<変生>
炎上する村を眺めている影がある。 紅蓮の髪は炎を映したように赤く、その瞳は破壊に酔っている。 血に狂う侍達が宴に踊り、男の怒声と女の悲鳴。子供達の鳴き声。 緋勇、と冠された一族は長く男にとっては忌むべきものであった。己を律し、修練を重ね、世界の破壊者を影ならず光ならず大地に沈めてきた一族。 時の支配者からも強く頼られながらも疎まれている。その一族に対し粛清を向けることに成功した。
人は愚かだ。
破壊に酔っていた瞳も直ぐに醒め、男はただ炎の燃える様を見守っていた。 侍達は血を貪ることに夢中で、横を駆け抜ける異形の姿に気がつくことがない。 人ならぬものに緋勇の血族は喰われ、また一人、また一人と血の中に沈んでいく。 江戸二百年、磐石は続き今揺らがんとする中でも、戦いを失っていたのは平和騒ぎの武士だけではない。破壊者のいない時代の緋勇も、また異形に易々とその身を喰らわせていた。
人の愚かさに男はとうに絶望しており、世界を呪い続けている。 権力者の誰もが求める不老の身体。饗宴も女も最も深い破壊衝動さえ男を癒しはしない。 さすれば世界を終らせればよいか、と思ったのは、随分と昔のことに思えた。
幾度なく男の元には仙人が、魔物が、人が訪れ世界を愛することを、見守ることを訴える。だが仙となるほどに男は傍観者にはなれず、魔物のように純粋でもない。そして、人は不老の嘆きを知らなかった。 男は絶望を吐露し、破壊し、戦いの中に身を沈めた。 男は、死さえ選べなかった。一人で死ぬのは寂しすぎた。
孤独は血に濡れるたびに癒されると思い数多の血を流し、絶望を壊れた嗤いで払拭する。
炎に沈む村を見つめながら男は絶望の吐息をついた。
炎上する村を、見つめている影がある。 黒い髪はしっとりと艶やかで真黒の瞳は炎の中で深みを増していた。 生き残りを探すように炎を避けながら進む。 可憐な唇を震わせながら、小さな娘は一言も洩らさない。
幕敵め、と叫ぶ声を聞いたが一体どういうことなのか。幕府とは政府のことか。どうして、敵になるのか。 そんな事情は娘の頭には浮かばない。娘は緋勇の長の子の一人であった。緋勇は武芸の一族、男達が戦うならば、私は女子供、老人を守らなくてはならない。 血族の死と直面しようと私は武家の娘。動じたりしない。
炎は朱雀の意を讃え、娘を避けるように進んだ。 私は一人ではない、と娘は思った。森羅万象の命の理、おおじじに説かれずとも彼女は大地は己であり、己は大地の器であると承知している。
男が燃える村へと足を踏み入れ、娘が村のはずれへと進み、そしてそこに侍達と妖が集ったのは同時であった。 これを、歴史家は運命の悪戯だと我先にと書き記す。
侍、彼らは現われたあどけない娘の姿に喜悦を浮かべた。幼くても娘は娘。美しく育つであろう整った容貌は嗜虐心を加速させた。 妖、彼らは得も寄らぬ芳香に背筋を震わせる。極上の氣を抱いた娘は妖の最高の餌だ。 男、彼は緋勇の血族がまだ残っていることに若干の驚きを見せた。黒い瞳が不思議な輝きである。 娘は。 娘は侍達の足元、黒く煤と化した固まりを凝視している。ここは女子供、老人の避難場所だった。 理性が感じたのは水をもってこなくては、ということであった。言葉として死を知っていた少女はこれが死だとはわからなかった。 本能が感じたのは拒絶だった。見なければよかった、とわななく。 「あ」 水を、 「あ、ああ……」 水をください、お侍さん。彼女らの煤をとってあげないと。
『ぼろり』と煤は崩れ地に落ちた。
「――――っ!!」
理性と本能は、死を認知した。村は炎に包まれもう誰も居ない。 侍達の伸ばされる手、だがそれは娘に触れる前に弾き飛ばされる。
「 さ わ る な ・・・ 下 郎 っ 」
娘の瞳は、金色に光っている。
( 目 覚 め よ )
ざわざわと龍脈が急速に集い、小さな娘に駆け巡る。陰陽わかれぬ混沌の力。 幼い身にはそれは大きすぎ、彼女に留まらずはじけ飛ぶ。
男は間近でそれを見た。龍脈に愛された黄龍の器。それが目覚める一部始終を。
「めざめよ」
娘は呻くように囁いた。龍脈に。 その瞳は金に輝き、男の視界を白く埋める。溢れ出た混沌の力は龍脈を這い数多の地域へと広がっていく。 黒い瞳が見たい、と男は思った。
やがて輝きを消し呆然と膝を折った娘に男は近づく。抱えあげるその仕草に、娘は緩慢と男を眺めた。 「誰」 娘の声は潰れ、酷く掠れていた。これはもう完全には戻らないだろう。 だが掠れた声も黒い瞳も、男の矜持の琴線に沿う。 「我が名は宗崇。娘、お前の名を告げよ」
それは、始めは只の気まぐれだった。 直ぐに飽きて、捨ててしまうだろうと思っていた。 けれども運命は容易く二人を弄び、不可思議な人形劇の始まり。
「龍、音――」
これが柳生宗崇と緋勇龍音の始めの邂逅。 宗崇は龍音を連れて、鬼と変生した緋勇の里を後にした。
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