「不可能なことではありません」

黒い服を脱いだノールはそう答えた
闇魔道が関わっていると伝えられ、急ぎ早馬を飛ばしてきたのである
「魔石は既になく、聖石は封印されているが……」
騎士の言葉に頷くも、だが、とノールは続ける

「亡霊戦士をご存知ですか」
「召喚師達が操る?」
「黄泉返りは、亡霊戦士の道を踏み誤ったもの」
そこには笑みが浮かんでいるのでは、と騎士は感ずる





「類稀なる闇魔道の力。死体。無念の心……それらが集っていれば、決して黄泉返りは不可能ではない」





お前は嘘が下手くそだな






 執務室でノールの来訪を迎えながらエフラムは言葉少ななに頷いた。
 その様子を伺いながら、ノールは主の心を推測してみる。
 かつて、エフラムはリオンが蘇らせたヴィガルドを倒し、次に訪れたルネスでは同じく蘇らせられた女性を倒したらしい。決して憐憫の心がないとは思わないが、それは彼らがエフラムの特別を占めてはいないからできたことではないのだろうか?
 ノールは、ファードを侮辱した物言いをエフラムが決して許さないことを知っている。
 エフラムは、ファードを殺せるのだろうか?
 だが常日頃から表情変化が多いわけではない主はやはりノールに心の奥を覗かせることはなく「下がれ」と短く述べただけであった。
 これは、悪趣味な好奇心だ。
 エフラムはノールの好奇心に気がついたのだろうか。ノールは僅かに肩を落とし退室の挨拶をした。

「ノール」
 エフラムが退室を命じた後、呼び止めるのは珍しいことだった。ノールは訝しげに振り返る。
「大戦の際」
 エフラムはこちらを見てはいない。
「あれは、黄泉返りなのか?」



「……いいえ、エフラム様。身体が動くだけの腐敗した固まりです」










「ノールを引き止めないのですか」
 傍らから紡がれた真銀の騎士の問いにエフラムは気のない調子で「ああ」と頷く。
「ゼト、お前は任務に戻れ。隊長のお前が俺の執務室に詰めている必要はない」
 それはノールが来たからだ、とエフラムもわかっているはずだったが、主はあえてそれに気がつかぬ素振りをした。ゼトはそれに答えて短く了承の返事を返す。
 闇魔道に関わる事件が起きている横で、大陸屈指の闇魔道の使い手――それこそ双聖器グレイプニルを操るほどの――を、エフラムと二人きりにさせることなど考えられない。
 常の主であれば心配することなどないだろうが、今は病みあがりの身だ。熱は下がっているがレストの杖をもってしても、過労だけはどうしようもないのだ。
 かつて大戦を共に戦った相手ではあるが、だからといって明日の敵にならないとは限らない。ゼトは冷たさを覚える理性で冷静にそう考えていた。
「それではエフラム様、けして無理はなさいませんよう」
「いいから早くいけ」
 手で追いやる仕草をすると、ゼトは表情を動かすことなく退室した。それでようやっと、執務室はエフラム一人になった。

 ゼトの懸念は、事の裏にいるのがノールなのではないか、ということだ。
 だがこれは笑って捨てていい。ノールであるならば、彼はグラドに何度も訪問したことのあるファードの声を知っているはずだ。
 昨日フォルデが持ち込んだ資料。それによればルネスにはまだまだ原野に強力な魔道士がいる。そちらを調べてからでも遅くはない。
 ……そこで、エフラムは溜息をついた。
 野にある闇魔道士達がファードの幻影を蘇らせて、一体何をするというのだろう?





「エフラム様、昨日指示された場所について調べた結果、このような報告が上がりました」
 午後になって執務室へと入ったフォルデが報告書を差し出してくる。細かい字はいつになっても面倒だ。
 以前はそれでも我侭を通せばフォルデは重要書類を読み上げてくれたものだが、最近となっては笑って書類を押し付けてくるのだ。
 作成主の几帳面さが伺えるような文面は、エフラムにとって面白いものではなかった。
「第七地区……?」
 城下に程近い場所かと思っていたが、これが案外と遠い。
 記憶の中で触れてくるものがあったがエフラムはあえて黙殺した。
「兵を編成しろ」
「エフラム様も向かわれますか?」
「当然だ」
 書類を放り投げるエフラムに、ただフォルデは笑みと敬礼を返した。










「エフラム」
 出立の準備を整えていたエフラムの部屋の扉が叩かれた。返事を待たずに開いた扉は、だが大きな音を立てて閉まる。
「何だ?」
 動き易い服を着ていたエフラムは、不思議そうに扉を見やる。くぐもった声で「早く支度をしてくださいまし!」と苦情の言葉。全くラーチェルの行動原理はわからない。
 いいぞ、と声をかけるとゆっくりと扉が開いた。そろそろと覗いてきたのはやはりラーチェルである。エフラムがしっかりと身支度を整えた様子に安心したらしくズカズカと――不思議なことに優雅に――入ってきた。
 エフラムの傍らに置かれた槍を見て、ラーチェルの心はいたく騒ぐ。レギンレイヴ。彼の槍。
 数多の苦難を共に乗り越えてきたものだ。
(そして、彼の父が特別に作らせたものだと聞いている)
「ラーチェル?」
 問われてラーチェルは意識を取り戻した。レギンレイヴに奪われかけていた視線をエフラムに戻す。
「……エイリークには、挨拶はしていきませんの?」
「していくさ」
「そうでしたらいいのですけど」
「君は、俺がよほどエイリークに対して不義理であるかのように思ってるらしい」
 実際、その通りではないか、とラーチェルは思う。この男がエイリークを案ずるのと、彼女がエフラムを案ずるのとでは後者の方が圧倒的に多いに違いなかった。
「貴方が無茶をするから、わたくしはエイリークが心配なのですわ」
「そうだと助かる」
「……どういうことですの?」
 エフラムは笑っていた。気負いのない笑いだった。
「エイリークの奴は優しいからな。見守ってやってくれ」

 それは、自分を心配してくれるなと言うことか。

「……言われずとも、貴方のことなんて心配していませんわ。並み居る魔物とてエフラムを前にすれば裸足で逃げ出しますもの」
 つん、といった声音での言葉にエフラムは楽しげに笑う。(このひとのこどものように笑うすがたはすきだ)
 さて、と槍を手にするエフラムがラーチェルに部屋を出るように言うと、ラーチェルは咄嗟にそれを静止してしまった。
「エフラム!」
「どうした?」
 碧の瞳に見つめられて、ラーチェルは息が詰まった。目の前にいるのは信じるに足りる王であり、誰より頼れる戦士であり、何より理解しがたい男である。
「お父様に、自分の子供を傷つけさせてはいけませんわ!」
 エフラムの碧の眼差しが凍った。

「……それは、貴方の為すべきことですのよ」
 言いたいことを100として、10も伝わっていないだろう。それほど口から出てくる言葉は稚拙に終わり、ラーチェルの若緑の瞳が揺らぐ。
 けれどもこれは、伝えなくてはいけないことだ。



 それが、貴方の為すべき事。



「ラーチェル」
 エフラムが、この時自分に決意を告げた理由は何だったのだろう。十年後にさえ、ラーチェルはその理由がわからないでいる。
「俺は、父上を殺す」

 それまでの焦燥に満ちた瞳ではなく、静かな瞳だったと思う。
 あれは貴方の父親ではないと言ってあげられたら良かったが。
(心も表情も記憶ですらハリボテな、貴方の声をしたお父様)
 だが、ラーチェルはエフラムの決意に背中を押してやるべきだと思ったのだ。

「貴方にならできますわ」

 どうか二度目の死を苦痛ではなく安らぎを迎えるものとしてあげて。





 けれどもエフラムは笑って。
「君は嘘が下手くそだな」
 伸ばした指先で、ラーチェルの頬を擦った。



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(05/05/07)