「……雷を?……私でよろしいのですか」





こころのかさぶた






 ティニーにとって、リーフ王子とは遠く離れた存在である。
 彼は、彼女を恨んでしかるべきだ。リーフは彼女の家に蹂躙を受けた国の王子であり、彼女は支配者の一人でありながら、嘆くだけで民を救うことはなかった。
 リーフに従う臣下の多くがティニーに対して白眼視を向けていることをティニーは承知していたし、償いのために何ができるのだろうか、と長く心を痛ませていた。そして未だ、戦線の一端を担うことしかできないでいる。
 だがリーフはティニーに会っても何か罵ることはなく、解放軍に参列した一人として扱った。彼の軍に帰属していたフリージの隊を、彼女と彼女の兄に預けさえしたのである。

(何を、お考えなのだろう)

(何が償いになるのか、私は知るべきだわ)

 最初の一歩は、やはり興味であったのかもしれない。好奇心は常に、他のなにもかもの感情を上回る。










「そう、雷の魔道を。……一方的に私が習うのが不公平かな?」
「い、いいえ!そのようなことは……!」
 首を傾げたリーフに、ティニーは必死で手と首とを振った。自分に何かが求められるということは、素晴らしいことだ。フリージの中でも隔離され、期待を寄せられない身であったティニーはそれを痛切に感じる。
「と、言っても私は教えることができるのは剣くらいのものだ」
「……!で、では、私に剣を教えていただけませんか、リーフ様」
「……君が、剣を?」
「はい。……剣を、身につけたいのです」
「更なる魔道ではなく?」
「……はい。誰かを傷つけることも、誰かを癒すことも、私はこの手で、確かめたい」
「……わかった。私は君から雷を、君に剣を。……杖は、一緒に習おうか?」
 ふわり、と柔らかく笑ったリーフに、動揺を覚える。
(この方は、私をフリージのティニーだとわかっておいでなのかしら?)
「……勿体無い、お言葉です」

 一緒に頑張ろうか、とリーフが笑う。
 それにつられて、ティニーも微笑んだ。





「蒼を冠する雷の神竜よ。血を引継ぎし神の娘、ティニーの名に置いて契約の調印者となる」
 サンダーの書を前に、チラチラと青い光が弾けた。書に落としたリーフの血液が青い光となって立ち昇っていく。瞬間世界中に蒼い精霊たちが走り、リーフに対してなにやらくちゃくちゃと喋った。何を言ったのか聞き取れずに世界は再び平常に戻る。
「……契約の仲立ちは終りました。これは例えば真剣を拾い上げたようなもので、使い方や勘を掴んでいかなければいけません」
「なんだか、変な感覚だ。ずっと光の剣を解放しているような気分」
「それが続くと、危険になります。……雷精は炎や風と異なり、限りなく殺傷性の高い力ですから」
「ああ……わかった」
 首を捻り頷いてリーフが集中を始めると、ティニーはほう、と息をついた。彼女自身、他者の契約を取り次いだのは初めてである。

 目の前の少年はなるほどマスターを志すのを誰にも制止されなかったわけで、適性が広範なようだった。
 神の血を継ぐ者たちは精霊の偏りが強いが、リーフにはそれがない。それでいて、魔力こそ高くはないが魔道士の道を選んでもおかしくないほど精霊の加護を受けている。
 最高位の魔道書を尽く操ることも、可能なのかもしれない。
(師が誰であろうと、関係はなく)
 目の前ではリーフが呼吸と共に雷精と意思を沿わせているのが見えていた。
 武具ではないのだ。魔道は適性が第一をいく。ひとつふたつ助言をするだけで、リーフにとっては充分なのではないだろうか。

「……私ではなくとも」
「え?」
 声に出ていた。ティニーははっとして誤魔化そうと顔をあげるか、リーフの柘榴色の瞳に制される。
 続きを、と命ずる視線に促され、ティニーは吐息をついた。
「……リーフ様に雷をお教えすることで、私、少しは償いになるかと思っていたのです」
 故国を滅ぼす剣を、手ずから教える。
 それは少しは償いになるのではないかと。
「でも、……その確信もなくなりました」
 視線を落として憂いを見せるティニーに、リーフはしばらく沈黙を守る。静寂に耐え切れずティニーが口を開こうとした頃、リーフが言葉を洩らした。

「どうして?」
「え……どうして、とは……」
「ティニーはどうして、私に償おうと?」
「……リーフ様が、お責めになられないから」
 リーフとの初対面の時、ティニーは彼に謝った。フリージであること、何もできなかったこと、正確には言葉にならない。
 ティニーの言葉に、だがリーフは瞳を細めたのみだった。冷たさは感じさせないが、酷く静かに。

「君が、ティニーとして謝るなら、私は君を何も責めない」
 耳を疑ってティニーは顔をあげる。どこか夕焼けを潜ます蒼い瞳を見つめ、リーフは続けた。
「だが、フリージを継ぐ者として謝罪するというならこちらも準備がある」
 ティニーが凍りついた。
「君と、君の兄上。どちらが継ぐことになるかは知らないが、どちらにせよフリージに身を置いていた君の助力は不可欠だ。君は戦後、フリージの支配者になるだろう?」
 心臓が急に冷えていく思いがして、ティニーは温かみのある色合いのリーフを見つめた。フリージは彼女の家であったが、彼女は長く継ぐという言葉からは無縁であった。
 第一、フリージには従姉がいるのだ。トールハンマーに選ばれたイシュタルが。未だイシュタルと同じ道を歩くという希望を抱くティニーにとって、リーフが疑いもなくイシュタルとの決別を予定に入れているのが怖ろしかった。

「……ごめん」
 ティニーの蒼い瞳がみるみる震えていくのがわかって、リーフは目を伏せる。どうして?とか細い声でティニーが聞いた。
「君をいじめた。……思ってる以上に、私も拘っているんだな」
「いいえ。……いいえ」
「君が、そうして傷つき続けているように、私も……十五年は、長かった」

 触れてはかさぶたは落ちて、血を流す。

「……リーフ様、私がいつかフリージを継ぐと心に決めて、償いをしたいと言ったなら、あなたは」
 柘榴の瞳が優しく凪いだ。リーフの赤い目は、血や炎の色とは程遠い。
「多分それでも、君を責めない」
 ティニーは一層震え、華奢な身体を支えるように抱きしめる。
「……どうして、ですか?」
「君が剣をとって、傷つくことも知りたい、と言うから」

 だから君を責めない。愚かさに嘆いてもがく為に走る姿は、自分と同じだから。

 リーフの顔に笑みが昇らないので、ティニーも笑わなかった。酷く真面目で悲しい顔で、二人は向き合う。
 だがその間にあるものは、おそらく優しいものだ。

「ところでティニー」
「はい、リーフ様」
「……魔力が抑えきれないんだけど」
「ええええ!」





 濃密度に行き場を失った魔力を放出させ、僅かに逸らすことでティニーは暴発を阻止した。
 極度の魔力の行使に疲れきったリーフがふらふらとその場にへたり込む。緊張に見舞われたティニーもぺたりと座り込んだ。
 それから顔を見合わせると、少年と少女は耐え切れないように笑い出した。



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(07/01/02)