「マスターを目指そうと思う」
リーフの言葉にナンナは目を瞠る 「どうしてか、お聞きしても?」 ナンナの言葉にリーフはさも意外そうに瞬きをした 「何かをしていないと、落ち着かないからかな」
あかに蝕まれないように 走り続けないと
「驚いた?」 うさぎのりんごにしゃくり、と噛み付きながらリーフ。 「いえ。……いいえ、少し。……その、結構」 ナンナはリーフに嘘をつくことなどできはしない。とつとつとした気まずずげな声にリーフはぱっと笑う。 「……驚きました」 「だろ」 リーフが。トラバントを憎んでいる。 それは極当たり前の符号だったはずだ。レンスター王子なら。 「リーフ様は、ティニーにもアーサーにも何もおっしゃられないし。……オルエン達にも何も言いませんでした。多くの敵を、殺さないことを選んでらっしゃった」 「うん」 「ディーンやエダが、リノアン様をお守りするためにと従軍を求めた際も、何も」 「そうだな」 「ハンニバル将軍、にも……」 「ああ」 「だから」
だから、私たちとは異なって。リーフはトラキアに対して遺恨を抱いていないのかと思っていた。否、抱いていないリーフを望んでいた。 「私はトラキアは憎くない。ただ、トラバントだけは駄目だ、感情で許せない。思い描くだけで心が暗く燃える」 ナンナはリーフの横顔を盗み見た。ひどく静かな面持ちであったことに、ナンナはまた動揺した。感情にまかせた顔つきであればナンナの心は癒されたのに。 「ねえナンナ、私は、夢は」 言葉にすることは躊躇われた。フィンにぶつけた感情と似ているが、荒れたものではない。既にそういうものなのだと受け入れてしまった分類に近い。
「トラバントを殺す夢しか、見たことがないんだ……」
「リーフ様」 ぐるりと顔を回して、主の顔を正面から見た。リーフの顔は青白く、りんごを凝視している。 「ずっと、夢ってそういうものだと、思って。……でも、おかしいことだ。なのに安心するんだ。私はトラバントを憎まなければならないし、事実、私は憎んでいるだろ?」
だってこんな感情、トラバントにしか抱かない。聖なる証に選ばれた、天空の覇者にしか。 「だから、私は強くならないと。神器に勝るくらい強く……そしてトラキアを統一する。この半島に住む人々から、互いへの憎悪が消えてなくなるまで。だから」 「リーフ様!」
ナンナの再度の呼びかけに、リーフは顔をあげた。くるくると変わる表情の上に、今は不安が乗っている。リーフは自分を偽ることを知らないので、リーフの表情から何を考えているかなんて全部わかってしまうのだ。 ナンナはごくり、と喉を鳴らす。通り抜ける寒気に、吐き気がしそうだ。
「リーフ様、私。フリージとトラキアが、嫌いなんです」
「う、ん?」 ナンナの言葉の意図がわからぬ、というようにリーフは曖昧な相槌を打つ。務めて感情が篭もらないように、ナンナは繰り返した。 「フリージで、トラキアであるというだけで、嫌いです」 それは澱みの告白だった。 「ティニーだって、嫌いです。優しい子だってわかっているけれど、それでも」 「ナン」 「そんな風にフリージだからというだけで、憎むことができる。そんな私が嫌いなんです」
リーフではなく、ナンナの方が顔を伏せた。主の柘榴色の瞳にはどんな風に映っているのか確認するのが怖かった。 金色の髪に、空色の瞳。花のようだと詠われながら、現実にはなんてそぐわない!
「でも私は、強くなりたいし。こんな自分で嫌いな私を、抱きしめてやりたいんです」 ぱたり、と空色の瞳から涙が零れる。 「私を誇り、両親を誇り、大地を誇り、国を誇り。貴方に誇れる、すべてになりたい」
そんな風に生きていることは、おかしいことですか。
リーフは手を伸ばした。俯きながら、しかし輝くように燃えている青い瞳が見える。 ごつごつと骨ばった指先でそっと囲い込んで、おかしくない、と言う。
全然。 おかしくなんてない。
「だって、生きているんだから!」
走ることにも、立ち止まることにも。振り返ることにすら、全力で生きろ。
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