”いざない”3




 勇者よ、旅立て。




 ポーラが異常に気づいたのは、夕食が完成間近になったころだった。
 食事を作るのは好きだ。同じ食材でも、ちょっとした工夫で格段に美味しくなるから。
 幼いころはずっと、故郷の食堂で旅人に食事を提供する人になろうと思っていて、兄には呆れられてばかりだった。
 高い使命感もなく、深い信仰心もなく、数奇な運命もない平凡な村娘として。
 それが一転した日のことは忘れることはないけれど。
 今は、勇者たちに食事を作り、旅をする生活が楽しくて幸せだった。


「ポーラ、アルテアは……」

 外に出かけていたらしい、ヒースが真剣な面もちで声をかけてくる。

「アルテアさんなら、先ほどまでレンさんとお話していましたけれど?」

「ああ、レンには会ったんだけどね。
 ちょっと急用が……」


 言って厳しい顔で辺りを探す。
 珍しいなと思いながら、ポーラは穏やかに声をかけた。


「夕飯の時間になれば戻ってらっしゃいます。それでもとおっしゃるなら、たぶん、奥です」

 いざないの賢者の祠に泊めてもらうようになって四日目。
 ベッドは賢者が使っているので、絨毯の上に雑魚寝している一行だが、着替えなどに使う場所は男女別に確保している。
 奥に風呂場があり、そこと続く位置に女性用、手前に男性用に仕切ったスペースだ。
 ポーラが指差したのはその着替え場所で、ヒースは少し困った顔をする。
 いくらアルテアが女の身で勇者を務めるほど勇ましいとは言え、女性は女性だ。


「……急用、なんだけど。呼んでもらえるかな?」

「はい」

 にっこり笑って、ポーラはアルテアを呼びに台所を離れた。

 アルテアはもたもたと着替えているところだった。
 夕食前に何を思い立ったのか、アルテアが着替えに入っていったのをポーラは見ている。


「アルテアさん、ヒースさんが……」
 
 言いかけたポーラは、華奢な腕が目に飛びこんできて少し驚いた。
 マントも、旅人の服も身につけていないアルテアは、いつもより一回り小さく見えた。
 ブーツや手袋や、マントをしていないだけだというのに、腕の細さが目に痛いほどだ。
 アルテアは普段、ほとんど肌を出さない。そのせいだろう。
 腕も足もすっぽりと厚い下地の布で覆い、さらにマントをつけているのだ。
 声をかけたポーラに驚き、アルテアの方まで目を丸める。


「ヒースがどうかしたの?」

「急用、だそうですけど……。もう少しお待ちしていただきましょうか?」

「とんでもないよ。すぐ終わるから」

 薄い下地の上に鎖の着こみをかぶると、アルテアはそのまま着替え所の外へと飛び出していった。
 ベスト状の上着にぎっちり鎖を縫いこんだ品だ。くさりかたびらと呼ばれるものに似ている。


 その場に落ちていた着替えの品を見下ろして、ポーラは小さく感心の声を上げた。
 ブーツ、手袋、マント。いわゆる旅人の服と呼ばれる、旅用の丈夫な衣服の数々。
 華奢な素肌の上を薄布で覆い、鎖の着こみをした上に、旅人の服を重ねる。
 いったいどれほどの重量になるのだろう。このような格好を、普段からしていたというのだろうか。


「ヒース!いったい……。……何見てんの?」

「……えーと。いや。ちょっと驚いた。着替え途中で出てきたの?」

「だって、急用だって言うから」

「だからって、鎖の着こみそのままって、色気ない……」

 ごきん。

 ああ、殴った音がした、とポーラはぼんやりと思い、あわてて自分も後を追った。

「アルテアさん!いくらなんでも、殴ったりしたら怪我をします!」

 案の定、ヒースは殴られていたが、さほど重い一撃ではなかったらしい。
 ホイミをするほどではないな、と分かってポーラはほっとした。


「それで……急用って?」

「ああ。そうそう。それそれ。
 霧がねえ、ここらへん一帯を包んでるみたいなんだよ。
 外に出ようとしたけど、迷わされて戻ってきちゃったし」


「……霧?」

「そう。もしかしたらこうしてる間にも、徐々に広がってるかもねえ」

「それ、のんびりしてる場合じゃない……よね?」

「うん。さっきレンが出ていったから、巻きこまれてないといいけどね」

「先に言って!!」

 アルテアはあわてて着替え所に飛びこみ、愛用の銅の剣を握りしめて飛び出してくる。
 レンを追って階段へと駆け上がっていくのが分かり、ポーラも急いで後を追おうとした。





 ……ふと。
 どうしてそこで足を止めてしまったのか分からない。
 アルテアが駆けていく後を、ヒースが見つめているのが気になった。


「ヒースさんは、行かないのですか?」

 ムチで集団攻撃が可能なヒースは、現状のパーティの中では攻撃の要である。
 ポーラはまだバギが使えないし、ようやくホイミが使えるようになったばかりのアルテアも、集団を攻撃する方法を持たない。レンは言うまでもないが。
 一匹一匹を相手にするのは、大物相手ならば問題なくても、小物が集団で現れた時には辛い。
 大熊の化け物を素手でなぎ倒した伝説の武闘家を殺したのは、10匹のスライムだった、という伝説も残るほどである。


「そういうポーラこそ。怪我をしたらホイミしてあげないの?」

「……今のアルテアさんなら、大丈夫です。
 それよりも、ヒースさんが気になったものですから」


「あれ。愛の告白?
 ごめんねえ、ポーラちゃんみたいな美人のお誘いを断るのは心苦しいんだけど。
 今のおれは、ちょっと気分じゃないんだ。また今度ね」


「そ、そそ……そんなこと言ってませんっ!」

 冗談だと分かっていながら、ポーラはほおが赤くなるのを押さえられなかった。
 決して、そう、決して自分は、ヒースに興味があるわけではない。


「アルテアさんが、心配じゃないんですか?」

「そういうポーラこそ、どうしてそんなに心配するのかな?」

「……え?」

 仲間を心配するのは当然だろう。増して、アルテアは全世界期待の勇者なのだ。
 万が一のことがあったら、どうするというのか。


「彼女は勇者なんだよ?生半可なことでやられたりはしない。
 ……そうは思わない?」


 ヒースは笑った。

「心配して、優しくして、箱入りにして守ってあげるより。
 厳しくして早いとこ強くなってくれた方が、世界平和のためだとは思わない?
 神はそう望んでいると、思ったことは?」


「ヒースさんっ!!ふざけないでください!」

 声を荒げたポーラに、ヒースは動じない。逆にポーラが不安になるほどだ。

「アルテアさんは、大切な仲間じゃないですか!
 怪我をなさったら心配するし、迷っていらっしゃるようなら助言をしたいって、思うのは当然です!
 それを、それを……っ」


 ただの”勇者”という道具のように。
 言わないで欲しい。


「本当に?」

「……え」

「本当にポーラはそう思ってる?
 アルテアは勇者だから、勇者としての使命を果たしてくれる。そう思ってない?」


「……え……?」

 ポーラは美しい顔をしかめた。
 ヒースが何を言いたいのか分からない。


「アルテアはアルテアだ。
 勇者であろうとしてるけど、アルテアでしかないんだよ」


「何が、言いたいんですか。ヒースさん……?」

 ポーラは、ヒースを人当たりのいい男だと思っていた。
 明るくてにこやかで、女性を喜ばせる方法を知っている男だと。
 なんだかんだと言って、アルテアのことを気づかい、アルテアをフォローしている。
 アルテアがヒースを信頼しているのはハタから見ていても分かるし、それは、時にポーラが羨ましくなるほどなのだ。もっとアルテアに信頼されるようになりたいとポーラは思っている。
 レンには聞いたことがないが、彼もそう答えるだろう。ヒースはアルテアに信頼されていると。


「アルテアが本当に勇者になれるのか。いい機会だと思うんだ」

「ヒースさん、それは……。アルテアさんを、試そうって言うんですか!?仲間なのに!?」

 ヒースは笑った。
 ポーラは始めて、この笑顔が怖いと思った。
 真意が見えない笑みだ。優しく穏やかでにこやかで、言葉を飲みこんでしまう笑みだ。


「おれは、何度でも試すよ。それ以外に、アルテアを認める方法がないからね」 
 
 ポーラには意味が分からなかった。
 ただ、ヒースの言葉を不安だと思っただけだ。


 その時だ。

「ヒースぅっ!ポーラぁあっ!レンが、大変ーっ!!」

 アルテアの焦る声が聞こえてきた。




   ※※※




『あなたは何を望んでるの?』

 声はどこからか聞こえてくる。
 
 レンは濃い霧の中にいた。苦しげに顔をしかめているが、身動きする気配がない。
 拳を握って立ちすくむ姿に、ポーラは息を呑んだ。
 霧の中に半ば身体を埋もれながら、アルテアはレンを引き戻そうとしていたが、レンとアルテアでは体格差がありすぎる。剣を振るいモンスターを倒すのには才を見せるアルテアの力も、同等の力を持つレンを無理やり引き戻すには足りなかった。
 
「ヒース!何してるのっ!手伝ってよっ!」


 駆けこんでいこうとしたポーラは、アルテアの言葉で足を止めた。
 苦笑いを浮かべたヒースが、言葉を受けて近づいていく。


 霧はさらに密度を増していく。
 すぐそばにいる三人を飲みこもうとする。
 後一歩踏みこんでしまったら、二度と帰ってこれない気がした。
 怖い。


「ポーラっ!レン、顔色が変なの。毒じゃない?ねえ?」

 霧の中を戻ってくるアルテアは、ぼんやりとした光に包まれている。
 何だろうあれは。ポーラは目をしばつかせて見入った。
 二人がかりで連れ戻したレンは、顔色は悪かったが意識を失ってはいなかった。
 毒を受けた人間を見たとこがあるが、それとは症状が異なる。
 握りしめた拳から、つうと流れるものを見て、ポーラの方が顔色を悪くする。
 血だ。


「そっか。痛みで正気を保とうとしたんだ」

 ヒースが言う。

「ポーラ、レンにホイミかけてあげて。
 ……二人とも、分かる?これっていったい、何?」
 
 霧のことだ。
 ポーラは首を振り、レンにそっと手をかざした。
 アルテアと出会って使える魔法のリストは増えたが、ポーラの得意技はあくまでホイミだ。
 戦術や駆け引きといったものを不得手とするポーラには、怪我をしたら治すという単純なことの方が分かりやすい。
 神へ祈り、傷ついた人の回復を願い唱えた呪は、光となって答えてくれる。


 ホイミは功を奏したが、めざましい効果は上げなかった。
 レンの顔色がわずかに良くなっただけで、レンが反応を返してくるようすはない。


「原因は霧だろうけど……。
 たぶん、レンはマヌーサか何かにかかった状態なんだろうな」


 ヒースが困った声で言った。アルテアが尋ねる。

「マヌーサ?それって、何?」

「僧侶が得手とする、幻影の魔法です。
 霧の中に相手を誘い、相手の攻撃を当たりにくくするんです」


「じゃあ、この霧晴らせば?」

「理屈ではそうだけど。マヌーサ破りの法は、未だに開発されてないんだよ」

 そう言っている間にも、霧は四人に迫ってきていた。
 レンを抱え、三人は階段を駆け下りる。
 だが、これは進展のある行動とは言えなかった。
 霧は低いところへ流れてくるものだ。
 一段と濃さを増した霧が階段を覆い尽くし、すぐに出口は見えなくなった。


 追いつめられている。
 頭では分かったが、ポーラは身動きが取れなかった。
 霧の効果が憶測でしかない中、霧の中へと入っていく選択肢は思い浮かばない。
 ポーラはアルテアを見た。
 必死に考えているようだが、アルテアにも打開案は思い浮かばないでいるようだった。


 ……あ。
 ふと、ヒースの言葉が浮かんでくる。


”アルテアは勇者だから、勇者としての使命を果たしてくれる。そう思ってない?”

 思っている。
 だから、ポーラはあの時否定をできなかった。


 仲間としてアルテアを慕う一方で、ポーラはアルテアに期待している。
 アルテアが勇者だから、勇者として生きる選択をした娘だから、常人と違うことを期待している。
 だが。
 ポーラは思う。
 それのどこが悪い?
 アルテアはアルテア。勇者を名乗り、勇者たらんとする娘。
 期待しない方が、アルテアのためにならない。


 試すのなら、もっと前向きに期待すればいいのだ。
 素直に、アルテアが真の勇者の片鱗を見せてくれることを期待すればいいのだ。
 
 アルテアは答えようとするだろう。
 その行動は、いずれ勇者に至るだろう。
 誰よりも勇者になりたいと思っているのが、アルテア自身なのだから。


『あなたは何を望んでるの?』

 どこかで女が尋ねてくる。

 アルテアが真の勇者であることを。
 わたしたちの期待と、アルテア自身の望みのために。
 ポーラは胸の内で答えた。




 
「アルテアさん」


 ポーラはゆっくりと口を開いた。

「マヌーサの魔法は、わたしでも使える初歩の魔法の一つです。
 もし霧がそうなら、ですが。
 幻影に騙されなければ、この奥には術者がいるはずです」


「騙されるな……ってこと?」

「レンさんが魔法にかかったかどうかは分かりません。
 こんな大規模に魔法が効力を見せるのは、相手の魔力が桁違いか……。
 あるいは、この霧はただの目隠しで、マヌーサをかけた本人は別にいるんです」


 自身もマヌーサが使えるポーラにだけ言えることがある。
 マヌーサの魔法の霧は、効果を見せるのはほんの一瞬であり、後はかけられた本人次第なのだ。
 戦闘中にしか使えない理由もここにある。
 霧自体の持続時間はとても短いのだ。


「……そっか」

 小さくアルテアは笑った。

「レンも、そう思ったんだ」

 アルテアはヒースとポーラにレンを預けると、剣を握りしめて霧を見つめる。

「幻影だと思ったから。痛みで正気を保って、気配を探ろうとしてたんだ」

 ポーラにはアルテアが何を思いついたのか分からなかった。

「そういうことだね、ヒース?」

「……おれに賛同を求めるわけか?」

「だって、レンがこの状態じゃ、聞ける相手もいないし」

 ずきんとポーラの胸が痛む。
 確かに自分では、イエスもノーも、答えを出せないだろうけれど。
 
「ヒース、ポーラ、お願い。レンを頼むね?」


「……一人で何をする気なわけ?」

「原因を、やっつけてくる」

「やっつける……?」

 いぶかしげに問い返したポーラに、アルテアは笑う。

「心配ないよ、任しといて」




   ※※※




 霧の中に走りこんでいくアルテアを、ヒースはため息を持って見送った。
 後ろ姿はすぐに見えなくなる。鎖の着こみを身につけただけの華奢な後ろ姿だ。
 まだようすが戻らないレンをぎゅっと抱きしめながら、ポーラは不安を覚える。
 心配ないとアルテアは言った。ならば自分は信じて待つべきだ。
 だが……。


「仕方ないなあ」

 ムチを手にしたヒースが後に続く。

「ヒースさん」

 やはり心配なのだろう。ポーラが嬉しそうに声を弾ませたのを、ヒースは留める。

「アルテアは方向音痴だから。
 放っておくと、また戻ってきちゃうだろうからね……」


 仕方ない。
 だが口ではそう言いながら楽しそうな笑みが浮かんでいることに、ヒースは気づいていないのだろうか。
 
「レンさん、ほら、お早く起きてください!」


 容赦なくほおを叩き、ポーラは叫んだ。

「わたしたちも行きましょう!遅れたら武闘家の名折れだと思いませんかっ!」

 叩かれたレンではなく、ヒースがぎょっとして見返してくる。
 鍛えられたレンの肌は鋼のように固い。それは顔とは言え例外ではない。
 叩いたポーラの手の方が痛くなったが、ポーラは気にしなかった。


「な……な?」

「お気づきになりましたね?
 さぁ、急ぎましょう!アルテアさんが目的地に着いてしまう前に!」


 にっこりと笑って言うと、戸惑ったレンはヒースを見やった。
 ヒースは困った顔をしたが、じき、笑みを堪えられなくなる。


「女の子は強いね」

 レンはわけが分からないといった顔をした。



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