<外法3>
内藤新宿は甲州街道に開いた宿場町として発展した。そのため外から来るもの、内より出るもの、と人々の行き来で絶えない。 「賑やかだな」 きょろきょろと辺りを見渡す龍音に風祭が苦情をつける。 「田舎ものみたいにきょろきょろすんなよな。見るなら下見とけ。馬糞踏んでもしらねえぞ」 「内藤新宿はそれだけ人の往来が激しいってことさね。情報の行き来も……ね」 なるほど、そのためこの地で情報収集なのだろう。 それだけ情報が集まるならば、宗崇を知る者もいるかもしれない。龍音は瞳を細めると俄然やる気が湧いてきた。 「さて、じゃあ始めよう。手分けするのが手っ取り早いとあたしは見たが――」 「何!おい桔梗、朝にも言ったけどよ、俺はもうこんな奴のお守りはまっぴらだからな!」 「我侭いいなさんな。これは任務なんだよ」 「けど、こんな奴とじゃ足引っ張られちまうぜ。一人でやったほうがよっぽどましだ!」 大体、お前やる気あるのかよ。と龍音を見やった風祭だが、龍音の手は既に風祭の着物の裾を掴んでいた。 早く行こう、と瞳の深みが増している。 「おい」 「どうやらたーさんは坊やと一緒の方が実力を発揮できそうだね」 「待て」 「じゃ、あたしは花園稲荷のほうに当たってみるよ。仲良くしなよ」 「おい桔梗、こいつ違うことに対してやる気があるんじゃ」 桔梗が手を振る中、風祭は嘆息を洩らした。 「おい龍音。何を探るのかはわかってんだろうな」 「幕府の動向」 「そうだ。わかってんじゃねえか」 「ああ。だからちゃんと宗崇については控えめに聞く」 「……」 「仕方ねえ、行くぞ!まずはその辺の露店からだ」 やる気があれども良い聞き込みの仕方など龍音はなれていない。まずは風祭のやり方を見学してみようと思った。 「香具師ってのは情報を色々知ってはいるが、ずるいやつがおおいからな。騙されないように気をつけろよ」
道に品物を広げ露店を開けている香具師達、近づく人影に顔をあげる様に風祭は威権高に言い放つ。 「ちょいと聞くがよ」 喧嘩ごしだ、と龍音は思った。 「大きな声じゃいえねえが、最近幕府の方が慌しい感じだよな。それがどうしてかしらねえか」 「ああん?」 「何か、普通じゃないことを始めてたりだよ」 「ふぁ〜あ。んなもん、俺達にはどうでもいいことでしてねえ」 馬鹿にされている。この態度はもしくは金銭の要求をしているのではないか。だが風祭がそんな裏の汚濁を気にするとは思えない。 「お前等にはよくても、俺にはよくねえ。何か知ってるだろ?」 「ひひひっ、他人様のことにまで気を払ってちゃあダシガラになっちまいわさあ」 「違いねえ、小さいダ・ン・ナ!」 ピシ、と風祭の背中が強張ったのを見て龍音はその背に手を伸ばした。 「てめえらっ!……なっ、何しやがんだ龍音」 声と共に腕を振り上げた風祭、龍音はその手を止めようと抱え込んでいる。 「澳継、目立つ」 「こいつら俺をチビといいやがった。俺は決めてるんだよ、そういう奴はもれなくぶったおすってな!」 風祭の目は真剣だ。少し薄い色をした瞳がギラギラとしている。手を離したらその途端に拳を振り下ろすだろう。 「ひぃ、こええ……目が本気だ……」 香具師達にもそれは伝わったらしい。先ほどまでの軽い調子が失せ一様に青ざめていた。 「はなせっ」 龍音と風祭の体格はほぼ同じ。筋力的にはどうしたって風祭が勝る。ずっと留め置いておけるものではない。 抑えきれない様子に香具師達はいよいよ緊迫感が高まったらしい。風祭に拳を振り下ろされようとしている者以外が声をあげて逃げ出していく。
最後の一人が腰を浮かせかけた途端、龍音は風祭の拘束を外した。その代わりに香具師の足を蹴り払う。 「うぎっ!?お、俺は?」 無様に転げた様子に風祭の口の端が吊りあがった。 「ひひひ。どうなんだよオイ。喋るか、それとも……」 ぐっと拳を作る様子に香具師は必死で手を振るが、風祭の瞳はもう笑っていて暴力に出る様子はなさそうだった。 「喧嘩売ってきたのはお前等だぜ。適当なこといって煙にまこうったってそうはいかないからな!そうだろ龍音」 龍音はやや首を傾げ、掠れた声で囁いてみせる。 「……今度は、止めない」 「その通りだぜ!」 「ほ、本当に知らないんだよ!」 脂汗を浮かしながら香具師。 「幕府のことなんてそうそう耳に入ってこねえ。危ない橋は誰だって渡りたくねえだろうが!」 「そいつは嘘だな。そんな奴が香具師なんざやるかよ」 「あっ、ぶたないで。いや、でも長州がキナくさいのはいつも通りですし……あ、そういえば」 「なんだよ」 「幕府と関係があるかは知りませんが、面白い話を耳にいれましたよ。昨日かおとつい、槍をもった坊主が浪人相手に大立ち回りしたとか」 「何……?」 槍、といったところで風祭の顔色が変わる。 「それで?」 「は?」 「勝負の結果だよ!どっちが勝ったんだ」 「見てないって!そ、それじゃあな!」 注意がそれたと見た香具師は素早く荷物をまとめて逃げ出すが、風祭は既に気にかけていない。 「知り合いか?」 問う龍音に風祭は首をひねるとどちらともつかない返事をした。 「槍をもった坊主……まさかな」
「坊や、たーさん!」 その場を離れると程なく桔梗の声が呼びかけてくる。 「そっちの首尾はどうだい?」 「あー。ちょっと気になることがあるぜ。帰ってから話す。そっちは?」 「大した情報はなかったね。内藤新宿でも鬼は引っ張りだこだってくらいさ」 軽く肩を竦める桔梗。目立ちたいと思わないならば、もっと目立たない格好をするべきなのではないだろうか、と龍音は思わないでもない(その龍音もまた目立った) 「物好きが多くてうっとおしいたらないぜ」 「聞き込みは根気が必要だよ、さて次はどこに――」
「さあさあ、お立会い!」
威勢のよい声が聞こえてきたのはその時だ。見ると髪を短く切った女が一人、高台の上で瓦版を片手に演説を打っている。それだけならよく見る光景だが、そこに載せられた口上は、無視するわけにはいかなかった。 「内藤新宿を見つめる鬼の双眸!しかし今度は殺しじゃあない、煙のように姿を消す、問答無用の神隠し!」 龍音は桔梗を振り仰いだが、彼女は眉を顰めて訝しげにしている。 「消えた者の行き着く先は、鬼の手下か三度の飯か!?怯える心を照らす一筋の光明、この杏花姉さんの瓦版。今ならたった二十文ときた。さあさ、買わないと損だよ!」 確かに上手い、と龍音は少し笑った。テンポの良い口上は流されて悪くない思いになるし、彼女の言葉に頷けば、龍音はまさしく"鬼の手下"だ。 四方八方から瓦版を求める声が相次いで、杏花は忙しげに動いている。 「鬼に、神隠し……?」 「気になることをいってやがる。一つ買ってみるか」 頷く龍音に風祭はひとりごちる。 「そうとも。鬼って聞いて俺達が見逃すわけにはいかないぜ」
「へぇ、あんた達随分と鬼に入れ込んでるのね」
間近で聞こえた声に風祭はぎくりと肩を震わせる。近くにいることを失念していたわけではないだろうが、雑踏の中の言葉など聞こえていないだろうと思っていたのだろう。 「評判だから」 風祭の肩口から龍音。掠れてはいるがどこか酩酊を誘う声に杏花は幾つか瞬きをする。 「熱心なお客に売らない手はないわね。はい、どうぞ」 桔梗が素早く代金を支払うと、龍音は記事に目を通した。御伽草子を見ている気分にかられる。何人が真剣に読むのだろうか。そう思ってから真剣に読んでいるのは龍音もだ、と気がつく。 「本当に興味があるのね」 思わず見上げた龍音に杏花は少し笑うと、遠野杏花と名乗った。町人のように住まっているが、名のある家の娘なのだろう。 「何か、この町で起こってることで知りたいことがあったらあたしに聞いて頂戴ね」 「ああ」 「それで事件に巻き込まれてくれたらまた記事にするから!」 風祭は呆気にとられつつもそれなら、と口上を始めようとする。 「行こう」 軽く龍音が風祭の着物を引く。 「何言ってんだよ。この姉ちゃんに聞きこみすれば色々」 「煩いね。ほら行くよ」 右手を龍音に取られて物陰に連れて行かれる風祭と連れそう桔梗。そんな三人の姿に桔梗は僅か首を傾げた。 彼女は瓦版書きだ。耳ざとい。 「聞き込み……って、何よ?」
「何だよ」 「目の前に真っ直ぐな道があるのに、遠回りする奴があるかい。ほら、そっちに耳をそばだててごらん」 先ほど杏花の元に集まっていたのは町人だけではない。 覗きこんだ先には、二本差しの武士の姿があった。 一転注意がそちらにむいた風祭に続こうとする龍音を桔梗は軽く止めた。 「"色々"……聞いてみないのかい?」 「……紅蓮の髪の、と聞けば、天戒に繋がるかもしれない」 すると、上手い聞き方がわからなかっただけだ、と告げて龍音は視線を外した。
「まさか、あのような市井の瓦版屋があれほどまで嗅ぎ付けていようとは」 「気にすることはない、幕府という後ろ盾の前には些少なことよ。なに、そなたが言いたいことがわからぬわけではないが」 「然り。神隠しは……あくまで鬼の仕業」 「町人の目が煩くなってくるのは芳しいことではないな」 「うむ。一度小日向に戻り重久様にご報告するか」
「あいつら……」 「随分と、無用心な会話だな」 「おかしなのが居ると思ったら案の定だね」 声高な風祭の聞き込みにも閉口したものだがこの分ではそれほどおかしいことでもないのかもしれない。気を回しすぎなのか、と龍音は思うが案じるにこしたことはないはずだ。 まして、龍音が捜すのは単なる人ではないのだから。 「行くかい?」 「当たり前だ。ああいうのをぶっとばして聞き出すのが一番手っ取り早いぜ」 「……澳継らしい」 そいつは馬鹿にしてんのか、と眉を顰める風祭。 「フン。……やってもいねえ人攫いの罪状被るほど、俺達はお人好しじゃねえ!」 「その通りさ。行くよ二人とも」 それは、矜持か。 修羅を進むと。鬼となると決めた者達が拘るには、余りに生易しい言動なのではないか。 鬼と名乗れど人間。目的は人を喰らうことではなく世直し。維新志士と心根の源流は同じなのか。
憐れみを持つ、鬼道衆には似合いなのかもしれないけれど。
それにしてはあの村は愚直に過ぎるのであった。心にあるものが私憤による復讐心だからだろうか?
「思い立ったが吉日。すぐに小日向に」 頷きあう武士達に風祭が鋭い怒声を浴びせかける。 「まちな」 「何奴?」 「まだ日は高いよ。随分と早いお帰りだね」 「何だ貴様等、先ほど瓦版屋のところに群れていた……」 「おやおや、どうしてそんなに周りに気を払ってるんだい?何か後ろめたいことでも?」 不思議そうに顔を傾げる桔梗に風祭が言葉を継ぐ。 「そりゃさっきの話だよ。随分面白そうなことを話していたじゃねえか」 風祭の瞳に凶悪な色が宿った。 「あの続き、俺たちも交えて聞かせろよ」 武士の表情に剣呑な色が宿る。 彼らの手が刀へと伸びる前に、龍音は軽く頭を振って、戦線へと参加すべく足を進めた。
「桔梗は下がれ。着物が汚れる」 三味線に手をかけた桔梗を制して龍音が駆けた。三味線を鳴らし、符術を操る桔梗の技は一種異様だ。傍目からは只の喧嘩に思わせるほうが都合がいい。 「ふふ。口説き台詞は上手だね」 桔梗は二人の戦いを眺めることとなった。 こうして第三者としてみていると、驚くほど戦い方が似通っているのが分かる。風祭と龍音がこうして背を合わせて戦うのは始めてだが(例え相手が雑魚であろうとだ)表裏のように動きが対になる。 僅かな時で戦いは終わった。戦いと言うよりも軽い小競り合いというくらいのものだった。
「お、お助け」 引きつった声をあげて尻餅をつく姿に、風祭は眉根を寄せる。 「何だぁ、その様はよ。武士は潔く……って寺子屋でも教えるぜ。裃着てんのが恥ずかしくねえならとっとと腹ぁ」 「かっさばいちゃ拙いだろ」 武士に対して蔑みの目線をくれてやりながら桔梗。 「そ、そうとも。切腹などとんでもない!拙ら遣われているに過ぎぬのだからな」 「へえ、誰に――?さっき、小日向と言ったね。小日向小石川……井上重久かい?」 「ど、どうしてそれを」 あら当たっちまったよ、ところころと笑いながらも瞳が剣呑さを帯びた。 「誰だよそれ」 「三代将軍家光の時、小石川小日向に切支丹屋敷を囲って改宗を名目に悪趣味な拷問を繰り返した井上築後守正重の子孫さ」 「切支丹?」 「おいっ、まさかてめえら」 「め、滅相もござらん、切支丹など……」 「馬鹿者。おぬしちと迂闊だぞ」 おやおや、と桔梗は唇の端を吊り上げる。彼女はこういう微笑みが一番美人だ。 「何やら面白いのを拾っちまったようだね。その辺はっきり喋って……」 龍音はす、と桔梗を遮り後方に顎をしゃくった。 「そこで、何をしている」 物陰の向こうから人影。 「相手が誰でも、盗み聞きをしない者の様だ」 「都合がいいのか面倒なのか……」 会話を聞いていれば少なくとも、こんな場面で口など挟んで来ないだろうに。
振り返りながら桔梗は思う。龍音は案外気を使っているようだ。 誰が聞いているともわからない場所では名を呼ばないし、辺りに気も払っている。 つまりは自分達には後ろめたいことがあるからだが、捜し人に随分と意識がいっているように思えたので聞かなかったのは意外だった。 理由が天戒というのが、二重にだ。
悪くない傾向。 桔梗はそう感じながら現れた人影に視線を向けた。
|