体調が悪そうだな、と思った

けれども玉座の上で前ばかり見つめてるこの人に
どうしてそう何度も言えるだろうかと

「俺が見とくから」

きっとあの人も、あいつの方が良いだろうと

自分の気がつかないところ
自分の及ばないところ
けれども
自分しかできないこともあったはずなのに



出会ったあの頃にそう思ったはずだろう
初志貫徹、貫いて見せろ!





…あんたが悪いんだ






「……エフラム様」
 陛下、とお呼びするべきか。
 ゼトに何度か言われたことだったがカイルは呼び名を変えられた試しがない。おそらく自分に直す気が無いからで、そうであるならこれからも変わることはないだろう。
 通い慣れた昔の部屋ではなく、王の居室。
 重層でありながら典雅。オルソンに支配されていた頃にここだけは誰の手にもつけられなかった(オルソンの居た部屋のさらに奥にあったからだが)部屋は、エフラムにあつらえたかのように似合った。
 王子らしくない王子だ。というのはデュッセルの言葉だがカイルにとってはエフラムはどこまでも王族だった。
 気高く、穢せないものをもっている人だ。

 室内から返事は返ってこなかった。それを確認して、カイルは静かに扉を押し開ける。
 エフラムの許可なくして立ち入ることを許された数少ない一人だ。他の者が許可無く入ったところで、エフラムが咎める事などないだろうけども。
 大きな寝台にはたっぷりとした羽毛の掛けの中、主君が埋まっている。
 レストの杖は自然の病をも癒すことができるが、瞬く間に病が立ち消えるわけではなく安静が必要だ。特に、体調から弱まっている今は何より睡眠が必要らしい。
 眠りに落ちているエフラムの表情は安らかで、昨夜のものとは雲泥の差である。

 それを確認して……。
 やっと、カイルは重い溜息をついた。















 視察に出ていたエフラムが帰還したのは、昨夜の夕方のことだ。
 近日執務室に篭もりっぱなしであったエフラム。人ごみの中に出ることなく、どうせなら城内でゆっくり静養の時間をとって欲しいとカイルは言ったが、主は城下が見てみたいと聞かない。
 元来駆け回るほうが好きな人だ。軽い立ち回りぐらいしたほうが体調はよくなるのかもしれない。だったら自分が供を、と思ったがその前に軽い口調でフォルデがとりなす。
(まあまあ。俺が見とくから)
 いいですよね?と言うフォルデにエフラムが不承不承頷く。
 カイルはもう、頷くしかなかった。二人揃って抜けるわけにはいかない。
 早く戻ってくださいね、と幾度も念押しをして、ぶつぶつ呟きながら職務に戻る。
 職務は散々だった。
 気が散漫していて修練相手を強打しかけたし、2,3文字を間違えた。ゼトは三回溜息をついていた。

 そのことばかり気にしていたカイル、だから気がついたのは当然のことだ。

「……フォルデ?」
 見覚えのあるしっぽ頭が視界の隅に入って、カイルは素晴らしい健脚を見せた。呼びかけられ逃亡したフォルデは、先回りをされて観念したように手を上げる。
「どういうことだ、お前はエフラム様の供をしていたはずだろう」
「エフラム様なら大丈夫だって。あの人は強い、生半可なことでどうにかなる人じゃない」
「お一人で行かせたのか!?」
 フォルデは苦笑して、左手をひらひらとさせた。
「ルネス国内において、エフラム様を傷つけたい人なんていないさ」

 そんなに世界は綺麗じゃない、と怒鳴りつけたかったが喉の奥に張り付いたように出てこなかった。





 『ファード』の目撃報告
 それがされたのは数日前のこと。
 ルネス王都郊外で、目を疑うような姿。
 エフラムは視察を決めた。臣下を信頼しているが、こればかりは。

 ……こればかりは、自分の目が必要。





 エフラムが帰還した、と言う報告にカイルは飛んでいった。フォルデは苦笑しながらゆったりとついてくる。
 遠目に碧の人影が見えてきて、カイルは安堵したように息をつく。だが隣のロストン王女の険しくも焦燥めいた表情に訝しいものを感じた。エフラムの表情に再度視線を移す。
 後方のフォルデが慌てて駆けて来るのと同時に、カイルは見事な鉄面皮を作り上げていた。
「カイ ル」
 声音の平然さに歯噛みしたくなる。どうしたって。
 ……どうしたって、この人は無理をせずにいられない。玉座についたこの人は。

「よろしくて?」
 ラーチェルが険しい顔をそのままにこちらへと近づいてくる。看病を申し出るのかと思ったとは反対に、彼女はこう申し立てた。
「レストの杖を用意なさいませ。わたくしはお隣の部屋を借りて休んでおります。杖を用意次第扉を叩きなさい」
 フォルデが短く了承の返事をした。軽くカイルの肩を叩き、エフラムの耳元に何事か囁いて踵を返す。

「こちらへ」

 カイルは冷静にも見てとれる仕草でエフラムの手を引く。
 伝わる冷たい体温に、背筋が凍った。



 エフラムは寝室まで自分の足でたどり着くと、平然とした表情を崩した。瞳が輝きを濁し、意識が白濁しているのが見てわかる。
「エフラム様」
 カイルの差し伸べる手を払うと、ふらついた足取りで寝台に倒れこむ。
 冷えた体温は、急速に異常な熱を帯び始めている。















 カイルは眠り続けるエフラムを黙って見下ろしていた。

(言えない)

 綺麗な人だ。強い人だ。……導いていく人だ。

(世界が綺麗ではないと、言うことができない)

 カイルは幾度となくそんな事実に直面し、その度にそれが何だと乗り越えてきた男だった。
 どんな困難なことであろうと打開していけると思っていたし、信じさせてくれたのはエフラムだった。
「エフラム様」
 フォルデに何故それを言うことができなかったのかを知っている。あの男も、だってそれを知らない男ではないのに。
 言うことができなかった原因が解っている。
 悪い人を、知っている。

 ままならないと解っていて。
 現実的に過ぎる人。
 だというのに理想を抱いて……。

 カイルはゼトが届けた枕元の書類をねめつける。こんなものを、見せたくは無いのだ。
 守れたらいいのに、と思いながら守られることを望み。
 理想の王者たることを望みながら幼げなものを残して欲しいというのは、まったくもって我侭だ。

 視界の資料から目を逸らす。
 カイルは騎士だ。これを隠蔽は……流石にできるわけはない。



『闇魔道資料についての流出報告』



 カイルは歯噛みした。
 こんなにも世界は、この人に逆らっている。
 それでも、告げることができないのは。










「……あなたが悪いんだ、エフラム様」



             りそう
 この人の目指す世界を、ないと否定することなんてできない。



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(04/12/31)