王子さまはお姫さまに出会いました
王子さまとお姫さまはすぐに好き合うようになりました


お姫さまはそれを知りました
お姫さまは泣きませんでした
王子さまはそんなお姫さまを見て、とてもとても惹かれました
(……悲しいのは誰?)






百日通い
2:二日目





「どうすればいいだろうか、エルト」
 そんな困る話題を持ちかけられたことは親友としては嬉しかったのかもしれない。
 シグルドに持ちかけられはしない話題だ。俺に聞かれたことは確かに納得だったのだが。
 だがそれは、俺にとっても悩む論題だ。


 キュアンが恋をしたらしい。
 らしい、というのは俺にはシグルドと違って感情の機微などよくわからないからだ。
 何もかもに驚かされていた俺は、上手い返事は返せなかった。
 キュアンは俺の返事に少し微笑んだ後、少し頭を冷やしてくると行ってしまった。
(キュアンが恋、か)
 もともと王国の跡取で俺達が、恋愛結婚など望めないものだが、真っ直ぐなキュアンはそれは悩むだろう。
(諦めるしかないと、思うが)
 キュアンには、婚約者がいる。


「エルト」
 いつのまにか戻ってきたのだろうか。顔をあげるとキュアンが立っていた。
「決めた」
 早いな、とは思ったが、キュアンらしいといえば言えなくも無い。
「明日から休みだ、レンスターに行って来る。シグルドには悪いが、今回のレンスター行きはなしだと伝えてくれないか」
 そう言ってキュアンは足早にその場を去った。残されたのは、俺一人。
  ……レンスター?
 何を、決めたというのだろう。あの真っ直ぐな瞳で。
 何を決めてしまったのだろう。
 追わなければいけない気がした。シグルドにラケシスへの伝言を頼んで飛ぶように部屋に戻る。追わなければいけない気がした。
 キュアンには少し遅れるが、レンスターに着くまでには追いつけるだろう。
 驚いた顔のシグルドを尻目に、俺は馬に跳び乗った。
 単騎で駆けていけば、レンスターには翌日の夕方にはつくだろう。
 レンスターにつくまでに、キュアンの影を見つけることは出来なかった。




「すまない」
 はっとしてそちらへ向かう。カルフ王への挨拶を済ませた後、キュアンのことを聞いた。キュアンはカルフ王に挨拶もしていないらしい。
 どこへ行ったのだろうか。
 なんとなく、庭を探していたところ声が聞こえたのだ。
「好きな人ができた」
 キュアンだ。
「……それが、どうかなさったのですか王子」
 控えめだが落ち着いた、この声には覚えがある。
「私は、他に好きな人がいながら婚約者をもつことはできない」
「その方と、好きあっていらっしゃるのですか」
 グラーニェだ。
「いいや。彼女はそんな風に考えてもいないだろう」
「それなのに、婚約を解消するというのですか?」
「私は、婚約者がいるというのに他に好きな人がいることが許せない」


「……一度結んだ婚約です。あらぬ噂までたちましょう」
「ああ」
「王子の名声にも傷がつき、陛下も私の父へ面目がたちません」
「極力君の名が傷つかないようにしたいと思う」
「決めてしまわれたのですか」
「ああ」
 キュアンの姿が見えた。真摯にグラーニェを見つめていた。それから、頭を下げる。


「すまない、グラーニェ」

 グラーニェの表情は見えなかった。
「陛下は、王子に甘くいらっしゃる」
 揺るがない口調でそう告げる彼女。
「王子が請うならば、婚約は解消されましょう」
 グラーニェは踵を返した。キュアンに視線を向けないまま。……視線があった。


「お気遣いは無用です」
 なんと可愛くないのだろう。
 頭を下げた婚約者に背を向けて、芯の通った背中を揺るがさずに去った彼女。
 近づいた俺の瞳に何を見たのか、彼女は硬い声で俺の目線を振り払った。


 ……なんと、せつない瞳だろうか。





 あれは卒業の年だった。ダンスパーティの夜。そういえば、キュアンとエスリンの婚約が発表されたのもその夜だ。
 幸せそうな親友の姿。それよりも、目をひいたものがある。
(グラーニェ!?)
 ひっそりと佇んでいた一人の女性が駆けさったのを、俺はとっさに後を追った。


「待つんだグラーニェ!」
 キュアンに聞いたことがある。彼女は身体が弱いのだ。だから、神学を志すことも士官学校に通うことも社交界にでることもない。
 走っては、と腕を捕らえると反動で彼女は崩れ落ちるようにしゃがみこんだ。
「……あの人の」
 俺に話しているということも自覚していないだろう。震えるように言葉を紡ぐ。
「あの人のあのような瞳は、初めて見ました。エスリン公女のあの瞳、あれは5年前までの私の瞳と同じでした」
 白い肌を涙が伝う。気がついていないのか、拭いもしない。
「あの人の幸せそうな顔。見ているだけで嬉しいのに、酷く悲しくて、そして……そんな様に思う私が嫌でたまらない」
 吐き出すように言い募るグラーニェ。そうして全て吐き出してしまえと思う。
「何故私では駄目だったのでしょう」
「何故俺では駄目なのだ」
 グラーニェは今夜初めて俺の顔を見た。俺はまた続けた。
「何故俺では、駄目なのだ」
「……エルトシャン様?」
「君の心は、キュアンだけのものなのか?」
 手にとったままの小さな手を唇に寄せる。グラーニェは逃げるように身をよじらせたが叶わない。


 グラーニェの瞳を見た。レンスター特有の、赤みのがかった大地の色。その瞳が震えるように俺を映している。
 壊れないように、そっと抱きしめた。
「君を愛している」
 グラーニェが震えた。力が抜けたかのようにゆらめくが、倒れないようにそっと手を貸す。
「離して下さい、エルトシャン様」
 掠れた声での訴えを、しかし俺は見送った。
「どうしたら、君は応えてくれるだろうか」
「”どうしたら”?」
 意地の悪い問いだ。彼女はそれをキュアンにこそ聞きたかったのだろうに。
 それでも俺は、彼女に聞いた。


「百日」
 グラーニェはエルトシャンの腕の中から離れようと必死に腕を動かした。
 エルトシャンは離さなかった。びくとも動かさない。グラーニェの言葉を反芻するように聞き返す。
「百日?」
「百日間、続けて私の元に通ってください」
 腕の中のグラーニェはもう震えてはいない。涙はまた新しく流れ落ちようとしている。
「父が、カルフ陛下に私と王子との婚約を願って謁見した時であり……」
 グラーニェはそこで一旦言葉を切った。吐き出すように次の言葉を捜す。
「私が王子と、会った日の数です」


「一日でも欠けたなら、もう私に近づかないでください」

 鐘の音。12時を回ったのだ。
 今度こそ逃れようともがいたグラーニェを腕の中から解放しながら、俺はグラーニェの手をとった。
「一日目だ――俺の姫君」
 手の甲に落としたくちづけは、冷たい涙の味がした。










「休学届け!?」
 俺は正式な文書をもっていた。半年後の卒業を迎えれば、病床の父に代わって即刻即位する俺の印章は、既にノディオンの正式なものとして通用する。
 教官の前に突き出したその文書は、だから正式なものだ。
「私はとうに卒業単位は足りています」
「君の経歴に傷がつくぞ!?」
「構いません」


 エルトシャンは教官室を出た。
 すぐさま向かわねばならない。グラーニェが……お忍びに慣れていない彼女付きの者が帰還に寄りそうな場所は既に目星がついている。すぐに追いかければ「二日目」には間に合うはずだ。
 部屋に戻って必要なものを引っ張り出して駆け出した。
「エルト!?」
 キュアンだ。驚いた瞳で俺を見ている。
 彼女があれだけ焦がれた男。
 不思議と、嫉妬めいた感情は生まれなかった。この男は、片恋をするには真っ直ぐすぎるのだ。
 それはキュアンの短所ともいえたし、またそんなキュアンだからこそキュアンであるとも言えたかもしれない。かけがえの無い親友。


「レンスターに行ってくる」
「レンスター?」
 驚くキュアンにエルトシャンは笑みを浮かべた。
 この件に関しては、キュアンには驚かされてばかりだったのだ。たまには自分がキュアンを驚かしてもいいだろう。
「グラーニェが好きなんだ」
 俺はそう言って身を翻した。まずは厩舎に行かなければ。
「帰ったら、14の時のワインの店を教えよう!」
 キュアンの姿を振り返りもせずに走る。
 顔は、想像ついたのだ。






(君の経歴に傷が――)
 教官の言葉を滑稽なもののように感じた。


(そんなものでは、手に入れられないものが欲しい)

 一度契約を結んだ相手に一方的に破棄をして、父王に喧嘩を売って相手の意思さえ知らないままだというのに。
(キュアン、お前はいつだって正しいな)
 血統も立場も名誉さえも。
 この「人」に寄り付く厄介な感情には関係ない。


(君を愛している)

 今はそれだけが唯一の真実。





 王子さまは、お姫さまの元へ走りました
 百日間の中の、二日目のため




▽▽▽