「何故俺に炎の教えを請おうと思ったんだ」

「君は炎の血族だろ。……違うのか?」





うさぎのりんご






 アーサーにとってリーフとは「王子様」だ。
 上流階級と縁のない生活を送ってきたアーサーだが、この軍に加わって以来何かと血筋のよろしい人々と付き合っている。だが、物語に出てくるようないわゆる「王子様」だと感じたのはリーフが初めてであった。
 金髪に青い目をしているわけではないが、穏やかな微笑みと実直で素直な気立て。匂うような高貴さがそれを物語っている。
 何よりリーフは「従える者」だ。別世界の住人だと思って疑わない。

(……どうしてそんな人に、俺は炎を教えるはめになっているんだろう)

 人に何か頼めば受諾されると思っているような暴虐無人な振る舞い、それが抵抗なく受け入れられてしまうのも、また王子様だということなのかもしれない。
 何よりリーフは、アーサーが故意に黙っている父方の血族を言い当てた。本人曰く勘らしいが、よりにもよって皇帝に属する血筋を暴露されることは避けたい。

 振り回されていることは、自覚したくなかった。










「紅を冠する炎の神竜よ。血を引継ぎし血脈の徒、アーサーの名に置いて契約の調印者となる」
 ファイアーの書を前に、ちろり、と赤い光が跳ねる。書に落としたリーフの血液が赤い光となって立ち昇っていった。
 契約の終了である。
「……ん。契約は了承された。王子は結構、精霊に好かれているんだな」
「そういうもの?」
「そういうもの。個別の精霊に特化せずに、三精霊を操るものほど『精霊』という存在そのものに好かれる必要がある。それがダメだと何もかも中途半端になるんだ」
 アーサー自身、三霊を操る身であった。リーフの魂に刻まれた精霊との契約に、視線を向けながら続ける。
「王子は上級魔法まで遂げるつもりなんだろう。いいことなんじゃねーの」
「そうだな」
 だが、どうにも光の上級魔法は難しいんじゃないかという感触。
 真面目に眉を寄せてリーフが言うのを、アーサーは贅沢な意見だ、とつれなく切り捨てた。
「光魔道は努力しても身につかない奴がほとんどなんだぜ。あっさり契約できた王子はマスターに向いてるよ」
「そっか。嬉しいな」
 嬉しそうに笑う姿は幼げで、自分よりよほど年若く思えた。

「その」
「うん?」
 ファイアーの魔道書を前に集中を続けていたリーフが瞳を開けてアーサーを見る。色合いこそ自分のものとは異なるが、赤い瞳と言うことで共通している。
「王子はティニーに剣を教えて、いると」
「ああ。私もティニーに雷を教えてもらっている」
「どうして?」
 ひどく拙い物言いになって、アーサーは焦った。リーフは穏やかで透明なまま、表情を動かしてなどいないのに。
「どうして、とは?」
「だって」

 フリージは、トラキアと同じように、王子の仇ではないか。

 リーフは目を丸くして、くしゃりと頬を緩めた。
「アーサーは、自分もフリージの人間だとは思わないのか」
「俺にその血が流れていても、俺はフリージが嫌いだ」
「でもティニーにはそうじゃないだろ」
「当たり前だ。妹だぞ」
 その言葉は矛盾している。だがアーサーにとってその矛と盾は両方とも並んで立つものだった。人間らしい、わがままで自分勝手な、当然の感情だった。
「同じだよ」
 リーフは柔らかく囁く。
「アーサーの考えと、同じことだ」

 何のことだか、アーサーにはわからない。










 魔道書がエルファイアーになった頃、約束の時間になってリーフを訪れたアーサーは少しばかり呆れた。リーフはナンナと一緒にテーブルを囲んで林檎を食べている。
「人を待たせて何やってんだよ」
「やあアーサー。今朝はまだ何も食べてなくて」
「食べ損ねたのか?ちゃんと食わないと身体が持たないぞ」
 アーサーが綺麗に切り分けられた林檎の一つに手を伸ばすと、ナンナが険の篭もった視線を向けて嗜める。
「行儀が悪いわ」
「行儀を身につける生活をしてこなかったもので」
「そうだったら、身につけていったほうがいい。日常の仕草で軽んじられるのは、損だもの」
 アーサーは若干眉をしかめたが、それだけだった。復讐を遂げればどうだってよいなどと、この場で言うことではない。大人しくナンナの差し出した串で林檎を刺す。
 シャリ、と口の中に林檎の果汁が広がった。果物はシレジアでは早々お目にかかれなかった。北トラキアは土地が豊かで果物も安価で手に入るのが素晴らしい。
 これから向かう、南トラキアとは大違いなのだろう。
 そう思うとウサギに切られた林檎がなんだか滑稽に見える。

「これが、トラバントが狙ってるものかあ」
 ぽつりと呟いた言葉は地雷だった。ナンナの様子が途端に硬化したのがわかってアーサーはあちゃあ、と内心舌を出す。
 そろり、とリーフに視線を向けるが、その赤い瞳は常となんら変わりなかった。変わりないのが、何故か恐ろしく。同時に同類を見つけてしまった気分に陥る。
(同類?誰が、誰と)
 リーフは別世界の生きものだ。絵に描いたような王子様。己の国を蹂躙した家の少女と、親交を温めるような、穏やかで、優しい。
(アーサーの考えと、同じことだ)
 リーフの唇が動き、呼気が流れる。

「南トラキアは土地の貧しさ故に北を攻め、北は土地の豊かさ故に南を拒絶する」
 南北の争いは今に始まったことではなく、避けられることでもない。避けるにしてはあまりに両者は近すぎる。
 互いに戦いあうことは定めであり、そこに個人的な感傷は入る余地もなくなっている。
 だが刷り込まれる両者の憎悪に、リーフは呑まれる気はなかった。刷り込まれたのはむしろ、南に生きる人々も、リーフが守るべき民だということだ。


「けれどアーサー。私はトラバントがそれは憎くて、殺してしまいたいよ」



 君と似てるね。
 リーフは串をぐさりと、うさぎのりんごに突き刺した。



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(07/03/07)