「本気か?」
「冗談で頼まない」


記憶にあるそれよりずっと背も伸びた
肩幅も広くなった、目に鋭さが増した


それでも己よりずっと小さく見える少年と、一層か弱さを感じさせる少女

「俺があんたに聞くのは、できるのか、できないのか?それだけだ」

ギースは苦く笑った
かつて、同じように子供達をあの島に送った血を感じたせいか


「魔の島か」




不老のシステム
3:魔の島





 ソフィーヤは魔の島の深い霧をそうっと進んだ。もう二十五年前になるだろうか、大賢者に届け物をするためにこの島の土を踏んだ。
 当時魔の島は厳しい海峡に阻まれた孤島であった。この十数年で随分と穏やかになってきたとは聞くものの、以前この地は魔の海峡に他ならない。
 訪れる人は少なく、原野のままの大地がそこにあった。霧深く森深い。


 魔の島は、遺跡の眠る島である。

 山の隠者も、かつてその術を受け継いだ息子がこの地を訪れたという。明らかに後世の者が築いてきたものとは異なる文化。
 これは、竜の残した遺物だ。
 理想郷のそれと似て非なる建造物を、熱の篭もった視線で見つめるレイがそう呟いた。






 男は、放浪を続け戻ってきた古巣に異変が起こっていることに気がついた。船がつけられている。
 来訪者であるなら珍しい。
 何度か男を訪ねてやってきたものがあっても、年月を積み重ねるたびにそれは少なくなり、ついには途絶えたはずだ。
 そうであるなら、どこぞの闇魔道士だろうか。
 魔の島と呼ばれるこの島が、竜の古巣であったことは闇の世界では周知の事実。来訪しては落ちていく魔道士は絶えない。
 男は気配を隠しながら、そっと異変の中心へと近づいた。






 レイは中空に腕を伸ばした。
 濃霧の中で移動するのは技術が必要だった。レイもソフィーヤも、その手の知識には敏くはない。彼女に降る天意があれば容易であるのかもしれないが、こうして旅を始めてから一度もソフィーヤは未来について告げることはなかった。
 大気中の精霊を呼び、一定の方向に向かわせる。
 元来天性の才は理に傾いていたはずのレイだから、慣れぬ精霊の相手も不得手ではない。
 風の流れを察知したレイはソフィーヤの手を引いた。
 あっけなく着いてくる温もりはレイの覚えのある人の温もりと変わらないので、彼はいつも勘違いをしそうになるのだ。


「レイ……誰かが見ています」
「なに?」
 戦場にも何度か潜り込んだことのあるレイは、けして気配に疎くはない。そのレイにも欠片も気配を匂わせない誰かとやらは、けして暢気な通りすがりではないのは確かだろう。
「近いか」
「いいえ……」
「ここじゃ足場が悪い。向こうが様子を伺っているうちに霧を出るぞ」
「はい……」
 会話の間、レイは一度も足を緩めずに歩を進めた。


 ここは魔の島だ。
 はぐれ竜がひょっこり出ても、おかしいことはない。






 異変の原因は、二人の男女だった。
 まだ子供と呼んでおかしくない年頃に見えるが、一人はとても子供ではない。いや、子供なのかもしれない。
 男には少女の中に脈々と息づく年月は見えたけれども、それが彼女らにとってどれほどの意味になるのかはわからなかった。だが、少なくとも男よりは成長する生き物だ。
 もう一人は、如何にも闇魔道士といった風体の少年である。装いからすれば、年に似合わずドルイドの称号を戴いているのだろうか。闇魔道は時をかければかけるごとに深遠へと近づいていくと聞く。少年には相応しくないだろうに。
 男は濃霧の中から気配を探ると、僅かに見られたような気がした。気のせいか。
 だが、遠く離れた二人連れは僅かに足を速めた。






「この遺跡が、大体中心地だな」
「はい……竜の門、と呼ばれるところです」
 煤に覆われた石段を、レイは軽く擦る。煤の下から刻まれた古代の文字が浮かび上がっている。高温の炎によって焼かれたような色合いを見せているのはどういうわけだろう。
 相当の炎だったのだろう。石まで溶かそうという勢いは、かなりの碑文を劣化させている。レイは不満げに鼻を鳴らすと、背後を振り仰いだ。
 濃霧に包まれた深い森は静かに黙り、レイの視界を飲み込んでいる。
「動いてこなかったな」
「レイは……どうしますか……?」
「付き合うほど暇じゃあない」
 レイは懐から布袋を取り出すと、そこに指を突っ込んだ。再び出すと、指先にはほの暗い粉がついている。丁度入り口にあたる部分に文字を書きつけていく。
 ソフィーヤはその文字が完成する前に、レイより奥に足を踏み入れた。それを見計らってレイが呪を完成させる。
「よし」
 カツ、と軽快な音を立てて奥へと消えていくレイ。ソフィーヤはそれを静かに追う。


 視線を感じる。
 人のようで、人ではない。
 いきもののようで、いきものではない。
 けれども、私は。


(お前に興味などないのだ)

 だってその男との邂逅は、ソフィーヤが密かに望んでいる結末を遠ざけるだろう。





 レイとソフィーヤがその遺跡……竜の門に篭もって一週間がたった。遺跡は数十年前の悲劇を思い出しているのかどこか赤黒く澱んでいる。
 ひのこ達の悲鳴が僅かに聞こえたように思って、ソフィーヤは門を眺めていた。
 ここではない場所と繋ぐための門。勿論、ソフィーヤにはこの門を開くほどの力はないのだが。
 竜の門は未だ色濃く残る悲劇に濡れて、彼女の神経を磨耗させる。


 早く、レイの傍に戻ろう。

 そうとも、私は歩くことができるのだ。貴女と一緒にしないで欲しい。





「ここで研究を進めていたのは、ネルガルだ」
 アトスの、おそらく共同研究者。人でありながら人ではなくなった者。
「現存する文献を照合すると、そいつは人間の命を集める実験を行っていたらしい。奴はその命を、エーギルと名付けている」
 レイは地面に白墨で図を描きながら続けた。
「闇魔道は人の根源を操る力だが、アトスとネルガルの研究の走性は途中で分岐している。前者は自然の力を汲むように。後者は他者の力を還元するため。精霊たちの力は元々人間に適合するものではないから、アトスだって少なからず人間を喰っていたのかもしれない」
 とはいっても場所は理想郷だから、喰っていたのは竜かもしれないが。
「ネルガルはさらに研究を進めてる。他者への置換だ。術者が如何に魔道に通じていても、他者がそうであるとは限らない。対象の意思の及ばないところで、循環する装置を設置するようなつくりだな。無自覚だから支配が及ばず、自然周囲の生気を喰らってるんだ」


 レイは息を吐いた。

「脆弱な奴らめ」

「闇魔道……は、溢れないように、操れと。長様が……」
「お前はそれでいい」
 ソフィーヤは、器そのものが人間を凌駕している。そして、彼女は闇魔道を操りながらも闇に落ちることはけしてないだろう。何故なら闇に落ちるのは力を求める人の性のようなものだからだ。
 彼女は与えられた今に特に不満はなく、満足している。
 それはレイにとって、つまらないもののように思えたし、そう思うことが何より自分も人間に過ぎないのだと告げているようだった。
 再び視線を落として、白墨を書き付ける。なので、レイはソフィーヤがじっと彼の翠の目を見つめていることには気がつかなかった。


 感情を整理するように、床に単語を書き連ねていく。
 それはほとんどがうすらぼんやりと意味を掴んだものか、それとも何のことかわからない単語だった。


 ネルガル。
 竜。
 アトス。
 モルフ。
 キシュナ。
 リムステラ。
 黒の牙。
 竜の門。
 エイナール。


 ジャファル。

 最後の単語が、何故か天啓のようにレイの頭を揺らすが、思い当たらない。

 レナート。

「かわいそうな、人……です。なにも、覚えていなくて……忘れてしまった……」
 ソフィーヤがうつろを見上げて呟く。
 彼は、何故、己が力を求めたのかを忘れてしまったのだ。
 彼を、ただ待っていた娘のことが知りたかった。どうして、彼を愛したのか知りたかった。けれどもソフィーヤに彼女の心は一向に見えては来ない。


 エルバート。

「……どこかで、聞いたことがあるな」
 レイは眉を寄せていたが、はっと顔をあげた。
「そうだ、フェレの先代だ。俺が生まれる前に亡くなったっていう。ロイのじいさんだな」
「ロイ様の……?」
「ああ。ネルガルの研究書の中にあった名だ。何でフェレ候の名が載っているのかどうかは知らないが……」


 レイの強い視線が、一層強く輝いて立ち上がる。しゃがみこんでいたソフィーヤは彼を見上げて、唇を微かに動かした。

「レイ。レイ、は……どうして、力を求めるのです……?」

 ソフィーヤの問いに、レイは見下ろしながら、だが強い視線で答えた。



「俺のためだ」










 島から、船が立ち去っていく。半竜の娘と、闇の申し子を乗せて。
 人ならず者。彼に闇の素養は欠片もなく、己の深遠を見つめることは足を一歩でも怖ろしい。神に祈ることを覚えたものはそれを静かに見送っていた。


「何故、人は力を求める」

 後悔する事を、信じていないからだ。
 レナートは瞳を伏せて船から視線を逸らした。




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