王子さまはある日お姫さまに出会いました
初めそれは良い出会いではありませんでした


お姫さまには、好きな人がいたのです
(でも諦められますか)






百日通い
1:一日目





 あれは、キュアンの誕生日を間近に控えた時だった。
「キュアン、今年は帰らないのか?」
「ああ、一週間前から出されてるレポート。かなり時間がかかるだろう?私はただでさえ苦手な分野だというのに、提出が誕生日から数日後だ。
 とても国に戻ってパーティに、という余裕が無い」
 課題を前に唸りながら、シグルドは気分を変えるためだろうかそんな話題を持ち出した。
「ああ、もうそんな時期か……カルフ陛下はさぞ残念がっていただろう」
 一度謁見した時随分と親しく話し掛けてくださったキュアンの父君を思い出しながら俺はキュアンの方を向いた。
 切羽詰まったレポート、とやらの資料を次々とひっくりかえしている。
 しかし、レポートが出されてからキュアンは随分と積極的に取り組んでいたように思えた俺はやや疑問を覚えずにはいられない。
「……言い訳か」
「エルト、鋭い!」
 資料から顔をあげて悪戯っぽく笑うキュアン。
「……まぁ、王子の誕生日の祝宴など堅苦しいからな。その気持ちはわからないわけじゃない」
「しかしキュアン!カルフ王は君のことを思って祝ってくださるんだぞ!その思いを……」
「シグルドは課題、課題!」
 急に顔を上げたシグルドをキュアンは笑いながら促した。はっとしたようにまた課題にとりかかるシグルドの姿はなんだか妙に情けない。
「まぁ、誕生日はバーハラにいるよ。何か奢ってくれるよな」
「やれやれ・・・。まぁ、一年に一度だしな。考えてみれば当日にキュアンを祝うのは初めてだ」
「そういうこと」


 あの日は何か祝い物でも考えるか……というくらいに思っていたくらいだった。
 ワインのいい店はあったかな、というくらい。本当に、いつもどおりだった。






「キュアン!こっちだ」
 キュアンの誕生日は、晴天だった。
 澄み切った青空はまさしく外出日より、というやつだ。
「エルトは良いワインを見つけるのが上手いからな……楽しみだ」
「シグルド、お前は飲み過ぎるなよ?いきなり倒れられると運ぶのが一苦労だ」
 寮を出て城下に出ようと、三人で歩き出した時のことだ。正面を馬車が通ってきたので端によけようとした時。
「どうしたキュアン?」
 シグルドの声に振り返ると、キュアンがきょろきょろと視線を巡らせていた。
 馬車に轢かれてもしらないぞ、といおうとしたが、その前に何故かその馬車が停止した。
「いや、呼ばれたような気が……」
「王子!」
 王子、という呼称は自分のものでもあったので、俺は思わず周囲に視線をめぐらせた。その先で、キュアンがはっと気が付いたかのように俺のほうに視線を飛ばす。
 正確には、その向こうを……だったのだが。
「まさか……?」
 キュアンは足早に俺の横をすり抜け馬車の方へ向かった。はじめは気が付かなかったが、その馬車にはレンスターの紋章があったのだ。
「知り合いかな?」
「だろう。正式なものではないとは言ってもあの馬車を使えるのはキュアンの縁者だけだろうし」
 開いた扉の先にいた人影は、正直意外なものだった。女だったのだ。
 キュアンの手を取り馬車を降りたのは、キュアンと似た色の髪をアップにした、目立たない色の衣装に身を包んだ少女。真っ直ぐな姿勢は気持ちがいい。


「グラーニェ、君がバーハラに来るとは」
「王子は今年、国には帰らないとお聞きしましたので」
 控えめな声音だった。13ぐらいに見えるがそれよりずっと大人びた様子に思える。整った顔をしているが、ぱぁっと咲く華が無い。
 キュアンに向けられた瞳だけが、真っ直ぐと映える。
「私がバーハラにいく旨をお伝えしましたら、陛下がこちらの馬車を使うことを許可してくださったのです」
「君は父上の妹君の娘なのだから、別にかまわないはずだろう」
「ですが……」
 正直、かなり驚いている。キュアンがあんな様に気を配ったように女性に話し掛けるのを始めて見たからだ。
 隣のシグルドも同じかと思って視線を送ると、シグルドは平然としていた。ひょっとしてシグルドは知っていたのだろうか。
 なんだか面白くない。


「キュアン、レンスターの方のようだが……紹介はしてくれないのか?」
「ああ、すまないエルト。彼女は私の従兄妹姫で…」
「レンスターのグラーニェと申します。シアルフィのシグルド様と、ノディオンのエルトシャン様ですわね?」
 シグルドが少女の挨拶を受けて丁寧に会釈を返す。相変わらず女性には優しい奴なのだ。
「俺のことを聞いているのか?」
 キュアンに、という意で聞いたつもりだったが、彼女からは違う返答が返って来た。
「はい。キュアン王子と仲の良いお二人の噂は、レンスターの方へも有名ですから」
 そうなのか、と思った後彼女はやや首を傾げた。
「でもエルトシャン様、今日は私に譲ってくださいますよね」
 真っ直ぐとした目線。決して強いものではなかったが、瞳の奥で睨まれたような気がする。
 それは確かに俺に向けた言葉だったが、彼女はすぐにキュアンの方に視線を向けた。
 つまり、俺達の意見を聞く気はないということか?
 しかし、キュアンは約束を破るような男ではない。同郷と言ってもこんな小さな少女の我侭でそれが揺るぐはずもない。


 けれどキュアンは少女に小さく頷いた後、すまなそうな顔で俺達を振り仰いだ。
「すまないエルト。ワインはまた今度教えてくれないか」
 俺は今度こそ驚かずにはいられなかった。むしろ顔をしかめていたかもしれない。俺のしかめ面は怖いとキュアンに笑われた頃からできるだけ気を使っているのだが。
「……別に構わないが」
 ここで激昂するのは大人らしくないと理性が叫び(まだ14だがもう14だ)俺は全く気にしていないというように言葉を濁した。きっとシグルドが何か言うに違いない。今日はキュアンは俺達と約束をしているのだ。
「グラーニェ嬢と城下を歩くのか?」
 横でシグルドがのんびりと話している。何をのんびりとしているのだ、今日は約束だったというのに。面白くない。
「ああ、バーハラに来る機会は滅多にないからな。それじゃあ」
 キュアンはすまなそうに言ってグラーニェとやらにまた気を配り始めた。彼女は俺達はもう眼中にないのかあっさりと身を翻してキュアンと歩いていく。
 面白くない。面白くないぞ!
「……そんなに大事なのか?」
 言ってからしまったと思った。なにせ当人が目の前にいるのだ。だというのに文句をつけてしまったのだ。
 キュアンは、困った顔をしていた。
「私の婚約者なんだ」
 ……は?
「本当にすまないエルト。今度私が奢るよ」


 そう言って、今度こそキュアンは行ってしまった。一瞬振り返った「婚約者」は俺をみて笑った気がする。被害妄想か。
「それじゃあ、どうしようかエルト。キュアン抜きで店に行こうか?」
 シグルドがのんびりと言う。キュアンの誕生日に何故わざわざ当人を抜いた面子で酒を酌み交わせばならないのか。
「悔しくないのかシグルド!キュアンは男の友情を捨てて女に走ったんだぞ!まだ14になったばかりだというのに!」
「陛下の信頼を裏切って走ったわけじゃないじゃないか」
「シグルド!」
「それに、久しぶりにあったんだろうし」
 ……まぁ、それはそうだろう。士官学校は外出は許可をとればできるが、レンスターは遠い。
「……」
「仲良さそうで良かった。妹みたいで可愛いんだろう」
「……それは、失礼だろう。一応婚約者なんだぞ。まぁ従兄妹なのだから気分的には兄妹の延長なのかもしれんが……」
「いや、そうじゃなくてさ」
 シグルドの言わんとするところがつかめなくて、俺は首をひねった。
「キュアン、別に恋愛感情で彼女を見ていなかったし」
「しかし、ああやって気を配るキュアンを、俺はみたことがないぞ」
「そうだけど……」
 シグルドは首を傾げた。こう見えてシグルドは人の感情の機微に聡い。そのシグルドが言うのだから、そうなのかもしれない。
 だが、婚約者相手に恋愛感情が全くない、と言うのも問題だろう。


 常のキュアンの様子を考えてみた。俺達が綺麗な女性を見て騒いでいる時も、あまり興味を示さなかったキュアン。
 トラキア統一の夢を語る時も、夢の中のキュアンは横に誰も立たず「信頼できる部下」が言葉に並ぶばかりで。




 ……ひょっとしたら、グラーニェは可哀想かもしれない。
 あの男は、恋という心が希薄なのかもしれない。
 グラーニェに恋することはない、と思っているのかもしれない。
 だからこそ、キュアンは他に誰も好きにならないようにしているのかもな、とふと思った。










 きっと、キュアンは恋をするはずがない。
 キュアンが恋をしない限り、グラーニェはずっと一番近い女性であって、いずれは妃になるのだろう。グラーニェ自身を愛するようにならないとは限らないのだし。
 俺やシグルドにほとんど視線を向けず、キュアンだけ見ていたあの少女は、きっとそれなら限りなく幸せに近い。
 なんとなく、グラーニェの瞳を思い出した。
 キュアンだけに向けられた、恋をしている瞳だった。
 婚約者、とキュアンが口に出した時、幸せそうに滲んだ真っ直ぐな目線。


 ……結局のけものにされたような気分は抜けないが。





 それは良い出会いではありませんでしたが
 おそらくそれが、いつもでない日の始まりでした




▽▽▽