<外法4>

 現れたのは袴姿の若い女である。険の強い瞳でねめつける様は都合が悪い。風祭の機嫌が曲がる。
「その方ら、裃の家紋から判ずるに井上筑後守に連なる者か?」
「そういう貴女は、臥龍館の桧神美冬殿ではござらぬか。渡りに舟とはこのこと。助けてくだされっ」
 どこにそれほどに余裕を残していたのか、武士達が美冬の後方へと回る。美冬の柳眉が顰められた。武士達はそれに気がつかないようである。
 美冬の後方で囃したてる姿に、風祭や桔梗の眉根も寄せられた。
 先ほどから気がついてはいたが、彼女達は武士のこういう態度をいたく嫌っているようだった。
 武士の口上が耐えかねたらしく、素早く抜刀した美冬が刀のみねで手荒く打ち払う。鈍い悲鳴が上がった。
「町人風情に舐められおって情けない!その刀は飾りか!」
「お、おのれ……」
 揃わぬ足音を立てて逃げ去っていく武士達に、美冬は嘆かわしげに溜息をついた。
「全く不甲斐無い。あのような輩がいるから剣の道が錆び付くのだ」
 細い音を立てて収められる刀。風祭が小さく賞賛の声をあげた。
「さて、その方らだが」
 彼女は詮議に偏りはないらしい。見逃してはくれないようだ。
「幕府の息のかかった者と知りながら、それを愚弄するとは大した度胸」
「ふん。偉そうに」
 風祭が鼻息を荒くする。彼女の態度はむしろ状況からすれば好意的なものであった。
 それは彼女自身現状の曰く不甲斐無さ――に嘆いているのであるからだろうが、声音に潜んだ幕府の影にすっかり風祭の賞賛の色は消え失せた。
「てめえもあいつらも、所詮鎖で繋がれてる犬コロじゃねえか」
「ほう……よほど武士の刀とやりあいたいと見える」
「望むところだってんだ!かかってきやがれ!」
 構えをとる風祭に美冬は反対に刀から手を離す。
「威勢がいいのは認めてやろう。とはいえまさか、その無手と……三味線のバチで私の剣の相手をするつもりか?」
「流派は自由だろう」
 風祭の一層の噴出が予想されたので、龍音が小さく言い添える。
「これは失敬。それもそなたの大切な武器であるといいたいのだな。全く舐められたものだ」
 風祭の瞳がカチンと揺れた。
「役不足だって言いたいのかい?」
「どこが、どう足りると?」
「てめえ――」


「ははははは!」

 色を変じた風祭の瞳が勢いを止められた。その場の四人が振り向くと、そこには槍を抱えた坊主がいる。
 不殺を訓戒とする坊主が持つには物騒な獲物だった。
「噂に聞こえた剣術道場臥龍館の桧神美冬。そう小耳に挟んでくれば世の中奇遇なものだ」
「九桐!」
「何でこんなところに」
「はははっ、元気だったか?……おや、そちらの御仁は?」
 九桐は胴着姿の龍音に目を留めるが風祭がそれを遮った。
「そんな話は後だ、後!」
「そうだな。それよりもそちらの相手が先だ。そうだろう、桧神美冬」
「ふっ、臥龍館の名を知りながら怖気づかぬことは誉めてやろう」
 美冬は九桐にのみ視線を向けている。如何にも腕の優れそうな槍をもつ坊主の出現に、剣士としての血が騒ぐものがあるらしい。
 そこに、美冬を捜した門弟らしき者たちが駆けつけてくる。
 九桐が美冬と仕合いたいのであれば、露払いはこちらで引き受けるべきか。
「この者たちは町の平穏を乱す不届き者だ。私が、ちょっと人の道と言うものを教えてやろうと思ってな」
 事も無げな美冬の声に、龍音はぴたり視線を止めた。


「九桐」
 掠れた呼びかけに視線を向けると、龍音がひたと美冬を見つめている。
「譲ってくれ」
「君が桧神とやりたい、と?」
 計るような視線に、龍音は小さく頷いた。
「人の道というものに、興味がある」
「何だ、我等に勝てるつもりか!?」
 二人の会話を聞きつけた門弟が声高に叫ぶが、九桐は面白げに龍音を見やると残念そうに吐息を吐いた。
「仕方ない。では村に戻ってから、俺と死合いをしてくれよ」
 それから、門弟達ににやりと笑ってみせる。
「看板が大事なら、手を引いたほうがいいぞ」
「ふ、ふざけるなっ」
 強さの第一は、し合う相手の強さを見抜くことから始まる。九桐はただ笑って見せるだけだった。
 一歩踏み出した龍音の姿に、美冬が冷たく吐き捨てた。
「敗れたところで、何も失うものなどない。ここで背を向けるくらいなら死を選ぶ」
 "武士"の言葉に桔梗が小さく罵り声をあげた。潔くとも、潔くなくとも気に入らない様子だ……。
「そうか」
 短く九桐は呟くと、お手並み拝見だ、と言った。
 小さく龍音が足を引く。


 幾度目かの袈裟に美冬は焦りを覚えた。
 始めの一撃に、赤い道着の武道家はかなりの余裕をもって避けていたが、その余裕が段々と狭められている。
 始めこそ美冬の斬戟に避けられなくなっているのだと過信できたものの、真黒の瞳は以前静かに美冬の視線を眺めていて余裕がないように思えない。
 まるでどこまで紙一重に避けられるかを試されているかのようだ、と思う。
 始めに間合いを掴んでいたのは美冬であったはずなのに、今では足捌き一つでことごとく間合いを外されている。
 美冬の後方に居た門弟の一人が「避けるばかりなど」と悪態をついたのが聞こえるが、当の美冬はそれほど実力を掴めないわけではない。
 この華奢な、どこの馬の骨とも知らぬ相手は淡々と美冬の力量を暴いていっている。何重にも纏った皮を一つ一つ剥がされていくような感覚は恐怖とも呼べるものだった。
「どうした」
 脳内を掻き乱すような酩酊感。掠れた声音に美冬は刀を引き戻す。
「人の道を、教えるのではないのか」
 皮肉の色はなかった。
 むしろ請うような響きに困惑を覚えながらも美冬は不敵に微笑み刀に氣を込めていく。
「受けてみよ――」
 氣を放つと同時に斬りかかる。
 武道家は避けない。ぎりぎりまで間合いを見計らっているのか。
 避けない。
 避けない――。
 美冬の刀が揺らいだ。


 龍音は半円を描きながら美冬の刀を避けると冷たい冷気を纏う。急激に冷えた氣が周囲の水分を結晶化し、春の江戸に華が咲く。
 美冬が膝をついた。
「お見事」
 既に周囲の門弟達は昏倒している。九桐が微か笑いながら言ったのが、戦闘終了の合図になった。


「くっ……何故だ。何故……お前のような奴に」
 黙して語らぬ龍音の後方、槍を背負った九桐が事も無げに言い放った。汗一つかいてはいない。
「女だてらに腕はたつようだが、見せ掛けの剣ではその男には勝てない」
「見せ掛けだと?」
 聞き流すには許せない一言に美冬が憤る。坊主は説教をするものだったか、と龍音は思った。
「そうだ。闘ってみてわかった。君には護るべきものがない。失って傷つくものがない……」
 ふと遠い瞳をする九桐。
「つまり、背負っているものが何もないのさ。向く先に迷う剣はその鋭さを失う」
 美冬は小さく唇を噛んだ。
「強さというのは、何かを護ろうとする意思。失うことの怖さも知らないで、何も失うものなどないとかは……言わないほうがいい」
 龍音が視線を九桐に向けた。どこか物問いたげな視線である。
「そしてもう一つ。……これは、闘った彼の口からのほうがいいんじゃないかな」
 九桐はその問いには答えず話を振る。困ったように首を傾げる龍音を無言で促した。
 だらんと両手を落とした様で、龍音が小さく呟く。
「美冬の剣は、試合の剣だ」
「なっ」
 明け透けな物言いに、九桐が苦笑する。
「無闇に真剣を振り回す素人よりも、人を殺めまいとする達人のほうが、避け易い」
「君は、人を殺めたことがない。闘う時に、一撃で相手を倒そうという気迫が感じられない。それが剣気を鈍らせているのさ」
「な、何をくだらぬことを……」
 狼狽する美冬。
「情けなど無用だっ!私は、貴様に敗れたっ、止めを刺せ!」
 桔梗が眉を顰める。
「早くしろ!」
 くどう、と小さく呟き、龍音が九桐を見上げた。どうすればいいのか、と道を問うているかのような視線だった。
 溜息をついて、九桐が当身を食らわせる。美冬はくたりと崩れ落ちた。
「やれやれ、困った女だ。少し静かにしていてもらおう」
「何だよ、殺さないのか?」
 暇そうに様子を眺めていた風祭が美冬を見下ろして言う。
「殺すまでもない、今回のことでこの女も学んだだろう。自分に、何が足りないのかをな」
「フン、甘え奴」


「どうだい、君の求める人の道とやらは、この女と戦うことで見つかったか」
 九桐の問いかけに龍音が振り返る。黒髪がさらりと揺れた。
「人を」
 感慨ない呟き。
「人を傷つけることが、恐ろしいようだった」
「君が桧神美冬を仕留めなかった理由とは違うと?」
 真黒の瞳からは感情が見えなく、どこかぞっとした空白感を覚えさせる。
「人間も、物も、大地も……」
 いつかほろびるものだ。
 真黒の瞳はどこか謎めいて揺らめき、龍音は小さく笑った。
「背負うもの。護るもの。何かを殺めまいとすること。それは人間の美徳と思う」
 君には、という視線に龍音は気がつかなかったようだった。


「……さて、と。挨拶がまだだったな。俺の名は九桐尚雲という。君は……緋勇、というのかな?」
 訝しげに首を傾げる龍音。
「ああ。緋勇龍音という」
「新しく村に来たあたしたちの仲間さ。――何で知ってるんだい?」
「何、先日同じような名前を聞いたことが……うん?あったかな?」
 やはり訝しげに首を傾げる九桐。
「まあ、よろしく頼む。緋勇殿とやら」
 頷く龍音に九桐は破顔すると小さく言い添えた。
「約束の仕合いは若に報告を済ませてからだな」
「そうだよ。江戸に戻ってきてたなら、早く村に顔を出したらいいのに」
「挨拶はそれぐらいにしてさ。それじゃ、そろそろ村に戻るとしようかね」


「ああ……土産話がたくさんある」
 九桐は槍を背負い路地裏から表通りへと歩いていく。
 町は以前活気に溢れ、うっすらと暗くなっていく中龍音たちを飲み込んでいった。
 この町の賑やかさを、江戸に怨嗟をあげる者たちはどう感じているのだろうか。
「この国がこれからどこに向かおうとしているのか。大きな時代の流れの中、いくつも道はあり、ほんのすこしでそれは変わってしまう」
 背負う槍の穂先は鋭い。不殺を背負う坊主としてはあるまじき、破戒僧としての姿。
「我々はどの流れを進むべきなのか?」
 それは自問だ。
「その道は良き流れなのか悪き流れなのか。それを見極めねばならん。……さもなければ、この国を変えようなどできるはずもない」


 九桐は村へと歩く道の中、風祭について歩く龍音をちらりと見やった。
 女だと聞かされて驚いたのは、彼女がそう見えなかっただけではなかったような気がする。彼女に似ている、と思ったからだ。
 白い羽織に金の龍。赤いものは流す血だけ。同じような白い羽織を着ていても、赤をふんだんに纏った龍音とは、どこか違う気がする。
 それに彼女は、こんなにも凪いだ氣はしていなかった。
 震えるような憎悪と、悲哀とに満ちていた。
 はた、と九桐は首を傾げる。
 彼女とは誰だ?


「九桐」

 立ち止まった様子を見咎めて、龍音が振り返ってこちらを見ている。
 なんでもない、と曖昧に笑うと小さく笑いを返してくる。
 それは荒涼とした九桐の心を、不思議と暖めるものだった。


 知らない第一の交わり、繰り返す輪廻。

 それこそが、外法。




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(11/03/20)