”いざない”1




 勇者よ、旅立て。




 真剣な面もちで両手を合わせ、意識を集中させていく。
 十分足ると思った瞬間に、手のひらを患部に向ける。


「ホイミィィィィィッ!!」

 気合い十分、迫力満点の心意気で叫びながら、アルテアは手のひらにぼうっと明かりを灯した。
 癒しの光は患部に向かって放たれ、肌を包むようにして、消えた。
 すり傷のような傷はすうっと消え、後には綺麗な肌が残る。
 目を輝かせてアルテアは拳を握った。


「やったあああっ!成功ーっ!」
 
 アリアハン王城を旅立って数週間。初の成功であった。





「効果の方は問題ないんだけどねえ」

「とても癒しの魔法には見えないな」

「そんなことありませんよ!見ている方が元気が出てくるような魔法だと思いません?」

「肝心なのはかけられてる本人の元気じゃないかなー」

 ホイミを成功させて大喜びのアルテアをよそに、ヒース、レン、ポーラがコメントを続ける。
 癒し手が一人きりのパーティだ、せめて自分も使えるようになりたい、と言ったアルテアがポーラに集中講義を受けるようになって三日が経っていた。
 これで攻撃魔法のメラ、回復魔法のホイミが使えるようになっているから、パーティとしてはだいぶ戦力アップしたと言えなくもない。


「いざないの洞窟は目の前なのにね?」

「俺としては本が読めてやぶさかではないけどな」

「いざないの賢者が、武器マニアだったとはおれも知らなかったよ」

「マニアとはなんだ。各種の攻撃手段を把握しておれば国全体の戦術が広がる。感心の態度ではないか」

「……意外だよねえ。堅そうな武闘家なのに……」

「どういう意味だ」

「うん。実は掛け合い漫才の才能あるでしょう、って」

「……喧嘩なら買うが?」

 武闘家であるレンが、実は桁外れに武器に詳しいと知れたのは数日前である。
 アリアハンの三賢者とも知己であり、レーベの研究家からは直々に魔法の玉の使用方法を託され、いざないの洞窟に住まう賢者には、我が弟子よと呼ばれるほど親しい。
 そのくせ本人は武闘家らしく、武器も魔法も抜きで素手で戦っている。
 対人使用武器についてならば、アリアハンのどの戦術家よりも詳しいに違いないのに惜しい気もする。


 アルテアたちはいざないの洞窟を前にして足を止めていた。
 集中講義を始めた三日前から、いざないの賢者の好意で祠に泊めてもらっている。
 決定を下したのはアルテアであり、それに三人は反対しなかった。
 ヒースもまた、アリアハン脱出は目の前なのにと思う一方で、必要なことだとも思う。
 旅の扉を抜けた向こうはロマリアだ。アリアハンのモンスターとは格段にレベルが違う。
 余裕のある今の内に鍛えておいて損はない。
 そう、ヒースは自分を納得させていた。
 わずかに胸にざわめく苛立ちには、気づかないふりをする。


「ポーラの方はどう?」

「はい、わたしも、ルカニまではなんとか……」

「そっか。モンスターには防御力に優れたものもいるからね。
 ルカニが決まるとかなり戦況は変わるんだ。使用には注意して使ってね」


「はい!」

 アルテアが魔法特訓をするのならば、とポーラ自身もかなり努力していたのをヒースは知っている。
 腕を鍛えるためもあって野外戦闘も続けているのだが、覚えた魔法を使おうとして頑張っているようだ。
 ただ、戦闘中に使うのにはまだまだ慣れないらしく、もっぱらホイミ係となっていた。
 
「このあたりのモンスターにそこまで気を使う必要はないだろうがな」


 戦闘中と普段の違い、というならばレンもかなりのものだ。
 武器や魔法を使った戦いの有用性を述べる一方で、いざ戦闘となれば小細工なしでいち早く倒すのが信条なのである。一人旅が長かったからだと本人は言うが、これも結局は慣れの問題だろうとヒースは思った。
 知識としては知っていても、自分本人は拳だけを頼りにしているのだ。人に指示することに慣れないレンは、コンビネーションを身につけていない。
 本来指示を出すべきリーダーであるアルテアは、まだまだ戦術には詳しくない。その上、いざ敵が出てきてしまうと目の前の敵を倒すのに一生懸命で、視野が極端に狭くなる。


「やれやれ……。前途多難だなあ」

 低い祠の天井を見上げてヒースは呟く。
 




   ※※※




 夕暮れの風が吹いてきた。
 いざないの洞窟近くは街道整備されていない。
 日が落ちればどんなモンスターが出てきてもおかしくないだけに、ヒースも気が抜けない。
 
「今日の夕ご飯はどうしましょうか?」


 パーティの食事係と化しているポーラが尋ねた。
 レンに任せると何日でも豪快な焼き料理(食材にこだわりはないようで、まれにモンスターも混じっている)になるし、ヒースは細かい料理は得意だが全員分作るとなると億劫でならないのでパスしている。
 そしてアルテアは。
 この時間になると、いつもどこかへ行ってしまう。


「何でもいい」

「任せるよ。ポーラの食事はいつも美味しいからね」

「何でもいいとお任せが、一番困るんですよ?」

 そう言いながらもポーラはバリエーション豊富な料理の腕を見せてくれる。
 今のところ同じ料理が出てきたことがないところを見ると、料理は得意なのだろう。


「アルテアさんは……。……あら?どこへ行かれたんでしょう……?」

 きょろきょろと辺りを見回し、ポーラが不思議そうに呟いた。

「あれ、いないねえ。でも、夕飯までには帰ってくると思うから、先に作っててよ」

 にこりと笑う。
  




 夕暮れは嫌いだ。
 明るいくせに視界が悪くなる。見えているものがぼんやりとして、夢なのか現なのか分からなくなる。
 幻想的な光景も、夕暮れの美しさも、ヒースには忌々しいばかりだ。


 いざないの洞窟は山に囲まれた場所にある。
 険しい山や森を抜けた先にあるために、封じられる以前も人々の出入りはあまり多くなかった。
 だがその人気のなさが災いし、バラモスのアリアハン侵攻の際、モンスターたちの出入り口となってしまった過去がある。
 いざないの賢者がここに家を構えたのは、恒久に渡る封印の護り手であるからだった。


 祠の外に出たヒースは、いつもの場所にアルテアがいないことに戸惑いを覚えた。
 たいがいこの時間には、アルテアは剣の鍛練をしているのだ。
 レンが早朝に鍛練するのと同様、身体に身についたリズムのようなものがあるらしい。
 旅立ってから、アルテアの剣の腕はますます冴えてきている。


「天賦の才……かな。やっぱり」

 オルテガの血。
 普段なら意識しないものだが、剣に魔法にと多才なアルテアを見ると、才能を感じずにはいられない。
 オルテガは魔法戦士であったと聞く。
 ならば、回復魔法が使えるのは誰の血だ?
 母ルシアの血だろうか。それともこれが、ルビスに選ばれた者の才能だろうか。


 ぽりぽりとほおをかき、ヒースは視線をさまよわせる。
 見える範囲にはアルテアの姿はない。


「仕方ないなあ……。あまり遠くには行かないようにって言ってるのに」

 ピュイッと口笛を吹くと、ヒースの腕に一匹の鷹が舞い降りた。
 焦げ茶色の羽根と、鋭い嘴を持った美しい鷹である。


「悪いけどさ。うちの勇者くん探してきてくれる?」

 言って解き放つと、鷹は空へと舞い上がっていく。
 合わせてヒースは瞳を閉じた。
 上空から見下ろしている鷹と、ヒースの視界が一体となっていく。


 ”鷹の目”と呼ばれる盗賊の秘術の一つだ。
 本来ならば漠然と建物などがあるのが分かるだけの術だが、パートナーとなる鷹がいれば、詳細までをも知ることが可能だった。
 もっとも、このことを知る盗賊は多くないだろうとヒースは思う。
 鷹と一体化することのできる盗賊など、世界に三人もいるだろうか。
 
「見つけた。あんなところにいる……」


 ヒースはわずかな苛立ちを覚えながら鷹を手放す。
 ”鷹の目”を使っていると当人は無防備になる。使用したまま歩くような真似はできない。
 
 アルテアはいざないの泉にいた。
 祠からはかなり距離のある場所だ。夕飯までに帰ることはできないだろう。
 いざないの洞窟と泉は目と鼻の先だ。
 魔法の玉を持っていない以上、アルテアが一人で洞窟に入ることはできないが、何をしているのか。
 勝手に動いて、勝手に死なれては困る。



 盗賊の抜け道を使って近道をした。
 盗賊を職にする者は、始めて訪れた場所でも近道・抜け道を見いだすのが得意なのだ。
 アルテアは泉をのぞきこんでいるところだった。
 空は紫色に変じつつある。もうすぐどっぷりと暗くなるはずだ。
 昼間ならばくっきり姿が映るはずの泉にも、ぼんやりとした影しか映らないだろう。


「何を見てるの?」

 声をかけるとアルテアは驚いて振り返った。
 やはり鍛練していたのだろう、銅の剣を持ったままである。
 泉の影はかき消えるようにして消えた。


「あ、ああ……ヒース。良かったぁ、会えて……」

 良かった?
 苛立ちを顔に出さないようにしながらヒースは彼女の言葉の先を待つ。
 ヒースの方に駆け寄ってきながら、アルテアはほっとした顔で言った。


「道に迷っちゃって。
 すぐに戻ろうと思ったんだけど、かえって奥まで来ちゃうし。
 これはもう、大人しく助けを待つしかないかなって」


「迷ったぁっ?」

「うん。剣の練習をしてたんだけどね。どうせならモンスター相手の方がいいかと思って。
 ちょっと森に入ったら、もうさっぱり。
 怪我をしても今ならホイミが使えるし、大丈夫だとは思ったんだけど。
 いかんせん、道の方までは分からないでしょ?」


 呆れて言葉が出なかった。
 
「……えーあのー……。怒ってるかな。やっぱり?」


 怒っている。当たり前だ。
 そんなくだらない理由で、勝手にいなくなって勝手に路頭に迷わないで欲しいものだ。


「いや……。怒ってない」  

 だがヒースは笑った。

「怒ってないから、もう戻ろう。ポーラが夕飯の仕度をしてくれてるしね」

「本当!?もうそんな時間?うわー、そんなに迷っちゃってたのか……。
 急ごうヒース。ポーラのご飯が冷めちゃう」


「こっちだよ」

 これ以上迷われても困るので、ヒースはアルテアの手を掴んだ。
 盗賊の抜け道を使えば、祠まではすぐである。
 ヒースの近道をアルテアは少し不安そうに着いてくる。
 確かに、通常人が通らない場所を通るからの近道なのだ。
 行きとはまったく違う道に戸惑いもするだろう。
 足場は悪いし、視界も悪いし、ずっと同じ場所を歩いている気さえするだろう。
 だがヒースは疑問を差し挟む隙は与えなかった。


 祠のすぐそばまで出たところで、ようやく息を吐き、手を離す。

「足は平気?」

「え?え?……怪我とかはしてないよ?」 

「そう。ならいい。手を洗っておいでよ。そろそろできてるだろうし」

 さすがにここまで来て道に迷うようでは話にならない。 
 アルテアはこくりとうなずくと、祠に向けて走っていく。
 ヒースは空を見上げた。
 まだ、夕陽が沈みきっていない。





   ※※※




 祠の中は外の光景が分からない。
 祠の中だけで十分生活できるようになっているから、何日でも空を見ないでいられる。
 ポーラの夕飯ができたころ、タイミング良くいざないの賢者が帰ってきた。


「おうおう。美味そうじゃなぁ。シチューかね?」

「はい。お野菜がたくさんありましたので、それを使って。
 わたしの故郷の郷土料理なので、舌に合わなかったらお塩で調整してくださいね?」


「ほっほっほ。ポーラちゃんの舌は信用しておるでなあ」

 まるきり、孫の料理を褒める爺さんだとヒースは思った。
 食事をして何ら反応のないレン、何を食べても絶賛するアルテアの前では、家庭的な反応を見せる賢者が一番まっとうな気がしてくる。
 いつもならば一番に褒めるはずのヒースは、今日は黙々と食事していた。 


「あ、あの?どうかされました、ヒースさん……?」

「え。どうして?」

「ご気分がお悪いようなお顔です。疲れていらっしゃいます?」

「ううん、そんなことはないよ。安心して」

 にこりと笑うと、ポーラはほっと息を吐いた。

 実際、ポーラの料理は美味しい。故郷ではさぞ絶賛されていただろう。
 目を見張るほどの美人であり、ちょっと思いつめやすいが一生懸命で人を思いやる心のある娘だ。
 お嫁さんにしたいベスト3あたりにはランクインされていたに違いない。


 食事を平らげたヒースは、ぼんやりと天井を見上げる。
 いつのまにか癖になった仕草だ。


「のう、そこの盗賊さんや」 

 賢者の声がした。何だと顔を向けようとしたが、賢者は何食わぬ顔で食事の最中だった。
 声だけを運んできたのだろうかとヒースは思う。
 アリアハンの三賢者ともなると、いろんな技を使うものだ。


「いざないの魔力に気を奪われてはいかんぞ」

「……え?」

 賢者は一度もヒースの方を見なかった。




   ※※※




 
 夢を見た。


 夕暮れの夢だ。
 城の空にかかるオレンジ色がぼんやりと視界を遮っている。
 女の人影がバルコニーにあるのに気づき、彼はため息を隠しながらバルコニーに出た。
 冷たい夕暮れの風が銀の髪を揺らし、彼は少し目を細める。


「誰?」

 人影は確認するように呟き、嬉しそうに笑う。

「嬉しい。また来てくれたのね?お仕事は終わったの?」

 無邪気な笑みは、以前に見た時よりも成長していた。
 少女から女へと移り変わるころなのだろう。
 早いな、と彼は思う。


「もう一息ってところかな。近くを通りかかったから、どうしてるかと思ってね」

 彼が笑って言うと、少女ははにかんでほおを染めた。

「どう……かな。少しは変わってる?」

「うん。綺麗になったよ。驚いた」

 彼が正直に言うと、少女は夕暮れよりも赤くなる。この反応は以前のままだ。

「まったく口が上手いんだからぁー……。どうせ、どこに行ってもそんな調子なんでしょう?」

 彼は笑った。否定はしない。
 出会った女の子に対し、褒めるのは男の礼儀だと思っている。


 サーーーーーーッと、冷たい風が吹き抜ける。
 嫌な風だと彼は思った。
 黒い雲が空を覆い始めようとしている。雨が降るのだろうか。
 今夜は星もなく、月も見えない夜になる。
 彼はそっと近づき、少女に上着をかけた。


「もう寒くなる。中に入ろう」

「……うん」

 少女は言い、少し淋しそうに城の外へと視線をやった。

「いつ、攻めてくるのかしら」
 
 城のバルコニーからは、少女が見つめるものは見えない。
 地形の関係だ。
 険しい山脈と、深い森に挟まれて、夜の闇にも阻まれて、遠く虚空をにらむしかできない。


「君は何も心配はいらないよ」

「お父さまと、同じことを言うのね?」

 少女はちょっと悔しそうに唇を噛み、ドレスの端をぎゅっと握った。

「女だからって、戦えないのは悔しいわ。
 私に力か、せめて知恵があれば、あなたやお父さまのお役に立てるのに」


「……女の子はね」

 彼は笑う。

「優しく待っていてくれればそれでいいんだ。
 待つ人がいない戦いをするのは辛すぎる。護りたい人が危険なところにいるのは不安すぎる。
 後ろに君がいてくれると思うからこそ、男は身を張って戦いに行けるんだよ。
 ……そうは思わない?」


 少女は首を振る。
 もどかしそうな顔をして、必死な顔を上げる。


「普通なら、それでいいかもしれないけど。
 相手は女だからって容赦したりしないわ。子どもだからって見逃したりしないわ。
 それなら、戦えない女子どもは、ただの足手まといじゃない!」


 いったい、いつのまにこんなに強くなったのだろう。
 彼は半ば呆れて少女の声を聞いていた。
 少女が何事か叫んでいる。その顔が、わずかにぶれる。


『あなたは何を望んでるの?』

 え。と彼は思った。
 問う間もなく、少女は去っていく。
 わずかに胸に引っかかったが、彼は追いかけることはしなかった。
 いくら言っても彼から思う答えが返らないのは分かっていたはずだ。
 だから去っていった。


 バルコニーにたたずみ、彼はふうと息を吐く。
 ピュイッと口笛を吹くと、いずこからか鷹が舞い降りてくる。
 焦げ茶色の羽根をした、鋭い嘴の鷹だ。腕に留まれるよう、彼は革籠手を腕に巻いていた。


「行け」

 夕闇に向けて放つ。
 鷹は鳥目だが、まだ夕方の明るさが残っている。怪しい物陰があれば気づくだろう。



 
 彼は知らなかった。
 
 夜明けを待たずして、夜の闇にまぎれた魔物たちが襲撃することを。
 薄暗い雲に隠れた魔物たちが、本拠である城を直接攻めてくることを。


 襲い来る魔物から母を護ろうとして、護剣を振るった少女が無惨に八つ裂きにされることを。




   ※※※




 目が覚めた。
 目覚めは最悪に近かった。


 銀の髪をくしゃりと整え、顔を洗うためにヒースは立ち上がる。
 ベッドなどというものはさすがに望めないので、居候の四人は絨毯の上で毛布をかけて眠っている。
 野宿よりははるかに状態がいいし、問題はさほどない。


 部屋は薄暗かった。まだ夜明けではないのかもしれない。
 いつもならば、朝鍛練をしているレンと早起きのポーラとが先に起きている。
 視線をやるとポーラはまだ眠っているようだった。
 アルテアはいつもの通り熟睡している。
 あどけない寝顔には、魔物と戦う戦士の迫力はまったくない。
 いつか寝首をかかれないかとひそかに不安になるほどだ。


「勇者か」
 
 アリアハンの勇者が女だと知った時、ヒースは実のところ落胆した。
 女に頼らざるを得ないアリアハンの実情を気の毒にも思ったし、当人がその気で旅立つ気であることを知った時には、どうにかしているのではないかと思った。
 ヒースは女性が好きだ。
 かわいいと思うし、守ってあげたいとも思う。
 気が強い子も弱い子も、女性はみな魅力的だと思う。
 女戦士や女魔法使いなどとの交流もあるし、彼女たちが立派に職務を果たしていることも知っている。
 親しい友人もいるし、尊敬すらすることもある。


 だが、勇者にならなくてもいいだろう。

 アルテアがそれなりに懸命なのは知っている。
 剣の腕も立つし、いずれは多才な魔法を使いこなせるようになるだろう。
 けれど。
 
 剣の腕なら他にも戦士がいる。魔法の腕なら他にも魔法使いがいる。
 アルテアが勇者にならずとも、同等の戦力は手に入る。
 出しゃばらずにいれば散らさない命を、散らすこともあるだろう。


「……いや、違うな……」

 顔を洗い身支度を整えて、ヒースは外に出ることにした。
 暗い祠の中にいると気が滅入る。嫌な夢を見たせいでなおのことだ。
 すっきりしない。それは、夢のせいだけではなかった。


 どうしてアルテアが勇者であろうとするのか、分からないからだ。

「うちの勇者くんは、どうにも秘密主義だからねえ」

 バラモスが憎いというなら分かる。
 父であるオルテガを殺した仇なのだから。
 世界を救いたいというなら分かる。
 今日この瞬間も侵略されていく時代に生まれたのだから。


 だが、いざないの洞窟で三日間。急ぐようすを彼女は見せなかった。
 回復魔法を会得した今、留まる理由はなくなったはずだが、彼女が出発を口にするかどうか分からない。
 いざ出発したがいいが、魔物が恐ろしくなったか?
 ……そんなようすはない。
 急がなくていいのか?
 ……尋ねて彼女が答えるだろうか。


 ヒースは聞きたくないのだ。
 アルテアは予想した答えを言わないだろうと思うために。
 期待した答えも、覚悟した答えも返ってこない。
 予想外の答えに対し、自分が何を考えるか、予想できないから聞きたくない。


「おれもなかなか、卑怯者だね」



 一階へ上がる階段を上る途中、降りてくるレンに会った。
 朝鍛練の後なのだろう、わずかに汗が浮いている。


「ああ……いたいた、レン。
 今日の天気はどう?昨日のようすじゃ快晴だと思うけど」
 
「……そうだな。見れば分かるが、異常だ」


「え?」

 きょとんと疑問の声をかけるが、レンは何も言わず階下へと降りていく。
 彼の無愛想と仏頂面は今に始まったことではない。 


「異常ったってねえ……。夜明けの色がクリームイエローだったとか?」

 冗談のつもりで言いながら外に出る。
 一瞬、どこに来たのか分からなくなった。


 夕暮れのオレンジ色が広がっていた。



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