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噂しか知らない 聞き心地の良い、良い噂しか知らない
それに誇らしく思う そして慕わしい あの声に、誉めてもらいたい
あの時に聞いた、凛々しくも強い声音を もう一度聞きたく思う ( なんかじゃ足りない)
レストの杖をフォルデが持ってきた後のラーチェルの行動は素早かった。 ラトナの使い手であることを疑いもしない流暢な詠唱で杖の力を引き出し、エフラムの身体から病を除去しようと振るう。 だが、病、と言うのは別に身体の異物であるわけではない。 単に毒を除去するようなものよりもよほど精神の集中を必要とする所作に、ラーチェルは万全の準備を整えていたようだった。 数分続いた詠唱の後、杖をエフラムの枕元に放り投げたラーチェルは額の汗を拭うとカイルとフォルデを一瞥してくる。 「あなた方が声高にいい広めないだろう、というのはわかっておりますの」 でも、と続ける。 「エイリークにはお伝えなさいませ。知らせなかったら許しませんわよ」
それを、朦朧とする意識の中見上げた後、エフラムの意識は途切れている。
「エフラム様」 記憶の彼方で、幼げな声にそう呼ばれたことがあった。あれは、ルネスが攻められる事も無く、グラドに侵攻することもなく、グラドへの留学を終えたころだった。 ルネスは国家的に魔道士の育成はしていなかった。故に発達したのは塾的な師弟制度であって、王都よりも集村地域に多かった。体系的な仕組みが無いので種は千差万別。だから、その土地にシャーマンの研究を続ける塾があったとしても、おかしくはないことだった。 その子供は、迫害にあっていた。 養い親である闇魔道士が永の眠りについた後、闇魔道士が果たしてきたことを、当然村人達は子供に求めたのだが、子供はその域に達するほど腕がよくない。 そのために、家畜が幾度と無く死んだ。 子供は疎まれ、蔑まれていた。
「エフラム様は、僕が嫌ではないんですか?」 真黒の髪をした少年が囁くように言った。エフラムは不思議そうな顔をする。 「どうして」 「え、その……僕が、駄目だから……」 エフラムはますます不思議そうな顔になる。彼には、己を卑下するという精神が理解しがたい。 「俺はお前と会ったばかりだが、その歳でその知識量は凄いぞ」 誉められて少年は俯いた。 「でも、僕は師匠と同じくらいにならないと……」 「師匠と同じである必要が、どうしてある」 え、と見上げた少年に、エフラムは空を見上げるばかりである。 「お前は何がしたいんだ」 多分、あんなにも構ったのは自信のなさそうな振る舞いと、それに似つかわしくない膨大な知識。そして闇魔道の空気がリオンを思い出させたせいだ。 「僕……?」 「決めてないのか?」 少年は困惑したように頷く。 「だったら、自分が何ができるかを考えてみればいい」
「何ができて、それを、何に使いたいか」 エフラムは、至極良い案を思いついた、というように少年を見た。輝く碧の瞳に、少年は呼吸を止める。 「思いつかないなら。人を助ける方法を考えてみればいい。闇魔道は、人を助けられるものなんだぞ」 勿論、そのためにはしっかり修練が必要だけどな!と朗らかに言うエフラムを、少年は眩しげに見つめていた。 「その・・・じゃあ」 少年はおずおずと考えを口にした。その言葉を聞いて、エフラムはやっと少年を”少年”として認知したと言ってもいい。 「エフラム様が、笑うことがしたいです」
あれきり、エフラムはあの村に訪れてはいない。
「エフラム?起きたんですの」 数回ノックをした後、返事を待たずに扉を開けたラーチェルは寝台に目を向けた。 寝台に腰掛け、書類を眺めているエフラムの様子はすっかり健康体のようでこうして様子を見に来る必要もなかったかもしれない、と思う。 それも当然か。この男は丸一日寝ていたのだから。日頃の生活態度が伺えるというもの。 エイリークが何度と無くやってきていたが、彼女は王不在の間の書類片付けに忙しい。 「君か」 エフラムは書類をサイドテーブルに置いた。自然ラーチェルも視線を向けるが、それに書かれている闇魔道と言う響きに多少眉を潜ませる。
「嫌いか?」
エフラムが出し抜けに聞いてくる。ラーチェルはそれを珍しいと思いながらも正直に答えた。 「好きではありませんわね。闇魔道は魔王と同一の力を利用するものでしてよ。この聖王女ラーチェルには相応しくないと思いませんこと?」 苦笑を浮かべたエフラムに、でも、とそっぽを向く。 「ただ否定する気もありませんわ。異質なれども、あれも双聖の力の一つですし……」 それに。 否定したら、きっとエフラムは。 「アーヴを覚えているか」 「……覚えていましてよ。我がロストンを追放された人物ですわ」 「俺も、戦後になってやっと名を思い出した。数十年前の異端闘争の主役だったんだな」 「ええ」 ラーチェルは当時生まれていない。彼がどんな思想を説いたのかをしらない。彼がどんな人であったのかを……知らない。 「叔父様は」 マンセルは、悲しそうだった。 「叔父様は……自分は、間違っていたのかもしれない、とおっしゃっておられましたの」 一言に否定してしまったと。 思想の否定は、生き方の否定。私が一人の聖者を魔に貶めてしまったのだと。 「……人の方が、恐ろしいと言われたことがある」 エフラムは目線を落として呟いた。全くもって珍しい姿ばかり見る。病み上がりだからだろうか?
「聖も、魔も、どれほど違いがあるだろうか。……大切なのは、それをどう使うかで」 「エフラム!」 続ける言葉を、ラーチェルは声高に制した。 「魔典グレイプニル、それが何故双聖器と呼ばれるか、お解りですの?」 「いや」 「ラトナ様はおっしゃいました」 ラーチェルは目を伏せて聖厳と紡ぐ。エフラムはふと気がついた。ラーチェルは目を伏せた姿がひどく清廉だ。
「『まず力があるのではありません。正しきことに振るうからこそ、それは聖なる力と呼ばれるのです』」
「あなたの振るうジークムント……それは、あなたが正しいことに振るうからこそ、双聖器なのですわ」 ラーチェルは瞳を開いた。彼女はいつだって自信に満ち溢れ、正しき道を知っている。 「自信をお持ちなさい。それともあなたは進んできた道を悔いておりますの?」 「いいや」 何度だってこの道を進むだろう。それを悔いるのは馬鹿げたことだ。
エフラムは寝台を下りると衣装室に向かう。思い出したように振り返った。 「ラーチェル、俺は今から着替えるのだが」 「もっと早く言ってくださいまし!」 羽毛の枕が飛んできた。
「聖者を、闇に貶めてしまった――――」
室内に声だけ響いた。
「エフラム様?」 現れた主の姿に場に居た文官武官が揃って立ち上がり敬礼をする。座れ、と手を振ったところにフォルデが足早に近づいてきた。 余計なことを聞くことはなく顔色を伺って小さく頷く。 「これ、追加資料です」 差し出してくる資料を受け取って、エフラムは手早く目を通した。小さく目を見張る。 「研究所が発足して以来魔道士の所在地申請が制度として完成されましたから、それほど難しくはありませんでしたね」 「フォルデ、ここと……ここあたりに人を出せ」 どうして、とはフォルデは聞かない。 「ではエフラム様は執務室で吉報をお待ちください」 「必ず呼べよ」
「ラーチェル様」 エイリークと過ごしていたラーチェルに、聞きなれた呼びかけがかかった。振り返るとそこにはカイルが居る。 「エフラム様からの伝言で、治療には感謝しているとのことです」 「まあ、兄上ったら」 心配げに寄せられた眉根はそのままに、エイリークの呟きが聞こえる。
直接、言えばいいのに。
エイリークの唇の動きはそれであったが、同時にそれはラーチェルの心境だった。 直接言えばいいのに。 目覚めるときに傍に居たのに。 強く凛とした、エフラムの声で言って欲しい。
(あの気高い魂がか細く震える瞬間は、隠して強く導いてあげるのに)
ラーチェルは強く凛とした声音で肩を竦めた。 「もう少し、礼儀正しくおなりなさい、ってお伝えくださいな」
伝言なんかじゃ、本当に足りない。
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