”いざない”4




 勇者よ、旅立て。




 夕暮れが支配を始める以前。
 霧が辺りを覆う以前。


 アルテアは一人の女性の影を見つめていた。

 黒髪をサークレットで留めた少女の姿だ。
 凛々しい、と言われた顔立ちに、大きな瞳がぱっちりとしている。
 旅人が好む丈夫な服にマントを身につけ、手袋とブーツとで顔以外の素肌は一切出していない。
 どこか物憂げな表情を乗せている自分自身に、アルテアは少し疑問を覚えた。
 ちょん、と女性の影に向かって指を伸ばす。
 ゆらゆらと影は乱れ、またじきにアルテアの姿を映しだした。


 いざないの泉と呼ばれる場所。

 剣の鍛練に出てきたのはいいが、迷ってしまったのだ。
 いざないの祠からは難しい道のりではないが、アルテアはここまで足を伸ばそうとは思っていなかった。 ちょっと森に入って、モンスターでも相手にできないかと思っただけだ。


「失敗しちゃったよねえ」

 どうしよう、とアルテアは呟く。
 記憶にある道順を辿り戻れば、祠に着くとは思う。思うが。
 ここでさらに迷った場合、祠には永遠に着かない気がする。


「ルーラ、使えたらなあ」

 そう思い立ったのはナジミの塔を攻略した直後だった。便利だろうと思ったのだ。
 だが今は、切実に必要だと思い直してみる。


「そうしたら、一度行った村や街に何度でも戻れるじゃない。
 どこかで仲間とはぐれても待ち合わせの場所決めておけば一発だし。
 キメラの翼をいちいち買っておくのは高いし……」


 コストの問題は捨て置けない。キメラの翼はけっこう高いのだ。
 道に迷った程度で使っていては路銀がいくらあっても足りない。


 旅立ってからというもの、国王からもらった武具以外には手を出していない。
 レンは素手に稽古着なのでいらないし(念のため聞いたが旅人の服は着れないそうだ)。
 ヒースは棘の鞭と短剣を持ち合わせていたし(革の鎧をあげようとしたら、動きにくいと断られた)。
 ポーラには護身用にこん棒を持たせてあるが、実戦で使わせる気はさほどない。
 結界を張ってあるのが災いしているのか、アリアハンでは強力な装備は手に入らない。
 ロマリアに渡ったら、そこで新装備を備えたいと思っている。
 それまで無駄遣いはしたくないのだ。


「……まいったなあ」

 そう呟いた時だった。

『あなたは……』

 声は、泉の方から聞こえてきた。

『あなたは何を望んでるの?』

 聞き覚えのない声だと思い、視線を向ける。
 とっさに剣に手をかけなかったのは、それが人間の女性だったからだった。
 艶やかな長い黒髪と澄んだ黒い瞳をした、まだ若い少女だ。
 しかもかなりの美少女である。


 少女は憂いを帯びた瞳でアルテアを見つめ、尋ねてくる。

『あなたは何を望んでるの?』

「……え……?」

 それはアルテアだった。




   ※※※




 まずアルテアはほおをつねった。

「い、いたたたた……っ!」

 思わず遠慮なくつねってしまい、危うくほおが腫れ上げるところだった。
 次にまじまじと凝視した。
 少女は泉の中央にぼんやりと立ち、アルテアの方を見つめてくる。
 顔の作りなどはどう見てもアルテアだったが、どこから見ても別人だった。


 まず、髪が長い。
 次に、まるで日に焼けていない。
 身体にちっとも筋肉がついていない。
 それにこんな憂いを帯びた顔など、アルテアは鏡でだって見たことはなかった。


「だ、誰、あなた……!」

 うわずった声で叫ぶ。
 少女は不思議そうに首をかしげる。


『私は、あなたのもう一つの可能性。アリアハンにいれば、ありえるはずの姿』

 少女は言った。

『この泉を越えてしまえば、二度と私には出会えない。
 それでもあなたは行くの?』


 そんなの。
 アルテアの口が開きかけた時だ。
 少女の傍らにすっと青年が立ち上がる。




 見覚えのない青年だった。
 凛々しくてたくましい長身に、優しく穏やかそうな笑みが浮かんでいる。
 瞳の色はとても澄んだ黒。天に向けて立てた髪を、見覚えのあるサークレットで留めていた。
 端整な顔立ちに太い眉が意志の強さを示していた。
 見る者すべてが彼を信頼し、尊敬し、頼るだろうというのが、見て分かる。
 こうしているアルテア自身、彼に見とれているのを否定できない。


『アルス』

 嬉しそうに少女が呼んだ。

 ”彼”は少女の肩にそっと手を置き、優しく包むように微笑みかける。
 寄り添った少女ははにかんだ笑みを浮かべた。
 ”彼”は少女のようすに、微笑ましそうに笑う。
 
 さらに姿が浮かんできた。
 母ルシアと、その横に並ぶ壮年の男性。男性は”彼”によく似ている。
 優しく微笑んでいる国王と王妃、そして姫。


 ”彼”は国王に礼をとり、その手から一本の剣を受け取る。
 飛翔する鳥が柄に彫刻された剣だ。青光りする刀身は、鋼よりも堅そうな金属でできている。
 見る者を魅了する美しい剣だった。
 ”彼”は剣を高く上げ、何事かを叫ぶ。
 国王たちと、”彼”のそばにいた母ルシアと壮年の男は、互いに嬉しそうにうなずき合う。
 
 そして”彼”は剣を収めた。
 少女が”彼”のそばに寄り添っていく。
 ”彼”は少女の手をとり、そして、うやうやしく唇を近づけ……




「な……何……」

 アルテアは呆然と呟く。

『あなたは幸運を捨てて行く。前途に待ち構えるのは迷いと孤独の迷路だけ。
 それでも行くの?』


 少女は言った。
 ”彼”に肩を抱かれながら。


『あなたは何を望んでるの?』

 アルテアは思わず剣を振るった。これ以上見ていたくなかったのだ。
 銅の剣で少女を袈裟懸けに切り捨てる。
 手応えはなかった。




 少女は、アルテアが斬りつけると水になって消えてしまった。
 わずかに不安が残り、また出てくるのではないかと水面をにらんでいる時に、ヒースが探しに来たのだ。
 助かったとアルテアは思った。
 これで終わったと思った。


 何も終わってなどなかった。
 それどころか、アルテアが斬りつけたために始まったのかもしれなかった。





   ※※※




 あれは幻だとアルテアは確信できる。
 
 仮にアルテアが勇者を目指さなくても、しとやかなお嬢さんになどなれはしない。
 動きづらい長い髪にすることはないだろうし、綺麗に日に焼けた身体をしていたはずだ。
 小さいころからアルテアは腕白な娘だったから。


 現れた青年に惹かれる理由も理解できる。
 あれは、アルテアが抱く勇者像なのだ。
 勇者になりたいと思うそばで、勇者がいてくれたらと願っている。
 アルテアの弱い心が生み出した幻なのだ。





 再びいざないの泉を訪れたアルテアは、その変わりように息を呑んだ。
 
 ぼんやりとした霧の中に、泉がある。
 だがそれは、清らかとは対極にある毒の沼地だった。
 どす黒い水が充満している。泉からあふれている臭気が、不気味な紫色をしているのが目に見える。
 どぶの腐った臭いがして、アルテアは思わず口を覆った。
 深く吸いこんでしまえば、それだけで意識が遠くなりそうだ。
 ふっと足下に視線を落とせば、踏み固められ栄養をなくした枯れた土の色をしていた。
 周囲の木々も、雑草も茶色く枯れ果てている。
 ここを訪れた時、山肌が荒れた色をしていたのを見ていたはずだが、豊かな森と山だと誤解していた自分を、アルテアは恥じ入った。


「出てきなさい!」

 泉に向かい、叫ぶ。

「出てきなさいよ、私の顔をした誰か!」

 返事はない。木霊する自分の声が返ってくるだけだ。
 口をふさいでいない方の手で、剣を抜き払き、ぶんと振るう。


「私に、用があるんでしょう!?」

 ざわりと風が啼いた。
 肌を突き刺すような冷たい気配が漂ってくる。
 ぞわぞわと背筋を駆け抜ける悪寒に、アルテアは剣を握る手に力をこめる。


 ばささささ……。

 ざざざざあああ………ああ……。

 息を呑んだ。
 枯れ木の枝という枝に、びっしりと大きな鴉が止まっている。
 すべてがそうではないが、ガイコツを足にぶら下げているものも多かった。
 大ガラスにしては一回り大きく色が異なる。デスフラッターだ。
 枯れ草の間をかき分けて、現れたのは何十匹もの巨大なウサギだった。
 耳の間に一本の角を生やしたウサギ。それも、レーベ近くに現れる一角ウサギではない。
 体毛が紫色をしている。眠りの魔法を使う、アルミラージだ。


「こ、こんなに……」

 一人で相手をするには多すぎる。覚悟を決めてアルテアは剣を両手に持ち直した。 
 臭気は我慢するしかない。口元を覆ったまま相手にできる数ではなかった。
 
『ふふふふふふ……』


 声が聞こえる。笑っている。

「どこにいるの!」

『教えてあげない。問いは、一方的ではだめなのよ』

「問い?……先のやつね。
 私が何を望んでるかを、わざわざ知ってどうするって言うの!」


『決まっている!』

 声は高らかに叫んだ。

『決して敵わぬことを思い知らせて、絶望の中で殺してやるためだ!
 死ね、人間!』


 声はしゃがれたものとなった。
 キイイイイイと耳に痛い音が響いていく。
 鴉たちとウサギたちが一斉に飛びかかってきた。




 一匹ずつの攻撃は小さい。
 だが確実に体力を減らされていく。
 その上、アルミラージがかけてくる眠りの魔法が、アルテアの意識を遠くしていく。
 何よりも数が多すぎた。
 一つ落としたと思ったら、即座に違うのが襲いかかってくるのだ。


 一度に。
 一度になんとかしないと、終わらない……。


「あうっ!」

 遠ざかりかけた意識が、痛みのために戻ってくる。
 銅の剣はモンスターの血に濡れ、足場は倒したモンスターにより埋もれている。
 臭気が集中力を奪っていくのも辛かった。
 少しでも気を抜けば、もう倒れてしまえと自分に言ってしまいそうだ。


「ほ、……ホイミ……っ!」

 せめて体力の回復を、と唱えた魔法が霧にかき消えた。

「な……!」

 魔法が効かなくなる霧。そのようなものをアルテアは聞いたことがなかった。
 だが、もしあるとしたら、なるほど有効な手段だ。
 感心している場合ではないが、アルテアの口端には笑みすら浮かんだ。
 打開策がなくなった、ということだから。


 霧はどんどん濃くなっていく。
 アルテアは視界の効かない霧の中にいた。
 鴉たちが襲ってくるのは見える。
 ウサギが跳び上がってくるのもギリギリ視界内だ。
 不幸中の幸いだと思い、アルテアはまた剣を振るった。
 一匹。一匹。
 確実に倒していくしか、アルテアには方法がない。


 せめてギラを使えたら。
 ううん、せめてヒースのように複数体に一度に攻撃できる手段があったなら。


 泉の中央に、ぼんやりとした人影がのぞいた。
 頭に輪をしているのが分かる。
 サークレットだとアルテアは思った。


 あれをボスだと信じる他に方法はない。
 アルテアの体力は、取り囲んでいるモンスターすべてを相手にできるほど残っていない。
 不用意に斬りつけてすべてが始まったとすれば、再び斬りつけてやり直しにならないとも限らないが。


 わずかに迷いを見せた後、アルテアは、目の前にいたウサギを斬り捨てるなり走り出した。
 泉の中央にいた、アルテアの形をした女の元へ駆け寄ろうとする。


 ごぶっと水が足をとった。
 ぬかるんだ土のために足が動かない。
 手で水をかき分け、無理やり足を抜いて進もうとする。
 だが一歩一歩進むごとに、身体が半分ずつ埋もれていく。
 
 しまったとアルテアは舌打ちした。
 毒の沼地なのだ、これくらいのリスクはあってあたりまえだった。
 足下から伝わる痺れに気づかないふりをして、アルテアはぐっと足を進める。
 
 泥で手が濡れ、銅の剣がつるりと落ちる。
 必死に拾い上げ、握りしめた。


「私は……私はアルスじゃないけど!
 この剣だって、国王から直々にもらい受けたものなんだからねっ!
 ありがたく受けなさい!」


 投げた。
 泉の中央にいる女を貫いた銅の剣は、そのまま泉の中へと落ちていく。


 すっ……。

 女が消えた。

 倒したのかと期待したアルテアは、まったく同じ場所に現れた影に、奥歯を噛みしめた。
 幻だったのだ。
 ぼんやりと見えたのは囮だったのだ。
 その囮にまんまと引っかかり、銅の剣を投げてしまった。
 もはや、女を倒すための武器はない。


 アルテアは拳を握りしめた。



「汚れし魂たちよ、聖なる光の中へと昇天せよ!
 ニフラムーッ!!」 




 聞こえてきた声は、さーっと霧を晴らした。




   ※※※




 毒の沼地からは、ぼこっぼこっと煮え立つような音が聞こえてくる。
 しゅうしゅうと腐った臭いが立ちこめ、鼻の奥を麻痺させていく。
 空気が立ちこめる湯気のために紫色をしている。
 これが霧の色だったのかとアルテアは呆然とした。


 霧が晴れた場所に、モンスターたちはいなかった。
 確かに倒した名残として、おびただしい血が地面を埋めている。
 アルテアが投げた銅の剣は一本の木に突き刺さっていた。
 泉の隅に浮かんだ枯れた木だ。


 泉の中央には、女が一人立っていた。
 否、女の形をした、醜い生き物だった。
 頭にひしゃげたサークレットのような輪をはめて、ズタボロのマントを身につけていた。
 
『おのれ……おのれ……きさまら……邪魔を……っ!』


 女は醜い声で叫ぶ。しゃがれた声はそもそも女であったどうかも分からない。

「アルテアさん!アルテアさんっ!」

 ニフラムを唱えた声が叫んだ。
 駆け寄ってきた僧の法衣の主が、まっすぐ沼地に入ってこようとする。


「だ、だめだめだめっ!入ったら汚れるっ!」

 思わず両手を突きだして止めると、ポーラはきょとんとした顔でアルテアを見返した。
 
「何をおっしゃってるんですか!
 旅をするのに衣服が汚れるのを気にする者がどこにいます?汚れたら洗えばいいんです!
 それよりも、お怪我はありませんかっ?!」


 ざぶざぶと、今度は留める声にも躊躇せず、ポーラは駆け入ってくる。

『おのれ……許さぬ!』

 しゃがれた声の主がアルテアへ向けて腕を突き出そうとした。
 その腕が、しゅるりとかけられた鞭で止められる。


 両腕を縛り上げ、生き物の首に短剣を突きつけた盗賊が、ぞっとするような低音でささやく。

「許さないのは、こっちのセリフなんだけどな?」

 つうっと短剣の先が皮を一枚はいだ。

「うちの勇者を一人連れ出して、どんなおいたをするつもりだったのか。
 聞かせてもらいたいねえ?」


 一歩遅れて駆け入ってきたのは武闘家だ。
 途中で遭遇したモンスターの類をことごとく殴り飛ばしてきたのだろう、拳が血で汚れている。
 彼は現状を見回した後、改めて泉の中央にたたずむ、しゃがれた声の主を向いた。


「……あれは、おまえが見せた夢か。
 ずいぶんと胸くその悪いものを見せてくれたものだ。礼を言わせてもらおう」


 じりじりと迫る男二人に、しゃがれた声の主は奇声を上げた。

『おのれ……おのれおのれおのれええええ……っ!』

 びりびりびりと皮を破く音とともに、小柄な生き物が巨大化する。
 頭につけたサークレットが千切れ、ボロ切れのマントがちりぢりになった。
 身の丈三メートル。横幅は五メートル以上はあるだろう。
 でっぷりと醜い姿だけふくれ広げたような巨体に、ヒースが小さく顔をしかめる。
 いざないの泉いっぱいに広がった巨体に、泉の中にいたアルテアとポーラがあわてた。
 レンの手を借り外へと這い上がったアルテアは、振り返って息を呑んだ。


『許さん。許さん。許さん……!よくもわしの邪魔をしたな……っ!
 もう少しで。もう少しで、わしは、ただの毒虫から魔族になれるというに……っ!』


 毒色の肌をした、巨大な化け物だ。
 人型すらしておらず、ぶよぶよとふくれて見える。
 巨大な芋虫と言った方がまだ近いのではないだろうか。
 かろうじて目と口が分かる。魔力に正気を奪われた黄色い輝きをした目と、顔の端まで裂けた口。
 ぷひゅう。口から毒色の息を吐き、芋虫の化け物はアルテアを見やった。


「アルテア」

 ひょいとヒースが棒状のものを寄越してくる。
 先ほど投げたはずの銅の剣だった。


「こ、これ。拾ってくれたの?あんな、一瞬で?」

「まあ、そういうのが盗賊の得意技だからね。
 それに……勇者に武器がないんじゃ、さまにならないし?」


 アルテアは笑った。
 それから、こっくりとうなずき、銅の剣を化け物に向ける。


「ヒース、レン、ポーラ。手、出さないでね」

 短く言って、アルテアは足を進めた。

 祠を飛び出した時、ブーツを履き損ねていたから素足だ。
 下着も同然の薄い下地に、鎖を縫いつけたベストを着ているだけの軽装。
 むき出しの腕も、足も、木の枝やモンスターにやられた傷で傷だらけだった。


「あなたに一つ、答えるよ」

 アルテアは言い、高らかに跳び上がる。
 毒の沼地の束縛を離れ、一呼吸で化け物の目の位置まで至ると、目と目の間に刃を突き立てた。
 一刀で、剣は化け物を両断した。


「私は、希望となることを望んでる。それより他に、なりたい私なんていないから」

 ずううんと化け物が泉に沈んでいく。
 身体から何かが抜けていくように、化け物は小さく小さく縮んでいく。
 やがて化け物は、一匹の小さな虫となった。
 毒々しい色をした芋虫である。


 化け物がいなくなると毒の沼がさぁっと色を変えた。
 時間が戻っていくような錯覚を覚え、一行は言葉を失った。
 汚れた色に汚されていた水が、どんどん透き通っていく。
 煮え立つように湧き出ていた臭いが、あっというまに消えていった。


 後には、のぞきこめば底まで見える、透き通った泉が戻ってくる。
 どこからか香りが漂ってくる。朝露に濡れた草の香りだ。
 涼やかな霧が辺りを包んだ。
 それは、目の前を覆い意識を遠ざけるものではなく。
 ひんやりと身に心地よい、夕方の風によるものだった。









   ※※※








「いいですか、ぜーったいにこんな無茶は二度としないでくださいっ!」

 いざないの泉が元に戻り、洞窟への道が切り開いても、アルテアたちは出発できなかった。
 体力の限界まで戦ったアルテアの疲労が激しかったのに加え、蓄積した毒素を抜くのに毒消し草が一つでは足りなかったためだ。
 祠に戻ってくるなり倒れたアルテアの治療で、その日は終わった。
 泉に巣くった化け物の毒を抜くのにさらに三日が経っていた。
 連日ホイミを続けたポーラは、疲労よりも先に怒りがあふれている。
 ”絶対に二度と無茶はしない、一人で戦いに出向かない”、とアルテアに約束させるまで、祠から一歩も外に出さなかったのである。


「それに!ほとんど素肌の上に鎖の着こみって何事ですか、アルテアさん!?」

「え。防御力アップのため……なんだけど。
 旅人の服の上から身につけるにはゴワゴワするしね。
 かと言って鎧着て戦おうとすると、まだ力が足りなくて動きが阻害されちゃったりするんで」


「そんなことは聞いていません!
 むしろアルテアさんみたいに危なっかしいことなさる方は、全身鎧でもいいくらいです!
 いいですか、あの状態だと、鎖が肌に擦れてどんな傷を作るとも限らないんです!
 金属と肌が触れたところって、かぶれたりもするんですよ?
 下に身につけるものはもう少し気を使ってですねえ……っ!」


「ポーラも、けっこう心配性だよねえ」

 毒の霧を浴びていたレンも、一日ほど安静にしている必要があった。
 それが終わればいつも通り、鍛練をしたり本を読んだりして時間をつぶしている。


 いざないの賢者はまだ帰ってきていない。

「僧侶が心配しなければ、他にする者もいないんだ。バランスは悪くないだろう」

「そういう問題かなー。
 マントなし、旅人の服なしのアルテアはけっこう良かったし。
 いっそ動きやすい魔法の服とかにして、軽装を極めてみるのもいいと思うんだけど」


「でしょう、ヒース。自分の攻撃パターンを把握した方がいいよね?
 ヒースもレンも軽装なんだし……」


「うんうん」

「だが、おまえは言うほど避けるわけではないだろう。
 攻撃を受けながら反撃しているのだから、やはり固めた方がいいのではないかと思うが?」
 
「……それ、鈍いって、言ってる?」


「そうは言わない。並の戦士よりは速いだろう。
 そもそも完全に素早さに特化している盗賊や武闘家のスタイルと比べる方が間違いだ」


「……そっかぁ。
 少しは筋力もついてきたし、ロマリアに着いたら鎧も探してみようかなあ……。
 大陸なら、鋼鉄でできたかっこいい鎧とか、あるかもしれないし」


「真ん中をとって、身かわしの服と呼ばれる魔法衣にしてみるのはどうかのう」

「え。それ、何?」

「うむ。ロマリアの北端に、ノアニールという村があってな。そこの名産の一つじゃな。
 着れば身が軽くなり、生地も魔法で編みこんであるため汚れにも衝撃にも強いという優れものじゃな」


「へーえっ!すごい!それじゃあ、ロマリアに着いたらぜひ行って……」

「え」

「うん?」

「あら。お帰りなさいませ」

「よう。遅くなってすまんのう。待たせたようじゃな」

 いざないの賢者はフレンドリーに片手を上げた。

「いざないの魔力が充満しとってな。転移魔法が使えんかったのじゃよ。
 いやあ、まいったの」


「いざないの、魔力う……?」

 それはあの芋虫の化け物のことだろうかとアルテアが顔をしかめる。
 そういやそう言っていたはずだとヒースは賢者の方を向いた。


「あの泉は、元々大地の精霊による守護が濃い場所じゃてなあ……。魔力が強いのじゃ。
 ところが、魔王軍がやってくる窓口にされてしもうてから、魔王軍に魔力が利用されてしもうてな?
 強い意識を持った者を取りこんでしまうのじゃよ」


「取りこむ……?」

「さよう。旅立ちを妨げる迷いを持った者にささやくのじゃ。
 ”そなた、それでいいのか。本当にそれを望んどるのか”とな」


 『あなたは何を望んでるの』と。

「強い意志の持ち主であろうとも悩みを抱えておる。
 そんな心の隙をついて、泉が魔力をすすり上げてしまうわけじゃなあ……。
 人間は誰しも魔力を持っておるが、それは意志や心と同義。それを奪われては死んでしまう。
 いざないの洞窟を封じようとした国王の気持ちも分からんではないのう」


「……ねえ。賢者さん。
 それって、吸い上げた魔力を誰かが利用したりもする?」


「よう、知っとるの。
 だが、所詮は迷いの魔力じゃ。
 それを利用した者が、本来望んでいたことをまっとうできるとは思えんな……」


「……そっか」

 くしゃっと頭に手をやると、サークレットに指が触れる。
 アルテアはそれをきちんとつけ直してから、にっこり笑った。


「ありがと、何日も泊めてくれて」

「なあに。旅は長いのじゃ、たまにはゆっくりしていくのもありじゃてな」

 カッカッカ、と賢者は笑った。




 翌日。
 アリアハンの勇者アルテアと、その三人の仲間たちは旅の扉をくぐった。
 はるか北の王国ロマリアへと渡ったのである。


「出発しよう。もう、アリアハンでやり残したことはないから」

 そう、アルテアは言った。



back

index

next