”
エルフの隠れ里までは、細い道を歩いていくだけでいい。 そこにはノアニールの村に呪いをかけた女王がいて。 彼女が生きている限り、呪いは解けない。
『だから殺せ』
ノアニールの村を救うために。
森の中はどこもかしこも木ばかりで、道などあってないようなものだった。 エリディンのいう細い道というのも姿勢を低くして注意深く見ないと気づかないような獣道だ。 清浄な空気と密度の濃い草木の匂い。 そして、それに混じって感じる奇妙な気配。
細い道を歩いていく。 先頭は私、続いてヒース、レン、ポーラ。 見通しが悪すぎて、お互いの姿を確認するのがやっとだ。 森というものがこんなに木々が生い茂るものだったなんて、私は知らなかった。
しばらく進んで、森の切れ目に出た。 どこか手がかりのある場所かと思ったけれど、単に木々の切れ目であって天然で作られた広場のような場所だったらしい。 細い道はここで途切れて、先への道が分からない。
迷ってしまったんだろうか。 仲間を振り返った私の目の前で、大きな影が地面に倒れ伏した。
※※※
青白い顔で崩れ落ちたのはヒースだった。 銀髪の長身があっけなく地面に倒れ伏す。 いつぞやの姿がフラッシュバックしてきて、私もポーラも顔色を変えた。
すぐにポーラが症状を確認する。 毒ではない、とポーラは言った。
ヒースは倒れこんだけど、気を失ったりはしていなかった。 口元を押さえ、吐き気を抑え込むような顔で、青ざめている。
「なんだ、これ……、魔力が、渦巻いて……」
「な、なんだって。こっちが聞きたいよ。大丈夫なの?」 「高熱にうなされているような感じですが……あら?」
ヒースの首筋に注視して、ポーラが困惑したようにつぶやく。
「ヒースさんの首筋に、こんな痣、ありました……?」
「どれ?」
私も横から覗く。 うっすらと浮かんだ紫色の痣。ぽつぽつと三つ、三角を描くように並んでいる。
「文献で見たことがあるな」
疑問に答えたのはレンだった。
「高濃度の魔力に中てられた際に起こる、言うなれば”魔力酔い”を起こしている証だ。 安静にしていれば、直に慣れる。それまで待つしかない」
「慣れるまで、っていうと?」
「体質にもよるが、しばらくの間安静にしていれば問題はないらしい。死んだりはしない」
「そっか。じゃあ、ここでちょっと休憩にしよう。 モンスターが出そうな気配もないしね。ポーラ、水筒ある?」
「は、はい!あります。では、軽食をとりましょうか」
いそいそとポーラは携帯食料と水筒を取り出した。 こういう、何もないところで休憩する時用に地面に敷く布も用意してあるのだ。 布を大きく広げて、ヒースを寝かせる。 残りの私たちは空いたスペースに腰を下ろして水分補給をすることにした。
「レンさん、”魔力酔い”というのは、どういう症状なのですか?」
ちらちらとヒースのようすを気にかけながら、ポーラが尋ねる。
「魔力の強い者が、別の高濃度の魔力の領域に踏み入った時に、体内で魔力同士が反発して起こすものらしい。エルフの領域に入った証だろう」
「ふぅん?私やポーラはなんともないみたいだけど……」
「体質に寄るというからな。加えて、おそらくヒースの方が魔力に秀でているせいだ」
「なーんだ……、バレてたんだ?」
仰向けになって横になっていたヒースから、ぽつりと声が漏れた。 てっきりぐったりして聞こえてないと思っていたので驚く。
「確証があったわけではないが」
「んや……、別に隠すつもりがあったわけじゃないんだけどね」
よっと、とヒースは起き上がった。 青白い顔色は変わらない。心底気分が悪そうなようすで、ポーラから受け取ったコップに口をつける。
「生まれつき、魔力は強い方なんだよ。あいにく盗賊魔法しか使えないけどね」 「そうなの?てか、盗賊魔法ってなに?」
「探知系の魔法だよ。近場の町や城の位置がわかったり、足音消して歩いたりね」
「へえ……。聞いたことある?」
ポーラに尋ねると、彼女も首をかしげる。
「使い手は少ないしね。盗賊自体、あまり大っぴらに認められてる職種じゃないからなぁ」
こきこきと、ヒースは体を鳴らした。 へいきそうな顔だが、青白い顔色のまま笑顔を作られても違和感を覚えるばかりだ。
「無理しないで、寝ててよ。 大丈夫だよ、ノアニールはもうずっと眠りの中なんだから。一日くらいのずれは許してくれるって」
私が言うと、ヒースはシリアスな顔になった。
「ちょっと聞きたいんだけどさ、アルテア。本気でエルフの里に行くつもりなの?」
「行くよ。どうして?」
「ノアニールを救うために、エルフの女王を殺す……って、本気で思ってる?」
「他にないなら、倒すことも考えるけど」
私の返答に、ヒースは考え込んだような顔になる。
「気になることがあるなら、今のうちに吐き出しておいたほうがいい」
レンが口を挟んだ。
「俺も、あの女の言葉を頭から信じてしまってよいのかについては疑念を覚える」
二人して渋い顔をする。 ヒースとレンが言わんとしているのは、エリディンのことだ。 「エリディンがウソをついてるってこと?」
「そうは言ってないよ。ただ……、あの娘を信用していいのかなってこと」
「どうしてです?ノアニールを救うために、エルフの里について調べておられたのでしょう? 良い方じゃないですか」
「逆に聞くよ。村の住人でもない娘の言うことを、どうして頭から信じられる?」
「変だよ、ヒース。どうして頭っから疑うの? エリディンを知ってるわけじゃないって言ったでしょ」
そうだ。それは一度疑問に思ったことだった。 「エリディンが、人間じゃないみたいって言ってた。それが理由?」
私の問いに、ヒースは答えない。難しい顔で黙り込んでしまう。
「エリディンは何者なの?」
かなりの間、ヒースは黙ったままだった。 考えているというよりは悩んでいるようなようすだ。 「わからない」
ヒースのまとめはその一言だった。
長い長い沈黙。
場を崩したのは、空間に突然現れた老人だった。 どさりと、文字通り空中を割いてその人影は落ちてきた。
※※※
小柄な老人だ。 動きやすいズボンと大きめのローブを羽織っている。かなり着古しているらしく、みすぼらしい。
木々の切れ目に出来た、小さな天然の広場。 そこへ、何もない空間を割いて現れた影。 どさりと老人が落ちてきた。 だから、現れた影はその老人だったに違いなかった。
どうにも目が信じられず、私は動けなかった。 最初に動いたのはポーラである。 弱弱しそうな老人の姿を見た瞬間、反射的に駆け寄っていく。
「なんだ、今のは……」
レンも目が信用できないらしい。不審そうな目で空間の割け間をにらむ。 そこにはまだ空間の切れ目があって、切れ目の向こうには別の空間が広がって見える。
「!?うあっ……っ!」
ヒースが口元を押さえ、悲鳴を上げた。 首筋の赤い点が燃えるように熱い色に変じている。 しゅうしゅうと煙が上がるのを見て、私は愕然と目を見開いた。
「……アル、アルテア!閉じさせるな!」
ヒースの声が飛ぶ。私もまた反射的に動いた。 老人が落ちてきた空間に両手を突っ込む。 グローブをはめた手で、扉を止めるように力をこめた。
ぎりぎりと、掌に食い込むような痛みが走る。 刃をつぶした剣を両手で受けてしまったような痛みだ。
切れ目の向こうが見える。 そこは、森の切れ目に出来た小さな広場などではなかった。 ぱきぃん……
何かが砕ける音がする。 掌に返って来る手ごたえがなくなった。
私たちは、エルフの隠れ里にいた。
※※※
森にはエルフの結界が張ってあったのだ。 招かれざる外来者を拒絶する結界。 私たちはエリディンによって入り口までたどり着いたけど、決して招待状を受け取ったわけじゃない。 そのせいで、魔力の高いヒースは結界に中てられ、私たちの目には入り口が見えなかった。 老人はエルフの隠れ里を追い出された。 一度内側に入った人間が外に出る際には、結界に裂け目が生じる。 私たちが見たのはそれだった。
エルフの隠れ里はやわらかな光に覆われていた。 空には美しく澄んだ青空が覗く。 太陽の光がやわらかい。全身を上質のヴェールで包まれているかのようだ。
森の切れ目に出来た小さな集落だ。 新芽がきらきらと輝く古木が並び、その隙間に木で出来た素朴な家がある。 ほっそりとした人影が、時折木々の間からこちらを見つめてくる。 人間とよく似た姿だが、ひゅんと伸びた長い耳と、若芽のようなグリーンの髪の毛が特徴的だった。 美しい女の子たち。
「あらっ?人間が入ってきちゃった」
「どうしよう?ママに怒られちゃう」
草木のざわめきのような、さわさわと耳に触れる声がする。
「おじいさんまで戻ってきちゃったし、女王さまにお伝えしましょう」
「もう一度外に出した方がいいか、相談しましょう」 森の精みたいな女の子たちが木々の間に姿を隠す。 どうにも目が信じられず、私はうめくようにつぶやいた。
「どうなってんの」
※※※
「衰弱しておられますが、ご無事です。お水は、飲めますか?」
「す、すまぬ……」
老人はエルフではないようだった。 ポーラに介抱されて、なんとか元気を取り戻したように、彼は息をついた。 衰弱している理由はどうやら栄養失調であるらしい。 数えることも忘れるほどの長い間、食事をとっていなかったという。
「無茶だよ、おじいさん」
「そうですよ。暖かい場所で栄養をとって、ゆっくり養生された方がよいです」
私とポーラが言うと、彼は首を振った。
「一刻の猶予もならんのじゃ。わしが生きておるうちに、なんとかせねば……」
「理由がおありのようだが、ご老人。なぜ、このエルフの里にいるのだ」
レンが尋ねる。老人はまた首を振った。
「ノアニールの村を、救うためじゃ」
私たちは思わず顔を見合わせた。
エルフの呪いによって、眠りの中に落とされたノアニール。 村の姿を実際に見た私たちにだって、その光景は異常としか映らなかった。
「もしかして、ノアニールの村の方ですか?」
ポーラの問いに、老人はうなずいた。
「私たちもあの村に寄ったんだよ。何が起きたか知ってるの?」
「知っておるも、なにも……。ノアニールの村の皆が眠らされたのは、わしの息子のせいなのじゃ」
がっくりと、老人は肩を落とした。
「あいつが、エルフのお姫さまとかけおちなんかしたから、女王の怒りを買ってしもうたのじゃ。 だから息子にかわってこうして謝りに来ておるのに、話さえ聞いてもらえぬ……」
「エルフの、お姫さま?」
鸚鵡返しに尋ねる私に、答えたのはレンだ。
「エルフという種族は、”エルフには男はいない”と言われるほど女性比率が高い。 その王族もまた代々女だという噂だ。 かつて一度も女性が王になったことがないロマリアとは違ってな」
「じゃあその女王様の娘が?」
「そうなるだろう。このご老人の言うことが正しければだが」
私は先ほどちらりと見かけた森の精のような女の子たちを思い出した。 あれがエルフだとすれば、確かに美少女だった。 人間の男には神秘的すぎて忘れられないのではないだろうか。
「合意の上だったの、それ?」
うがったような私の物言いに、老人は向きになって反論した。
「息子は断じてそんな男ではない! わしは、種族の違いは不幸の元じゃと止めたが、息子たちの決意は変わらんかった……。 結婚を認めて欲しいと女王に直談判しに行ったきり、戻らんかったのじゃ。 おそらく、認めてもらえんと諦めて、かけおちしたに違いないのじゃ」 「どうしてかけおちなんて。愛し合っているのであれば、種族の差などないでしょうに」
ポーラの言葉に、老人は首を振った。
「エルフと人間とは、結ばれぬ運命じゃ。 共に生きることも叶わぬ、子をなすこともできぬ。神の祝福とて受けられぬ。 姿かたちが似ているだけに、こうした不幸が起きるのじゃ……」
老人は肩を落とした。 それはもう何度も彼の中で繰り返された問答なのだろうと思われた。
「わしや息子が怒りを受けるのは分かる。息子のしでかしたことじゃ、甘んじて受けよう。 じゃが、ノアニールの村人たちには何の罪もない。 このまま呪いが解けぬままでは死んでも死にきれぬ……、ああ、わしはどうすればええんじゃ……!」
地面の土をぎゅっと握りしめ、老人はうなだれた。 弱弱しく、今にもはらはらと泣き出しそうだったけれど、老人は泣かなかった。 泣いても嘆いてもどうにもならないと知っているのだ。 だから、単身エルフの隠れ里にやってきた。門前払いを食らうのは、きっと分かっていただろうに。
「一つ、聞いてもいい?」
老人の隣に膝をついて、私は尋ねる。
「エルフの”夢見るルビー”って、知ってる?」
私の問いに、老人は不思議そうな目をした。
「夢みる……?何のことじゃ?」
「息子さんたち、その名前を口にしたことはなかった?」
「いいや。少なくとも、わしが聞いたことはないと思うが……」
「そっか。ありがとう」
膝についた土を払い、ゆっくりと立ち上がる。 ポーラは首をかしげ、レンは訝しげな視線を向けてきた。
「ねえ、ヒース。それがエルフの宝なら、魔力の波動がヒースには分かる?」
「……なんで?」
”魔力酔い”の証、首筋の痣を押さえたままヒースは聞き返してきた。 「エルフの呪いを解くのに女王を殺す以外の方法があると、知っているみたいだったから」
※※※
ロマリア国王に対して、カンダタに盗まれた金の冠奪還を持ちかけた時のことだ。 ポルトガへの通行証発行を待って欲しい、と言われた。 その理由が”カンダタが盗んだ宝の中には、国外に流出されては困るものがあるからだ”というもの。 私は、単純に金の冠というやつのことだろうと思ったのだ。
だが、ロマリア国王は否定した。そして、私だけにこう伝えたのだ。
「金の冠も大事ではあるが、それは些細な問題なのだ」
ロマリア国王は言った。
「カンダタが盗んだものの中に、”夢見るルビー”という品が存在する可能性がある。 それが一番の問題だ」
「”夢見るルビー”?どんなものです?」
「エルフの宝だ」
ロマリア国王は渋い顔をする。
「私が国王になってすぐに、エルフの宝である”夢見るルビー”が盗まれた。 これがエルフの怒りを買い、ロマリア北部の一地方がエルフの呪いを受けてしまったのだ」
「の、呪い?」
「そうだ。強大なエルフの魔力を用いた術なのだろうが、現象を見ると呪いとしか言いようがない。 ロマリア王国としては何度か使者を送り、怒りを解こうとしたが叶わなかった。 肝心の品が見つかるまでは断固として交渉を受けつけない、とそれがエルフの言い分だ」
「なるほど。カンダタが盗んだんですか?」
「分からない。 だが国内の盗賊のうち、盗難が起こった時期に活動していて、かつエルフの里に潜入して物を盗み出すことができそうな者は他にいないのだ。 闇ルートに流れた気配は今のところない。 だとすれば、どこかの盗賊が売り時を狙い、ひそかに所蔵していると考えられるのだ」
「それで、カンダタを捕まえるまではポルトガへの通行を停めると?」
「そのつもりだ」
「呪いを受けたのは、ロマリアの一地方なんですよね? ポルトガへの通行が停まってると、他のところにも流通の停滞が影響してしまうのでは?」
「呪いを受けた者は、死んでこそいないが生きているとも言いがたい状態だ。 国民が苦しみを受けている以上、放ってはおけない」
「……国王さん。私、あなたは為政者としてはあまり利口じゃないって思うんですけど」
不遜を承知で、私は言った。
「でも、好きですよ、そういうの」
私が目を細めて笑うと、ロマリア国王は威厳を保ちながら答えた。
「理解してもらえて、ありがたく思う」
「理解なんかしてないですよ。仲間に相談したらもっといいアイディア提案してくれそうだし。 だけど、金の冠を取り戻す時にその”夢見るルビー”っていうのが混ざってたら、一緒に付けますね」
「すまない」
「言ったでしょう、タダじゃないです」
「何が望みだ?」
「ポルトガとの間に、交易船出してくださいな。 世界がまとまらないといけないときに、隣の国と疑心暗鬼な仲なんて、困ります」
「手厳しいな。遠国よりも隣国と仲良くしていく方が難しいと、アリアハンでは学ばないのだろうか」
「アリアハンは島国ですからね。数多くの国と通商することの方が重要だって習いました」
しれっと言うと、ロマリア国王は笑った。 人好きする笑顔に見覚えがあるような気がして、ああ、と私は思い出した。 宿屋にあった看板の絵だ。豪華な赤いマントをつけた国王のマスコットイラスト。 ロマリア王国の民が知る、国王の姿。 どうやらこれが本当のロマリア国王なのだろう。
「勇者どの、あなたは自分で自覚しているよりも頭がいい。度胸もあるし、見目もよい。 本当に金の冠を取り戻せるのであれば、あなたになら国を譲ってもよいな」
「遠慮しときます」
私は笑った。
「申し訳ないけど、先約があるので。魔王を倒して世界を救わないといけないんです」
「世界を救うのに比べれば、ロマリア一国など小さなものだろう? 期待しているよ、魔王を倒し世界を救うついでに、ロマリアも救ってくれることを」 |