「どうだ?」
「やはり、見つからないとの事です」
「……そうか」
「どうなさいますか」
「事体は急を要する」
「棺に身体を納めて墓地への埋葬を行え。正式な葬儀はこれが終わった後に国葬として行う」
「はっ。……エフラム様」
「なんだ」
「大丈夫ですか?」
「そんな気遣いは、エイリークにしてやれ」





そろそろ、機嫌を直してくれないか






 広い執務室に主と客人がひとりずつ
 大きな机一杯に積まれた書類に目を通している主
 ご丁寧にあさってに向けられた椅子に座っている客人
 王城の一角は平穏を保っている
 ……いまのところ





 カリカリカリ。ポン。ぺらっ。

 不規則に響くペンを走らせる音、印章を捺す音、書類を捲る音。
 若き国王エフラムの仕事を邪魔する音は何も無い。
 元来集中を始めてからは、ちょっとやそっとの音では見向きもしない性質である。

 カリカリカリ。ポン。…ぺらっ。

 向けられない視線。向けられた意識。ピシピシと軋む空気。
 気が散漫する。
 元来かしましく次から次へと言葉を重ねる彼女が黙っていることが、これほどまで不自然に感じるとは。

 カリカリ……はあ。

 エフラムはペンを進める腕を止め椅子を正面からずらした。やや斜め前方に急遽置かれた椅子は座る彼女の専用椅子と成り果てている。
 けれどもその彼女は椅子ごとあさってを向いており、こちらを見る気配はない。だが何も口にしないながらもちくちくと訴えかける様子にエフラムは諸手をあげた。

「そろそろ、機嫌を直してくれないか。ラーチェル」

 高く結い上げた緑の髪が僅か揺れ、つん、とそっぽを向いたようである。
「わたくし、機嫌を損ねてなどおりませんわ」
「……とてもそうは聞こえない」
 エフラムは額冠で留められた髪に手をいれた。視界に映るラーチェルの姿は優雅に腰掛けた姿だが、見慣れない後姿に調子が狂わせられる。
「菓子の件は、悪いと思っている」
 ラーチェルがぱっと振り向いた。上目遣いにじっとうろんげな視線を向けてくる。
「本当に悪いと思っていますの?」
「ああ」
「本当の本当に、ですの?」
「ああ、本当だ。けどラーチェル、俺に作ったものなんだろう?どうしてそんな」
 エフラムは言葉を止めた。ラーチェルの眉が吊りあがっている。

「エフラムなんて知りませんわ!」

 ラーチェルは勢い良く椅子を蹴倒して足早に執務室を出て行った。
 失敗した、と額に手をやりながらエフラムは理解しがたいように頭をひねる。
 経緯はこういったものだった。










 カタリ、とペンを置いた。エフラムは瞼を覆うと深く溜息をつく。前線に孤立したレンバール、数日徹して槍を振るった時もここまで辛くは無かった気がする。
 目の前には裁可された書類が積まれている。
 エフラムは、ここ数日睡眠は一日に三時間程だった。寝ている暇などない、と不精するとどこからともなく察知したゼトやカイルが連日の頭脳労働で疲弊したエフラムを寝室へ押し込むのである。
 今日からロストンからラーチェルが訪れていたが、エフラムは始めの挨拶時に面しただけで後はエイリークに任せきりだ。
 本来は国賓を招く身として仕事を済ませたかったのだが現状がそれを許さない。
 彼女達はあの戦場の中で友情を築いた仲だから、エイリークも気分転換になっているだろう。
 そこでエフラムは微苦笑する。ラーチェルに連れまわされているに違いないのに、エイリークが疲れるとは思っていないのだ。
 ラーチェルのそれは天性のものだと思う。多分に自分勝手な我侭ぶりなのに、不思議と嫌な気にさせない。
 ロストンとルネスは以前は国交がさしてなかったが、こうしてラーチェルが公式に訪問してくることで自然商団の行き来も始まる。国土を復興させて自作できるようにして、農地の少ないロストンと交易を始めるには……。
 エフラムは思索に入りかけた意識が拡散して眉を寄せた。
 脳に糖分が足りない。戴冠の際ある時計職人が献上してきた置時計に視線をやると、三時になろうかという頃合である。
(何か甘いものでも貰ってくるか)
 そこで待っていれば程なく誰かが様子を伺いにきたであろうし、卓上のベルを鳴らせば隣室のものが気づいただろう。だがエフラムがそこで身体を解そうと自ら立ち上がったのが、後の騒動の元であった。





「すみませんラーチェル、兄上はお忙しいので私と遊んでいただけますか?」
 涼やかな声音にラーチェルはまあ、と軽い否定をした。
「何をおっしゃいますの、エイリーク。わたくしは貴女に会いに来たんですのよ」
「ふふ。ありがとうございます」
 エイリークは存外身長があるため、ラーチェルと並ぶと視線が合わない。だが普段から見下ろすように見上げているラーチェルは特に気にならないらしく明るい声音で話を続ける。
 似ているようで、随分違う。
 これは、滲み出る空気の違いだろうか。父王が彼らに託した二つの腕輪の銘を聞いたが、それを体現したかのような双子であった。

「エフラムは」
 ラーチェルはそこで唐突に話題を止めた。先ほどから『エフラムは』と始めたのは何回目だろう。
 傍らのエイリークがそれに全く違和感感じることなく会話を繋げていたから意識することが無かったが、それは何だかとても気恥ずかしい気がする。
「兄上がどうか?」
 言葉を止めたラーチェルを、エイリークが促した。
「エフラムは……随分と顔色が悪いようでしたけれど、あまり寝ていないのではありませんの?」
 エイリークはその言葉に物憂げに瞳を伏せた。「休んでください、とおっしゃってるのに」
「兄上が裁可しないとならない書類がたくさんあると言って、ここ数日ずっと執務室に泊まりきりなんです」
 それは、どこか違和感を感じさせる物言いだった。
 ラーチェルは、エフラムの性格を知っている。客人が来ようが必要だと思えば躊躇い無く仕事に詰める男だが、今回の彼女の滞在は割合長期であった。
 友邦国の王女を迎えて、仕事はむしろ滞在前に終らせようとするのが彼だ。国賓に対しての扱いに憂慮が無いようにと滞在中に合わせて時間をとる。実際前回の訪問はそれで倒れたエフラムに対しライブを振るった記憶がある。
「何か急な報告でもありましたの?」
「ええ……ラーチェル、気になりますか?」
「な、なななな何をおっしゃいますのエイリーク!わたくしはエフラムのことが気になるなんて一言も申しておりませんわ」
 肌を真っ赤に染めて狼狽するラーチェルは、とても素直だと思う。
 それでいて無思慮ではなく、己を隠すことすら知っている友人を、エイリークはいとおしく感じた。

「そうだラーチェル、今日は何か予定を考えていますか?」
 ラーチェルはロストンから長旅をしてきたのだ。如何に彼女が旅慣れているとはいっても疲れているに違いない。元々城下へと行く気はなかった初日だが、これは中々良い案のように思える。
「兄上への差し入れを一緒に作りませんか?」
 ルネスに伝わる一般的な焼き菓子なんですが、と続けるエイリークに、ラーチェルは驚き、わくわくと胸を高鳴らせ、もじもじと赤面した後に困ったように眉根を寄せる。
「けれども、わたくしお菓子を作ったことなどありませんわ」
 作れるのは、ロストンに伝わる伝統料理のフルコースくらいです。
「それで充分ですよ。大丈夫です、作り方は私が教えますから」
 伝統料理にお菓子は一つも入らなかったのだろうか、とエイリークは少し不思議に思った。





 ひょこ、と厨房に顔を覗かせたのはこの国の国王だった。
 あるまじき行為だが、この国の国民は、そんな若き国王の垣間見せる幼さをとても愛していた。
 国王となる前にあれほど奔放に城下を駆け回っていた王子が、今は一転と国事に終始携わっているからか、普通逆であるべき姿に安堵を抱いているのである。
 エフラムは奇妙な顔で厨房を見渡した。常ならば厨房に詰めている料理長も、調理師達も誰一人いない。調理した香りは残っているのに残していくなど考えられないことだ。
 何かあったのか、と思いながらそれを打ち消した。
 あの報告以来、どうにも神経過剰であるように思えてならない。
 動揺するのは私事だ、とエフラムは思った。調べてみれば何でもないことだったりするのだ。
(実際料理長等が席を外しているのは王女二人が調理をしていたからである)

「誰もいないのか?」
 エフラムは視線をめぐらせる。元々脳が糖分を求めて悲鳴を上げているのに加えて、甘い香りは随分目立つ。
 焼き菓子の存在にエフラムは近寄ると、再度周囲に視線を巡らせた。やはり誰の姿も無い。
 菓子の横にカードが何枚か置かれており、香水を振り掛けられた色紙には自分の名が書かれていた。どうやら食べても良さそうだ、とエフラムは納得する。
 納得してしまえば即決な国王は焼き菓子を口に放り込んだ。



「きゃあああああああっ!!」
「もご!?」
 エフラムは一瞬咽かけ、それを免れる。とにかく口内に残る菓子を咀嚼し飲み込んだ。それでようやっと視線を向けると、そこには朝方来訪の挨拶にやってきたロストン王女が愕然たる表情でエフラムを指差している。
 何か悲鳴をあげることでもあったのか、と自分をみやるがそうには見えない。
「食べてしまわれたのですわね!?」
「不味かったか」
「まあ!不味いとは何事ですの!」
 このわたくしが作った焼き菓子を、と続けられた言葉にエフラムは目を丸くする。エイリークなら想定内だが、まさかラーチェルが焼き菓子を作っていたとは思わなかった。
「勝手に食べてしまってすまなかったな。君の作ったものだとは知らなかったんだ」
「全くですわ。せっかくエフラムに食べていただこうとエイリークに教えていただいたのに」
 ひどく悔しげに歯を噛み締めたラーチェルに、エフラムは不可解な言葉を聞いた気がした。
「俺に出すつもりだったのか?」
「そうですわ」
「俺が食べたよな?」
「そうですわね」
 ラーチェルは、悲劇を語るように天井をあおぐ。
「庭に設えた白いテーブル、初夏の庭園を見下ろす景観……」
 なにより、と口上を続ける彼女。
「まだ三時になっていないではありませんの!」

「それくらい、構わないだろう」
 口にしてからまずいと思う。
「反省の色がありませんわ!」

 そして冒頭に続く。










 勢い良く執務室を飛び出たラーチェルだったが、そのまま駆け出そうとした足は唐突に止められた、というのも丁度執務室にやってきた人影と正面衝突したからである。
「大丈夫ですか?」
 転倒を思ったラーチェルは、だが無事にその場に留まっていた。視界の端に金の色が揺れる。見覚えがあった、エフラムが右腕と頼む騎士である。
 フォルデに支えられているのを知ってラーチェルは悲鳴をあげようかと思うが、だが留まった。フォルデの扱いはまったく不躾のない騎士が姫君に扱うものであったし、ラーチェルとしてもそのように扱われるのには慣れていた。
 やはり、あんな風にあけすけもなく自分を扱うものはエフラムぐらいだ。嫡子として申し分なく育てられていたはずなのに、あの男ときたら素直で己を取り繕うことがない……。
 先ほどまで腹を立てていた男のことばかり考えていることに気がついて、ラーチェルは頬を膨らませる。フォルデが丁重に立たせたのにも気がつかない。
「ラーチェル?何だ、まだいたのか」
 執務室からそのエフラムが顔を出してきて、ラーチェルはぱあっと頬を紅潮させた。
 エフラムからすれば走り出たラーチェルがまだ部屋の外にいたことが不思議だったに違いないが、いないと思っていたと言いたげな言動は心外だ。
「これから走るところだったのですわ!」
「これから?」
 そうですわ。とラーチェルは駆け出した。その所作さえどこか気品の感じるものであることを、エフラムが感服している時に、フォルデがひそりと耳元に囁く。


「確かに、ファード様に似た姿を確認したそうです」


 エフラムの表情が一変し、眼差しに強いものが走った。けれども握り締めた拳はどこか弱弱しい。掠れた声で呟く。
「首は」
 言葉になったことで、びくりと瞳を瞬かせた。だが払拭したように動揺は消え、小さな声で言葉を紡ぐ。
「父上の御印は……確かに、見つからなかったと」
「はい。そう報告されております」
 エフラムは息をついた。
 長い長いそれを止めると、ようやっと瞳に輝きが差す。
「次の報告を待つ」
「はっ」





 走り去ったラーチェルには、二人の会話に気がつく余裕は、もちろん存在しなかった。



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(04/12/21)