”アルス”
世界は精霊に祝福されている。 父のイメージは大きいというものだった。 広い背と、高い志を持った立派な男だと聞いている。
「オルテガさんの子なら、立派な勇者になるだろう」 不思議なものだ。 勇者が血族で続くものならば、オルテガが勇者であることがまずおかしいのに。 祖父は一介の魔法使いであったし、オルテガの剣は城で学んだもの。 環境が育てた器用な魔法戦士を、だが人々は勇者であるからだと言った。
「ねえ、お母さん。オルテガって、どんな人だった?」
「呼び捨てしないの。お父さんでしょう?……そうね。……とても不器用な人だったわ」
母は父を愛していた。その上、勇者の妻という肩書きに相応しい気品と覚悟を持った人だった。 どこぞの貴族出身だという噂も聞いたが、ありえない話ではないだろう。
「目の前で苦しんでいる人を見捨てることなんかできなくて。 どこまでも頑張っちゃう人だったのよ」
それは、確かに不器用だと私は思った。
「お父さんは、勇者だった?」
「そうね。勇者と呼ばれるに足る、優しく強い人だったわ」
母はいつもこんな言い方をする。 父を、勇者だったとは言わない。
「お母さんは、私に勇者になって欲しい?」
なりたいと言ってなれるものかは知らないけれど。 問うた私に、彼女は苦い顔を向けてくる。
「……アルスは女の子だから。無理はしなくて良いの。 人々のために身を削るよりも、自分の幸せを見つけて欲しいわ」
それは、少し嘘だなと私は思った。
……じゃあ、どうして”アルス”と名づけたの。
※※※
魔王バラモスによるアリアハン侵攻は、私が生まれる前に始まった。 当時の総大将は山のような身体を持った巨人であったらしい。 アリアハン国王の命を狙い、直接王城へと襲撃をかけた。 援軍が来るはずの旅の扉からは、次から次へと魔物が襲来し、アリアハンは孤立した。 アリアハンの三賢者は総出で結界を張るに至る。 防衛拠点・ナジミの塔の建設である。 王城は結界により強力な魔物を寄せつけぬエリアとなったが、総大将には効果がなかった。 若き王子は兵士隊にいた親友オルテガと協力し、総大将への反撃を試みる。 アリアハンは一時的に戦場と化した。
オルテガは王子を護り、総大将を打ち倒す。 見事、勇者となったのだ。
アリアハンの復興には数年を必要とした。 敗北した前線地ネクロゴンドに続き、サマンオサでも大規模な戦闘があった。 中央大陸ロマリア・ダーマでも苦戦を強いられたという。 アリアハンは復興の一方で各国へと支援を送り、つながりを強固にした。 かつての大国としての地位を新たに示したのだ。 各地で勇者が生まれ、ある地では勝利し、ある地では破れた。 そして、アリアハンが復興を遂げ、私が生まれた後。 オルテガは魔王バラモス本人を狙い、旅立ちを申し出る。 魔王城への遠征である。
オルテガの旅は数年に渡った。各地でオルテガは伝説を残し……そして、果てた。 ネクロゴンド火口に落ちたのである。 私が10才の時であった。
国で一番の男が負けたのだ。 希望は潰えたかに思えた。
「良いか、アルスよ」
祖父は訃報を聞くなり、言った。
「決して、オルテガの後を継ごうとは思うな」
「どうして?」
「オルテガは……息子は勇者だった。勇ましい使命感と優しい心があったために旅に出たのだ。 それは、職とは異なる。あれはただの魔法戦士に過ぎない。 おまえはおまえの道を選ぶのだ。 勇者とは継承されるものではない」
「おじいちゃんは、私が勇者になるのは、嫌?」
「……嫌ではない。それが、おまえの意志ならばな」
「そっか」
私は祖父の言葉を受け止め、それ以上聞くのを止めた。
「なら、おじいちゃん」
私は空を見上げた。 月が明るい、赤い空だった。 ネクロゴンド山脈は活火山であるらしい。それならばこんな色をしているのかもしれない。
王城で父の訃報を聞いた時も泣かなかった母は、家に着くなり倒れてしまった。 いくら気丈であるといっても、覚悟していたといっても、最愛の夫を亡くしたのだ。 無理もない。 祖父は「何も言うな」と言い、私も何を言っていいのか分からなかった。 こんな時お父さんなら何を言うのだろうと思って。その他ならぬお父さんがいないのだと思い知る。 母は泣かなかった。 それは、16才となり、旅立ちの許可を得る今日まで変わらない事実。
「私は勇者になるよ。そして、魔王を倒す」
「アルス……?」
「お父さんみたいな勇者にはなれないけど。私なりに勇者を目指してみる」
「……そうか」
「うん」
”まだ、この子がいます。勇者オルテガの血を継ぐこの子が”
その通りだよ、お母さん。 あなたは本当に、勇者の妻だ。
まだ私がいるから。 希望を諦めないで。
ただの魔法戦士が、勇者として希望の星になるのなら。 勇者としては迫力の欠ける女だけど。勇者になるから。
※※※
12才になった朝のことだった。
騒然とする教会に、人々の声が響く。 自分のすぐそばに聞こえているのに、何を言っているのか分からない。 悲鳴と、怒声と、混乱している声だ。
「早く!早くこちらに……っ!」
「急いでください。あまり頭を動かさないで、毒が回ってしまう!」
「薬草を煎じてきたんです。どうか、どうか使って……」
「しっかり、しっかりして!アルス!」
暖かな光が私を包む。 僧侶たちによる回復魔法だと私は気づいた。 徐々に意識がはっきりしてくる。 優しい輝きの中にたゆたっていた自分が、痛みの中に戻っていくのが分かる。
「……なんてこと。次代を担う勇者を狙って……?」
「外壁の中で襲われるなんて!」 目を開けることはできなかったが、人々の言葉から事態は理解できた。
身体はまだ動かない。 だいぶ痛みは引いた気がしたが、それは回復魔法による一時的な処置だ。 腕も足も動かない。身体中を添え木で固められているせいだった。
「アルス。……アルスくん、聞こえますか」
教会の神父の声がする。 どうしてこんなところにいるのだろう。
「……あの」
ようやく言葉が出た。
「ここは?」
目がしっかりと開くと、私は教会の奥部屋に眠らされていた。 一度だけだが入ったことがあるので、間違いない。 メインとなる礼拝堂の奥に、僧侶たちによる準備室があるのだ。 神父は手をぽうと輝かせ、私をまっすぐに見つめている。
「喋ってはいけません。まだ傷が塞がりきっていないのですから」
「そうよ!そうでなくても、毒を受けたの。解毒と治癒との両方は、一度にできないから……」
横から声を挟んできたのは、神父と一緒に教会を運営している女性だった。 主に町内の寝たきり老人の世話などをしている人だ。 神父は穏やかな表情だったが、彼女の方は切羽詰まった顔をしている。
「私は、いったい?」
「魔物に襲われたのです。覚えていませんか?」
「まもの……?」
……ああ、と私は呟く。 そして目を閉じた。こうすると、よりクリアに情景が思い浮かんでくる。
オルテガの生家は外へ通じる西門のそばだ。 ナジミの結界が張られて以来、危険なモンスターが街に近づくことは少ないが、それでもまれにある。 中でも飛翔する大ガラスのような斥候モンスターは、こちらの油断を狙っている。 外門の見張りに隙があれば、いつでも街内に侵入しようと。
「……あの、黒いやつですね」
その朝、いつものように素振りをしに家を出た時だった。 突然黒いモンスターが降ってきたのだ。 飛翔モンスターだったが、大ガラスのような形ではなかった。 もっと人間のような形と、顔を持っている魔物だ。
”オルテガの息子、アルスだな”
魔物は、人間の言葉で言った。 ”その命、もらい受ける”
蝙蝠に似た翼を広げ、鋭い爪で斬りかかってきた。 とっさに、素振り用の木刀をかかげようとして、私は足をとられた。
”甘い。暗殺を一人で試みると思うか?”
”人間じゃあるまいし”
ボコボコボコと土を持ち上げ、地面の下から姿を見せたのはモグラのようなモンスターだった。 だが巨大だ。身の丈は当時の私の二倍はあった。 私の足を掴み上げると、大モグラは一気に姿を見せた。
”死ね”
”死ね、勇者”
彼らには殺意しかなかった。
「……空と、地面から襲われて……。魔物は、どうなったんです?」
まさか私が倒せたはずもない。 悲鳴を上げ助けを求めることすら、できたかどうか。
「オルテガさんの家は、外門の近くですからね。巡回の兵士が声に気づいたのですよ」
「それと、おじいさんがね。魔法でやっつけたのよ。さすがにオルテガさんのお父上、お強いわ」
そうか、と私は呟いた。 「魔物は倒された後、外門外に捨てられました」
「……ああ、ほら、動かないの。解毒してもすぐには抜けきらないのよ。 毒素によって体力も落ちているから、もうしばらく眠っていなさい?」
困ったな、と私は息を吐く。 「ありがとうございます。助かりました……」
「いやいや。あなたの体力が毒よりも優っていたからです。 襲われて、その上毒を受けたというのに、ここまで保った幸運を神に感謝なさい」
「それと、助けてくれた兵士さんたちと、おじいさんにもね。 本当に危なかったんだから」
「……はい」
私がうなずくと、女性は不思議そうな顔をした。
「けど、どうして外壁の中に侵入してきたのかしら。 アリアハンはナジミの結界ができて以来、ずっと平和だったのに……」
「魔物と言えど、結界が通じにくいものもいるのでしょう。倒されたのですから、良しとしますよ」
「あら、神父さん。そんなことではまたいつか同じことがあるとも限らないわ。 原因はちゃんと考えなくちゃ」
「それは他の方にお任せしましょう。……それはそうと、今日の宅訪問はどうなっています?」
「ああ!いっけない。忘れるトコだったわ!」
「お願いしますよ。アルスくんも大変ですが、あなたの訪問を待っている人々がたくさんいるのです」
「はいっ!行ってきます。それじゃあアルスくん、ゆっくり眠っているのよ」
こくりと私がうなずいて答える。
「……アルスくん、一つ聞いてもいいですか?」
神父は言う。
「何でしょう」
「なぜ、男の子のふりを?」
どきんとして、私は目をさまよわせる。 オルテガが亡くなって、勇者となることを決めて以来、私は男装を通していた。 元々、名前はアルス。男っぽかったので、周囲もあまり気にせず受け止めてくれた。
「その方が、勇者っぽいでしょう?」
私が言うと、神父はため息をついた。
「あなたは、勇者というものを聖別しすぎていますね」
「……せいべつ?」
「聖書に曰く。勇者とは他者に勇気を与えし者の呼び名。 男であろうと女であろうと関係ありません」
「……でも、神父さん。勇者は男の方が、嬉しいでしょう?」
アルス。その名前が連想させるのは。 精悍で、優しく、見目麗しい勇者。
「オルテガさんは、例え女性であっても、きっと勇者と呼ばれましたよ」
それはどうだろう。 オルテガが女だったら、城の兵士にはならなかったに違いない。 祖父に魔法を習って、ごく普通の城づき魔法使いになったのではない?
私が納得のいかない顔をしているのを、神父は苦笑して見下ろした。
「とにかく、眠りなさい。あなたは疲労しすぎているのです」
そう言って、神父は短い呪を唱えた。 それが何の魔法であったのか、私はにわかに眠気に襲われた。 瞬く間に、私は眠りに落ち。 次に気づいたのは翌朝だった。
※※※
魔物からの襲撃は、それから約半年後にもあった。 三度目の襲撃があった日、母は観念したように私に告げた。
「アルス、名前を捨てなさい」
……どうして、と私は尋ねる。
「名前を捨てなさい、アルス。この名前は魔物を引き寄せる」
どうして。
「オルテガがあなたに残した、唯一のものだけど。 やはりあの日、もっと反対しておれば良かった。 こんな名前をつけるのは精霊への冒涜だと、もっと反対すれば良かった」
どうして。
母はそれ以上説明せず。”アルス”はこの日消えた。 世界の希望となるはずだったオルテガの息子・勇者アルスはこの日死んだのだ。 世界的に。
「嘘でしょう?」
勇者アルスが死んだと聞いて、わざわざ出向いてきた人がいた。 アリアハンの王妃だ。 流れるような金の髪を豪奢に結い上げ、髪色が映えるドレスを身につけている。 五人もの従者を連れ、立派な馬車で家に出向いてきた。 王妃が一介の住民の家にやってくるという事態が珍しく。外には見物人が山になっている。 かく言う私もその一人。邪魔にならないようこっそりと、階段の影からのぞいていた。 言い争う母と王妃とを見比べる。気の強さでは、どうやら互角だ。
「嘘でしょう。 国王があんなに期待している人の息子よ?あっさり死んでしまうはずないでしょ?」 黙ってないで、何とかおっしゃい!」
王妃は美しい指で母の首を締め上げ、叫ぶ。 母は何の反論もせず、王妃をまっすぐ見つめ返した。
「アルスはもういません」
「その説明をしろと言って……!」
「アルスは魔物に殺されたのです。それ以上の説明は必要あるでしょうか」
「精霊に祝福された名前よ!?その持ち主が死ぬはずがないでしょう!!」
「……アルスはただの人間です!」
王妃の手を払い、母は怒りを隠さずに叫び返す。
「それを!勝手な期待だけで勇者に祭り立てないでください! あの子はただの人間……幾度となく魔物に狙われて、成人まで生き延びられるとお思いですか!?」
「……オルテガの息子よ。死ぬわけないわ」
「オルテガが勇者と呼ばれたのは、もうすでに戦士として一人前になった後です! あの子は、まだ子どもなんですよ!」
「それが勇者なら、精霊が護るわ!」
「どこに……その保証があるって言うんですか!」
「あるわよ!」
王妃は忌々しげに言い捨て、ざっと入り口へと向き直る。 こっそりとのぞいていた私は、ぎくりとしてあわてて姿を隠した。
「お待ちなさい。王妃の前から逃げるおつもり?」
ぐいと首を掴み上げられ、私は王妃を見返す。 我ながら情けないが、恐怖に彩った顔をしていたに違いない。 男でも女でも通用した10才のころと違い、私はふっくらとしたラインを隠せなくなっていた。 女であることは一目瞭然だ。
「これは、何?」
王妃は母に詰め寄る。これとは、私のことだろう。
「……妹です。アルテアと」
「ふん、こざかしい嘘を。これほど精霊に祝福された瞳をして、アルスでないと言い張るつもりね?」
「その子は……!」
「アルス」
王妃は言った。私を見ながら。母が何事かを叫ぶのを一切無視して。
「”アルス”は精霊が予言した勇者の名前。あなたは必ず勇者として旅立つでしょう。 他ならぬオルテガの息子として!そして、精霊に選ばれた者として!」
そしてどさりと私を落とした。 あまりの強さで締め上げられ、息ができずにいた私は、荒く息を吐き出すのに精一杯で。 王妃が悔しそうに残した言葉までは聞き取れなかった。
「……私は王子を産めなかった。 アルスの名をつけた王子を、どんなに生みたかったことか。 アリアハンの勇者にして王子アルス!どんなに輝かしい未来であったろう!」
首筋に残った細い指の痕は、この後しばらく消えなかった。
※※※
王妃の訃報を聞いたのは、その翌年のことだ。 元々身体が弱かったのだと聞いた。王女を生んだことで、子どもが産めぬ身体となったという。
「国王さま……」
オルテガの妻と子として、謁見の間に進んだ。 本当は、この時の私はこの場に現れる資格を持たなかった。 オルテガの意志を継ぐわけでもない、ただの女の子だったからだ。 弔問のために訪れた各国からの使者とは別に、私的な招待として私たちは招かれた。 「オルテガの子だな?」
国王は言った。母が大臣と話をしているのをちらりと見た後、私をこちらへと手招きする。 私が戸惑っていると手招きを大きくした。
「そなたが旅を選ばぬと知って、ショックは大きかったが……。 今にして思えば、そなたの母の英断だったのだ。当然だな」
「え?」
「あの時、我々はオルテガを失い、道を見失っていた。 どうしたらいいのか、一寸先が闇に包まれたような絶望の中にあった」
国王は遠い日々を思い出すような目をした。
「思えばオルテガは、私たちの希望でありすぎた。オルテガに頼ることに慣れ……他の方法を忘れていた」
そう言えば、国王は王子のころからオルテガの知り合いだったのだ。 親友だった、とは国王が後に漏らした言葉だが、それは言い過ぎにしても近しい仲だったのだろう。
「どうしてです?」
「オルテガが、必ずや希望に答えてくれる男だったからだ」
「オルテガが悪いんですか?」
「違う。それは違うぞ。オルテガが偉大だったというだけだ」
私の問いに、国王はあわてて否定をした。 「オルテガは偉大だった。そして、心優しい男……だった」
だった、が悲しい。 過去の思い出は美しいと言う。 まして立派な勇者だったオルテガは、国王の中で、なおいっそう輝いているのだろう。
「そなたに過重な負担をかけるところだった。すまぬ」
国王なのに、彼はそう言って詫びを言った。 ただの女の子にしか過ぎない私に、直接話しかけた上に詫びた。 国王ならばそんなことをするべきじゃないだろうに。
母は嘘をついたのだ。 オルテガを失った国の希望を消さないために、未来の私を勇者に祭り上げて。 いや、あの時は本音だったかもしれない。 オルテガの無念を晴らしてくれる勇者に、”アルス”ならなると思ったのかもしれない。 だが、たびたび襲ってくる魔王軍相手に、母は恐怖にかられたのだ。 この頼りなく小さな娘では、旅立ちの前に殺されると。
「……国王さま」
私は尋ねる。
「勇者が女では、がっかりしますか?」
「何?」
「母は、ああ言いましたが、アルスでなくなっただけです。それではだめですか?」
「何を……」
「”アルス”は狙われる。当時はよく分かっていませんでしたが、今なら分かります。 この名前は特別だったのでしょう? どうして父がつけたのかは知りませんけど。 ”アルス”だから、ああして魔王軍は居場所を探って襲ってきたのでしょう?」 「……そうだ」
国王は認めた。 結界を張られたアリアハンの国内で、まして外壁内に魔物が侵入するなどおかしいのだ。 やつらの狙いは、ただ一人。私でしかなかった。
「母には内緒ですが、私、今でも剣の練習を怠ったことはありません」
私は言った。
「オルテガの娘アルテアでは、希望にはなれませんか?」
国王は絶句した。
「母がそう言ったからでも、父の後を継ぐのでもなくて。 私が行きたいです。それでは、だめですか?」
王妃が私の家を訪れてから、私は祖父や母に事情を聞いて調べた。 剣にばかり熱中して勉強を疎かにしていたので、魔法関連の本を読むのは大変だった。 それでもなんとか分かることもあった。 ”アルス”は精霊ルビスが勇者に与えた名前なのだ。 この世界には神と、魔と、精霊がいる。 各地の教会・神父や僧侶たちが力を借り、奇跡を起こす源となるのが神。 魔法使いたちがその理を知り、結界や旅の扉のような大がかりな装置に利用する力の源が魔。 そして、人々の運命を祝福するのが精霊。
勇者は精霊に選ばれた存在だという説がある。 その名を……”アルス”。
オルテガはきっと、自分の敗北を知っていたのだ。 あるいは、希望を残しておきたかったのだ。 勇者と呼ばれたオルテガの希望。 それが”アルス”。
「アルテア……そなた……」
国王は目を大きく見開き、だがぶんぶんと首を振って私を見つめる。
「ならん。ならんぞ。 女子であるそなた一人を犠牲にして平和を守ろうなど……」
「違います」
私は首を振る。
「犠牲じゃありません。それに、まだ達成できるかだって、分かってません」
国王の目をまっすぐに見つめる。 美しいヘイゼルの瞳だ。王妃の迫力の青い瞳とは違う、アリアハン人らしい色。
「勇者を待っているだけじゃだめなんです。 だって、もう”アルス”はどこにもいないのだもの。 オルテガも、きっとそう思って出発したんだと思います」
国王は顔を歪めた。 認めたくないことだっただろう。 一度”アルス”に希望を託してしまったら、それ以外の選択肢はそうそう浮かんでこないだろうから。
母の選択が間違いだとは思わない。むしろ大正解だと感心してしまう。 ”アルス”が魔物に殺されたと知った世界中の人々は、自分たちだけでも助かるために奮闘する。 それが一日でも長く、人々の生活を守るといい。 私はまだ未熟で、勇者には届かないから。
「私が行きます。 でも、私一人の勇気では足りないから”行け”と命じてください。 途中で諦めて帰ってこないように」
国王は泣いた。 国王の威厳なんか欠片もない。みっともなく、顔をぐしゃぐしゃにして、ボロボロに泣いた。 あわてたのは側近たちだ。なんとか国王の涙を隠そうとしていたが、無駄だった。
「オルテガ……!オルテガ……っ!すまん、俺は……俺は、なんと無力だ……っ!」
後にも先にも、国王から”俺”なんて言葉が出たのはこの時だけだ。
ひとしきり泣いた後、国王は私の肩を抱いた。 国王の威厳をしっかり見せて、まっすぐに私を見つめて言った。
「アルテアよ。オルテガの娘よ。 そなたをアリアハンは支援する。必ずや、勇者として魔王を倒してきてくれ!」
「はい」
私は笑った。
「頑張ります」
だって、私は勇者なのだから。
※※※
16才の誕生日。
私はアリアハンを後にする。 国王から受け取ったサークレットを身につけて、アリアハンの勇者アルテアとして。
剣はだいぶ上達した。対人相手であれば国中の誰にもひけをとらない。 魔法はまだまだだ。発動が安定しなくて祖父はちょっとだけ不安そうだった。 私の決意を聞いた母は、あれから一度も反対しなかった。 勇者の母として。オルテガの時そうしたように。
「ねえ、お母さん」
「どうしたの、アルテア?」
「私は勇者になれると思う?」
「愚問ね」
「そう?」
「あなたはもう勇者なのだから。勇者として誇り高くありなさい」
「そっか」
「そうよ」
世界中の希望となろう。 ちっぽけな女の子でしかない私だけど。 私の名前を聞いて、誰かが元気を出せるような一人になろう。
「それじゃ、行ってきます」
世界は精霊に祝福されている。
今、この瞬間も。
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