三番目の聖痕〔2・スカサハ〕 東藤和稀さま
ガネーシャ。 イザーク地方東北に位置し、大陸の緯度はかなり高い。 しかし海に面しており、その気候は、驚くほど穏やかであった。 今、ここは解放軍の基地として新たな戦闘の舞台になろうとしていた。
斬っても斬っても、やってくる。 それがスカサハの感想だった。 王子たちを筆頭にグランベル軍は思いの外まとまりがいい。 西のソフィア城への行く道を塞ぎ、 威圧をかけるように進んでくるのは徒歩のヨハルヴァ隊。 草原を通り、一気に畳みかけてくる騎馬のヨハン隊は南のイザーク城から。 ソフィアもイザークも、元はイザーク国の緑豊かな地方である。 解放軍はガネーシャへの侵攻を阻むため、両軍の交流点近くの教会を足場に展開していた。
「このような戦いではないのに・・・」 ラクチェの言葉が漏れたのにスカサハは気づいた。 先程から、王子たちの説得をしに向かいたいのに 次から次へと来る敵に邪魔をされているのだ。 剣を主に使う解放軍は斧を用いるドズルの軍隊には有利だったが、そのため敵を殺すハメに陥っていた。 セリスの言葉が耳に付いている。 ただ、敵を斬るだけでは、状況が変わるわけもなかった。
「ラクチェ、あれはヨハンだ」 言い出すべきか、スカサハ一瞬迷った。 確かにヨハン王子であったが、少々遠いのだ。騎馬隊を避けては届きそうにない。 「うん」 ラクチェは頷くとスカサハに合図を送った。 了解の目配せに、ラクチェは駆け出した。 そのために前線に二人は並んでいた。 スカサハが切り込む。 無謀に思えるほどにスカサハは前に出た。 ソファラ、イザーク。 両軍の的に飛び込んだ。 「スカサハ・・・」 セリスは後方で哀しい目を向けた。 作戦は分かる、だが、これほど危険な方法を敢えてとったのは何故だ? スカサハの思いがセリスには分かる気がした。 一瞬でも一人でもラクチェから離すためなのだろう。 セリスはただ幼なじみであったわけではない。 スカサハが抱える苦しみに気づきはしても何もできない矛盾を抱いている。 セリスには妹を想ってしまった彼の気持ちは分からなかったが、ラクチェを一人の女の子としてなら、その気持ちは理解できたのだ。
「ヨハン!聞いてちょうだい!」 勇者の剣を携えて、ラクチェは叫んでいた。 声に反応したヨハンは戦場を忘れる笑みを見せた。 「ああ、ラクチェ・・・わが愛しの人よ」 思わず力が抜けた。 何かを言い返す間もなくヨハンは恍惚とした表情で呟いた。 「ついに運命の日は来たり・・・」 「ヨハン?」 ラクチェの声が届いているのかいないのか、詩でも朗唱するような言葉だった。 「きみの言葉は小鳥のさえずり きみのひとみは、星のまたたき ああ、もはや、きみなしには生きていけない・・・」 声をかけたことにラクチェは後悔した。もしかして正気でないのかも知れない。 戦場で愛を語っているのだとは思わなかった。 思わずそう言ってしまったがヨハンの瞳に狂気の色は見えない。 そして指揮下のイザーク軍全軍に告げた。 「これより我が軍は、解放軍に協力する!」 喜ばしいことだったがラクチェは驚いた。まだ説得はしていないのだ。 「いいの?」と言葉にしないで聞く。 ヨハンはラクチェを見つめたまま宣言を続ける。 「今日から我らは、愛と正義と、ラクチェのために戦うのだ!!」 『何だろう、この視線の意味は?』 ヨハンはラクチェにそう思って欲しかった。 けれど、ラクチェはあっさり手を振った。 「ありがとう、じゃ、よろしくね」 そのままヨハルヴァの説得に向かわなくては行けなかったからだ。 背を向けただけ 油断という心の信頼を見せてくれたのだと、ヨハンは勝手に納得した。 「これより我らは同盟軍だ!いいな!」 言うと同時にヨハン隊はヨハルヴァ隊に斧を向けた。
「え・・・・・・!?」 セリスは目をむいた。 ラクチェが説得したしたらきっと、協力してくれるとは思っていた。 だが、まさか、弟の軍に斬りかかるなんて!?
(成功したのか?) ヨハンの宣言と同時にヨハンの攻撃が止んだ。 (ヨハンは変なヤツだが、軍の方は掌握しているらしいな) そう思ったと同時の出来事だった。 ヨハン隊はその牙をヨハルヴァ隊に向ける。 混戦地帯であった場所は混乱した。 「何考えてるんだ、お前ら!?」 思わず声を上げ・・・剣を止めてしまった。 指揮官が指示すれば味方であった者に牙をむくなど、スカサハには出来ない。
「え・・・え・・・!?」 一番混乱していたのはラクチェだった。 同士討ち!? それも自分の言葉のために。
「ちくしょう、ヨハン兄貴め!」 抜け駆けしやがった!と、ヨハルヴァの心が叫ぶ。 好きになったのは自分のが前だとヨハルヴァは思っている。 後から来てラクチェと自分の間に横入りなど、兄貴であるからこそ許せない。 怒りのあまり、ヨハルヴァは自分が嫌いであったはずのことをしてしまった。 ・・・・・・軍を私用に使ったのだ。 「こうなったら戦ってやるぜ!全軍、攻撃に移れ!」 それでもラクチェが来てくれたら、その時は・・・ ヨハルヴァは思っていた。
「ふふふ・・・ヨハン、ラクチェは私が守るさ、安心しろ」 独り言だ。 ヨハンは真っ直ぐヨハルヴァに向かっていた。 愛に、ヨハンの目は陶酔していた。
*
「ここがイザーク!やっと着いたわ。 ごめんねマーニャ、おもかったでしょ」 愛馬のペガサスに話しかける少女が、ソファラの西方の山を越えていた。 珍しいことに二人乗りであった。 「ふーん、そのペガサスはマーニャって言うのか」 同乗した青年・・・まだ少年と言うべきだろうか、 微妙な年頃に見える・・・が感心して言った。 「解放軍はここでドズルを相手に戦っているはずなのよ」 少女の目は使命感に燃えている。 「じゃあ、あれは敵軍の基地ってわけか」 青年が言う。 視線の先に山に囲まれた城が見える。点在する村に、近づく影も見えた。 遠くで戦う音が響いてきたのだ、斧を持った男が見張りをしている城が拠点でないはずがない。 「そうでしょうね・・・、あ、あの村!!解放軍は気づいてないのかな!?」 影は盗賊であるのだろう、略奪されようとする村人が見える。 表情までは分からないが青年に見えない細部まで、少女には見えた。 ペガサスを駆る者は一様に視力がよい。少女も同様であった。 「助けなくっちゃ!」 少女の声に青年は言う。
「フィー、あそこに下ろしてくれないか?」 青年は真っ直ぐ城を指さした。 「フィーはあちこちの村を守りに行くのがいい。俺が降りれば早いだろう?」 青年の真意を測りかねて少女は怪訝な顔をする。 青年はにっこり笑って一冊の本を見せた。 魔法を用いる者が持つ書であることを少女は知っていた。 青年はマージだった。
*
「ヨハルヴァ!?」 ラクチェの叫びが遠い。 それでもヨハルヴァの耳にはよく聞こえた。 ヨハンが向かってきていることは百も承知である。 だが、戦いよりもこの声を聞いていたかった。 「ラクチェじゃねえか!」 喜びをたたえて、叫ぼうとした。
「な、何だ!?」 突然の違和感。ヨハルヴァ軍は一斉に城を見やった。 随分と離れている、だが、城には指揮下ではレベルの高い、信用しているアクス・ファイターを守りにつかせてあった。 解放軍の動きも確認している。 誰も城には向かっていない!! だが、それは確かだった。
「城が・・・」 呟いた声は届いただろうか? 制圧はまだされていない・・・だが時間の問題だ。城にはもう兵がいない。 ヨハルヴァは虚ろな顔を上げる。 「ラクチェ・・・俺は・・・」 兄たちのようにクールにはなれなかった。 力でごり押しは好きじゃなかった。 ロプト教団にはうんざりしていた。 教団に文句も言えない父には愛想も尽きていた。 なのに、なぜ、自分は。
「俺様の城はわたさねえぞ。・・・反乱軍、ぶちのめしてやる」 言いながら、何を言っているのかも分からない。 少しも怒ってはいなかった。 ぶちのめそうなんて心も始めからなかったし、今だってない。 穏やかな顔をしている。 ヨハルヴァ以外の誰もがそう気づいた。 哀しそうな顔をしている。 そのことにもヨハルヴァは気づかなかった。 「ラクチェ、何で俺は動かなかったんだろうな?」
自分は、どこかで言い訳が欲しかったのかも知れない。父を、兄を裏切る言い訳。 自分はドズル家で、どうにも浮いた存在だった。 荒くれ者と呼ばれた。 ドズル家のやることに納得がいかないのに、 自分はその一員で、一員なのにそれを認めてもらってもいなかった。 父とも兄とも合わない自分。 城を任せられたとき、認められた気がして嬉しかった。 気に入らない命令でも、従っていたのはそのためだった。
ラクチェに言って欲しかった。 自分が必要だと言って欲しかった。 自分が心から戦える、そんな場所にいたかった。 それなのに。
自分はなぜ動けなかったのだろう。 自分から、協力させて欲しいと言えなかったのだろう。 指揮官のセリスがどんな人物か、ヨハルヴァは知っていた。 何よりあそこにはラクチェがいて、そしてここよりもずっと納得のいく戦う理由があった。
「ラクチェ・・・すまねえ・・・」 ヨハルヴァは死んだ。殺された。 戦場のごたごたで、誰の手が決定打かははっきりしなかった。 死んでいくその瞳はただ、ラクチェを見つめていた。 歩兵の宿命か、ラクチェは間に合わなかった。 「ヨハルヴァ!!」 そう叫んだ声だけが空に消えた。
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