「アポカリプスに聞いてみるといい」

去り際、エリウッドはそう言った

「神将器には、それぞれ意思が宿っている。
 わしには恐ろしいだけのものであったが、君にとっては違うかもしれない」





不老のシステム
5:ベルン





「アポカリプスに、意思ね……」
 レイとソフィーヤはリキアからベルンへと入った。国境付近は戦場で荒れた記憶が濃かったが、五年も過ぎた今では傷跡のほとんどが見えなくなっている。
 封印の解かれた神将器は、その全てが再び封印の下に置かれている。レイが五年前に操ったアポカリプスもまたベルンの地下へと埋蔵されているはずだ。それに接触することは、ギネヴィアに求めるにしても困難なことだろう。
 どうやって忍び込むか、と考えを巡らせながら、レイは少し遅れてついてくる少女に視線を投げた。ソフィーヤは少し俯いてついてきている。レイがこうして振り返っていることにも気がついてはいない。


(レイ、私は。あなたと共に、千年を生きたい)

 口に出すつもりはなかったのだろう。ソフィーヤの頬は青ざめ、目に見えて動揺が映った。
 世慣れぬ長寿の娘。常はこのように感情を揺らすことは稀である。だが、この話に関してはソフィーヤの反応は異なった。
 ついてゆく、という言葉ひとつなく。レイの方こそついて来いとの言葉ひとつなく。始まった二人の旅は不老のシステムを追ってゆく。その度に、彼女の紫色の瞳に映る不安と、期待。そして恐怖。
 つい、と出たソフィーヤの言葉に、レイは返事をしなかった。




(だってあれは、本気なんかじゃないだろう)










 アポカリプスをもう一度みたい。
 レイの要求は断られた。ギネヴィアとの謁見が、ミレディづてに成就した私的な場においてのことである。
 今や女王となったギネヴィアと、レイはほとんど面識がないけれど、八神将の一人に名を連ねた少年のことを彼女は忘れてはいなかった。
「ロイ様から、貴方が各地で古代魔術に関わったものを調べていると聞きました。アポカリプスにもう一度、と思うのがそれ故であるならば、尚更私はそれを認めるわけには参りません」
 彼女は、「竜」がために一度故郷と断絶した。兄を失う理由となったのも竜に連なるというならば、その拒絶は当然のものだったかもしれない。
「……」
 だが、レイは不満げに涼やかな女王の瞳をみやると、棘をこめて問うた。
「そんなに、エトルリアが怖いのか」
 ミレディが血相を変えるが、ギネヴィアはすう、と瞳を細めたままである。


「賢い子。……ええ、ベルンは未だエトルリアの監視を抜けられてはいませんから」
 戦後から五年。エトルリアによる分割統治は免れたが、敗戦国であるベルンの立場は未だ厳しいものである。エトルリアから派遣された管理員の人数は、減らされていない。
「ですから、私は八神将たる貴方だからこそ、許可するわけには参りません。わかりますね?」
 レイは女王の視線を受けて、仕方が無い、というように肩を竦めた。
「ベルンの滞在中は、ミレディ、貴方の邸宅に泊めてあげて」
「はい、陛下」
「次週の祭典のため、私もミレディももてなす事はできませんが、その間ベルンをゆっくり楽しんでいってください」
 毅然として去った女王を、レイは淡白に見送った。






「……他国を攻めたのは……ギネヴィアさまでは……ありませんのに。どうして、怖がるのでしょう」
「怖がる、お前の言葉の通りさ」
 ミレディの邸宅は、ベルンでも屈指の名門の家の別宅であるだけあって、見事なものだった。戦中は姉弟揃って裏切り者として名を記したのだからその際相当な家宅捜索にもあったのだろうが、今はその残滓も無い。


「ロイの軍は名目上はエトルリア軍だったけど、実際上にはエトルリアの誰が居た?兵士や騎士は内乱でボロボロ。参軍したのは将軍格の数人だろ。結局八神将だって軒並み他国の者だった」
 少ない荷物を床に放り、椅子にこしかけて指を振る。
「自国内は内乱で荒れて、腐敗した実態が赤裸々に暴露された。西方諸島は独立の色合いが濃いし、嫌気が差して他国へ移った民も多い。今エトルリアはヤバイんだ」
 煌びやかであったエトルリア。だがその実体は膿を掻きだすのに忙しい。
 何より民が長年の謳歌に慣れ過ぎて、意欲を注ごうと思わない。


「ギネヴィアはロイと昵懇の仲だ。今エトルリアが怖いのは、ベルンがリキアと手を組んで、今までエトルリアが独占してきた交易の場まで手を広げて力をつけることなんだよ」
 今の環境でわかるだろう、とレイは手を広げる。
「どういう考えだかは知らないが、ロイがギネヴィアに俺たちにアポカリプスを見せてやってくれ、とでも文を書いたんだろう。そうでなければ竜の情報をベルンが出すなんてことはない」
「……祭典の際に、と……おっしゃられてました……」
「そうだ。警備がそちらに集中するし、エトルリアの者は祭典への出席を求められる。ファイアー・エムブレムならともかく、アポカリプスは祭典とは縁がないからな」
 わざわざ城に程近いミレディの邸宅を宿にと申し出て、警備が薄くなる時を教えるなんてことは、忍び込みなさいといっているに他ならない。
 レイの瞳が、好奇心にきらきらと光っている。研究者としての一面は、目的に関わらず知識に触れることが楽しくてたまらないのだろう。
「とはいっても俺達は素人だからな。元々もぐりこむことになるだろうと思っていたから、ツテでプロを紹介してもらってる」
「プロ……ですか……?」
「ああ。大陸中歩いたころのツテだな。さて、祭典までどうするか……ミレディの邸っていうんだから、飛竜とか、いるのかな?」
「どう、でしょう……」
「ああいう竜は、ナバタにはいたのか」
「いいえ。……理想郷には……いませんでした……」
「そうか」


 それきりレイは黙ってしまう。沈黙は苦ではないけれど、かすかにちらついた違和感の理由をソフィーヤは探っていた。
 レイはナバタを、理想郷とは呼ばない。
 時の止まったような優しい、停滞した、砂の監獄。
 走り続ける人間であるレイは、理想郷と言う言葉さえ、愚かしいものに映るに違いない――。


(そこで、ソフィーヤは驚いた。レイは確かに五年前からそういった人であったのに、気づいたのは今だ)










「あんたが、ウィンド?」
 レイが手配を任せたのは初老の男で、こういった仲介を行っている者だった。戦前に旅をしていた頃に知り合ったものだ。彼はまだ幼いレイが一人旅をしているのを気にしてなにくれと気を使ってきたのだ。ヒュウと旅をするきっかけになったのも、思えばあの男だったかもしれない。
 ウィンドと呼ばれ、名乗った男は頬に大きな傷跡のある、長髪の男である。
 男は暫しレイをまじまじと見やった後、少し笑った。
「ご紹介に預かったぜ。ベルンの最奥に、しかも素人二人を連れていけなんていう要望を叶えられるのは俺ぐらいと自負している」
「基本的にはあんたの指示に従うけど、商売気は出すなよ」
「黙示が欲しいってわけじゃないのかい?」
「別に、いらない」
 ウィンドはやけにおかしそうに笑うので、レイは不機嫌になる。様子を見守っていたソフィーヤが小さく頭を下げた。
「よろしく、お願いします……」
「ああ」
 今も風を名乗る男が、瞳を細めて微笑む。






 ベルンの祭祀の日を迎え、三人はひっそりと忍ぶ。
 外に攻め込み、返り討ちにあい。ベルンの戦力は激減した。エトルリアから戦力制限を受けていることもあって、大陸に名高い騎士団の力も半減している。
 内政を整えるべく治安に配備した人数と、今回の祭祀に動員した騎士。アポカリプスの眠る城の外れの見張りは少ない。とはいっても、レイもソフィーヤも闇魔道士に過ぎず、忍び足など長けてはいないのでけして楽な侵入ではないのだが。


 正直、レイはアポカリプスとの『面会』に期待はしていない。

 戦時中に託された黙示録を、レイは繰り返し読み解いた。ソフィーヤの魔道書、ニイメの研究書。そのどれにもない深淵が、そこにはあるのだ。空で暗譜ができるほど、繰り返し読んだ。
 その時、アポカリプスの意思などに遭遇した記憶は無い。
 他の神将器を託されたもの達も、一言もそういったことは聞いていない。今更ひっそりとアポカリプスを読みにいこうと、何が判明するわけでもないだろう。だが、可能性が低いからと、無視していくような考えはレイにはない。


(エリウッドが、神将器に意思があると言った根拠は、なんだ?)





 神将器には意思がある、とソフィーヤは知っている。
 誰が教えたわけでもないが、彼女に備わった不思議の力がそれを伝えていた。竜を殺すために、神々から与えられた神将器はことごとくが竜を排する心を持っている。
 八神将の、残滓だ。
 千年の長きを経る中で、歴史に埋もれた竜の復活は数多くある。二十五年前のネルガルのものは、そのうち最悪の一つに過ぎない。
 八神将の意思は、その度に消費され、今では神将器に心は残されていないのだけれど――。


 先を進むレイの背中を見つめて、ソフィーヤは少し俯いた。
 レイが望む答えは、ソフィーヤが答えられるものが少なくないだろう。だが彼女は率先と話すことはないし、問われても満足な返答は望めぬ。
 それと解っていて、レイは聞かないのだろうか。
 それと解っていて。
 ……どうして、ソフィーヤが着いてゆくのを、厭わないのだろう?


『では、どうして……貴方は着いていくのでしょう……?』

 怖かったから。怖ろしかったから。
 現れたレイに流れる、時間が怖ろしかった。
 何人もの守り手が生まれては死に、また生まれ。私に備わった予言の力が数多くの死ばかりを伝えてきたというのに。
 預言者ソフィーヤ。ナバタの巫女。
 彼女の予言は、負の予言。
(わかる未来は、悪いことだけ)
 何百年も繰り返して、心を潜め。どうして、今頃こんなにも怖いのか。


『でも……五年前は、ついていかなかった』

 だって、レイは何も言わなかった(それは五年後の今も)
 五年前は、彼に流れる時間に気がつかなかった。
 瞬きほどで過ぎる時間が、レイにとってどれほど大事なものなのか、知らなかったから。


『本当に……それだけ、ですか?』

 あの時、共に行かなかったのは。

 ……本当に、それだけ?










「レイ!」
 ウィンドが叫んだ。
 時間がとまっているかのように、ゆっくりと流れたような気がする。
 新緑の色合いが、視界をずれていく。


(私は、この光景をしっていた)



 私の知らない、五年後のレイ。
 謎を秘めた古代の叡人。
 案内をする、紫色の男。




 レイが、夢の中ではないレイが、ゆっくりと闇の中に墜ちていく。
 力の失せた闇の申し子を抱きこんで、ブラミモンドは感情無く呟いた。


「お前は、こうなることを知っていたはずだ。竜の巫女」

 案内人の男が血相を変えて、レイをもぎ取る。ブラミモンドは口元に笑みを浮かべてそれを許した。
 紫色の髪が黒衣に落ち、呼吸を。






「……息を、してない」

 『疾風』ラガルトの呟きに、ソフィーヤは声にならない悲鳴をあげた。




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