<鬼の刻>

とおりゃんせ とおりゃんせ
おひさまはもうしずむ
とおりゃんせ とおりゃんせ
しきいはいね おうまがときよ


 この世ならざる場所であった。燦々と降り注ぐ日差しに美しいさえずりを鳴らす小鳥。庭には広大な庭園があり文様を誇らしげに載せた鯉が悠々と泳いでいた。
 時を忘れたかのように佇むのはそれに相応しい屋敷であったが、維持するにも多く人が必要であると思われる屋敷には、住人はただ二人のみであった。
 一人は不老を選ばされた男。血族の者に存在を抹消され、転生の鎖を断った者。紅蓮の髪は世界への呪縛であり、絶望と孤独の色であった。
 一人は大地の娘。神の宿世のために生まれ出でた者であり永遠の連鎖を抱いている。腰まで伸びた艶やかな黒髪に、真黒の瞳。変じて金は混沌であった。
 二人は男と女であったが睦言を囁きあうには娘は幼く、娘の宿世を唯見送るほど男は大人ではなかった。
 それは数多ある引き金の一つ。


「むねたか」
 屋敷の一箇所、縁側で日差しを浴びながら娘が呼んだ。浴びる日差しは現のものではない。よく見てみれば日差しは似非のまじないに過ぎず、小鳥は紙で作られた式。透明な池は瑠璃の細かい砕きであり、鯉は時空の境に住まうあやかしである。
自然にあらざる大気は大地の加護が無く、娘の健康を妨げていたがそれに頓着する様子は無い。
「むねたか、どこ」
 再度の呼びかけに娘の後方の襖が開いた。この空間は男の術により制御されており、男がどこにいようと男の自由である。
「どうした、たつと」
 紅蓮の色を瞳に映し、娘は男に駆け寄った。豪奢なうすあいの着物をさばき、あどけなく両の手を差し出してくる。
 男は娘を軽々と抱き上げると細い身を抱き寄せた。娘は瞳を細めると、男の首へと腕を回す。
「苦しい。むねたか」
 掠れた声で娘が訴えると、男は憐れを表情に昇らせた。
「たつと、お前にはこの空間は辛かろう」
 いとおしげに娘を抱きしめて男は思案する。今こそ長く心に決めていたことを遂げるべきなのか。種は既に巻き発芽寸前。けれども娘の存在が最後の一押しを躊躇させる。死すべき運命にある、死なない娘。
「たつと」
 男の呼びかけに娘は紅蓮の頭を掻き抱いた。
「たつと、俺と共にいくか」
 娘はどこに、とは聞かなかった。解っているわけではないだろうが。
「いく」
 男は瞳を閉じた。
 やはり、決行するべきだ。だがこれは娘のためではない。俺のためにだ。
 男は己の所業を正道と嘯くつもりはなかったし、他人の責任に帰すつもりも無い。
「たつと、唄え」
 まどろみに身をゆだねていた娘は瞳を押し開いて小さく頷いた。少し掠れた唄が娘の唇からしのびでる。


ねむりゃ われのいきものよ
ねむりゃ あぬしのいきものよ
さいはいすでにくだりゃんす
いまだめざめはこりはせぬ




進む

(11/03/20)