”ナジミの塔”
近道をしようとヒースは言った。 ナジミの塔は王城にもつながる道があり、それはレーベ近くにも入り口があるからと。
アリアハン王城へと戻る道を途中で逸れ、元は祠だったと思われる場所に着いた。 頑丈な鉄格子のついた祠と、ひっそりと木々に隠された地下への通路。 そこに、小さく土を盛ったお墓と、添えられた小さな花の束がある。 お墓の主が誰なのかは分からない。つたない作りからして、あまり手のこんだお墓ではなかったけれど。
ポーラは少し悲しそうな顔をして、墓にそっと僧侶の礼を捧げる。 死者の霊が穏やかであるよう願う祈りだ。 私たちはしばらくの間そこにいて、ポーラの祈りが終わるのを待っていた。
※※※
「これでもう何匹目っ!?」
たまらず悲鳴を上げる。
ナジミの塔は魔物の巣窟だった。 いったい、どこからこんなに湧いてくるのだろう。 私には名称もさっぱりなやつらが、倒しても倒しても襲ってくる。 石畳の立派な塔なのに、床も壁もモンスターの汚した跡で真っ黒になっている。
先頭に立ってカエル(フロッガーというそうだ)を蹴り倒したレンが、着地したその足で毛むくじゃら(大アリクイっていうらしい)の生き物を蹴った。 私も銅の剣で斬りつけるけど、決定打にはならない。 人と違って、モンスターには固有の動き方がある。 例えばスライムなら、そのゴムのような身体を弾ませたりして飛びかかってくるのだけど。 未知のモンスターは何をしてくるか分からなくて、どうしても不意を打たれてしまうのだ。 私の打ち漏らしにヒースが短剣でトドメを刺す。
息を吐き、何とか終わったと思った瞬間だった。 ずらりと四人の男が私たちを取り囲む。 頭からローブをかぶった姿をした小男だ。四人とも、私よりも一回り背が低い。
「人……っ?」
私が思わず銅の剣を下ろし、声をかけようとしたとたん。 男たちは一斉に両手を突き出してきた。
『メラッ!メラッ!メラッ!メラッ!』
短い呪が私たちを襲った。 四人の手元から一斉に飛び出してきたのは巨大な火の玉。 一瞬呆けた私はまともに顔に受けてのけぞった。 レンは飛んでくる火の玉をたたき落とし、苦痛を浮かべて右手を押さえた。 一人後部にいたポーラは、飛んできた火炎を胸に受けてしまう。 「魔法使いか……っ」
ヒースが言う。
「どうなってるの、あの人たち、敵っ?」
うう、焦げたほおがヒリヒリ痛い。 なんとか剣を抜き、四人をにらみつけるけど。 頭からローブをかぶったようすからは、彼らのどこが目なのかよく分からない。 上の方でピカピカ光ってる二つが目だろうか。あれ、見えるの?
「敵だ。魔法使い……、魔に取りこまれた証に、正気を失っている」
「じゃあ、元々人間なの?」
「核が人間だろうと、魔王の波動が消えるまで元には戻れない哀れな存在さ」
そう言ってヒースは腰に手をやった。 ひゅいんっ…… 風の鳴る音がして、しなる紐のようなものが、魔法使いたちをなぎ倒す。 一瞬後には魔法使いたちは床に倒れていた。 何をしたのか聞こうとしたが、顔がヒリヒリ痛んでそれどころじゃない。
「うー。い、痛たたた……。ポーラぁ……」
駆け寄ってきたポーラがホイミをかけてくれる。 ポーラも法衣の胸のところが黒く焦げてしまっていて、気の毒だ。布じゃホイミは効かないし。 レンの右手も重傷だった。 メラの炎一つにしては、あまりにただれた跡が残っている。 というか、これは……。古傷? もっとよく見ようとしたら、レンに振り払われてしまった。
「もうお怪我はありませんか?」
ポーラが不安そうに言う。 私たちは一人一回ずつホイミをかけてもらって、また探索に戻ることにした。 頂上に着く前に一度休憩をとらないと、ポーラの精神力が切れてしまいそうだ。
「はあああ……こんなにいるなんて。よく平気だね?その魔法使い……」
「そうだね。こんなところに住みついてる趣味は、おれには分からないかな」
さすがのヒースも賛同しきれない趣味のようだ。 魔法使いたちを倒した、細長い紐みたいなやつを腰に据え戻すと、辺りのようすを伺う。 ヒースは敵の気配を察するのが得意で、このおかげであまり不意を打たれずに済んでいる。
「ねえ、さっきの武器、何?」
私が尋ねると、ヒースは「ん?」と不思議そうな顔をした後、紐を取り出した。 間近で見ると、指二本分くらいの太さのある紐だ。痛そうなトゲトゲがたくさんついている。 薔薇の茨みたいなものだった。 金属製なのか、銀色で、これで殴られたらひとたまりもないだろうってのが分かる。 殺傷力はかなりありそうだ……。
「棘の鞭だよ」
「ムチ?」
「そう。一度にたくさんの相手ができる。扱いにちょっとコツがいるけどね」
「へええ……それも、大陸の武器?」
少なくてもアリアハンじゃ、聞いたことないよ? 城の兵士たちだって、こんな武器知ってるだろうか? オルテガの部屋にあった、兵術書にも、ムチなんてものは見たことない。
「んー、手に入れたのは、実はアリアハン城下なんだけど。まあ、珍しいことには変わらないかな。 武器に転用されるようになったのはかなり歴史があるんだけど。 なにぶん、あまり見目が良くないから、”正々堂々”が好きな人は使わないのさ」
なるほど……。私は妙に納得してうなずいた。 一対一を好ましく賛美する人たちは、確かに使わないだろう。 でも、モンスター相手にそんなこと言っている場合じゃないもんね。
「レンは知ってた?トゲノムチ」
「当たり前だ」
左様ですか……。
「だが、確かにアリアハンのような国で手に入るのは難しいだろうな。 おれもこの武器についての有用性についてはいざないの洞窟の老人に見せてもらった本で始めて知った。 効率の良さでは間違いなく有用だが、武器が素手の延長だとすれば、発想されないのも無理はない」
「……いざないの、洞窟?」
「三賢者の一人だ。アリアハンにはナジミの塔を建設した三賢者がいてな。 一人はナジミの塔、一人はレーベの村、もう一人はいざないの洞窟そばに住んでいる」
……人間、どこで何を知ってるか、分かったもんじゃないね。
「詳しいねえ。レン」
ヒースまでもが感心して言う。
「使っているのを見たのは始めてだがな」
「おれってば、器用だからね」
息を整えるついでに武器の話題をしていたら、ポーラが「ひっ」と悲鳴を上げた。 またモンスターかと思った私は、ポーラが何かを指差して「あうあう」と言葉をなくしているのを見た。 さっきの魔法使いたちだ。 頭からローブをかぶった四人の、頭部。目かな、と思ったチカチカした光が、光を失っていく。 どす黒い色になったかと思うと、しゅうしゅうと音がした。 ローブの下から煙が上がっていったのだ。
「か、火事っ?」
ばっとローブをはぎとり、私は絶句した。
”魔法使い”と呼ばれた男は、黒い塵の固まりとなっていた。 それが、端から火がついたように煙となって消えていくのだ。 ぐすぐすと嫌な音がする。 灰を焼いたような、鼻がむずむずする臭いだ。 黒い煙が天井へ登っていき、天井にわずかな煤を残して消えていった。 「魔王の魔力は、野生動物たちなどを巨大化・狂暴化させていった。 中でも直接魔力を注ぎこまれた魔法使いのようなモンスターは、最後にはこうなってしまう。 内に取りこんだ魔力に焼かれて、死体も残らない」 ヒースが言った。
「魔法使いのローブをはぎとったことがあるよ。 外に見えている目部分があるだろう?あそこ以外は、魔王の魔力で生き物ではなくなっているんだよ」
「……」
私は何も言えなかった。
確かに、彼らは人間とは言わない。モンスターだ。 人を襲って、イスター少年のような犠牲者を出す、魔王軍の一員で。 対峙してしまえば倒す以外の選択肢のない存在。 でも、モンスターたちも、魔王の波動とやらで変えられてしまった犠牲者だったんだ……。
「……魔王がいなくなったら、どうなるの?」
「さすがにそこまでは、おれには分からないな」
「……そっか」
魔王を倒したらすべてが元通りになるといいのに。 モンスターになっちゃった人とか、動物とか、みんな元に戻って。 殺された人とかもみんな生き返ったらいいのに。 そうしたら本当に、魔王を倒す甲斐があるのに。
でも、そんなことは起きない。 きっかけが魔王だったにしろ、命は命で。たった一回きりしか許されない。
「……大丈夫ですか、アルテアさん?」
不安そうな顔でポーラが訪ねる。
「うん……、平気。それよか、この通路を右……だっけ?」
戦ってると、自分が今までどっちから来たのか、分からなくなっちゃう。 迷宮内では地図を描け、って祖父は言っていたけれど、その地図を参照できるかどうかは別の問題だ。
「まっすぐだよ。この階はそろそろ探索し尽くしたから、いよいよ本命かな」
ヒースはにっこり笑って言う。
※※※
ところがそう簡単には行かなかった。
順調に進んでいたはずなのに、外壁部を歩いている途中、足を踏み外してしまったのだ。 4階に上がって、大きな扉を目にした瞬間だった。 「あっ」と叫ぶ間もなく、私たちは一階まで落ちてしまった。 壁にとっさに手をかけたレンと、ロープで私とポーラを絡めてくれたヒースのおかげで、怪我こそなかったものの……。 道具袋は落下中にどこかに引っかけて破けるし、マントの先もほつれるし。 何より、今までの苦労が水の泡だ。 私はがくりと地面に手を着いた。 ナジミの塔からはアリアハンの王城がよく見える。 まるでハイキングにでも来たような気分にさせられる。 ……やけっぱちの。
「ご、ごめん……」
足を踏み外したのは私。 立派な石畳になっていたから、油断したんだよなあ。 ナジミの塔とその土台部分とでは、使っている石材も違うらしい。 レーベから潜った地下通路を歩いている時は、憂鬱になるような暗い石材だったのに。 一階部だという場所まで来たら、まるで突然視界が明るくなったかのような気がした。 ところどころに彫像が飾ってあり、洒落ていた。 モンスターが汚していることには変わりないけど。 「いいって、いいって。怪我はなかったんだし」
ヒースが笑う。
「それに、ちゃんと道を覚えてるから。さっきよりも楽に上がれるよ、次は」
「そうですよ。お怪我がないのが一番です。 それに、先ほどから戦い続きでみなさんへとへとでしょう。 休憩をするのにちょうど良かったのではありません? ここなら、モンスターの姿もありませんから」
ポーラも言う。
「どうせなら別ルートを通って行かないか」
最後にレンも続けた。
「どうやら、さっきのルートは行き止まりのように見えた」
「ええ?そう?」
「ああ。レーベの老人が言っていたが、ナジミの塔にはフェイクの階段があるんだそうだ。 一見するとメインの階段のようだが、行き止まってしまうのだとか」
「……そういえば、あの扉。無駄に大きかったし、鍵もかかっていそうだったな。 じゃあ、あれはフェイクルート?」
「みんな、優しい……」
感動に胸がいっぱいになっていると、彼らはちょっとだけ釘も差した。
「でも、次からは気をつけようね。いくらなんでも、4階からダイレクトで落ちたら死んじゃうし」
「足下には注意してくださいね。 軽傷ならいくらでもホイミできますけど、ここには毒持ちのモンスターもいるんですから」
「一人で落ちるのはいいが、こちらは巻きこむな」
※※※
再び塔へと入っていく。 途中までは一度通った道だし慣れたものよ、と思ったのがまずかった。
フロッガー三匹、さそり蜂四匹、バブルスライム七匹。
取り囲まれたヒースが、わずかに顔をしかめる。 塔に入ってここまでの大軍は、始めてだった。
「ヒ、ヒース、カエル倒して!あれは、後ろのポーラを狙ってくるから! レン、私たちは先に蜂を落とそう。 あの緑のぐにょぐにょは、当たりにくいから集中しないと!」
ぐっと剣を握り、私は緊張しながら指示を飛ばす。
「ポーラ!あなたは防御に専念して、私たちが傷を負ったら回復をお願い!」
弱いやつならばポーラでも棍棒で殴ったりできるんだけど。 この数はあまりに多すぎる。一度にどれだけ喰らうか見当もつかない。
GOの合図もなく、戦いは始まった。 速度で一番のヒースが、華麗に容赦なくムチを振るう。 カエル(フロッガー)には嫌な癖があって、後ろにいる人を狙ってくるのだ。 この場合はポーラがそれに当たる。 ポーラが気絶しちゃうと、私たちは完全に後手に回るはめになる。 何せ、私はまだホイミの発動が危ういし、薬草を使うには戦闘中は余裕がなさすぎる。 「えいやぁあああっ!」
思いきり気合いをこめて、蜂(さそり蜂)をぶった斬る。 この蜂(さそり蜂)にも嫌な癖があるらしいが、考えている場合じゃない。 同時にレンが殴りつける。蜂(さそり蜂)は天井まで吹き飛んで、思いきり衝撃を浴びて地面に落ちた。 一匹落とせば次、と調子が上がってくる。 ヒースがムチを持っていたのは幸いだ。 私とレンとが残り物を落としていけば、これだけの大軍も……。
「ぐっ……」
ヒースがよろけた。カエル(フロッガー)を落として緑の(バブルスライム)に向き直った時だ。 後ろからべたりと張りついてきた緑スライムが、じゅくじゅくとした気持ちの悪い汁を吐いた。 飛び退いたヒースは、後ろに隠れていた緑スライムを踏んづけ、そいつの汁をまともに浴びた。 ヒースの動きが目に見えて鈍くなる。 何があった!?
「こんのぉおお……レン!先にあいつらやっつけるよ!」
銅の剣で張りついたスライムを斬りつけ、もう無我夢中。 何匹斬ったのか、叩いたのか、何せぐっちょんぐっちょんなので、どこから一匹なのかも分からない。 でたらめに斬りつけてようやく静かになったころ、私はもう腕を上げることもできなかった。
「……はあっ、はあっ、はあっ……はあ……っ」
ううう、腕が、痛い……。持ち上がらない……。 だらんと両手を下げて剣を取り落とす。 ポーラがホイミをかけてくれたけど、だめだあ、疲労には効かないものなんだね、ホイミって……。
「ヒース、さっきはどう……」
どうして急に鈍くなったのか、尋ねようとした私は青ざめた。 ヒースが倒れている。 それも、顔色が悪い。真っ青を通り越して、どす黒い色だ。
「なななななっ?!」
「ア、アルテアさん……っ!ホイミが、効きません……っ!」
駆け寄った私は、ポーラがホイミを唱えるところを見た。 ぼうと光る癒しの力が、確かにヒースに吸いこまれていくのに、ますますどす黒くなるばかり。 手足の傷はホイミで治ったのに、ヒースの意識が戻らない。
「どうしたの、ヒース!返事してよっ!」
ぶんぶんと揺らして声をかける。ヒースはさらに顔色を悪くするだけで返事をしない。 呼吸が変だ。わずかに息をしているけど、荒い上に苦しそうで、今にも止まってしまいそうな……。
「ま、まさか……」
ポーラも処置ができなくて青ざめている。ホイミが効かないのでは、何もできない。 まさかの先は言えなくて、私は助けを求めるようにレンを見上げた。
「落ち着け。……おそらく毒だ」
レンは言った。顔色をほとんど変えず、ヒースの脈と呼吸を確かめて、もう一度うなずく。
「バブルスライムなどは固有の毒を持っている。それが傷口から入るなりしたのだろう」
「どうすれば治るっ!?」
「毒消しか、解毒の魔法だ。使えないのか、僧侶?」
「解毒……キアリーですか?わたしにはまだ……」
ポーラがぶんぶんと首を振った。目が泣きそうにうるんでいる。
「毒消し……毒消し草だねっ?」
私はあわてて荷物を漁った。 出発前に薬草も毒消し草もたくさん用意したんだから、大丈夫のはず…… だが、荷物袋にぽかりと空いた穴に、私は絶句させられた。 底が破れている。中身は半分以下に減っていた。 運が悪いことに、毒消し草とキメラの翼は、一つ残らずなくなっていた。
「な……っ、なんでえっ!?」
そう言えば。思い出したくないことを思い出してしまった。 塔から落ちた時に道具袋が破けたんだ……。
「よりによって……っ。どうして?どうして?どうしてっ?」
悔しくて涙が出てくる。 塔から落ちたのはいいとしよう。マント破けたのだって、直せばいい。 だけど。 どうして必要な時に必要なものがないのさっ!
パンとほおが鳴った。
「落ち着けと言っただろう! 何かないか、思い出せ。このまま放っておけば、こいつは死ぬぞ」
レンが叩いたのだ。
「……武闘家の力で、叩くなんて、ひどい。こっちが死んじゃうよ」
口を尖らせ、だがぐっと涙をこらえた。 泣くな。こんなことで泣くな。ヒースはまだ死んでない。
「じゃあ、殴られるようなことはするな」
こくんと私はうなずいた。
「レンは、毒消しとか持ってない?」
「あいにくと」
「ポーラは、ホイミを後何回使えそう?」
「……1回が限度です。それ以上は精神力がありません……」
「ヒースは、」
言いかけた私は、ふっと顔を上げた。
「ヒースの荷物袋開けて!こんくらいのやつ、薬草とかいろいろ入ってた!」
アリアハンの姫さまから渡して欲しいと言われたやつだ。 アリアハンを旅立つ時、きちんとヒースに渡したのだ。 ヒースは、「ああ、ありがと」とちょっとそっけなかったけど、きちんと荷物に入れていたのを見た。
私の剣幕に驚いて、レンとポーラがヒースの荷を開ける。 姫さまから受け取った袋には、薬草や毒消し草が、手荒に押しこめられている。 しかも大部分は摘んだ草のまんまだ。 店で売っているやつは加工済みで、すぐに煎じて飲めるような状態になっていたりする。 ゴロゴロと勲章みたいなやつとかも出てきたが、必要なさそうなのは押し戻した。
「これはどう?効くかな?」
毒消し草と見える薬草を並べると、レンが難しい顔で見下ろした。 ポーラがそのうち一種類を指差してうなずく。 「バブルスライムなら、この毒消しで大丈夫だと思います。 もう少し強力な毒だと分かりませんが……、この毒消し草は、わりと汎用性がありますから」
「どうしたらいい?薬草みたいに煎じて呑ませる?それともこのまんま?」
ここは大事だ。失敗したら後がない。 毒消し草のストックはもうないし。キメラの翼もないから街に戻れない。 私たちはお互いに顔を見合わせて、どす黒い色に変色したヒースを見下ろした。
「……あのーう……?」
「うぎゃああああっっっ!!」
声は、後ろからした。
※※※
どこか気弱そうな男の人だった。
「やあ、そんなに驚かないでくださいよう」
驚くわい、とにらまれた彼は、ますます身を縮こめる。
「あなた……モンスターじゃないでしょうね?」
ナジミの塔の中で人間に遭遇するなんて、まずその方がおかしい。 疑いと警戒の目を向けられた彼は、気の毒なくらい悲しそうな顔をする。
「人間ですよぅ。ここの、管理をやっているんですー」
「……ええ?じゃあ、あなた、ナジミの老人?」
この人が? ポーラと顔を見合わせる。ポーラもにわかには信じがたいという顔をしていた。
「魔法使いさんは最上階ですよぅ。私は、下階の管理清掃をしているんですー」
「……清掃?」
「はいぃ。ですが、このごろはモンスターが多くてぇ……。 塔に挑んで疲れちゃった方向けに、旅の宿もやってるんですがぁ、いかがでしょ?」
「……毒消し草の使い方、分かる?」
「もちろんですよぅ。 ここのモンスターは毒持ちが多いですから、住むには毒消し知識は必須なんですよねー」
こんな塔に住むやつの精神は気が知れない。
ヒースは助かった。 男の人が手早く調合してくれた毒消しを使ったとたん、顔色が一気に良くなったのだ。 あれほど心配したのに人騒がせな、と文句を言いたいくらいだ。 毒のせいでかなり体力を消耗していたので、ポーラがホイミを使う。これで、ホイミはもう打ち止め。 どうしようかと話し合ったが、騙されて元々、旅の宿に泊まることにした。
「毒を喰らった身で済まないけど……。本当に泊まるの?」
ヒースは最後まで納得できない顔をしていた。
「このような回りくどい真似をして騙す利点がない。 それに、襲いたければ襲ってくればいい、返り討ちにするだけだからな」
「そんなことおっしゃらないでくださいな、お二人とも。 ヒースさんの毒が治療できたのは、あの方のおかげなのですよ? それに、精神力がなくなって困っていたところでもあるんです。神の導きだと思いませんか?」
「できすぎてて確かにちょっと不安だけど。 ありがたいのも本当だから、いいんじゃないかな。 それに何より、毒を受けた後はしばらく安静にしてなきゃだめだよ?」
私がそうまとめると、ヒースはとりあえず黙って寝ることにしたようだ。 少なくても、今回に限り、毒を受けたヒースには選択権も発言権もないのだった。
「頑張ってくださいねぇー」
と男は言い、私たちは再び塔攻略を目指した。 別に、本当は攻略が目的じゃなかったんだけど、この時にはすでに忘れていたんだな。
※※※
「おぬしにこれを渡す夢を見た」
塔の最上階には二人の老人がいた。 どちらも似たような服装をしていて、一目で魔法使いだと分かる。 一方の魔法使いにレンが会釈をしたので、あちらがレーベの研究者だろうと私は見当をつけた。
「だからこいつを渡そう」
ナジミの老人は最上階の部屋にあつらえた広いベッドに横になり、入ってきた私たちを見て目を細める。 レーベの老人は、サイドテーブルの椅子に腰かけて、楽しそうに私を見つけていた。 室内は暖かそうな絨毯が敷かれ、本棚が並べられており、居心地が良さそうだった。 「夢?」
「わしは夢で未来を見る、予言者なのじゃ」
ナジミの老人は言い、私に一つの鍵を握らせる。 おかしな形をした鍵だ。といっても、比べるほど鍵を手にしたことがあるわけではなかったが。
「こやつは、バコタが所有していたもの。 だが、おぬしらに渡った方が遥かに有益だと出たのでな。きゃつが塔に入った時に盗らせておいた」
「と、盗らせ?何か今、凄いこと言いませんでした?」
「なぁに、大したことではない。 一階で男に会わなんだかな?あれがナジミの部下じゃてな。 ここの塔に挑んだやつは、一度はあそこに泊まって休憩をとる。 欲しいものがあれば寝てる間にちょちょいのちょいじゃな」
「どーりで……。目に油断ができないやつだと思ったよ」
ぽつりとヒースが漏らした。
「夢でそなたたちが毒を受けることも見ていたのでな。 あやつに”じゃすとたいみーんぐ”で登場するよう、言い含めておいたのじゃ」
ナジミの老人は得意そうに言った。
「……先に言ってくれたら毒を受けなかったかもしれないのに……」
「それがうまく行かぬのが夢見の術じゃ。 例え夢で見たことを変えようとしても、どこかで調整されてしまう。 わしは無力じゃよ。ただ、未来を垣間見ることしかできん。 誰が死ぬと分かっても、それを止められん」
そう言って、ナジミの老人は私を見た。 どこか意味深な視線に、私は何だか嫌な思いをする。
「オルテガが旅立つのを夢に見てから、どうにも夢見が悪いことばかりじゃった」
どきんと胸が鳴った。
「まあ、こやつも悪気はないのじゃ。許してやってくれな」
レーベの老人が言う。
「それよりも、これじゃろうて?」
レーベの老人が取り出したのは、黒い玉だ。
「魔法の玉をそなたが必要とすると、こやつが言ったのでな。 おぬしの旅立ちに間に合うよう、何とか仕上げておいたのじゃよ。 一つしかないが、有益に使うがええ。使い方は、レーベの武器屋でそちらの武闘家に教えておいたでな」
なら、わざわざ塔に来なくても、村でくれれば良かったじゃないか。 納得できない気もしたが、差し出された玉を黙って受け取った。 魔法の玉はひんやりとしていて、球面がつるつるしている。 荷物袋は破けてしまっているしどうやって持ち帰ろうと思っていると、ヒースが布袋を差し出した。 すっぽりと収まる大きさだ。 もしかしてこれも、夢で見たからとどこかで手に入れさせたものじゃないだろうなあ……。 「回りくどいですね」
素直に言うと、老人二人はカッカッカッと笑ってのけた。
「勇者は回り道をするものじゃ。 ぐるぐると回ることがかえって出口への近道となる。 直進したらすぐ行き止まり。また入り口からやり直すはめになるのじゃよ」
「始めから最短距離を得た者は、何も得ることなどできまいて。 勇者とはただ魔王を倒す存在ではない。 魔王を倒すなら、最強の戦士でも、最強の魔法使いでも、最強の武闘家でもできるはず。 勇者が必要な意味を考えてみなされ」
私は二人の顔を見比べ、それから、小さく頭を下げた。
「鍵と、玉。ありがとうございます。大事に使わせてもらいます」
方法がどんなに回りくどくても、これが私の旅の役に立つことは間違いないのだろう。 夢に未来を見る老人が、必ず役に立つと思って揃えてくれたものなのだから。 破れた道具袋の代わりに布袋をしっかり固定して、生半可なことでは落ちないように止める。 また塔から落ちるような真似をしなければ、壊れたり衝撃を与えすぎたりせずに済むだろう。
ナジミの老人には、一つ、聞きたいことがあったのだけど。 それを言い出すことは止めてしまった。
「うむうむ。さぁて、わしはまた寝るかのう……」
「やれやれ。また次に茶を一緒できるのはいつになるんじゃな」
「さあて。夢で見れば、その時じゃな……」
私たちは仲のいい老人たちをその場に置いて、塔を後にした。
※※※
近道をしようと人間は思う。 目的地があるならば、そこへの最短を通りたい。 少しでも早く辿り着きたい。
回り道をしろと老人は言う。 それがかえって近道になるからと。 直進したら行き止まり。また入り口からやり直しをすることになる。
私の旅は、思ったよりも大変なのかもしれない。 ぐるぐると、世界をくまなく歩き回り、その挙げ句にしか辿り着けないのかもしれない。 「何か聞きたいこととか、あった?」
夢見の老人に。 私が尋ねると、仲間たちは、それぞれの視線を宙にさまよわせる。
「ないな。未来のことなど聞いたところでどうにもならない」
レンが言う。
「……ありますけど、例え達成できないと言われても、歩みを止めることはありませんから」
ポーラが言う。
「どうかなぁ。明日の自分なんて、朝起きて夜寝るだろうと分かればそれでいいしね」
ヒースが言う。
「アルテアにはあるの?聞きたいことが」
「……うん」
あるけれど。 聞いてもどうにもならないし、できないと言われても止めないし、明日も今日と変わりないだろう。
イエスと言われれば、嬉しい。 でも、今日明日できるわけじゃないのだから、意味がない。 頑張った末の話を今から保証されても、頑張らなければやってこない明日。 ノーと言われれば、悲しい。 でも頑張り始めた以上止めるわけはないのだし、頑張ればいつかと思ってしまうことは変わりない。 諦められない以上、死ぬ以外の終焉はないのだ。
変えられない未来なんて、聞いたところで意味がない。
『私はバラモスを倒せますか?』
返事が返るのが嫌で、聞かなかったのは確かだった。 私の旅は、まだ果てしなく長い。 |