「懐かしくもあり、また応援したいとも思うよ」
紅蓮の髪に、瞳 フェレの血族の証
実際の年齢よりも一回りも老けて見えるのは 病だけのせいではないのだろう
「後悔だけはしないように」
不老のシステム 4:フェレ
「鮮やか……です……」 秋と言う季節がそう思わせているのだろう。農業が盛んなフェレ地方は土地が肥えていて、山の木々が色鮮やかな変化を見せている。 この時期は収穫祭で、孤児院の子供達もお菓子や果物を食べることが出来た。孤児院のあった場所はフェレの隅で、耕作の方法さえ満足に知らなかった院長は土地を肥えさせる方法さえわからなかったものの、なんとか過ごすことができたのだ。 レイはふと、残してきた兄のことを考えた。孤児院のあった場所に学校を建てて、広く魔法を教えるという建物の裏には、実は畑がある。作物に触れるのは理魔道の勉強になるからだが、半分以上は食べるためだ。 レイとルゥとチャドが貰った先の戦争での報奨金を、全て使い尽くしておまけにヒュウから金を借りて建てた学校だ。どうしているだろう、とレイはふと感傷的な思いになった。 ソフィーヤは、じっとレイの横顔を見つめている。
二人だけの旅路は急ぐわけでもなく、レイとソフィーヤは村に立ち寄って祭りを覗いたりもした。 賑やかに輪になって踊る中には流石に入る気は沸かなかったが、人里に降りた隠者かといった衣装の、年若い男女。人目につかないでいるのは難しく、花輪や木の実の首飾りを押し付けられてレイは辟易としてしまう。 ソフィーヤの独特の時間感覚から、彼女の感情を読むことは難しく。花輪をまじまじと見つめるソフィーヤの心は依然わからなかったが。 「フェレ地方は、国境にあるだけあって国家間の紛争の最前線に立つ地方だ。それだけ騎士団が強くて、財政も富裕。普段はのんびりとしたところがあるから新鋭と言った空気はないけどな」 「ロイ様は……こういう土地で、育った……の、ですね……」 「だから、あんなボケなんだよ」
二人はフェレの城を視界に収めると、収穫祭に笑う人々の流れに逆らいながら城へと歩いていった。無論、事前の知らせなど伝えてはいなかったが、リグレ公の時と同じく、あっけなく城内へ通された。 「やあ。ソフィーヤ、レイ」 待たされた一室にロイが駆け足で入ってきた。それにかしこまるわけでもなく二人は視線を向ける。十五だった少年はすっかり青年になり、おさなびた様子はなくなっていた。ロイにとってのレイも、また同じだっただろう。 ただ、ソフィーヤは変わらないのだ。ロイはふとよぎったその思いに頭をふる。 「一体どうしたんだ?魔道学校に何か起きた?」 それであれば書状なりなんなり送られてくるはずだとは思ったが、検討のつかなかったロイはそう聞いて問う。 レイは軽く首を振り、正確に用事を伝えなかった騎士へ内心毒舌を吐いた。 「違う、俺はエリウッドに逢わせろと言ったんだ」 「父上に?」 当然、ロイは驚いた様子だった。先の大戦でアポカリプスを操ったレイと、ナバタの理想郷の住人であるソフィーヤ。父は詳しいことは一切話してはくれないが、若い頃に理想郷に行ったことがあるとちらりと話してくれたことがある。 半竜であるソフィーヤはその頃からナバタにいたはずだから、用事があるのは、ではソフィーヤなのだろうか? 「いいから取り次げよ」 レイの物言いは相変わらず不遜なものではあったが、十三の頃の幼さを覚えているロイには微笑ましいものがある。今や数々の執政を受け継いでいるフェレ公子は鷹揚に笑って承諾した。
この城は、どこか竜の香りがする。ソフィーヤはそう感じた。 理想郷にどこか近い、愛された竜の痕跡だ。 ただそれは、遠い記憶に封じ込められたものに近く、ソフィーヤに死の気配を囁きかける。 彼女は巫女であったので、周囲の過去と未来にくるまれて小さな欠片を忘れ果てていた。
母の、死んだ気配だ。
エリウッドとの会見は、彼が体調を崩していたために寝室でのものとなった。 初対面での寝室での会見と言う異例な状態に臣下の何人かは渋い表情を見せたが、ロイの後押しもあったらしい。奥まったこの城で最上のものだろうと伺える寝室は、柔らかで穏やかで、静かな病の香りがした。 「このような姿ですまないね」 出迎えたエリウッド候は、確かまだ統治者としては若いはずだと記憶している。一回りも老けて見えるのは病が原因なのだろう、こけた頬は病的に白く、瞳の輝きも褪せて感じた。 先天的に身体が弱いようだ、とレイは思った。幸いエリウッドは侯爵の家に生まれ、充分に気をつけて育ったから今までこうしていられるが、出血一つ、風邪一つでも大きく彼を蝕むはずだ。病に対する抵抗力が弱いため、ほんの少しのことが致命的になりかねない。 エリウッドは二十歳にもならない外観の二人の闇魔道士に瞳を細めた。途端、清い気配があたりに漂い薄暗い雰囲気が払拭される。 「君がソフィーヤ、そして、レイだね」 ソフィーヤが小さく頭をさげ、レイは軽く首をしゃくることで応えた。 「フェレ候としてのわしに聞きたいことがあるのではないのだろう?君達は、何を聞きたくてやってきたのかな……」
レイは口を開くと、こう告げた。 「あんたは二十五年前の、竜の事件にどう関わったんだ」
二十五年前の日付だった。経過、気候、変化の状態。様々な多大に理解不能な書付の中にエルバートの名があった。その年号はエルバート前侯爵が急逝し、エリウッドが侯爵を継いだ時期と一致する。 ニニアン、ニルス。二つの竜の名前。 そしてレイは、その姉の名前と同じ名前に覚えがある。フェレ候エリウッドが迎えた薄命の妃ニニアンの名と同じ名前であったのだ。 もしもニニアンが叙述どおり竜であるなら、どうしてそんなにあっさり死んでしまったのだろう。あるいは何らかの理由で隠しているのだろうか。年を取らない妃をいつまでも人々に晒しておくわけにはいかないからだろうか。 そう考えるには、妃が亡くなってからのエリウッドの憔悴はあまりに激しすぎる。 嵐のように考察を述べるレイに対して、エリウッドは苦笑を交えずにはいられなかった。竜の単語を出されたときのエリウッドの動揺を見て取ったのだろう。秘匿に値する知識を晒すのに、この子供はいっさいの躊躇がないようである。
彼女が亡くなったのは確かなことだ、とエリウッドは言った。 「何故?ニニアンは竜ではなかったのか」 「彼女は竜だったが、竜石を失っていたために、環境の変わったこの大陸で長く生きることはできなかったんだ」 レイは眉根を寄せて、何か計算をたたき出している様子だった。ソフィーヤは静かにエリウッドの話を聞いている。そんなソフィーヤに対して、言ってよいものかとエリウッドは視線を泳がせた。 「……ロイ様の、お母様は……」 ソフィーヤがぽつりと呟いた。 「ロイ様をお産みに、なられたから……でしょう……」 エリウッドは小さく頷いた。 目を顰めるレイ。
「竜は……祝福を受けた地でなければ……子供を産んだら、長くは生きられません……竜石を失ったお母様は……ことさら、短く」
そこで、レイは魔竜の女を思い出した。 瞳に感情の揺れ動きは少なく、ただゼフィールの名を呼ぶときだけどうしようもなく炎を帯びた。 あの女の産んだ、憐れな竜のかたまり。 (なんて、弱いいきものだ)
「人は勿論兎でさえ、死を控えて子供をつくるわけじゃないだろうに、強靭で長命な、竜はどうして死ぬって言うんだ」
不機嫌さの滲み出た物言いに、エリウッドは勿論、ソフィーヤでさえ答える言葉を持たなかった。
二人に代々の肖像を見ることを許した後、エリウッドの寝室の扉が静かに叩かれた。 入室の許可を告げると、ソフィーヤが入ってくる。感情の揺れ動きの極端に少ないこの娘は、どこか愛する妻を思い出させた。妻の心がエリウッドには響くように伝わったように、あの少年は彼女の感情が解るのだろうか。 「あの……」 ソフィーヤが、小さく告げた。迷うような口ぶりである。 エリウッドは根気良く穏やかな視線を向けてやると、それでやっとソフィーヤは意を決したように唇を開く。 「エリウッド様の……奥様は、竜、だったと……」 「ああ」 「どうして……奥様と、結ばれたの、ですか……?」 エリウッドは眼差しを綻ばせた。 その問いはあまりに不躾で個人的なものだったが、彼女にとっては重要なことだったろう。それは両親についてでもあっただろうし、彼女自身のことでもあった。
「わしは妻を愛していた。また、妻もわしを愛してくれた。わしは……その選択が彼女にとって全てを捨てさせることだと解っていても、請わずにはいられなかった」 「共に……?」 「ああ。共にだ」 「エリウッド様は……遺されてしまわれた……のに……?」
フェレ候は微笑むと、頷いた。けして顔を顰めることも、ソフィーヤを不安に襲わせる反応もすることはなかった。 「どちらが遺されるか、とは考えなかった。ただ、一秒でも長く傍にいたいという我侭に、彼女が負けてくれたのだ」 その表情が、未だ微笑みがたたえられているのをみて、ソフィーヤはどうしようもなくなってしまった。
小さく会釈して寝室を出て行く少女の後姿を見ながら、エリウッドは小さく息を吐く。
「お前達は、まだ若い。輝かしい未来がある」 エリウッドもニニアンも、永遠を信じられるほど強くはなかった。 互いに身に負った零れ落ちる砂時計。幼い頃より、ずっと早世を知りながら生きていた二人には。
「脇目も振らない情熱というものが、時に不可能さえも可能にするんだ」
今ではそれこそがネルガルを支えたものだったのではないかと思う。
レイは肖像の間にいた。暗いローブがレイの身体を闇に沈めるが、明るい芽の色合いをした髪が埋没することはない。 視線の先には、人のものとは思われないような銀髪に、赤い目をした女性が描かれている。 何も知らない童女のようでありながら、長い年月を過ごしてきた老婆のような女だった。 一つだけ確かなことは、絵画の中の彼女は、横に寄り添った紅蓮の髪をした男に絶対の信頼を抱いているのだろうということだ。少なくとも絵師の目に映った彼女は。 「フェレ公妃、ニニアンだ」 ソフィーヤは肖像を見上げた。記憶の彼方である母もこういった感情を父に向けていたのだろうか。私を産んで死んだ母は、私を生むことを後悔しなかったのだろうか。 「……この方は、竜ですね」 ソフィーヤとは、まるで違う。
彼女は幸せだったのだろう、とソフィーヤは思った。疑ることを知らない竜の瞳は、愛する人を失って長く生きることがなかったことに感謝している。その瞳は自分の我侭だ、と述べたエリウッドのものとは同じようで違う。 (私は人だ) ソフィーヤはそれを痛烈に感じた。 この私の中にたちこめる恣意的な願望は、人だけが抱くものなのだ。
だがソフィーヤは人でありながら何千年の寿命を甘受し、それを当然と受け入れてきた。だからこそ、彼女の願いはこんなにも彼女に偏っている。
「レイ、私は」
緑色の瞳が肖像から外され、ソフィーヤを見た。真っ直ぐ逸らされない視線が注がれる。 (私は、この瞳が好き)
「わたし、は」
ソフィーヤの懇願に対し、レイは眉一つ動かすことはなかった。 それが否定なのか、肯定なのか。心の中すら見えるはずのソフィーヤにはわからなく、それが酷く不安だった。 次に行くぞ、と素っ気無く告げられ、ただソフィーヤは後を追うだけだ。
「何で、産んだんだと思う」 レイの呟きに、ソフィーヤは暫し混乱した。だがその言葉は勿論ニニアンに対してのものだろうと思い、言葉少ななに彼女の気持ちを考える。 「産みたかったから……では……。例え、死んでも……」 ソフィーヤには理解できない。
「理解できない」
レイは吐き捨てた。
「それだって、あのフェレ候のためじゃない。自分のためだろう」
「……私は……レイと共に、千年を生きたい」
もしもレイが望んでくれるなら、それは共に老いて死のうということだろうに。 (レイ、レイ。どうして不老のシステムを調べるの?)
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