可愛い、と言えるような少女だった
大事に大事に育まれたような一輪の花だった
そして、それは確かに間違ってはいなかった


大切に、育てたのだ
丁重に、育てたのだ


アゼルの血を垣間見せる娘

愛は欠片もなく
憎悪と共に、いつくしんでやったのだ






炎の雫
1:憤る銀の少女





「ヒルダ!」
 冷たい廊下に興奮した声が響き渡った。
 こういう時、酷くそれが厭わしく思う。あたしはたがが外れた奴は嫌いだ。
 戦時の場であろうと、いや戦時の場であるからこそ、それに惑わされる奴は大嫌いだ。
 空気を伝わる怒り。あたしは駆けて来た小娘が一番我を忘れるような顔で笑ってやった。
「おやティニー、わざわざ殺されにきたのかい」
 案の定ティニーは紅潮した白い頬をさらに染め、真っ直ぐに睨みつけてくる。
「ヒルダ……今度こそ逃がさない。かあさまを追い詰めたあなたを……!」
 怒りに戦慄く唇から洩れでる言葉をどこか陳腐なように感じる。


 似合わない言葉だ。
 でもだからこそ滑稽だ。


「おや、聞いた言葉だね。一度返り討ちにされてお情けで生き残ったような小娘に、一体何ができるというんだい?」
 嘲ってやればなおさら銀の瞳を燃やした。
 瞳の中の炎。
 アルスターにいた時は滅多に見れない色だった。
 あの頃のティニーはいつでも怯えていて、ティルテュほどの抵抗も帰ってこなかった。直に会うのもつまらなくなったので無視させることでいじめたおした。
 身内にいてさえ怯えていた娘。
 それが今、反乱軍の中でその瞳を燃やしていた。僅かに流れる炎の血が苛烈に燃えているのがわかる。



 この瞳が見たくて言葉を続ける。
 この瞳が憎くて言葉を続ける。
 瞳を抉り取って飾ってやろうか。
 そうすれば大嫌いな娘が一人消えて、大嫌いな炎の瞳をずっと傍においておけるだろう。
 そう思ってかすかに嗤う。ティニーは怒りに瞳をたえぎらせてきがつきもしない様子だった。



 こんな時、ティニーの中に流れる炎の血がとても鮮やかに感じる。
 己の中にも流れていたはずの片割れの血は、どうしてか希薄に感じるのだ。
 ティニーは常には見せない炎を、怒りの時だけ垣間見せる。
 最もそうした怒りさえ満足に出せやしないこの娘はかつては興味を失わせたのだった。





「待っていたよ」
 一瞬の沈黙の後あたしが呟いた言葉に、ティニーは身をこわばらせる。
 今更だ。
 だからこの娘に殺される気が湧かない。この娘は結局のところ戦いには向いていない。
 炎の血は、この娘には似つかわしくない。
 だから嫌いだ。
「お前だけは、この手で殺してやろうと思っていたのさ」
 硬直させた体を振り切るようにティニーは手のひらを握り締めた。
 手にとるようにティニーの心のうちがわかる。
「そうはいかないわ……かあさま、見ていてください!」


 ああ、陳腐。

「あなたは、私が殺します!」

 それなら、その震える指先はどうするんだい。





 あたしはそれ以上聞く気がなくて、聞きたくなくて、呪を唱え始めた。
 何度唱えた呪だったかは、数える気もなかったので覚えてはいない。
 でも、その術はあたしに流れる血を忘れさせないものであり、その術は、無くす気のない憎悪を刻み付けるものだった。
 早くこの娘を殺してしまおう。
 分かれた炎の血など消え去らせてしまおう。



 そうしていつか、
 炎の血を塗り替える。



『地上に眠りし熱き炎の渦よ、赤き濁流となりて――』
『空貫きし雷神よ、その力――』
「遅いっ!」
 体のうちから猛る「力」を感じる。これがあたしの炎だった。
 内からぽろぽろと欠けて崩れ、認めさえ許されなかったあたしの炎。
 どこか暗い赤の炎は好きだ。これがあたしの炎。そして、皇統を継ぐ血脈の、隠し様も無く薄暗い部分だ。


『ファラよ叫べ――ボルガノン!』

 燃え盛れ。
 暗く激しい炎を撒き散らせ。
 あたしの炎で。
 決して熱を帯びない冷たい炎で、あたしを認めなかった全てを嘗め尽くすがいい!





















「ブルーム?その娘は一体なに?」
 しばらくシレジアに出ていたブルームが、戻ってきた翌日だったと思う。
 統治の地を放っておいてあんな北方の地に何の用があるのだと、酷く腹ただしく思っていたあたしは、明らかにフリージを象徴したその娘に分かっていながら顔をしかめずにはいられなかった。
 その娘はこれだけは離すものか、といいたげに一人の子供を抱き抱えながら、蒼白に顔を染めていた。
「私の……妹だ。ヒルダ、君も聞いているだろう。反乱軍に捕われていて、所在が知られなかった――」
「そんな建前はいいよ。実際に参加していたというじゃないか、それを分かってて連れてくるなんて……
 当然、殺すんでしょうね?」
 その瞬間蒼白だった娘の色に浮かんだ色ははっきりと覚えている。
 鮮やかに変化した表情は怒りを秘め、抱いた子供を守るように身をこわばらせた。
「ヒルダ!」
 ブルームが怒ったように声を荒げた。
 この男が怒るのは、あまり見たことが無かったから、それは若干ショックをあたしに与えた。
 一瞬びくりとしたあたしに気が付いたのだろう、ブルームは居住いを正して声を和らげた。
「妹だ……殺すわけが無いだろう。ずっと、探していたんだ」
「お兄様……」
 娘はこわばらせた肩をほんの少し落として、すまなそうに、でも決して気を許さないといったように子供を抱きなおした。


 心のどこかで、何かが冷えていく思いだった。

「ブルーム」
「ヒルダ……君のフリージを思ってくれる思いもわかるが、どうしても……」
「何を言ってるんだ。わかってるよ」
 辛そうな顔をしてるブルーム。この人がそんな顔をする必要など何処にも無いのに。あたしはブルームの顔から翳が消えるようにと、笑って見せる。
「ほら、こんなに顔を真っ青にして……あんたは子供が苦手だね。あたしに面通しをするより前に、暖かい部屋で安静にさせてやらないと駄目じゃないか」
 そうして娘の肩に手をかけると、娘は即座にあたしの手を振り払った。そうして一、二歩後ずさる。
「おやおや」
 あたしはどうしたものかと思案して、近くのベルを鳴らした。直ぐにメイドがやってくるだろう。
「初顔合わせだからね。仕方ないけれど慣れてもらわなきゃ困るよ。あたしはあんたの兄の妻なんだから……」


 そう言って、今度は振り払われないように両肩に手を置いた。顔を近付けて、笑って見せた。
 ブルームからは、笑って見えただろう。
 あたしも、笑いかけているつもりだった。
 視線を合わせた娘はぎくりと表情を凍らせて、あたしから離れようとしていた。


「この子は、あんたの子供かい?父親は?」
 両肩に手を置いたままブルームを振り返る。この娘は、シレジアに一人だったのだろうか。戦争の時に相手が死んでいたとしたら、このぐらいの子供はいないだろう。シレジアに旦那がいたのかと思ったのだ。
 ブルームは整った顔に苦渋の色を混ぜて俯いた。ほんの少し首を振るだけで口に出さなかったのはこの娘を思いやってのことだろうか。
 間も無くメイドがやってきて、あたしはいくつか事を用付けた。まだ両手は娘の肩に添えたままだった。
 もう一度ブルームに視線を添わせ、目で問い掛ける。引っかかるものがあったからだ。
 優しいブルーム。娘の事をまだ思いやっているのだろう、あたしの耳元に口を寄せ、小さな声で囁いた。


「アゼル公子だ」

 しかし、私が現場にきたときは、気の付かない部下たちが既に公子を……そう続けるブルームから視線を外して、あたしはもう一度娘を見た。
 ほんのすこしだけ、驚いた。
 あたしの記憶の中のアゼルは、まだほんの幼い少年だったからだ。
 アルヴィスはあたしとアゼルが会うのを避けていた。アルヴィスという大きな傘の庇護下にあったアゼルとはほとんど会うことはなかった。
 まじまじと、娘を見た。


 ようやくメイドが準備を整え、娘を連れて行こうとする。
「ティルテュ、こっちへ」
 ブルームが娘にそう話し掛けたので娘はあたしの手から逃れてふらつきながら部屋を出て行った。



「……ああ、ずっと手を置いていたから、手が少しかたまってしまったよ」
 あたしの手から逃れようとしていたティルテュ。
 ティルテュの肩にくいこんでいた艶やかな指先は、しばらく戻りそうにない。


















 ティニーは母親によく似て育った。
 欠片も父親の痕跡は見られなかったので、あたしはほんのすこし安心したものだった。
 炎の中でぐらりとふらつくティニーを見ながら感謝した。ティニーに感謝をしたのは初めてだった。
 炎の中でも、フリージに彩られたティニー。
 ありがとう。あんたはアゼルを感じさせなかったから、ブルームは追求を逃れられたよ。
 アゼルに似て成長しなくてありがとう。そうでなかったらあたしは、ブルームが悲しんだとしてもあんたを殺していただろう。
 瞳に炎が宿ることを、ずっと知らせないでくれてありがとう。
 あたしはフリージの人間となったから。ブルームを愛したから。彼を悲しませたくはなかったんだ。



 だからこそ今、お前を殺してやれるよ。
 炎の血を引くティニー!




 ティニーはボルガノンの炎の中で、ふっと膝をついた。そのまま倒れる。
 死んだか、と思ったがかすかに揺れる空気から気絶しているだけなことが伝わってきた。
 前は、ここでセリスに邪魔をされた。
 振り上げた右手、自然に笑顔が零れる。




「そこまでだ……ヒルダ!」
 紡ぎ始めた呪を止めたのは、聞き触りの良い少年の声だった。



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