王子さまは毎日お姫さまのところへ通いつづけました 雨の日も風の日も嵐の日も ぼろぼろになっても通いつづけました
そして百日目の吹雪の日
とうとう、王子さまは死んでしまうのでしょうか? (そうしたらあなたは悲しんでくれますか)
百日通い 3:最後の日
「この花を、姫君へと」 渡した一輪の花に、執事らしき男は昨日のように困惑した表情を浮かべた。 毎日毎日入れてももらえない館に訪れて一輪の花を託して去っていく他国の王子。さぞや対応に困る存在だろう。 35日目の時に「取り次ぐなと言われています」と申し訳無さそうに言った彼を困らせることは本意ではないが、未婚の女性の館に入れぬからと執事に癇癪をたてるほど子供でもない。 ただ俺は毎日この館に訪れた。雨が降ろうと嵐となろうと。 それでは、と中途な執事にこれ以上世話はかけまいと去ろうとしたが、呼び止めの言葉に足を止めることとなった。 「エルトシャン様」 その呼びかけに振り向くと、執事は先ほどのような顔を更に深めたままで。 「ノディオンとして主に婚約を申し出れば直ぐに解決する問題と思いますが……」 遠慮しながら言われた言葉に俺は苦笑を浮かべずにはいられない。
それは、そうなのだろう。 形だけが欲しいなら、それで充分なのだろう。
でも。
「私は彼女と約束を交わしたのだ……だが、ありがとう」 そう言って去った、六十七日目。
ひらり。 頭の上に落ちてきたものに視線を送ると、白い紙飛行機だった。簡素ではあるが上質なことが知れる紙は、丁寧に折られている。 見上げたと同時に閉められた窓をみて、俺は紙飛行機を広げ始めた。案の定、文字が書き付けられている。
――もう、来ないでください――
揺れていることに、気づいている。 瞬く間にインクが滲んで見えなくなっていく文字を自然と微笑んで見ていたことに気がついた。 頭上を見上げた先にある閉じられた窓、あそこにグラーニェがいるのだ。 落ちてくるものに、いつまでも見上げていられなくてまた視線を下ろす羽目になったが。 降り注ぐ、雨。 真冬の冷たさが、暖かいものに感じているんだ、といったら君は笑うだろうか。
はぁっと吐いた息は白くて、俺はもう少し子供だった頃を思い出した。自分が、大人だと思っていたあの頃だ。 あの頃は、俺がこんなことをするとは思ってもいなかった。 キュアンに会いに来たグラーニェ。会ったその時は気に食わないと思っていたはずなのに。 ……そもそも、自分はもっと冷静だと信じていたのに。 この想いは、何処から来るのか。
おそらくそれは、15の時。 キュアンと相対していた彼女。 真っ直ぐにキュアンに向けられていた瞳を、自分に向かせたいと強く思った。
再び見上げた窓が開いたような気がして、俺は意識を飛ばしたのだ。
「……様、エルトシャン様……お目覚めですか」 聞きなれない声。だが、この数十日とですっかり馴染んだ声。 グラーニェのところの、執事の声だ。 「俺、いや私は……?」 「お倒れになったのです。このような雨の中待っていらっしゃるから……」 戻っては、明日にこの館までこれない気がしたのだ。 己の体調など自分が一番わかっている。酷く熱をかかえていたことも……1度戻れば、高熱で来ることさえ叶わぬだろうということも。 だったら、この場にいないと駄目だろう?
好意に甘えて薬を処方してもらうこととなり、執事はその場を去っていった。とはいっても短い時間とはいえ睡眠は随分と俺の体力を取り戻させたらしい。 起き上がれるぐらいにはなっていたものだから、俺はなんとはなしに窓に身を近付けさせた。 窓から、俺がいた場所が見える。 この景色は、グラーニェも見たものなのだろうか。 彼女が育った館。俺は窓から視線を外すとゆっくりと立ち上がった。頭痛が走るが、頭を振ってかき消す。 柔らかな絨毯は、歩む音さえ打ち消した。 ひたり、と触れた重厚な扉は、なくした筈の木の温もりがする。
「落ち着く館だな・・・グラーニェ」
かた、と小さな音と共に、動揺したような気配が届いた。俺が気がつくなんて、思いもしなかったのだろう。 戦い相次ぐレンスター。だが王族とはいえ彼女は体が弱い。戦の習いなど、ほとんどしてはこなかったのだろう。 戦を身近に置けない者の存在は、歯痒いのに、どこか安心するものだ。 「もう、来ないでくださいと……書いたはずです」 扉越しの掠れた声。久しぶりに聴く、彼女の声だ。 「私は、諦めが悪いのだ」
「何故、諦めないのです」 「君に、約束したからだ」 「何故、止めないのです」 「君に、私の想いを伝えたいからだ」
「何故……っ」
泣いているような声だ。どうしようもない声だ。 どうしようもない時、あげる声だ。 彼女はきっと、泣いている。
「日数を積み重ねても、振り向いてくれることなんてない! 条件を守ることが愛してもらえることなんてありえない! なのにどうして……っ!貴方はこんな馬鹿なことを続けようとするのです!」 「君を、愛しているから」 声が止まった。 「私は君を愛しているから、君にも愛されたい。横で見ているだけだった瞳が欲しい。 君を愛しているから、諦めることなど出来ない」
もしも言葉が、 俺の言葉が呪文だったならば。 きっとこの扉は今にも開いて、彼女を俺の腕の中に閉じ込める。
ゴーン、ゴーン、ゴーン………………
鳴り響く鐘の音に、俺はかつて彼女に触れた手のひらに唇を寄せた。 俺の言葉は魔法じゃない。彼女の心は奪えない。 (だから、人は愛してくれとあがくのだ) 俺の言葉は魔法じゃない。けれど、毎日毎日通うことで、彼女に少しずつ近づいていくのだ。 最後の扉を、俺は開けない。
「九十九日目だ……グラーニェ」
この扉は、彼女が開かなければ意味がないのだ。 せつなくなるほどの掠れ声が、ほんの僅か俺の耳に届いた。
「私と結婚して、貴方に何か利益があるというのですか?」 もっともらしく、そんなことがあるわけないとでもいいたげにグラーニェが言った。俺が決死のプロポーズをしているというさなかにだ。 真っ直ぐと背筋を伸ばし俺の返答を待っている彼女に、言葉を合わせるように「利益」とやらを述べてみせる。 これで悲しそうなとか、不満そうなとか、怒ったような顔を浮かべてくれれば俺は飛び上がるように(あくまでようにだが)嬉しいのだが。
「構わないだろう、キュアンとエスリンが結婚したのだ。レンスターとグランベルの関係ばかりが強化されているのは我がアグストリアとしても面白くはないからな」 喉の奥で笑うかのようにそう言うと、グラーニェは出来の悪い弟を見るかのような目で呟いた。 「貴方と私は、政略結婚というわけですね」 「そうだな。婚約を解消された姫君を選ぶとは、よほどレンスターとの結びつき…… しいては世継ぎを望むほど、父王の容態が悪いのだ、と人は噂するだろう」 「悪い方」 「それで周囲が君との結婚を納得するなら構わない」 例えグラーニェの名が傷ついたとしても。どうせその頃には俺の名などとうに傷がついているだろう。
「他の誰がわかるまいと、君と俺がわかっていればいいのだ」 グラーニェが眉根を寄せる。困ったものだと呆れているのだろう。それでもその瞳は真っ直ぐと揺らがなくて、酷く愛しい。 それが証となるように、と彼女の額にくちづけた。
この一瞬のこれだけが真実。
(政略結婚か……エルトシャンらしいやり方だ。女を人前に愛せる男とも思えない)
やめるときもすこやかなるときも
(エルトシャン様と妃のグラーニェ様はあまり仲がよろしいようにはおもえないよ。いい婚姻じゃなかったかもね……)
このものをただひとりのはんりょとし
(ラケシス様との方がお似合いなんじゃないか?おっと、俺がこんなことをいったとは言わないでくれよ)
あいしつづけることをちかいますか?
「はい、誓います」
他の誰の理解もいらない。二人の繋がる想いだけ。
王子さまは百日後、とうとうお姫さまとであったのです! お姫さまの心に眠る、本当の心と出会うことが出来たのです! それは誰も知りませんが!誰も知ることもありませんが!
二人が知っているならば、それもまたいいのでしょう、いいのでしょう!
「あ、出てきたぞ。シグルド」 「なんだか二人とも、幸せそうだな」 「…………」 「どうしたキュアン?」
(珠に、知ってる人もいますけれど、それは嬉しい予想外)
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