それは綺麗な少年だった
確かに似ている
しかし妹とは明らかに伝わる印象が違う
同じ様にあの女から生まれたなんて……
とても信じられない



あのこの血が
あたしと紙一重にいたあのこの血が
汚いものなど何にも触れないように守られたあのこの血が
アゼルの血が


この綺麗な少年に、色濃く流れているのだ





炎の雫
2:冷たき紅の少年





 細い身を包んだ黒い服。無味乾燥なそれを彩っていたのは髪だった。どこか赤紫がかった銀糸がボルガノンの余波に惜しげもなく遊んでいる。
 その銀糸が何を示すのかは一目でわかった。わからずにはいられない。


 フリージ

 僅かに垣間見たディアドラ皇妃やユリア皇女。そして卑しいあの女も銀の髪を持ってはいたが、それとは明らかに違う。
 これはフリージだ。この銀髪は、フリージだけのもの。
 傍系に連なる者達にも時にその色がでないわけではない、でもブルームに嫁いだあたしは、それが非常に純度が高いトールの血であることを感じることが出来た。


 あたしがボルガノンの詠唱を止めたことを見て取って、その少年はティニーの近くに駆け寄った。
 抱き起こす仕草に酷く苛立つ。あの娘がそんな風に優しく扱われていいなんてことはない。
 少年はティニーの様子をみてほっとした吐息を漏らした。そのまま優しく横たえる。
 その瞳が。


「お前が、ティルテュの息子かい」
 そうだ、どうしてその姿をみた時に気が付かなかったのか。
「あの女は、あたしがいじめ殺してやったよ……その仇討ちにきたのかい?」
 どうして、この瞳をみるまで気が付かなかったのか。
「ああ、妹の手は汚したくないからな」
 怒りの込められた言葉の隅に感じた、冷たい響き。あたしの中の炎が躍る。
「そうかい」
 こいつは嫌いじゃない。そう思った。



 これは、無垢じゃない。
 これは、自分を忘れない。
 これは、怒りも愛も、悲しみさえも、この少年を忘れさせようとはしない!



 少年の胸元のペンダントがちらつく。
 赤い宝石は、ティニーがしていたものよりも、ずっと過去を思い出させる。
「ヒルダ」
 一人立った少年が笑ったのはどこかおかしな光景だ。その足元にはティニーが横たわっている。それが一層おかしさに拍車をかけている。
「何がおかしいんだい」
 あたしの言葉に少年は笑顔を深くした。意外と若い。イシュタルより年上、ということはなさそうだった。
「おかしい?違うな……嬉しいんだよ。正直、お前がティニーに殺されていなくてとても嬉しかった。
 ティニーの手がお前なんかで汚れなかった、というのもあるけどね」
 アゼルに似た少年。それでいて、アゼルとは全く似ていない少年。
「イシュトー、ブルーム……それと、伯母上」
 一人ずつ名前を告げるたびに、僅かに伏せた瞳をあげ、あたしを真っ直ぐに見据えてくる。
「俺の名前は、アーサーです。これで最後になるでしょうが……」
 パチリ、と周囲で火花がはぜた。
「俺の復讐の三番目。
 イシュタルはティニーにとても優しくしてくれたそうだから……あなたを殺せば完成です」


 真っ赤な瞳。
 髪は、たまに傍系にも出る。
 けれどその赤い瞳は、本当に濃い血の中にしか現れはしなかった。
 その瞳が、何より雄弁に語る。語って、いる。


 あなたが三番目

 ……三番目に、なんだって?



 口がとっさに呪を紡いだ。
 殺そうとは思っていなかった。
 本当に、何も思っていなかった。
 ただどうしようもなくやるせなくて、気が付いたら紡いでいたんだ。




(ブルーム!)
















「っごめんなさい」
 静かな図書館。小さな子供の抱えていた本がばさばさと落ちた。
 あたしはその本を懸命に拾う子供を黙って眺めた。
 拾い終わった子供は、顔をあげてもう一度同じ言葉を繰り返す。
「ぶつかって、ごめんなさい」
 そうして横を通り過ぎようとした子供の腕を捕らえる。再度ばさばさと本が落ちた。
「あ、あの……」
 戸惑ったようにあたしを見てくる子供をあたしはねめつけた。
 赤い目。


 何が違うんだ。
 この小さい子供に何があるというんだ。
 下賎な侍女の子供。何故この子供が安穏として暮らしているんだ。


 自然と手の力が増したらしい。子供は悲鳴をあげた。
「はなして」
 じゃあ、どうして泣かないの。
 泣き喚けばいい。下賎な子は卑しい血の示すように、泣き喚けばいいのに。
 さらに手の力を強くした。ちぎれればいいのにと思った。



「何をしてる!」
 図書館中に響き渡った鋭い声が、あたしの手を緩ませた。
「あにうえ」
 意外と素早い動きを見せて、手の中から子供が逃れる。走っていった先に、最も若い公爵が立っていた。
「ここは許可を得た者以外は立ち入り禁止だ。一介の貴族の娘が立ち入れる場ではない」
 よくも言うじゃないか。あたしはせせら笑った。よくもいきがっているじゃないか、たかだか十を数えるばかりの子供が。
 アルヴィス公爵はあたしの笑いが気に食わなかったらしい。さらに表情を厳しくする。
 でも、それがどうしたというんだ。
「じゃあ、その子供が入るのはいいの?」
 アルヴィスはその言葉に余裕を取り戻したらしい。厳しい表情の中に、別世界のものを見るかのような視線が混じった。
「アゼルは僕の異母弟だ。"お前のような一貴族の娘"とはわけが違う」


 どこが違う!

 アルヴィスは青くはれたアゼルの腕を見て、決別の言葉を唱えた。
「早々と出て行け。子供といえど、これ以上の無礼を許しはしない」


 心が燃えた。
 冷たい炎を感じたのはあれが初めてだった。
 これを憎悪と呼ぶのだ、と幼い自分は幾度も言い聞かせたのだ。


















『地上に眠りし熱き炎の渦よ、赤き濁流となりて駆けよ。ファラよ叫べ――ボルガノン!』
『我が大気より汝が元へ。トールよ貫きて走れ――トローン!』
 信じられないことが起きていた。少なくともあたしには。
 ボルガノンの炎は放たれた雷と絡み合い、力なく消えうせたのだ。
 こんな、こんな幼い、神器の継承者でもない、子供相手に。
 ティニーもろともに燃えつきると思ってたアーサーは変わらぬ調子のままその場にいる。
 今度は巻き込まない、とでもいいたげにティニーをその場にのこして一歩踏み出してくる。


「それで、限界ですか。伯母上」
 挑発するかのような言葉。のってあげようじゃないか。
「ティルテュの、地獄への道づれにしてやるよ」
 あたしの中の炎を燃やす。それは幼いあの日からずっと冷たい炎でありつづけた。
 だからどこか暗いボルガノンの炎があたしは好きだ。なによりファラに似つかわしい。
 さぁ、ファラよ。


 あたしの中のファラよ、駆けろ!





 熱く燃えてしまって、自分を失うような炎はあたしは嫌い。
 それに惑わされる奴など大嫌いだ。
 でもあたしは今日このとき、初めてやるせない感情に意識を奪われた。口が勝手に呪を紡ぎ、思いのままに炎を燃やした。


 あたしは、あんたを愛していたよ。ブルーム。
 あんたの未熟さも、一途さも、垣間見える幼さも。冷酷さでさえ。
 家族を想う、優しさも。
 だからこそティルテュが嫌いだった。あたしには与えてはもらえなかった肉親の情も、ティルテュの伴侶への羨望も、全てがティルテュを嫌わせた。
 でも、愛してもあげたかったんだ。
 あんたの為なら、愛してもあげたかったんだよ。






 アーサーはトローンを唱えはしなかった。唱えたのは炎の呪だった。ボルガノンには到底勝てそうに無い、ほんの初歩のファイヤーだった。
 手のひらに炎をまとわりつかせ、ボルガノンの渦に飛び込んでいく。
 気が狂ったのか、そうとも思った。
 炎の中のアーサーは、銀糸を赤く染め上げてあたしを見ている。
 炎の中の「何か」をつかんで、アーサーは手を一気にあたしへと差し向けた。
 声が
 声が、聞こえた。


「……ボルガノン!?」

 赤い炎があたしに向かう。
 深紅の炎。
 それがアーサーのボルガノンなのだ、そう気がついた時――あたしは深紅の炎の渦に巻き込まれていた。
 暗い炎の渦の中で、あたしを見据えるアーサー。炎の中で、赤く染まる髪。
(アゼル)
 深紅は、神の火ファラフレイム……ファラの炎の色。
 それが、あんたの炎の色か。
 体から命が消えていく。燃え尽きる。
 あたしを生んだのはファラだった。そして、あたしを殺すのもまたファラだったのだ。




 暗い炎が止んで、銀糸に戻ったアーサーが、燃え盛る炎を眺めながら呟いた。
「生きたいですか、伯母上?」
 笑わなかった。アーサーは、今度は笑いはしなかった。
「生きたいですか?」
 そりゃあ、死にたい奴はいないだろう。生きたくない奴ならいるかもしれないが。
「泣いてくれますか」
 アーサーは無表情だった。感情の全てを封じ込めたかのように無表情だった。こんな顔をする奴はみたことがないと思った。


「母のために、泣いてくれますか」

 馬鹿だね。
 あたしが泣いたらどうするというのだ。
 この炎を止めて生かしてやろうとでも言いたいのだろうか。
 それとも、生を盾に一度でもティルテュの為に涙を流させてやりたいとおもっているのか。
 アーサーの気持ちなんかに興味は無い。
 馬鹿だね。



 笑ってやった。
 満面の笑顔で、笑ってやった。
 そうだろう。あたしが泣いたら、あの娘が可哀想じゃないか。



「わかった」
 アーサーは、無表情だった。でもどこかほころんだ無表情がぱらぱらと崩れている。
 まだまだ子供だ。




「死ね、ヒルダ」



















 アーサーはティニーを抱き上げた。早く司祭に見てもらいたかった。
 未だ熱気の冷めない城内から、ティニーに衝撃を与えないように静かに出て行く。
 そうして誰もいなくなった城内。黒い煤だけが残された玉座の間。


 そういえば、とアーサーはふと思い出した。
 始めてみた時から、とても醜悪に映った女だったけれど。
 ずっと憎らしい女だったけれど。






 最後の笑顔は、とても美しかったのだ