あたたかな感情というものが つめたさを遮断するならば
その感情こそが棘だ
つめたさを溶かすことができたなら 何度だって貴方のためだけに謡う
あたたかな断りの言葉が なにより悲しかったのよ
ぜえ、と吐き出すような吐息。帰還したキルヴァスの民を帰し、一人玉座にネサラは倒れこむ。背中の翼が乱暴に扱われて傷んだがあまり気にならなかった。 情報を集めて。 益無き戦いに身を投じて。 おべっか、嘲り、蔑み、媚びた嗤い。逆にきらきらと純粋な笑顔まで。
笑顔。
己以外誰も居ない玉座で、ネサラは口元をゆっくりと歪めた。 「”それは、本当ですか”」 「”貴殿のお傍にありたいというのに……寂しく思います”」 「”どうぞ”」
「”また――お待ちしています”」
容易いことだと思った。
鳥翼の会議はセリノスで行われる。エルランを一族に連ねた鷺に敬意を払う意味もあり、鷺を他の負の気配の強い地に連れて行くことを憚られる意味もあり、また、互いの嘘を封じる意味もある。 鳥翼は鷺の前では偽りなど無意味であると知っている。彼らの前に集うことは、嘘はつかぬという宣誓である。 ロライゼとティバーンの前で、ネサラは幼く肩を竦めた。 「元々キルヴァスはベグニオンから独立した。かつての支配に不満を抱く一部の民が勝手に海賊行為を働くのも止められるものではないな」 「だが、ベグニオン船以外にもその手が及んでいるのは?」 「ニンゲンなんて、皆同じようなものだろ」 「それを、ベグニオンにも言わせるつもりか」 ティバーンの言葉に苦味が走った。その度にネサラはおかしげに笑みを浮かべるので、ますます拍車がかかる。 「フェニキスはフェニキス。キルヴァスじゃあない。つっぱねたらいいじゃないか」 「ネサラ!」 「だがネサラ」 低く落ち着いた声に、ネサラの背筋がぴんと伸びた。決まり悪げに白鷺へと視線を向ける。 「ベグニオンが、キルヴァスの海賊行為の代償を、フェニキスにも求めてきているのは確か。お前はキルヴァス王だ、民の統率は、ちゃんと行いなさい」 「……はいはい。善処します、ロライゼおじさん」 「こらネサラ、ロライゼ様と――」 「もー、いーだろ?こんなのは退屈な話し合いだ、対処を話すんじゃないんだからなっ」 背の黒翼が大きく広がり、ネサラは高く舞い上がる。伸び伸び手足を広げて空に急ぐ様子には、文句をいう気も失われてしまう。
「まったく、ネサラは!……いいんですか、ロライゼ様。あいつの殊更ガキの振る舞いは、絶対、演技ですよ……ったく」 ネサラはそんなに幼くないし、頭が切れる様子を示して憚らない。都合の悪いことを誤魔化すときだけ、露骨なばかりに幼い仕草をするのは、それで雛の時を知る自分たちが黙ってしまうのを理解しているからだ。もっと姿が成鳥となればそれも変わるだろうが、今まだ細く小さな王なのである。 「ネサラが王になって、キルヴァスは何か変わったか?」 ティバーンは反対に問われ、少し口ごもった。 「……キルヴァスは前も今も理解不能で、どっちつかずですよ。……そうだな、国内部はまとまってるし、対外行動が多くなりましたかね」 そうだな、とロライゼは頷く。 「鴉は元々そうだが、ネサラは特に、外交が上手いな。……それでも、キルヴァスの国是は変わらんか……」 「ロライゼ様は、お解りになっているんじゃ?」 それが当然だ、と言うばかりにティバーンは信頼の目を向ける。それにロライゼはやや目を伏せた。 「もう、ネサラの心は聞こえない。……いや違うな。それだけは明かさぬと、もうずっと前からキルヴァスの王は黙ったきりだ」
「リュシオン!」 『ネサラ!また会議を早く切り上げたのか』 『いいんだって。そんな三翼で話し合うようなことなんかない』 『ティバーンが怒ってらっしゃるぞ』 『おー怖い』 くっくと笑うネサラは、目元を緩めて勢い良く振り返る。 『ネサラ!』 胸元に飛び込んできた微かな重みにくすぐったそうに笑った。 『リアーネ、元気そうだな』 赤子の成長は早いもので、雛だと思ってばかりいたリアーネは、もう空にいるネサラに飛びつけるくらいになっていた。白い頬は興奮に薄あかく染まり、金色の髪が落ち着かなく広がっている。 『わたし、元気!このごろネサラ来なくて、さみしかった!』 『そうか。どーれ、前より重くなったな』 『ネサラより大きくなっちゃうのよ』 『おー、やってみろ』 本当よ!こんな、と手を大きく振り上げるリアーネに微笑みが零れる。ネサラも笑っている。
いつものネサラだ。
リュシオンは白い翼を寄せて、そうとも、と思った。 楽しい、優しい、穏やかだ。ネサラがリュシオンとリアーネに会う時に、それは大きく変わりはしない。 この三人でいることが、リュシオンはすごく好きだ。 すごく、嬉しくて好きだ。 リュシオンの一番好きな空間を作り出す二人は、耳と唇を近づけて、そおっと秘密話の途中だ。ささやかながらも秘密基地をつくるような、そんな優しい世界だった。
『ねえネサラ、どうしてひみつをしまっているの?』 囁かれたうつくしいリアーネの言葉に、ネサラは艶めいた様で唇を歪めた。
『二人の内緒だ、リアーネ』
耳元で囁き返された言葉は、甘い棘のような秘密の約束。
それはつまり、何が秘密であるかも内緒だということだったのに。 どうして、何も聞かなかったのかしら。
目の前が優しいばかりで、貴方の心も優しいばかりで。
それを嘘と呼ぶことさえも、知らずにいたのよ。
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