”眠りの村”
くるくると指で回す金の冠。 見掛けが大げさなわりに軽いのは、歴代国王の頭上を飾っただけはある。 始めから、負担が少ないように作ってあったんだろう。 戯れに頭上に合わせて気取ってみせると、ポーラはくすりと微笑んだ。
「やっぱり、お似合いにはなりませんね。 その冠は大きすぎますし、アルテアさんにはサークレットの方が素敵です」
ヒースやレンはその重みや強度を確かめながらコメントする。
「金と名前はついてるけど、純金ではなさそうだね。 初代ロマリア国王が制作させたというわりには、痛んでもいないし、古びてもいない。 いくら金は長持ちする金属といっても、何か別の特殊金属を混ぜて作ったんじゃないかな」
「防御力は木の帽子程度だろう。実践向きではないな」
「そうだね、これ装備したまま戦う気にはならないかも。気になって動きづらいし」
身に着けたままうろうろするのはやめて、荷物の中に仕舞いこむ。 アリアハン国王が旅立ちの際に用立ててくれた大きな袋だ。 とにかく丈夫な袋なので、これに入れておけば冠が傷ついたりすることはないだろう。
「では、ロマリア王城へ?」
ポーラが尋ねる。 ロマリア王城へ戻るのは簡単だった。キメラの翼があればほんの瞬きほどの時間で済む。 カンダタとの戦いが長引いたせいで転移魔法ルーラを使う分の魔力がなくなったけど。 たとえ術者の魔力が空になったとしても、キメラの翼ならカザーブに売っていた。
「ううん、その前に一箇所、寄りたいところがある」
私の言葉に、ポーラは驚いた顔をした。
「ノアニールを見たい」
※※※
ロマリア王国の北部、ノアニール地方の中心地、ノアニール村。 ロマリア国王によれば、”エルフの里に最も近い村”だということだ。
「ノアニールか」
シャンパーニの塔からカザーブに戻った私たちは、そこからまっすぐ北上した。 直線距離ではさほどでもない、というのが、カザーブ出身のレンの言葉だ。
「浮かない顔をされていますけど、何か思い悩むところでもおありなのですか?」
「いや……」
「オレはノアニールには行ったことないんだよね。どんな村?」
「直接には知らない。立ち寄ったことはないからな。 だが……ノアニールはエルフの呪いを受けて機能していないという話だが」
「呪い……ですか?」
「”ノアニールは、エルフを怒らせたために、村ごと眠らされてしまった”んだって」
「アルテアさん、ノアニール村についてご存知なのですか?」
驚いた顔のポーラに、私は首を振る。
「カザーブで気になる噂を聞いただけ。酒場の噂話だったけどね」
ヒースとポーラが麻痺で動けなかった一日、私はレンと一緒にカザーブ村を見て回った。 大半を武器屋で費やしたんだけど、レンと別行動になってから、酒場にも寄ったのだ。 そこで聞いた噂話が、次のようなものだった。
”その村は、エルフを怒らせたために村ごと眠らされたわけ!” ”どこかに眠りの村があるなんて信じられないよ、ねえ旅の人” 私には、一つ思い当たる情報があったのだ。
※※※
静かだが、どこという特徴のない村に思えた。 家があって道を歩いている人がいて、明るくてのどかそうな村に。 だけど近づいていくにつれて、おかしいことに気づいた。 人の気配がしないのだ。 村の入り口にたどり着いて、光景が見えた。
人が眠っている。 立ったまま、時間が止まったかのように身動き一つせず、目を閉じて。 村の中を風が駆け抜ける。 遮る生活の音がないためだろう、冷たく突き刺さるような音がする。 家もあって、人もいるのに。まるで廃村のようだった。
「なに、これ……」
薄ら寒い気分がする。 横を見ると、ヒースがなにやら思案する表情を浮かべていて、レンは顔をしかめている。 そしてポーラは、ひどくショックを受けたように強張った顔で立ち尽くした。
「まさか……」
震える声でつぶやき、ポーラはふらふらと村人らしき男の人のそばへ寄っていく。 止める間もない。 手に触れ、首筋に指をやり、そして口元に耳を近づけて呼吸の音を聞いた。 かなりの間、ポーラはそうしていた。
「……眠っている、だけ、です」
ほっとしたように言うと、ポーラは泣き出しそうな顔をした。
「この方はまだ……、眠っているだけです」
自分に言い聞かせるような声音で、私に向かって告げる。
「エルフの呪いを受けた、とはこういうことか……」
「そうみたいだね。村全体を魔力が包んでる……。 これがエルフによるものだとすれば、エルフでもかなり強力な術者によるものだろうな」
ヒースはそう言って、村を見回した。
「ただの眠りとは違う。時の流れを遅らせる効果があるんじゃないかな。 立ったまま何年経ったかしらないけど、足や手の筋肉が衰えているようすもない。 それに、時間が通常に進んでいたらとっくに餓死しているはずだ」
「アリアハンのいざないの洞窟近くで起きた現象と同じようなものか?」
「……どうかな」
ヒースは難しい顔をした。
「あの時は、働いてる魔力の源がよく分からなかった。 それに今回は外部から中に入ることもできてる。 術者が対象としたのはあくまでこの村で、後から村に入ってきた人間は対象にはならないらしいね」
「魔王軍の仕業ということは、ないか?」
「いや、それはないと思う。少なくても、アルテアが目的なわけじゃない。 魔力の方向性が違う」
「ヒース?」
私が咎めるように聞くと、ヒースは押し黙った。
「……アルテアさん」
思いつめたようにポーラが見つめてくる。
「他の方も、この方と同じなのでしょうか」
「そうだね。もしかしたら、無事な人もいるかもしれない。 今、ヒースも言ったように、私たちみたいに術が発動された後に村に入った人は眠らないんだし」
うん、と私はうなずいて見せた。
「探してみよう。無事な人がいるとすれば、その人はこの現象について何か知ってるかもしれない」
その希望はかなり期待薄だったけれど、私は言った。 村が術にかかる時にいなかったとすれば、その人は術にはかかっていないかもしれないが、事情も知らない可能性が高いのだ。
術にかかっていない人を探して、私たちは村を見回った。 道端で歩く姿勢のまま眠りに落ちている人の姿は奇妙だった。 血色もよく健康そうに見える。何一つ不満も不安もなさそうな顔で眠っている。 宿のカウンターに座ったまま眠っている店員もいた。 みんな眠っている。 死んでいるわけではないけれど、さりとて生きているともいいがたい。 村を回るうち、ポーラの顔色は悪くなっていった。
村はずれに明りらしきものが見えた時、私は正直なところ意外とすら思った。 ポーラはあからさまにほっとした様子を見せた。
※※※
その家の中はちらちらと暖炉が灯っていた。 冷たい音を立てる風を避けるように家に上がりこむと、火のおかげで空気が暖かく、生き返ったような心持になった。
「どなたかー、いらっしゃいませんかー!」
声を張り上げる。
と、二階から降りてきたのは、不思議な雰囲気をした少女だった。
それは、村人というよりも私たちと同じ旅人に見えた。 黒いとんがり帽子をかぶり、長いスカートをはいた女の子だ。年齢は、私と同じくらいだろう。 髪は見事な赤毛。肩くらいまでで切りそろえていて、利発そうな顔立ちをしている。 重いものなど持ったことのないような華奢な手に、宝玉のついた杖のようなものと、本を持っていた。 「なにか御用?」
鈴のような美しい声音だ。ポーラが横から尋ねた。 「あ、あの……、村の方でしょうか?この村に何があったのか、ご存知ありませんか?」
「よく、知っているわ」
少女は笑った。
「エルフの呪いを受けて、村人たちは眠り続けている。これは、呪いが解かれるまで続くわ」
「やっぱり、エルフの呪い、なんですか」
「あなたは?あなたも村の人なの?」
ポーラと私が口々に言う。少女は交互に私たちを見てから答えた。
「あたしはこの村の住人ではないけど、魔法使いだから、魔力を使った現象には詳しいの」
魔法使い。 そう言われてみれば、少女の服装は旅立つ前にルイーダの店で見たものと似ている。
「あなた、勇者ね。珍しい魔力を持っているみたい。 あたしはエルフの魔法を調べにこの村に来たんだけど、もっと珍しいものに出会えたみたいね」
少女は微笑んだ。
「私は、アルテア。あなたは?」
「エリディン。エルフの里に行きたいなら、案内してあげてもいいわ」
「え?」
「この村に術をかけたのはエルフの里の女王。エルフの呪いは、術者を排除しないと解けないわ」
「エリ、ディン?」
ヒースが復唱するかのようにつぶやいた。 考え込むような顔をして、エリディンを見やる。
「なにか?」
「……いや、気のせいだと思うんで、気にしないでくれ」
「そう」
エリディンは気にせず、私たちを順に見やった。
「変わった魔力の持ち主ばかり。勇者のパーティというのは、こういうことなのかしら」
「変わった魔力……?」
おかしなことを言われてる。 戸惑う私に、エリディンはにっこりと微笑んだ。 女の私でも思わず赤面してしまいそうな美しい少女だった。
「なんで、エルフの里の場所を知ってるの?」
「行ったことがあるからよ」
「本当?」
「ウソなんてつかないわ。 エルフの魔法を調べに来たって、言ったでしょう? エルフの魔力を辿って、隠れ里を見つけたのはよいけれど、あたしには呪いを解けそうになかった。 だから、代わりに行ってくれる人を探していたのよ」
そう言って、エリディンは手に持っていた本を開いて私に見せた。 本に書かれた文字は見たこともないもので、読めないのはもちろん、文字にも見えない。 子供の落書きを並べたかのように見える。 その一節を指差して、エリディンは言う。
「ほら、ここにも書いてある。 エルフの魔法のうち、永遠の眠りを与える術について。 術に落ちた者は、時が停まったかのように永遠に眠り続ける。それはエルフの魔法によってしか解かれることはなく、その効果が自然に解けるのは魔法をかけた術者が死に至った時のみ」
ぱたん、とエリディンは本を閉じた。
「呪いを解くのは簡単だけど、難しい」
わずかに瞳を曇らせて、エリディンは私に告げた。
「エルフの女王を殺して。そうしたら、罪のない村人たちは救われるの。 あなたは勇者なのでしょう?」
※※※
エルフの隠れ里は森の中にあるという。 エルフの女王の魔力によって、常人が迷い入ることのないよう結界が張ってあるのだそうだ。 私は方向音痴だし、ヒースもレンもポーラも訪れたことはもちろん、存在すら知らない場所だ。 道案内なくたどり着くのは不可能だと思われた。
先導はエリディン。 旅用のマントを身に着けて、宝玉のついた杖を手に私たちを先導している。 行ったことがあるというだけあって、その歩みには迷いがない。
「……いいの?」
小声でヒースが私にささやいた。 目でエリディンを示しながら、私に判断を仰ぐような顔をする。
「ヒースは、エルフの女王に会ったことは?」
「ないよ。 各国の人間の王には、それなりに面識があるけどね。さすがにエルフには用がなかったし」
「エリディンに、会ったことは?」
「……ないよ。どうして?」
「名前を聞いて、変な顔をしたでしょう。知り合いかと思って」 「顔見知りに、エリディンて名前はいないな。けど、気になることがあったことは確かだよ」
「気になること?」
「彼女の魔力こそ、ひどく変わってる。 まるで人間じゃないみたいだ」
「人間じゃない、って?それって、もしかして……」
エルフ? そう尋ねようとした時、エリディンが足を止めた。
「この先よ。細い道があるから、それをずっと西に向かって歩いていって。 残念だけど、あたしが道案内ができるのはここまでなの」
「え?そうなの?エリディンも一緒に来てくれるのかと思ったのに」
「ごめんなさい」
美しいまつげを伏せて、エリディンは謝った。
「村で朗報を待っているわ。きっと、女王を殺してちょうだい」
そして、音もなく森の中に消えた。 |