「私が、貴方に斧を?」





ずるいひと






 ヨハンにとって、リーフ王子とは長く遠い敵の名であった。生存さえ隠蔽されてきたセリスとは異なり、リーフはトラキア半島の中逃亡を続けているということが有名であったからだ。
 アルスターにおけるブルームへの決起未遂よりリーフへの追っ手は苛烈となり、どの街にも手配書が配られたほどである。ヨハンはそれを、イザークで聞いた。
 叛逆者シグルトの親友、キュアンの息子。
 トラキアの希望を一身に背負っているだろう、太陽の名をつけられた少年。

(……そうなら、彼はイザークにとってのシャナンのようなものなのだろうな)

 彼は旧時代を引きずる悪癖だろうか。
 それとも暴虐な侵略者から国を救う英雄なんだろうか。

 どちらであるにせよ、ヨハンが考えるのは良い政治を行うということだけだ。イザークの文化を尊重しながらも彼らを帝国に染め、共に一つの国民であるということを刻み込んでいくこと。

 まさか、出会うことになるとは思っていなかった。









「リーフ王子、今日はこれで止めにしよう」
「え、でも――」
「これ以上続けても身にならない。わかるだろう?」
 穏やかな微笑みにリーフは眉根を寄せた。斧を持つ立ち姿は真っ直ぐで変なくせがない。
 まるで帝国で最も美しい型を教わったかのようで、なるほどヨハンに教えを請うはずだ。

(どうして私に?)
(私は我流で腕を磨くほうじゃないから)

 一つを貫き磨くのであればそれもいいだろう。だがリーフは数多の武具を縦横無尽に操るために訓練をしている。そのためには最も洗練された基本の型が一番いい。
 斧を持つには細い身体、細い腕だと思っていたが、見た目よりも筋肉も骨格もしっかりしている。
 いくつ年を経ても少年さの拭われない素直な性質は、人々が英雄と祭り上げるのに相応しいように思えた。

「君は、私は教師に向いていると言った。それなら私の言うことも、聞いてくれるだろう?」
「……うん。すまないヨハン」
 リーフは素直に頷くと斧を下ろした。緊張が解かれるとどっと疲れが出たのだろう。ぺたりと地面にそのまま座って間接を鳴らしている。
「誰かと、喧嘩でもしたかい?」
 ヨハンもその傍らに腰掛けてそう問うと、びっくりしたような見開いた瞳がこちらを向く。
「別に、そんなんじゃ」
 もごもごと言い辛そうに明後日に視線を飛ばしながらいうので、ヨハンはくすりと笑った。
「実はね、私も先日、佳人と喧嘩をしてしまってね」
「え」
 憂い顔で溜息をつくヨハンにリーフはまた視線を向けてきた。
「仲直りしたいのだけど」
 なかなか、とヨハンが続けるので、リーフもそうだね、とおずおずと頷いた。

「私も、喧嘩を。……いや、喧嘩と言えないかもしれないんだ。一方的に言いたいことを言ってしまったと、いうか」
「言い合いにはならなかった?」
「うん。……と、いうより、あれは言い返したりしないだろうし」
 だから、言うべきじゃなかった。
 しょぼんと瞼を伏せて言う姿は、既に何が悪かったのかはわかっているようだった。
「これと同じだよ」

 ヨハンは斧を掲げた。座った状態から重量のある斧を支えるのは骨がいる。振るう力に負けない筋力、握力。
「大きい力だ。振り下ろしたら、振り切るしかない。だからこそいつ何に下ろすのか、よく考えなければならない」
「……うん」
 リーフが頷く。それに対してヨハンはでも、と続けた。
「けれど、だからと言って振り下ろさないままにするのもいけない」
「え?」

「たまには思い切り振り切らないと、支えた自分から崩れてしまうのさ」

 さあ、休憩は終わり。始めようか。
 ヨハンは常どおり朗らかに笑うと立ち上がった。
「私も、何かヨハンの悩みに貢献できるか?」
 王子の明るい声音に、これまた明るく答える騎士。

「いや、私は今日も昨日も明日の予定も、人間関係には全く悩んでいない」

 しいて言えば、どうして私の女神はあんなに美しいんだろうなあ、とか。



 リーフはしばらく沈黙しヨハンの言葉を反芻した。
 そして結論を出した。





「……ヨハン、ずるいぞ!」



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(07/01/27)