<外法2>

「よし。じゃあ案内してやるからな。さっき言ったことはわかってるか?」

 多少の路銀を渡され、軽く荷を渡された後、三人は九角屋敷を出た。任務に出る際はこうして必要と思われるだけの荷を渡されて出るらしい。
 鬼哭村は自給自足で村の中では金を使うことがない。どうしても町でしか購入できないものは、総じて村全体の金で購入されている。
 ただ鬼道衆の中でも幹部級、つまりは戦闘要員は、つけられること、情報を洩らさないことが第一条件として、申請すれば自由に山を下りることが許されている。
 その際に独自に売買することが許されるから何か技術を身につけているものはそうして自分の金を持つらしい。
 風祭はどうしているのかと彼には品作りの術はないだろうと決め付けた物言いに風祭は激怒したが、そのような場合は鬼岩窟に出向くのだと教えられた。
 陰氣に溢れ、底は黄泉へと通じているといわれる岩窟には時代を問わない珍品が眠っているという。
 もちろん昨日村に着たばかりの龍音は一切の路銀を持っていない。貨幣について何かがあれば、風祭に一任する心積もりだ。


 桔梗と分かれてからいくつか風祭が言い出したことを龍音は言われるままに復唱した。
「知らない人にはついていかない」
「おう、まあ村ん中にはまだ知り合いはいないだろうけどな。町に行ったら特にだ」
「落ちてるものは口にいれない」
「おう、でも包みに入ってたら別だぜ。勿体ねえし」
「村人が困ってたら手を貸す」
「おう、……ま!どうしても、って言ってきたらだけどなっ!」
「澳継にちゃんとついていく」
「おう、はぐれても探してやんねえからな!」
「幕臣にいきなり喧嘩を売らない」
「おう、俺達は人目についちゃ都合が悪いからな。江戸には物陰がたくさんあるからそこで叩きのめせっ!」
「それと……」
「自分で挨拶しろよな!俺は紹介なんかしねえからな」
 こくりと頷く龍音。素直な態度に満足しながら、風祭は唐突に気恥ずかしさに見舞われた。まるで世話をやいてるみたいじゃないか、畜生。
「わかったならいくぞ!あーっと……」
 どこへ案内すればいいものか。風祭は悠長に案内などしているのであればさっさと任務に出向きたい。桔梗が嵐王への用事を済ませる時間くらいで終らせたいものだ。
「そうだな……朝に話題も出たことだ。那智滝に連れてってやる。いい滝だぜ、修練をするにはもってこいだ」
 龍音は首を傾げた。
「村人は、いないのでは」
「うるせえっ!霊場への行き方教えてやろうってんだ。付いてこい!」


 村の囲みがないのは大門と霊場への道だ。山から獣が(もしくは妖が)出てくることを懸念しこちらの見張りにも重点が置かれている。
 澳継から借りた草履は少し大きく、紐で強引に留めている。借り物ばかりなので、それも揃えなくてはならないだろう。
 山は清しく心地よい。肌を凪ぐ空気に静謐な感覚が強くなり、霊場と化した地が思われる。
「ほら、ここが那智滝だ」
 風祭は通い慣れた足で滝へと一歩踏み出すと龍音を振り返る。龍音は風祭を見ていなかった。


 ここは力の場。龍脈の奔流を言霊によって方向性を定めた場所。
 龍音の身体を見つけ、氣はざわざわとざわめきだす。
 あなたは居心地の良さそうな場所。どうか。あなたを場にしてもよろしいか。
 いいえ、と龍音は首を振る。
 おまえはこの滝の氣、大地を巡る潮流の一端。龍音ではない。
 氣は頷いて言霊の流れに戻った。


「おい、龍音!何ぼーっとしてやがる」
 瞳を瞬いた龍音に風祭は舌打ちをする。
「立ちながら寝惚けるんじゃねえよ。ほら、滝に着いたんだって。いい滝だろ?」
 龍音の様子に機嫌を損ねた様子だったが、それでも風祭の声は弾んでいる。この場所が好きなんだろう。
「元は単なる滝だったんだけどな。言霊とかなんとかで名前をつけられて……こう、シューって流れる滝になったんだ。滝は滝だってことだな!」
 小さく笑う龍音。
「笑うな!……大体、お前だって上手い言い方なんてできないだろ。緋勇は……」
 風祭はそこで、口ごもったように言葉を濁らせる。
「緋勇は、陽の技の伝え手だろうが。外法なんてどこで習ったんだよ」


 風祭は陰の伝え手。昔幼い頃、緋勇の里に連れて行かれたことがある。
 それまで純粋に強さを求めていた風祭は、訪れた緋勇の里で陰は陽の踏み台だと罵られ、また絶対の強者だと信じていた父が緋勇の当主に敗北したことに酷く幻滅した。その上負かした相手と馴れ馴れしくつるんでいる姿が許せなかった。
 風祭は緋勇の下に甘んじるものなのか。卑屈な笑いを浮かべてへこへこ従っていなければならないのか。
 苛立ちを込めて緋勇の子供達と派手な喧嘩を演じたものだ。
 自分より大きな子供を殴って、蹴って、髪を引っ張り、頭突きをお見舞いした。緋勇なんて名乗っていたってこんなに弱いではないか、と罵声を浴びせた。
 そこに現われたのが、龍音だったのだ。風祭は痛いとも感じる暇もなく、綺麗に投げ飛ばされた。
(氣。陰陽に伝わる秘奥)
 今のは何だ、と噛み付くと、幼い龍音はそう答えた。風祭にも伝わっているはずだと。
 酷い敗北感だった。
 氣なんてものを風祭は知らなかった。父以外にも負けたことがなかった。龍音の宿す真黒の瞳が自分を馬鹿にしているような気がした。
(たんたんに負けやがったー)
 周囲の風祭に敗北を喫した子供達がそう囃したてる。一度格下だと判断したものに馬鹿にされることほど屈辱を感じることはない。
 幼い風祭は龍音に指を突きつけ、こう言い放ったのだ。
(たんたんなんて、次に会った時は負かしてやる!氣だって完璧に使いこなしてやる!)
 氣は、外法と呼ばれるものではない。
 龍音は外法を使うという。それは陰陽の龍の武が言う氣とどのように違うものなのだろうか?


「宗崇に」
 短い返答が答えであったことに、一瞬遅く風祭は気がついた。
「誰だよ宗崇って」
「私の、育て親」
 龍音は少し逡巡した後さらに言葉を繋げる。
「緋勇の里がなくなってしまった後に、宗崇が拾ってくれた」
 もうそれでいいか、と言いたげな視線が絡んだ。驚いたことに、龍音は風祭の問いに誠実たろうとしているようだった。九角にそうであるように。
「そいつは何者なんだよ」
 その問いには、明らかに龍音は困惑を示した。軽く首を振る。
「知らないってことあるかよ。育て親なんだろうが」
「……」
 首を振り続ける龍音の瞳に陰が入ったのを見て取って、風祭は盛大に舌打ちを洩らす。
 外法を教えるなど誰にでもできることではない。これは、九角への報告事に入るだろう。どこか落ち込んだ様子の龍音。彼女はこれからずっとこの村にいるのだから、聞き出すことなんて幾らでもできるはずだ。風祭はそう納得することにした。


「もう、滝は充分見たろ。行くぜ」
 龍音は風祭を見つめると小さく頷いた。


「朝早くから水遊びか?」
 だが、一陣の風が吹き抜けたと思うと低い声がその場に響く。
 旋風の後に現われた鳥面の黒い影に風祭は驚きを潜める。
「くっくっく」
 低い笑い声に風祭は軽く答える。
「なんだ嵐王かよ。脅かすなよな」
 鳥面の下は表情が分からない。くく、という含み声の後嵐王が龍音に視線を向ける。龍音はしげしげと鳥の面を眺めているところだった。
「それが、若の連れてきたという女か」
 嵐王はとうに聞いているのだろうが、女と言われるとどうにも違和感を禁じえないと風祭は思った。
「おい、嵐王に挨拶しろよ」
 そのままだとしげしげと眺めているばかりに思えた風祭はそう言って龍音を軽く押しやる。
「私は、緋勇龍音。昨日この村に来た」
「緋勇龍音。儂の名は嵐王、鬼道衆の一員だ」


 嵐王は鳥の面を被り、全身を黒い服で統一してる。風の抵抗の大きそうな服は空を飛びなどしたら、黒い羽根に見えるのかもしれない。
「なんで滝に来てるんだ?」
「今進めている研究があるのだが、必要な水が足りなくなってな。汲みに来たのだ」
 見れば片手に桶を持っている。中は既に重く水が入っているようだ。
「へー、今何やってるんだ?」
「研究?」
「緋勇殿も興味があるか。できての楽しみといったところだ」
「できたら見せてくれよなっ」
 風祭の言葉に龍音もこくこく頷く。若い二人の仕草に嵐王はまたくっくと笑い声をあげた。
「そういえば、桔梗が工房にいくって言ってたぜ」
「桔梗が?……ふむ。相変わらず狐のように気まぐれな女だ」
 その声音にはやや含みが聞こえたが、風祭は気づく様子はない。
「直ぐに戻るとしよう」


 嵐王は桶を持ち直したが、足は龍音の言葉で止められた。
「嵐王、その面は」
 見ると、龍音の視線は面に注がれている。
「とても古いものだな」
「うむ……百年以上伝えられてきた面だからな」
「様々な氣が……」
 面の下、嵐王と龍音の視線が合った。
「お前、呑みこまれるぞ」
 嵐王の動きがぴたりと止まったことに風祭は気がついた。だがそれは一瞬のことで、くく、と常の笑いを洩らす。
「それで、なんと?」
「……」
 龍音は困ったように首を傾げたが、いくつかの選択肢の中やっとしっくりくる言葉を見つけたようであった。
「気をつけろ」
「……」
「……そうだな。そうしよう」


「緋勇殿、気が向いたら儂の工房に来てみるがいい。遠慮は要らぬ」
 頷く龍音に再び笑いを忍ばせると、それこそ風のように嵐王の姿は立ち消えた。


「……お前、初対面で何言い出すんだよ!危ない奴だな!」
「初対面で、言うことではないのか」
「当たり前だろ!」
「…………そうか。わかった」
 思案顔で頷く龍音。ああ全く、と風祭は苛ただしい。
 昨日の意見は訂正だ。こんな呆けた奴に間者が務まるはずがない。


「おら、戻るぜ」
 そう言うと、素直に龍音はついてくる。
「今の工房ってのだけどな。嵐王はこの村に工房を持ってんだ。そこで幕府の連中を倒す為の色んな武器を創ってんだぜ」
 龍音は興味深そうに頷いている。骨董にも興味深そうであったが、そういう様々な道具が好きなのだろう。
「ちょっと変わってるけど頼りになる奴だからな。今度行ってみろ」
 あ、俺は案内してやんないからな!と風祭ががなりたてる。


 木の上から気配を消して、二人が村へと戻る様子を眺めていた。
 細い娘の後姿を見届ける。
 九角の話では、彼女は『柳生宗崇』を探しているとのことだった。今はまだ、誰にも知られるわけにはいかない男。
 これは、教えるべきだろうか?
(面白いやつが入った)
 柔らかく笑った九角の顔。


(瑣末事よ)

 報告するには彼女の情報が少なすぎる。
 是怨は先送りにした。




戻る   進む

(11/03/20)