「風を、君に?





チョコレートを一粒






 セティにとって、リーフ王子とは奇妙に近く感じる存在である。
 風の手ほどきをし、グラフカリバーを授けたアスベルの影響だろう。弟子ときたら二言目にはリーフ王子のお役に立ちたい、と決意を新たにしていたのだ。
 それでなくとも、彼は亡国の王子だ。
 帝国に追われ、旧臣に希望を向けられる。立場もまた、似通っている二人であった。シレジアとレンスターという土地柄の違いが、決定的に苦労を分けてはいたけれど。

 結果的に、リーフはかつての自国で逃亡を続け、セティは流れ着いたマンスターで勇者となった。二人はマンスターで出会い、解放を誓い合い、そして再会を果たす。
 半年は少年には長い時間であったのか、再会したリーフの瞳からはあどけない色合いが大分拭い去られていて。
「僕は、聖戦士ではないのです」
 自嘲げに、そう呟いた。










「はいセティ。アスベルと一緒に、私にも風魔道を教えていただけませんか」
 様付けなどしなくていい、と言ったので、リーフはそれに従っている。だが回りくどい丁寧語は抜ける様子は見せなかった。
 リーフの傍らに居るアスベルに視線を向けると、誇らしげな顔で「リーフ様はマスターを目指していらっしゃるんです」と教えてくる。
 セティはそれに、何故か違和感を覚えた。だが悟らせないくらいの微笑みで、頷く。
「私は厳しいよ、リーフ王子」
「望むところです」

 彼に風など、必要ないのに。





「翠を冠する風の神竜よ。血を引継ぎし神の子、セティの名に置いて契約の調印者となる」
 ウィンドの魔道書に落としたリーフの血が、緑色の光の粒になって瞬く間に弾け散る。リーフの世界が瞬間風精に溢れるものに作り変えられて、再び常のものに還っていく。
 契約は成立した。既に雷の契約を済ませたリーフのプロセスはスムーズだ。風魔道は最も素質を必要とするが、素質を持つものに対し、風精は酷く甘い。リーフの大地色をした髪がひらと攫われ、久遠の空へと少年は視線を向ける。
「……向いているかも、知れません」
 おずおずとした告白は、風の掌握を完了した後にされた。フォルセティの継承者であるセティにそう告げることが躊躇われたのだろう。
「私も、そう思う。おそらくサラマンダルとの契約を交わしても、印象は変わるまい。ゆくゆくは、私のトルネードの魔道書は王子にあげようか」
「本当ですか?ありがとうございます」
 ご褒美を貰った子供のようにリーフが笑うと、セティは反対に顔をしかめた。

「……どうかしましたか?セティ」
「どうして、君がマスターを目指すのかと思って」
 マスターナイトは高貴な身分のものに冠される称号だが、真実その名に相応しくなろうと思ったのなら、適性と長い……訓練が必要になる。幼い頃より徹底的に訓練を与えられる高貴な身分だからこそ、可能な称号でもあるのだ。
 リーフはレンスターの王子だが、その身は2歳のころから逃亡の身であり、祖国奪還のために技術を与えられてきたといっても、マスターのための訓練ではないだろう。
 まして、魔道士の教授など望むべくもなかったはずだ。今更契約から始めているのが、いい証拠。
「私がマスターを目指すのは、無謀でしょうか?」
「いいや。そうではない……だが、君の剣は充分強いのに」
「ミストルティンを持ったアレスに、敵いますか?」

 セティは言葉に詰まった。だがリーフは別段昏い瞳を見せるわけでもなく、アレスを称賛するように笑う。
「アレスはとても強い。馬上の剣ではきっと、誰も彼に敵わない。それはシャナン王子や、セティも同じです。聖戦士に対して、その土俵で戦うことは愚かなことです」
 けれど、戦場は、試合ではない。
「私が聖戦士と渡り合うには、有利な土俵で戦う必要がある。有利な土俵を、作り上げることが必要になります」
「……そのためのマスターだと?」
「それは、どうせ目指すなら、ということなんですけど」
 リーフは再び、空を見上げた。真っ青な空に白い雲が浮かんで、蒼が一層冴えわたる。リーフの赤い瞳にも、青い空が映っている。
「できること、全て。やり遂げないとならないような気がして」
 危うい瞳だった。





 風の精は、強固に定まっていないものをとても好む。自由に、純粋な透明さを好む。
 セティは自分が純粋であるとは思えない。だから周りが思うより、ずっと心が遠く飛んでいってしまっているのだ、と思っている。
 だがリーフを風精が愛するのは違うだろう。きっとその純粋さを愛されている。父がそうであったように。
 風との契約を済ませ、リーフは本格的に風を自在に操るための訓練を始めた。今も、セティが見守る前でアスベルと魔力をぶつけあっている。

 リーフは、いつも自由とは程遠い。
 こうして風を放つ姿をみて、セティは確信した。少年は常に『成し遂げるべき』ことに心を囚われ、邁進している。その純粋さが並外れた成長をもたらしている。
 今囚われているものは、何になのか。

「二人とも、そろそろ休憩を挟め」
「ですが」
 手を止めたアスベルと、非難の視線を向けてくるリーフ。その幼い視線に安堵を覚えて、セティはポケットからころり、と菓子を二つ取り出した。
「甘いものを取った方が、効率もいいさ」
 少年二人は顔を見合わせ、他愛もない『ご褒美』に怒った仕草を見せる。別に子ども扱いしているわけではないのだが。

「……いただきます」
 リーフがてのひらを差し出してきたので、セティは笑ってチョコレートを一粒転がした。



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(07/01/04)