煌びやかな装飾
瀟洒な街並み


反吐が出る光景だ、と思いながら歩く少年と、少女

以前移動したのは戦時下であったので、珍しげに歩くソフィーヤ
旅慣れていて、目もくれず歩くレイ


黒衣を纏う二人の姿は、人の目を惹きながら進む。



エトルリア王都、アクレイア。





不老のシステム
2:エトルリア





「……人が……とても、多いんです、ね……」
「はぐれんなよ」
 人の流れに攫われていってしまいそうだ、と思ってレイは短く言った。


 大賢者アトスの唯一の弟子だと言う、リグレ公パント。賢者の遺産の管理も担っているであろう彼を訪ねて、レイとソフィーヤはエトルリアへとやってきていた。内乱に荒れたとはいえ大陸有数の典雅な国は、過去を忘れたかのように飾り立てられている。
 最近新王がついたらしく、若い王の影響か活気にも溢れ、大陸最大の王国は春を謳歌中だ。


「クレインや、クラリーネのオヤジ、っていうだけで想像がつかないっていうのに」
 悪態をつくレイに、ソフィーヤは柔らかい笑みを送った。
「パント様と……ルイーズ様には……お会いしたことが……あります……」
 銀色と金色の優しくおっとりとした二人であった。緩慢な時を綴る理想郷は彼らの訪れで大いに賑わい、新しい里人もその時に増えもした。
 ソフィーヤの声音が和んだので、レイはふん、と鼻を鳴らして足を早めた。ソフィーヤの小走りが強まる。
 レイはそれに満足したが、即座に自ら打ち消した。






「レイ……?」
 壮麗な館の奥、銀色の佳人は到来者の知らせに記憶を探った。
「闇魔道士の出で立ちでした。約束もありませんし通すことはできない、と言ったのですが」
「ふむ……待ってくれ。覚えがあるような気がする」
 パントはさらに記憶を探った。あれは確か、帰還したミルディンとお茶会の場を持った時だった様に思う。そ知らぬ顔で客観的に戦争を語るミルディンから、新たな八神将となることとなった名を聞きだした頃に。
「レイ……そうか、なるほど。面白い、通してくれ」
「まあ。ではお茶の準備をしますわね」
 そういって手を合わせたルイーズに、慣れきった執事は承諾の意のみを返した。


 閉じられた扉を見送り、三人目が訝しげな視線をパントに送る。藍紫の髪をした、パントよりも大分若い青年であった。
「パント先生、聞き覚えがあるんですか?」
「ああ、エルク。ミルディン陛下との歓談最中に少し話を聞いてね。アポカリプスを受け継いだ闇魔道士……確か、レイと言ったはずだ」
「アポカリプスを……?」
 アポカリプスはブラミモンドが操ったという最高位の闇魔道書である。その実物は知らないが、ブラミモンドの名はエルクにとっても聞き逃せないものであった。
 何しろ目の前の師匠……パントの師匠こそがブラミモンドと同じく八神将であるアトスであり、エルクが二十数年前に関わった戦いで、密かに力を借りた二者なのである。
 エルクは直接あった訳ではないが、非常に得体の知れない者だったという。そのブラミモンドが操ったというアポカリプスの継承者など、一体どのような人物だと言うのか。


 エルクはわくわくと動き出す夫婦に溜息をつきながら、二十数年前を思い出した。思い出すのに不可欠な、初恋の少女も。
 執事の声がして、温室の扉が開いた。黒いローブが揺れて二つの人影が入ってくる。音に惹かれたように、エルクは視線を向けた。


「――ニノ」

 音を立てて椅子が倒れる。双子の兄とは生き写し、柔らかな髪も、暗緑の瞳も記憶にいない母譲り……。レイはただ訝しげに眉を潜めて、エルクを見返しただけであった。





「驚いた。ソフィーヤじゃないか」
 エルクの硬直を解除したのは師匠の驚きの声であった。レイの後方でこちらを伺っていた少女が小さく挨拶をする。レイはもうエルクには興味のない様子で、話どおりの顔立ちをしたリグレ公に視線を送った。
「あんたがパント?」
 あまりに不躾な物言いだったが、パントは面白そうに笑ったのみであった。記憶のニノとは明らかに違う低い声音に、エルクは別人だ、と実感した。
(眼差しだって、こんな冷たくなかった。どうしてニノを思い出したんだろう)


「その通り、私がパントだ。こちらは妻のルイーズ。そして、弟子のエルクだ。カルレオン伯だね」
「俺はレイ、闇魔道士だ。こっちは知ってるようだけどソフィーヤ」
「……お久しぶり…です……」
「どうぞお座りになって」
 ルイーズの言葉にソフィーヤはおずおずと。レイは興味なさげに椅子にかける。様子は違うが、どちらも率先と紅茶を手には取らない。


「大賢者の研究資料の一部を、あんたが保有していると聞いてきた」
「長殿からかな?」
「そうだ。残っている資料から考えて、おそらくあんたが研究しているのは理魔道と、もう一つ。竜についての研究だな?俺はそれを読ませて欲しい」
 パントの瞳がやや眇められた。エルクはそれが、師の面白がっている表情だと知っている。
「理想郷の蔵書を見たならば、私が管理しているのが人でなくなる研究であるということをわかっているかな?」
 ソフィーヤがやや表情を動かしてレイの方を見やった。その感情の機微はエルクには判断がつかない。だが、エルクは師の言葉に激しい動揺を感じていた。まるで25年前の幼さに立ち返ったかのようだ。
「大賢者が、不老となった後の記述だ」
 レイは躊躇なく言葉を繋いだ。エルクの動揺がさらに激しくなる。
「パント様――」
 態度だけでなく、言葉となって動揺を示した弟子をパントか軽く諌めると、浮かべた笑みを更に深めた。
「私は研究対象として、あれを管理しているわけではないよ」
 レイは鼻を鳴らすと短く告げる。


「あんたが持つんじゃ、持ち腐れだ」

 パントはその言葉に笑うと、席を立った。
「来たまえ」
 感謝の言葉すらなく立ち上がったレイは、ソフィーヤを連れて足早にパントの後を追っていく。呆然とそれを見送りながら、エルクは記憶の扉を開いていた。
 こんなにも、感情が幼く昂ぶるのは彼に見える残像のせいだった。
 ニノを思い出した理由が、今やっとわかる。”彼”は、エルクにとって常にニノを思わせる存在だった。


 少年の背中はひたすら、父親に似ている。赤い髪の暗殺者。










「……どうして、彼に蔵書を見せたんですか?」
 一週間後、レイとソフィーヤが立ち去った後にエルクは師に問いただした。珍しく瞳に影を映らせながらパントは独り言のように答える。
「彼なら、私よりアトス様の心が解るかと思ってね」
「心、ですか?」
「そうさ」
 ルイーズが紅茶を二人の前に置くと、パントは柔らかく微笑んでそれを口にする。
「私たち理魔道士は整然とした美しい自然のサイクルと共に生きている。闇魔道士が――これは、私の親友が聞かせてくれた話だが――変幻的な混沌を相手にするのと違ってね」
 エルクは押し黙ってそれを聞いている。理、闇、光。それの考察は何度も聞いており、また彼自身独自の研究を進めているものである。
 光魔道、理魔道、闇魔道。それぞれ学問であり、力の源は異なるが魔道の素養があるものであれば、そのどれでも操る可能性がある。
「彼曰く……闇魔道とは、人の力を使うものらしい」
「人、ですか」
「そうだ。光は祈りの。理は精霊の。そして闇は人の力を使うとね。人間は判明していないところで無限の可能性を持っている。それを引き出す学問こそが闇魔道。闇に堕ちる魔道士は、己の闇に堕ちているに他ならない」
 エルクはネルガルを思った。人ではない、人のエーギルによって造られる人形。
「私は、アトス様の研究書から、私なりに考えたことがある。闇魔道とは、理論的には無限の力を得るための学問なんだよ」
「人の力ならば、限りがあるように思えますが……」
「では、闇魔道士は須らく短命であるはずだ。しかし現実はそうではなく、闇魔道士が若くして堕ちるのは闇に落ちるゆえ……」


「先生、何故彼に蔵書を見せたのですか?」

 師の言葉を遮って、エルクは強い語調で問うた。彼の中では悪い予感がひしひしと育っていた。ニノの顔をした、ジャファルの空気を持つ少年。あの子の進む道は、まるでネルガルではないか。
 パントは笑みを深めると、まるで違う問いをした。
「エルクは、ソフィーヤの様子を見ていたかな?」
 レイに気を取られていたエルクは彼女の印象がまるでない。首を振るエルクに、横にいたルイーズがころころと微笑みながら口を挟んだ。
「ソフィーヤさんは、いつもレイ君を見てましたわね。レイ君も不器用に気を使っていて。可愛い恋人同士でしたわ」
 目を丸くするエルクに、パントは笑みを向ける。


「もしも彼が不老を選ぶのなら……それを望んでいるのは竜の血を継ぐソフィーヤなのさ。私は不老となってまで研究を続けようとは思わない。愛する奥さんと子供達がいるからね。けれど、それは彼らにもあてはまることではないんだ」

 元魔道軍将はあくまで微笑みをたたえると、こう続けた。

「私は、彼らの選択を私が制止することで狭めたくないんだ」



 彼らの意思で、決めねばならないのだよ。



「……でも先生、彼がそこまで到達するとは限らないのではないですか?」
 もしも到達するとしても、それはレイがかなりの老齢となった時ではないのか。
「どうかな。彼はアポカリプスの継承者だよ」


「若干十三で、山の隠者のキャパシティを凌駕した……。流石は、リキアの賢者の血を継ぐもの。ニノちゃんの息子だとは思わないかい?」
 エルクはぎくりとすると、パントを凝視する。それに対して、パントは笑みを深めるだけであった。











「例えば、リザイアだ」
 レイとソフィーヤは港へと向かっていた。ある島への船に乗るためである。その道中、イリアの隠者に託された最後の書物を繰りながらレイはソフィーヤに解いて聞かせる。
「リザイアは代表的な他者の力の置換だ。過程を誤ると己の魔力に変換し切れないから余波が来る。この変換作業によって、生命力か、魔力かに置換するわけだが、より闇に長じた者ならもっと範囲が広がる」


 それは例えば、他者に力を注ぎ込むことであったり、物に力を与えることであったり、異能の力へと変換することである。

「この、他者に、ってのが一番難しいな。闇魔道は己の魔力構成を理解することから始めるわけだけど、全く未知の他者の構成を理解するには数多くの過程が必要になる」
 物にならば話はより単純になる。精霊は整然と美しい構成を作っていて、論理が複雑ではない。例えば海の流れを変える事や、雪崩を止めることさえ不可能ではない。


「レイ、は」

 ん、と顔をあげた少年にソフィーヤは慌てて首を振った。問えば共に旅をするのを拒絶されるかもしれない。
「なんだ変な奴だな」
 他者への関心の薄いレイは多少不自然に思っても直ぐに意識から外してしまう。常ならば淋しく感じるところだが、今のソフィーヤにとっては幸いであった。




(レイは、どうして不老のシステムを追うのです)



 私と一緒に生きてくれるのか。ソフィーヤはそれを聞けないでいる。期待と、それに伴う不安とで押しつぶされてしまいそう。
 共に生きたいなどと、レイを困らせるだけなのだ。
 この人は残酷な嘘などつきはしない。優しく真実を言い放つだろう。
 今は唯、レイと共にいたいのだ。






 そしてその未来に、レイの永遠などあるはずはない。




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