”導き”を託した
魔道に対する知識は浅薄なものだ 理と光と闇 どれも、自分からすれば似たようなものだ
でも、闇に関しての知識が一番深い
(親友が教えてくれたから)
は、とエフラムは息をついた。 地面に落とされた左手が土の温度を伝えている。大分冷たい。 森から見上げる空はすっかりと黄昏を迎えていて、急速に夜へと向かおうとしていた。 周囲には誰も居ない。 エフラムは呼吸を整えた。出血はしばって止めた、槍は敵兵のものを用立てた、本陣の位置は覚えているし、星が出れば方角は確実。 頭の中が血が足りないと言って悲鳴をあげるが、この程度ならば許容範囲。 (俺は戦えるか?) 自分の身体に聞いてみる。是と返してきた。大丈夫だ、虚勢を張るほど子供ではない。自分の判断には自信があった。 でもまだ、立てない。 魔物が、敵兵が出てきたならば立って戦う。そうでないなら少し体力を回復するべきだ。まだ冬ではないから夜でも平気だ。 体温を奪われないようにしなくては、とエフラムは瞳を眇めた。
既に頭は落とした。 エフラムが自力で戻るか捜索に見つかるか。……まあ、そのどちらかだろうな、と思った。 悪ければ敵に見つかる。
肌が微かに粟立って、エフラムは槍を握り締めた。 人ではない気配だ。空気を揺らがせることすらなく、感覚だけ攫っていくような。 (なんだ?) 魔物でもないように思える。確か似たようなものに出会った思い出があった。あれはなんだったか。 確か、グラドで。 (ヴィガルト?) 途端騒ぎ出す胸奥にエフラムは知らず喉を鳴らした。まさか、いるのだろうか。ここにリオンが。
ぼんやりと、闇がわだかまった様に忽然と視界に現れる影。 人ではない、だが人型をしていて魔物でもない。人影は暗く瞳の奥を明滅とさせていたが、希薄な存在感があった。 エフラムは槍を握るべきか握るまいかと一瞬惑った。鎧姿の人影は、一振りの斧を握っているがそれをエフラムに対して構える気配が無い。 「リオン……?」 口をついて出た問いに、そうではないか、という気分が高まる。リオンがこんな風に現れ出でるはずは、もうないのだとわかっていた。だがこんなことが出来る者があの優しい親友以外にいただろうか。 エフラムは槍を支えにしながら立ち上がる。 黒い人影の後方、暗いわだかまりにしか見えない草陰が揺れる様子を、長く凝視していた。
黒い長衣で木々を分け入り、現れた灰色の髪が一瞬銀色に映えてエフラムは息を飲んだ。 現れた……見慣れた男がエフラムを見て僅か頬を崩す。 「随分と、捜索隊が出ていますが……ご無事でなによりです、エフラム様」 エフラムはただ頷くと、後方の木の幹に身体を預けた。思いも寄らぬ重い音が鳴る。 そのままずるり、と腰を下ろす。 「ゼト殿に連絡を」 ノールは亡霊兵士にそう言い置くと静かに歩み寄る。
「……なんだ、今のは?」 ライブの淡い光を見つめながら、エフラムがそう聞いた。 「亡霊兵士……己に縁のあるものの残留思念を召喚して塊と成し、使役する術です」 縁のあるもの。エフラムがそう呟くとノールは小さく首を振った。 「生前の意識はありません。集中を止めれば直ぐにも拡散するくらいの弱い結合力をもって存在するのです」 「兵士の顔を見たが、能面だった。……その理屈で言うと形はお前のある程度自由が利くように思えるが」 「できます、が……したくないのです」 「そうか」 エフラムはライブの光が消えていく様子を眺めている。ノールは傷の様子を確認すると杖をしまった。どことなく杖をおっかなびっくりと扱っている。
「闇魔道が恐ろしくは無いのですか、エフラム様は」 エフラムはちらりとノールを見たが直ぐに視線を外す。癒えた傷を確かめるように動かしながら何でもなさそうに言った。 「何故恐ろしいことがある」 「闇魔道は魔王の力の根源にあるという学術です。人々は……得体が知れない、神に対する冒涜だ、といって怖れる」 エフラムは軽く笑った。 「お前は、得体が知れないことができるのか?」 「え?」 「お前ができることなら、人が理解できることだということだ。俺にとって歴史が複雑怪奇だからと言って、歴史学者を不可解な者に見るつもりは無い」 ノールは頬を緩めた。リオンは研究の合間に幾度と無く二人の親友の話をしたものだった、リオンの話題は闇魔道か父親のことか……ルネスの双子の王子と王女、それ以外になかった。 リオンの口から、何度”エフラム”を知ったことだろう。強く勇敢であり、誰もが惹かれるルネスの王子。
皇子は酷い憧憬を抱いているようだった。だから、どれほど完璧な者なのだろうかとノールは思っていた。
「エフラム様は、闇魔道に対する偏見がおありではない」 ノールの言葉を唐突なものに感じてエフラムは不思議に思った。傷の具合はいい。すっかり塞がっている。
「ですから、私の目を見ようとしないのは……単に、私が憎いからですね」
エフラムは奥歯を噛んで顔をあげた。ノールがこの場に現れてから始めて視線を合わせる。 その顔に浮かんでいたのが怒りでもなく憎悪でもなく焦燥であったので、ノールはどこか心が痛んだ。 だが一瞬で掻き消えた感情の色。エフラムはノールに対してやはり硬い顔である。 ノールの指には”導き”が填まっている。この新たな力は、杖は、全て”導き”に認められたからである。
「それでも、それはお前が持っていろ。返品は、今も許していない」
近づくわだちの音にエフラムは意識を外す。 ノールは黙って導きの証に目線を落とした。
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