「何てことを……っ!!」



「答えろ!何で、あの方にそんなことをさせたんだ!」
「俺が、あの人の騎士だからだぜ?」

「従うだけが騎士では――」

「あの人の、心に従う騎士だからだよ」



だって、あの人は俺を選んだのだから





何度もいわせるなバカ!






 城に戻った後、エフラムはいくつか言い置いて足早に自室へと戻った。
 その態度に不審を抱いたのだろう。随行したフォルデにカイルが聞いてきた。反応がそれだ。
(カイルが怒る理由はわかる)
 何故なら、この真面目な男は飛び切りの人情家で、主君であるエフラムを、世話のやける弟のように大事に思っているのだから。
(例えば俺はあの人をフランツのように思うことがあるだろうか)
 それはない、と思う。これまでも、そしてこれからも。
 フォルデがエフラムが泣き止むように、と知恵を絞ることはありえない。

 だって、それは。

「エフラム様は、横にお前がいたってご自分でやったさ」
 フォルデの言葉に、カイルは喉に怒声を絡ませる。それは、そうに違いない。だが、己が横に居たならば決してそれは許さなかったようにも思う。エフラムに疎まれたとて、ファードをその手にかけさせるようなことは、けして。
「もういいだろ?」
 襟首を掴んだカイルの手を離させると、フォルデは歩を奥へと進めた。そこでやっと、カイルはフォルデを気遣うことができた。
「その……血は?」
 赤い鎧でしばらく気がつかなかったが、フォルデの鎧には、僅かに血痕が付着していた。
「ああ、これは」
 フォルデは目を細めると、苦々しく笑う。
「これも、あの人の心に従った結果かな」

 返り血だ、とカイルは思った。





 赤い騎士は廊下を歩いている。
 途中、何度も慌しくすれ違う影がある。
 皆が皆、平然と振舞う己に違和感を抱いているようであった。
 ヴァネッサはどう思うだろう。忠誠と、それに勝る恋心をを主君に抱いているあの娘は。
 彼女もフォルデに、それは忠誠の姿ではない、というだろうか。





「――フォルデ」
 凛とした声に呼び止められ、フォルデは礼を取る。
「エイリーク様」
「この度は、兄について痛ましい任務をこなしてくれて、ご苦労様です」
 顔色の悪さは隠しきれなかったが、それでもエイリークはそう言い切った。彼女はヴィガルドを見ていないし、またモニカの最期も目にしてはいないが、異形と化した黄泉返り人を見たことがある。
 エフラムは幾度となく痛みからエイリークを遠ざけ、また、見せまいとしてきたのだった。
 だがエフラムもまた、エイリークから悲しみを除去することによって己の平静を保っている。
「兄上は、自室に?」
「はい。戻りましたよ」
「そうですか――」

 いつものようにありがとう、とはエイリークは言わなかった。無意識なのだろうが。





 この双子は互いに互いを支えている。守られるようで守っている。
 本当は世界中のみんなが思うほど二人は強くはないし、弱くもない。
 それを、誰が気がついてくれるのだろう。










「――エフラム様」
「フォルデか」
 暗闇。夜の帳の落ちた扉を開け、フォルデは囁くように話しかけた。エフラムは起きている。
 既に、エイリークは部屋を辞しているのだろう。灯りを付け忘れたような広大な王の間は暗く沈んでいた。
「カイルに散々怒られてしまいました」
「気にするな」
「いや、エフラム様はそうでしょうけど」

 そこだけに灯りが点る様に、フォルデの金が躍る。

「エフラム様」
「なんだ?」
「そんなに、あの少年を殺すのは怖かったですか」

 エフラムは暫し黙り込んだ。

「怖い」

 ファードを手にかけることよりも、よほどそれは怖かった。ファードを眠らせるのは、自分でなければいけない、と思った。責任感というものは自己の感情を希薄にさせる。痛ましい思いを感じたが、それだけである。
 無邪気に己を慕った少年を、引いて刑にかけなければいけなかった。
 反抗すればその場で槍で貫いて?けれども少年はけしてエフラムに刃を向けることはないだろう。
 そして、少年はあどけなくも純粋な、好意をもって暴露するのだ。エフラムのためにファードを蘇らせたかったと。エフラムの笑顔のためにその父親を異形へと変じさせたのだと。

(エフラム)

 若き王は、それがそら怖ろしかった。勿論、他の誰に聞かれることが、ではない。己がそれを聞くことになるのが怖かった。
 少年は笑って言う。あなたのために世界を変える。
 そんなこと、望んでいない。エフラムは変えたいものは自分で変えるし、途方もない夢物語を紡ぐこともない。
 いつだって己への憧憬は不可解で、どんな者だってエフラムに勝るものを持っているのに。
 あなたのために世界を変える。
 それとも、エフラムがそう望んでいたのだろうか?そう見えたのだろうか?禁忌に触れて、父親の形をした動くものに会いたいように、見えていたのだろうか。

(ぼくは君が好きだった)

 敵意をもって、心象を害することをされるのは納得がいく。だが、好意をもって君を傷つけたいと笑われるのはどうしてだろう。結局あの少年は己を怨んでいたのではないだろうか。嫌っていたのではないだろうか。だってエフラムのことが好きなら、どうしてエフラムの苦しいことをすることがあるだろう。
 ああ、エフラムは。己は。
 彼のことを記憶の隅にしか覚えていないのに。

(ぼくは、君が嫌いだった)

 それこそが罪なのだろうか。
 理解しようとせず、憧憬を口にせず。彼が強く強く思っていたことを、なんでもないことのように思っていたことこそ罪なのだろうか。
 それならば、エフラムこそ刑場に上がるべきなのだろうか。
 けれどもエフラムを刑場に連れて行く者などいない。いるとしたらそれは、ルネスの国民か、父親か、もしくは真実を伝えられない妹、エイリークだ。

 では。

(ぼくは、君みたいになりたかった)

 弁護人は誰だ?





「エフラム様は、彼が生きていたら、きちんと裁かないでいいようにしてあげたいでしょ?」
 フォルデは笑みを崩さずに言う。
「でも、それがよくないことだ、とも解ってますよね」
 おどけるように人差し指を振って、読み綴るように述べた。
「裁判に出したら、今の法律じゃ、死刑確定ですから」

 だから 俺が 殺しました。

「フォルデ」
「お叱りの言葉なら控えめにお願いします」
「すまない、ありがとう」

 フォルデはエフラムの声音に黙り込むと、僅かに苦笑を作った。
「ああ、だから俺は、この国を出て愛に生きることを躊躇ってしまうんですよ」
 ねえ、エフラム様?とフォルデは笑う。



 貴方に恋をして

 貴方を理解して

 けして、貴方の代行者にはならないで

 あなたの願う、王の道。それを共に歩んでくれる人に会えるといい



「そうしたら、俺は家督をフランツに譲って、愛に生きてしまえるんですよ」
「別に、今すぐだってしてしまえばいいだろう」
 冷たい響きでエフラムが言うが、フォルデはその中の照れ隠しに気がついて笑った。
「だって、エフラム様にはまだまだ俺が必要でしょう。俺にはわかるんですよ。エフラム様の騎士ですから」

 ふん、とそっぽを向くエフラム。閉じていたカーテンを開け、室内に月の光が差し込んだ。



 感謝の言葉を。

「……今、何ていいましたか、エフラム様?」

「何度もいわせるなバカ!」





 お叱りの言葉は控えめに、とお願いしたのに。
 フォルデはそう言って破願すると、恭しく跪いて忠誠の言葉を誓う。



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(05/07/21)