”カンダタ”




 シャンパーニの塔は平原にそびえ建っている。
 時折、上層階近くで明りが灯る。ちかちかとしていて、信号というよりも陽気な音楽のようだ。
 もしかしたら本当に宴会でもしているのではないだろうか。
 カザーブからしばらくは森が続いていて、塔の姿も見えなかったのだけど、森が切れたとたん、遠くからでもよく分かる位置にその塔はあった。
 海に向かってそびえる塔はさぞかし見晴らしがよいだろう。
 
 あの塔に、おそらくカンダタがいる。


「あれだね」

 私が言うと、ポーラも強張った顔でうなずく。

「どんなやつだろ。ヒースは、知ってる?」

 盗賊つながりというわけではないけど、私が聞くと。ヒースは少し考える顔をした。

「評判くらいはね」

「レンは?」

 ロマリアつながりでレンにも話を振る。

「盗賊とはいっても、ヒースとはタイプが違うというくらいならな」

「どう違うの?」

「まず得物が異なる。カンダタが使うのは大振りの斧だ。戦士と呼んでも遜色ない豪腕の持ち主らしい」

「何人も手下を連れてるらしいよ。
 聞いた話じゃ金色に輝く甲冑に身を包んでいて、魔法を使ってきたりもするらしい。
 連携はあまりよくないけど、群れてることには変わらないから、油断はできないね」


 ぶるっと背筋が震えた。

「後手に回ると、危険ってことだね」

 私たちには魔法使いがいない。
 装甲を固めた相手に対して、有効打を与えることが困難なのだ。
 速度優先で装甲の薄いメンバーが多いから、豪腕を振るわれると一撃で相当ダメージを受ける。


「ポーラ頼みになっちゃうかも。よろしくね」

 私が言うと、ポーラは硬い表情でうなずいた。

 ヒースが目を閉じて、なにやら呪を唱える。
 音もなく鷹が舞い降り、ヒースの手元に停まる。
 流れるような所作は舞台でも見ているような気分になってしまう。
 私は鋼の剣を握りしめ、黙ったままヒースの様子を見やる。
 銀色の髪を風になびかせ、再び鷹を放したヒースは、私たちに向けて合図した。
 
 今のうちだ。
 ヒースの合図に合わせて、私たちは一気にシャンパーニの塔の足元まで駆けた。




   ※※※



 塔の中は薄暗かった。
 天井が低くフロアが広い作りだ。
 四角い部屋ではなく、灯りが届かない部分がどうなっているのか部屋に入っただけでは分からない。
 正直言って嬉しい条件じゃない。
 自分がどちらからやってきたのか分からなくなってしまうのだ。
 一人で来たら出入り口に戻ることもできないかもしれない。


 ばさばさと聞き覚えのある音がして、私の顔が引きつる。

(今、昼間だよね!?)

 抗議するような私の声に、レンが黙って静止をしてくる。
 レンの左手には鉄の爪という武闘家用の武器が装備されていた。


 キィキィとわめくような声が降って来ると同時に、レンが地面を蹴る。
 ざしゅっと肌を切り裂くような音と共に、天井から大きな人影が落ちてきた。
 コウモリの羽をした陰気な男の姿。こうもり男というモンスターだ。
 夜にだけ現れ、こっちの知らぬ間に近寄ってくるモンスターなのだけど。
 人間によく似た姿をしていて気分が悪い。ただの人間ではない証拠に、顔色が悪いを通り越して青色をしている。叫び声や生態は、まるきり吸血蝙蝠。


 今はまだ昼間。
 薄暗い塔の中は、こうもり男にとっては夜中と同じということだ。
 巣食っているのだろう。


 ナジミの塔でも思ったけど、こんな塔を根城にしているカンダタという一味、神経を疑ってしまう。
 それとも、それだけ強いんだろうか。モンスターを番人代わりにして?
 威勢のいいことを言って国王に交渉を持ちかけたのはいいけど、考えてみれば一国が捕まえることができていない盗賊なのだ。分不相応なことをしてしまったんじゃないだろうか。
 怖気づく心に発破をかけながら、私はじっと前方を見つめる。


 ひんやりとした、底冷えするような空気。
 石造りのせいもあるだろう、海風が塔を冷やし、足元から冷えが立ち上ってくるようだ。
 
 先の様子を見に行っていたヒースが曲がり角から姿を見せて戻ってきたとき、ほっとして眩暈がした。





   ※※※




 男は塔の最上階にいた。
 
 暖かなフロアだ。
 石造りの建物の中に、カーペットを敷いて、タペストリーをかけている。
 さっきまで宴会をしていたらしく、酒の臭いが充満している。
 香辛料をたっぷり使った肉料理や魚料理がごちゃまんとテーブルに並んでいて、食い散らかし方はお世辞にも上品ではない。
 その男は玉座のような椅子に腰掛け、たくさんの部下を従えて、機嫌がよさそうに女に酌をさせていた。


 レンやヒースが言ったとおり、手下たちは黄金色の鎧を身に着けていた。
 昼間っからこんな格好をしているとは思えないから、私たちの潜入に気づいていたんだろう。


 姿を一目見るなり、背筋のどこかで冷たい雫が流れた。
 私の問いに答えるように男は笑った。


「よう、遅かったな。ちんたら昇ってくるんで料理が冷めちまったじゃねえか」

 豪胆な笑みを浮かべた男が、椅子にふんぞり返りながら言う。

「あなたが、カンダタ?」

 私が尋ねると、男は面白そうに笑った。

「いかにも。あんたがアリアハンの勇者ってやつだろう、お嬢ちゃん。
 細っこい腕でなかなかの剣術の使い手だって聞いてるぜ?」 


 カンダタはそう言って女たちを下がらせた。
 椅子の横には大振りの斧が置かれていたが、防具らしきものはなかった。


 たくましい腕は、レンよりも太い。迫力の長身は男性陣の誰よりも高い。
 隆々の筋肉を見せ付けるような軽装で、悔しいことにけっこうな男前である。
 無精ひげとむわっと臭う酒のにおいが、似合いすぎてる。男くさい。
 私以上にポーラには受け付けないタイプだったらしい。彼女は顔をしかめている。


「私も、評判は聞いてる。ロマリアではけっこうな暴れぶりだって話だけど」

「はーん、そりゃあたいした評判じゃねえな。中央大陸を股に駆けた大盗賊、っつって欲しいね」

 カンダタの口元には笑みが浮かんでいる。
 余裕なのか、それとも別に理由があるのかは分からない。


「金の冠を返してもらいにきたの。出して?」

「ほう。ロマリア国王に頼まれたか。勇者が使いっぱしりたぁ、器が小せえな」

「人のもの盗んでる人たちに言われたくないよ。それに、勇者が使い走りして、何が変なの」

 私の返答にカンダタは笑った。そして、意外なことを言った。
 カンダタは私を招くように手招きする。


「いいぜ。ただし、条件次第だ」

「……条件?」

 私が眉をひそめたとたん。カンダタはいかにも楽しそうに指を鳴らした。


「てめえら、この女置いてきな。ロマリア国王からの献上品を堪能してやろうじゃねえか」

 ずらっと並んでいた手下と女たちが一斉に散る。
 まさか出入り口をふさがれた? と思った瞬間だった。
 立っていた床がばかっと空いたのだ。


 私の、すぐ後ろで。


「え!?」

 いつのまに仲間たちと離れていたというのだろう。
 困惑する私をよそに、床は閉じてしまった。
 一瞬だけど、二人が落下していくのが見えたのは、見間違いではない。


「ひゅう♪ 意外と反応がいいやつがいるな」

 カンダタは嬉しそうに言った。

 ヒースだけが、とっさに飛びのくことに成功したらしい。
 空いた床の上空、天井にかかったシャンデリアにぶら下がっている。
 タン、と私の横に着地すると、ヒースは私の肩に手を置いて、険しい顔でささやく。


「いったん、退くよ。分断されて勝てる相手じゃない」

「で、でも」

 逃げる、どうやって。

 ちらりと後方を見やった。
 入ってきた扉は塞がれてしまっている。


 前方にカンダタ、後方に手下たち。左右の窓の前には女たちが並んでいる。
 床の穴は閉まってしまっていて、開け方が分からない。
 
「させねえよ」 


 カンダタの口元に笑みが浮かんだ。
 
「っ!」


 その次の瞬間、ヒースの体が吹っ飛んだ。

 カンダタの、ハンマーのような大きな拳がヒースの頭を殴りつけたのだ。
 壁に思い切り打ち付けられ、体が一度バウンドして、動かなくなる。
 その速さに私の手が震えた。


 カンダタは椅子に座っていたのだ。
 いったい、いつ、近づいたというのだ。


 ヒースは速い。防具は確かに薄いので、当たると脆いのだが、めったなことでは敵の攻撃を食らわない。
 それが、避ける所作をすることもできなかった。


「残念だなあ、残った味方も沈んじまったぜ?」

 私を見下ろして勝ち誇ったように笑うと、カンダタは塔内に響き渡るような声で言った。

「気づかねえか? おまえは金の冠と引き換えにオレに差し出されたんだ」

「どういう、意味?」

「オレの女になれって言ってんだよ」

「は!?」

 間近に寄られるとこの男が巨大であることがよく分かった。
 縦にも横にも大きい上、近寄られるとむわっと汗臭いにおいがする。


 カンダタの太く長い指先が、私の顎をつうっと撫でた。
 ぞわりと毛羽立つような悪寒。
 私は無意識に後ずさる。


「ロマリア国王は曲者だ。自分は平和そうな顔して国の厄介なところはオレたちに押し付ける。
 まっ、オレたちとしても都合がいいんで構わないがな」 


 私の顎から指を離して、カンダタはにやにやと笑う。

「世界のために犠牲になろうってお嬢ちゃんだ。そんくらいの覚悟はあるんだろ?」

「何を言ってるのか、分かんない」

「ふん、いいぜ?分かんねえって言うなら、それでもな。
 何も知らねえ新雪に、足跡つけんのは爽快だってだけの話さ」


 この男は、今、何を言っている!

 下卑た笑いに、頭が沸騰しそうな怒りが沸いた。

 馬鹿にされてるのが分かる。
 私は目を離さずにいて、カンダタの周囲の空気が変わるのを待った。
 
「私は、あんたの女になんかならないから」


 しゃっと鋼の剣が音を立てる。
 両手が剣柄の感触を確かめている間に、私はこの場から離れるにはどうしたらいいか考える。
 足が後ずさった。
 カーペットはどこか不安定な感触で、先ほど穴が空いた場所だということを思い出させる。


「抜いたな?」

 くくくとカンダタは笑った。
 この期に及んで、カンダタは斧を手にしない。


「言葉の挑発で刃を抜くのは、自分が弱いって認めてるようなもんだぜ、お嬢ちゃん」

「うるさい!!」  

 私は愚かなことをした。
 後々になっても、この時の私の判断は冷静ではなかったし、勝機のある行動じゃあなかった。


 よりにもよって、先に剣を抜いたのだ。
 正当防衛で何をされても文句をいえないことをやらかした。
 全身を寒気が襲った。
 
「私に……触るな!」


 私には分かっていた。

 今、私はこの男に勝てない。




   ※※※




 私を突き動かしていたのは、言いしえぬ恐怖だった。

 自分のちっぽけな慢心で、仲間を引っ張り出したことも。
 慢心すら打ち砕かれる実力差を知っても。
 それが勇者の名前に相応しくないと思っても。
 怖いという、それだけの理由が私を動かしていた。



 勝てない。
 
 剣を振るう。呪を放つ。薬草を使う間も惜しかったから、負った傷は蓄積した後ホイミで癒した。
 カンダタは斧を使わず、拳だけで私の相手をする。
 巨漢なのに、カンダタは速く、そして力もあった。
 



 アリアハンにいたとき、子ども扱いに憤ったことはない。
 城の兵士たちが本気でかかってきても負けない自信があったし、実際そうだった。


 モンスターを相手にするようになって、自分の実力では及ばない相手とも遭遇するようになった。
 日々の鍛錬は怠らなかったし、今日適わない敵でもその次の日には倒せるようになっていた。


 適わないと思えば、逃げることだって厭わない。
 自分たちは魔王を倒すのだから、ちっぽけなプライドで命を落としていいはずがない。
 本気で逃げようとすれば、逃げられた。
 ヒースは私やポーラを逃がすことを前提に布陣を組んでいたからだ。
 
 だけど。この男相手には無理だ。
 逃げようにも逃げられない。どうやって逃げたらいいのか、退路すら思いつかない。
 実力差がありすぎて、背を向けることだってできやしない。


 血の気が失せていくのが、分かる。
 指先が冷たくなって、だけど怖くて鋼の剣を手放せない。


 無我夢中で剣を振るう私は、鬼気迫るものがあったに違いない。
 時間経過も分からないまま、その瞬間を迎えた。


 カンダタの一撃が、私の腹をえぐるように触れた。

「アルテアっ!」

 誰かが私を呼んだけど、意識はそこで吹き飛んだ。



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