”カンダタ”




 頭の中が真っ白で、何も考えられなかった。

 ”勇者よ、死んでしまうとは何事か”

 何事もなにも、負けちゃったんだよ、国王。

 ”もう一度そなたにチャンスをやろう”

 無理言わないで。だって、死んじゃったんだよ? 
 死んだら、それで終わり。たった一度きりのチャンスだから、人間頑張るんじゃないか。
 何度でも挑戦できるんだったら、必死になったりしない。できない。


 ”心配はいらん”

 どうして。

 ”おぬしはまだ”

 どうして。

 ”死んではおらん”

 本当に。



 目は、唐突に覚めた。
 私は青い空を見上げていた。


 


   ※※※




 草の匂いがする。
 私は、塔を見上げる地面に横になっていた。
 見上げる先に青い空があって、白い雲が流れていく。
 ざっと誰かが地面を踏みしめる音がして、空を見上げる私の視界がさえぎられた。


「無事だな」

 レンだった。

「っ……!?」

 状況が分からず、私は跳ね起きる。ずきりとおなかが痛んだけど、顔をしかめるだけで無視をした。
 周囲を見回すと、見慣れた姿がある。
 足元には疲れたように寝入るポーラの姿があった。
 横には血の気が失せた顔色のヒースが寝転がっている。
 目の前には大きな塔がそびえ立っていた。


「シャンパーニの塔だ。まだ、連中が外に出た気配はない」

 レンは言った。

「私、生きてる……?」

 記憶が混乱している。カンダタの一撃がおなかを直撃して、やられてしまったはずなのに。

「間一髪だったな。ヒースが、おまえをかっさらって塔から飛び降りた」

「え……」

「俺たちは、再度上る途中で、窓の下に落下していくおまえたちを見たので、いったん外に出たんだ。
 ヒースが気絶しつつ塔からぶら下がってたのを回収して、先ほどまでポーラが回復していた」


「だって。逃げる場所なんて」

「盗賊のアジトに、緊急用の脱出路がないわけはないだろう。
 実際にどう逃げ出したのかは、ヒースに聞かないとわからないが」


「……生きてる?」

「誰のことだ」

「私と。みんな」

「見てのとおりだ」

「……生きてる」

 ほっとして、泣きたくなった。

「ごめん。私が……弱かったから」

「謝ることではないが、おまえが弱かったのも一因だ。もっと強くなってくれ」

「うん」

 にかっと笑って見せると、レンは拍子抜けしたような顔をした。

「ふん」

「リベンジ、しないと。金の冠を取り返さないといけないよね」

「まあ、そうだな」

「今度は負けない」

「根拠は?」

「今度は、みんなと離れない」

「……それが根拠か?」

「うん」

 ふん、とレンは同じように息を吐いたけど、その口元が柔らかく笑ってるのに、私は気づいた。

「ねえ、レン。一個聞きたい。
 ロマリア国王が、金の冠と引き換えに私をカンダタに差し出したってこと、ありえる?」


 レンは眉をぴくりと動かした。

「可能性としては、ありえなくはない。
 アリアハンの勇者は、ロマリアにとっての金の冠ほどの価値はないからな。
 だが、その可能性はほぼないだろう」


「どうして?」

「おまえに対して、カンダタが興味を持つ保証がない。
 危険な賭けをするには、アリアハンの勇者は価値がありすぎる」


「そっか。」

「カンダタが言ったのか」

「うん」

「モテるな」

「うん……うん?え?どういう意味?」

「カンダタは、金の冠と引き換えてもいいくらいには、おまえを気に入ったんだろう」

「喜んでいいの、それ?」

「微妙だ。迷惑がった方がいいと思うがな」

「うん。迷惑」

 私はしっかりとうなずいてから、身を起こした。
 にやっと笑って、鋼の剣を装備し直した。


「フってあげましょう」 

 


   ※※※




 二度目のカンダタのアジトは、迷いもせずに上層まで向かうことができた。
 再度最上階まで上がろうとしたところで、物音が聞こえて私たちは立ち止まった。


「……だから、今の……」

「勇者……女……」

 しっとヒースが口元に指をやり、私たちを黙らせる。
 物陰に隠れて伺うと、部屋の一つから会話が漏れ聞こえていた。


 カンダタの手下たちだ。黄金色の鎧を着ていないが、上にいたのと同じだろうか。
 最上階への最短ルート上にはないその部屋は、手下たちの控え室の一つだったのだろう。
 いくつかの椅子が並んでいて、テーブルの上には軽食が並んでいる。
 カンダタの部屋ほど豪勢な食事ではないが、おいしそうな食事だ。
 私はおなかがぐうと鳴るのを抑えながら、その会話を聞いた。


「本当なのか、ボスが、勇者が手に入ったら金の冠返しちゃうってのは?」

「はは、嘘っぱちに決まってるさ。あの金の冠はロマリアを出し抜いた勲章みたいなもんだぜ?
 それに、あの勇者ってやつ、女か男かも分かんない細っこさだったぜ。
 ボスの趣味じゃねえだろう」


「そうなのか?綺麗な子らしいって聞いたが。体だけの女には飽きたっつってたし、ちょうどいいんじゃ」

「ボスはもともとロマリアからはそろそろ手を引くって言ってたんだ。
 冠返したとしても、潮時だと思ったんじゃねえの?」


「本格的にあっちに移るのか」

「そうさ。財宝も大方移してあるし、今更冠一つくらい、返してもいいって計算だろうさ」

「じゃあ、勇者と引き換えっていうのは……」

「俺は、ただのでまかせだと思うぜ?」
 
 ひくっと顔が引きつったのを、誰が責められよう。
 思わず鋼の剣に手をかけた私を、レンが止める。


 ここで部下とやりあうのは効率がよくない。騒ぎに気づいたカンダタに逃げられてしまうかもしれない。
 この手下たちの言葉が本当なら、カンダタはこのアジトを引き払う気でいるらしい。
 単にロマリアを狙うのをやめるだけかもしれないけど、国王にまでアジトがバレてる場所で活動を続けるほど、命知らずではないんだろう。


 私たちは足音を殺して、最上階カンダタの部屋を目指したが。
 そこはすでにもぬけの殻だった。


「逃げられ、た……!?」

「いや。まだこの塔内にいるはずだ。塔の外に出た気配はなかったからな」

 レンの言葉に冷静さを取り戻して、私たちは部屋を探索した。
 脱出路を見つけたのは、ヒースだ。
 カンダタは塔の最上階からだというのに、きっちり逃げ出すためのルートを確保していた。


 鎧が音を立てるのもかまわず、私たちは追った。




   ※※※


 

 二度目のカンダタは、やはり防具は身に着けていなかったが、斧は装備していた。
 黄金色の鎧を着た部下たちを従えていたが、女たちはいない。
 脱出路からしばらくした広いスペースで、私たちはカンダタに追いついた。 
 
「金の冠を返しなさい!」


 私が叫ぶのを、カンダタは楽しそうに笑った。

「仲間が増えたら余裕出たじゃねえか、お嬢ちゃん?」

「うるさい。冠返せって言ってるの!」

「返したら、オレの女になってくれるわけかい、勇者ちゃん?」

「絶対、嫌!あなた、私の好みじゃないもん!」

「ぶっ」

 思わずといったふうに、カンダタは吹いた。

「そう切り返されるとはなあ。
 オレぁ世界一の大盗賊だぜ? しかもこの美丈夫っぷりったら並ぶことのねえ男っぷりだってのに。
 オレのそばにいたらいくらでも贅沢させてやるっていうのに、なーにが不満だよ」


「私は、私だけを大事にしてくれる人がいいから、お断りする!」

 じゃきんと鋼の剣を抜いて、私はカンダタを睨んだ。
 一度目とは違う。仲間が一緒だというのは、どうしてこんなにも心強いのだろう。
 今度は、カンダタは斧を持っているし、手下たちも一緒だ。そして、先ほどと違って加減をしてくれたりはしないだろうと分かっているのに。


「へえ。じゃあ、オレが女たちを手ぇ切って、あんただけだといったら振り向いてくれるわけか」

「そんなこと、できてから言って」

「ふふん。で? あんたのお好みはそっちの二人のどっちだ?
 それとも、実はそっちのお嬢さんが本命かい?」


 どこまでも口の減らないカンダタは、今度はそんなことを言ってヒースとレン、ポーラの三人を見やる。
 でも、動揺させようという作戦が分かっている以上、そんなことでは揺るがない。


「私の仲間を侮辱するマネは許さないから!」

「侮辱?違うさ。本音を言い当ててやっただけだよ。
 誰が正義気取りの勇者のために、命を張ってくれる? 下心があるに決まってんだろ。
 それが、目的のためにあんたを利用してるんだろうと、あんたの体が目的だろうと大差ねえさ」


 にやにやと、カンダタは笑った。

「断言してもいいぜ、あんたの仲間の中に、真実魔王を倒すために協力してるやつなんざ、いねえよ」

「だから、何」

「はあ?」

「私は構わないよ。魔王を倒すのは私の旅の目的なんだから、それに付き合ってくれる以上、別の目的があろうとぜんぜん気にならない」

 そもそも、私は魔王退治が目的なんて人は勧誘しなかった。
 魔王退治に付き合ってくれる、その覚悟がある人と一緒に行きたかっただけなのだ。


 私は、魔王バラモスなど憎くはないのだから。

「そして今、私の目的は魔王なんて先の話じゃないよ。
 今はあんた。カンダタを退治して、金の冠を取り返すことが目的なの」


「へっ。いい目になったじゃねえか。ますます好みだぜ、お嬢ちゃん」

「私は、好みじゃない!」

 今度こそ私は、鋼の剣を構えた。
 カンダタは変わらず巨漢であったし、動きも速く力も私たちの誰よりもあったけれど。
 私はもう、少しも怖くなかった。


「カンダタ、あんたを、倒す!」

 


   ※※※




 全身、ズタボロ。あちこち傷だらけだし、アザだらけ。
 人気がなくなったシャンパーニの塔の上層階で、私は大の字になって眠っていた。
 もう、剣を握る力も残ってなくて、鋼の剣は腕の近くで転がっているはずだ。
 私だけではなく、ヒースも、レンも、ポーラも。
 傷だらけで魔力も空っぽで、もうしばらく動けそうにはないのだ。
 
 私の枕元には、威厳も何もあったものじゃない、金色の冠が転がっている。
 
 カンダタには結局逃げられてしまった。
 最後まで逃げる力は残していたと見えて、形勢不利と見るなり冠を囮にして逃げ出したのだ。
 タフガイっていうのは、まさしくあの男のためにある言葉に違いない。
 出会い方を間違えたら惚れてしまいそうな強さだが、あいにくと、私の興味範囲にはないのでご安心を。


「は、あっ……」

 まったく、ずるいったら、ない。
 あの男はまるっきり懲りていないから、逃げた先でまた悪さをするんだろう。
 ロマリアからは出たというが、どこに行くつもりだろうか。アッサラーム?イシス?ポルトガ?
 いずれにせよ、また会ってしまいそうな気もする。
 その時は、もっともっと腕を上げて、絶対に倒してやる。


「アルテア」

 ヒースの声がした。お互いに寝っころがっているので、姿は見えない。

「なにー?」

「負けないでくれて、ありがとね」

「……お礼?」

「そそ」

「お礼言うのは、こっちの方だよ。一回目、見捨てないでくれて、ありがとう」

「アルテアなら、勝てると思ったんだよ」

「負けてたのに?」

「腕っ節じゃなくて、ね」

 くくく、と喉の奥で笑うような声で、ヒースは笑い、そして沈黙した。
 黙ってしまったのか、眠ってしまったのかは、よく分からなかった。
 
 顔を見ようと思って、ごろんと私は寝返りをうった。
 でもそこにいたのはポーラで、彼女は疲れた顔ながらどこか満足げに私の方を見ていた。


「どうしたの?」

「いいえ。アルテアさんが、カンダタの求愛に答えないでくださって、嬉しいなと」

 明らかに本音ではないだろう返答が返ってくる。
 私は拍子抜けしたように肩の力を抜いて、ポーラに視線を合わせる。
 ポーラはちょっといたずらめいた目で微笑んでいて、なんだか照れくさい気持ちになった。


「好みじゃないもん」

 私が言うと、ポーラはくすくすと笑った。

「アルテアさんの好みの男性って、どんな方なのですか?」

「えー?うーん、そうだなあ……」

 まったく考えたことがないので、返答に悩む。
 迷った証拠にあちこちへと飛んだ視線が、転がった金の冠を視界に入れた。


「やっぱり、私を大事にしてくれる人……なんじゃないかなあ」

 カンダタにとっさに答えた言葉を思い出し、私が言うと。

「いつか、アルテアさんがお好きな男性と結ばれる時には、わたしに祝福の儀をさせてくださいね」

 ポーラはそう言った。

「でもきっと……。アルテアさんは自分だけを大事にする方では、満足なさいません。
 世界中を大事にして、その上でアルテアさんを一番大事にする方に、惹かれるのだろうと思いますよ」


 そんな人、いるんだろうか。
 ポーラはやけに確信めいてそう言うと、微笑んだ顔のまま、目を閉じた。
 眠ってしまったのだろう。


「いつか、か……」

 そんな日がくるんだろうか。
 それはきっと、魔王を倒して、世界が平和になって、誰もが笑い合える時代がやってきてからのこと。
 まだ先すぎて、誰にも分からない未来の話だ。


 来るかどうかも分からない未来を抱きしめて、私は金の冠を見つめた。



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