三番目の聖痕〔1・スカサハ〕 東藤和稀さま
誰も知らない 誰も気づかない この想い そして 罪の証
俺たちは何故二人なのだろう。
小さい頃からずっと、二人であることを知っていた。 同じ髪。 同じ瞳。 妹は母さんによく似ていると言われた。 顔も知らない母さんと父さん。 俺はどうなのだろう。 剣技だけは、戦い方だけは、よく言われる。 「おまえは おまえの父上によく似ている」 いつからか、その理由は分かった。
同じなのだ、多分。戦う理由も、その心も。
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「今日も調子がいいね」 中庭で日課である稽古をしていた スカサハとラクチェの元に、セリスが姿を出してきた。 スカサハは、持ち上げた模擬剣を止め、セリスの方を向き直る。 「セリス様」 どうなされたのです、と言外に聞く。 今日の会議にはまだ時間があるはずだった。 息一つ乱していないことに気づいたからか、ラクチェが身を硬くする。 彼女はまだ返答が出来るほどに息が整っていない。 「ああ、いいよラクチェ、落ち着いて」 セリスに挨拶をしようとして、ハアハアと息をつくラクチェを気づかう。 「す、みません……ハア、ハァ」 急に運動をやめたからだろう、身体が落ち着かない。 模擬剣を支えにふらついた。 「わっ、ラクチェ」 支えようと手を伸ばすセリス。 無言で支えるスカサハ。 「ごめん、スカサハ」 頭一つ分ほど背の高い兄を見上げる。 小さく頷いて見せてから、セリスの方へ視線を戻した。 宙をかいた手を、所在なげに止め、さりげなく戻すセリスに気づく。 「何かあったのですか?」 セリスはにこやかに首を振る。 「そうじゃないけどね。みんながどうしてるか、回ってるんだ」 作戦のためか。 察しよくスカサハは気づいた。同時に思う。 (今更見回らなくては落ち着かないほど、先は厳しいわけだな)
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現在戦況はよいとは言えない。 根拠をガネーシャに移しただけで、それほど変化はないのだ。 解放軍の重要人物であるシャナンも戻らぬ状態で、戦いが始まったのは、不幸とも言うべきだった。 イザークの地は未だ大半がグランベルの支配下にあり、目下の敵としてドズル家の兄弟が待っていた。 その後にはドズル家当主ダナンがいる。 もっともスワンチカは既に長男に渡っているらしいが。
解放軍はなし崩しに戦闘に入った。 見つかった以上は戦うしかない。 それでもスカサハは気が進まずにいた。 元来、戦を好む方ではないのだ。 「あら、スカサハは恐いの、わたしは平気よ」 戦いの始め、双子の妹は、こう言った。 「わたし…もう逃げるのはいやなの」 (分かっているさ、ラクチェ) スカサハは心の中で呟く。 (でも俺は恐いよ、おまえが傷つくのが) 彼女は生来の気性の持ち主だ。ひどく激しい心の持ち主だ。 戦場に向かうのだろう。誰よりも前に、そして戦うのだろう、母のように。 (俺が守る) ああ、そうだ、俺が守る。 かつて誓った言葉を、もう一度呟く。 父のものだという剣とリングを得た折りに、会えない父に誓った言葉だった。 死んでいるのだ、母も父も。 スカサハは夢と現実を取り混ぜる方ではなかった。
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ここガネーシャにおいて、姿を見せたのは意外な人物だった。 シレジア国王にして風の聖戦士、レヴィン。 セリスが幼い頃よりたびたび姿を見せては世界の情勢を告げて去る。 セリスはオイフェ、シャナンと同じくらいこの風使いを信頼していた。 だが、スカサハはこの男をそれほど気に入ってはいない。 あまりの神出鬼没さに胡散臭さを覚える。 そしてそれは同時に嫉妬であるのだと分かっていた。 自分よりも頼りになる大人。 自分より強い大人。 魔法の香り。 どれもスカサハには手の届かない領域だったのだ。
「セリス、この子を預かってはくれまいか」 レヴィンが預けていったのは銀色の髪の少女。 セリスが微笑みかけてもほとんど反応がない。 ひどく不思議な空気をまとった少女だった。
「スカサハ、あの子キレーな子だよな」 デルムッドの言葉に思わず目を丸める。 そういう目で見てはいなかった。 「そうかな」 スカサハの反応にデルムッドは呆れた声を返す。 「おまえってさ、女に興味とか、ないの?」 「ないわけじゃないけど」 クールな反応にデルムッドは溜め息をつく。 「クールを装ってる風にも見えないんだよなー、おまえの場合」 クールな訳ではない。 他の女が対象にならないだけだ。 スカサハは、無造作に髪に手を突っ込んだ。 考えるのをやめようとするときの、癖だった。
「俺は、キレーだと思うんだけどな」 デルムッドが呟く。 「……あの子は魔法のにおいがするのにか?」 スカサハが呟いた言葉に、驚いて。 それからデルムッドは弾けるように笑った。 「おまえって、まだそんなこと言ってんの!?」 思いきり笑われて、憮然とする。 「なんだよ」 デルムッドは目から涙まで流していた。 「おまえって、ホント変わんねーのっ。魔法コンプレックス、抜けないんだな」 悪いかよ。胸の中でごちる。 「これで親切なんだもんなー。結構騙された女、多いんじゃ」 「……あのな」 最後は怒る気もしなくなっていた。
改めて銀の髪の少女に視線をやった。 ユリアさんと言ったっけと思いだしてみた。 何かひどく不安そうな表情だとスカサハは思った。 記憶がないと言うから、そのためだろうか?違う気がするのだけど。 銀の髪は少し青みがかっていて、見たことのない色だ。 やはり、魔法のにおいがする。
ふいに、どこかセリスに似ているような気がして、スカサハは押し黙った。 どこがだろう? セリスはこの少女のようには魔法のにおいもしない、不安げでもない。 もしかしたら、目だろうか。 なにかにひどく不安そうでありながら、少女の目は生の光をたたえている。
きっと、目の光が似ているのだ。 そう結論づけると、スカサハは少女から視線をずらした。 「な?キレーだろ?」 デルムッドは何かを期待する顔でそう言った。
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「無理かな」 デルムッドが呟く言葉に、レスターは「さあな」としか答えなかった。 デルムッドは金の髪を空に投げるようにして仰向けになった。 「レスターはそんなことないんだろ?」 主語のない会話だが、レスターには通じている。 「俺はないな」 弓の弦を直しながらレスターは淡々と告げた。 「ありがたいことに」 レスターは吐き捨てるように呟いて見せた。 「ラナは妹でしかない、大切な妹ではあるけど」 「俺だって」 デルムッドは呟いた。レスターと違い、目に同情がある。 「妹探してるけど、すっげえ会いたいけど、多分、ないよ」 レスターはピンと弓を弾いた。
「俺は小さい頃からあれが妹だって知ってたけどな、そうでなくても好みじゃないからならないだろう」 結構きついことを言う。 「スカサハは知らなかったのか?あんなに似てるのに」 デルムッドは身を起こしつつ聞いた。 幼い頃から共に育ってきたのは同じでも、知っていることと知らないことは開きがあって当然だった。 「俺たちはティルナノグで、一つの家族のようだっただろう」 レスターはもう一度空撃ちをした。 「誰かが、特別だという概念はなかったんだ、ずっと。 だから言わなかったんだよ、シャナン様もオイフェさんも、母さんも」
デルムッドは髪を無造作にかきあげた。 「ズルイよなー、レスターは」 デルムッドは模擬剣を振り回すスカサハを、視界の端に見つめて言った。 「俺の母さんも生きてるといいな」 妹と、母。デルムッドは想像の世界でだけ、会える二人を考えた。 どちらも生死はハッキリしないが、レンスターにいるらしいことは知っている。 金の髪をしているのだろうか? 自分のような。 スカサハとラクチェ、模擬戦を繰り広げる双子を見つめる。 「兄妹って始めから知ってたら、あいつならきっと間違わないのに」
ユリアに会った、ついさっきのスカサハを思い出した。 頭もいい、剣技も強い、オードの血を引く剣士。 すらりと剣を抜く。 自分は、あいつの剣技には遠く及ばないのだ、最初から。 「何で間違えちゃったんだよ、バカヤロ」 自分だって、ヘズルの血を引いてるのに。 継承者のイトコという血縁はあいつと変わらないはずなのに。 「その代わりってのも、ダメだからな」 デルムッドはデルムッドなりに心配していた。 スカサハは、まるで砕けそうな刃だとデルムッドは思っている。
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作戦会議とは、要するに、ドズル兄弟の攻略法である。 ソファラとイザーク、おそらく二つの城から敵はやってくるだろう。 同時に相手にするのはリスクが大きすぎた。 どちらか一方だけと戦うのであれば勝機はある。 時間差を持たせるため妨害するか、 もしくは一方を早々と倒すよう奇襲をかけるか。 本来ならば奇襲は望ましくない。 解放軍の名を持つ以上、正々堂々と打ち破ってこそ、力を見せられるからだ。 卑怯な方法で勝てば、民は解放軍とは認めないだろう。
だが現実的だなとスカサハは思っていた。 それが出来ないことも敵は予見しているだろう。 「指揮官はドズルの次男ヨハンと、三男ヨハルヴァらしい」 セリスの言葉にラクチェが顔を歪ませた。
この二人は、元は王子として育っていない。 イザーク人の娘の元に生まれたダナンの子だった。イザークがグランベルに最初に侵攻を受けた当初の頃である。 何があったのかは、追求しない。 二人ともラクチェにべた惚れだった。 二人がラクチェを知ったのは、ティルナノグからたまに外に出るときである。 ラクチェにすればはた迷惑なのだが、二人ともティルナノグの隠れ里について父親に言うことはなかったのは助かっていた。
「ラクチェが説得すれば敵対しないでくれるかも知れないんだけど」 セリスが言うことはスカサハには分かっていた。 自分では提案したくなかったのだ。 ラクチェに惚れている男と言うだけで、本当は煮えくり返る思いがする。 誰であっても同じだ。 まして敵である。 彼らが根っからの悪人でないことをスカサハは知っている。 ラクチェだけが会っているわけではないからだ。 協力してくれと頼めば、聞くかも知れない。断固として子供狩りはしなかった二人なのだ。 グランベルの中では案外、既に裏切り者扱いを受けていてもおかしくない。
「敵を全て殺すのでは帝国軍と変わりはない。 私は、共に戦う志を持つ者は皆同志だと思っているから。 分かり合えるかも知れないのなら、その希望を捨てたくないんだ」 セリスの言葉に会議室はしんとなった。 誰が本気で、この言葉を言うことが出来るのだろう。 少なくても俺には出来ない、スカサハはそう思う。 「わたしが行きます、説得してきます」 ラクチェが言うのに、セリスは頷いた。 会議室に並ぶ仲間たちは、視線をラクチェに集めた。そして意志を確かめあう。 仲間たちは今、改めてセリスは解放軍のリーダーであるのだと思った。
出立を整えるまでもない、 解放軍は全軍を投与してようやく軍と呼べる程度であったからだ。 日々の鍛錬を欠かすような生半可な覚悟ではいられない。 だが、いつもは見られない光景にスカサハはふと目を留めた。 ラナとユリアが何か話している。 共にセリスに感じるものがあるらしい少女同士、何の会話があるというのだろうとスカサハは思ったのだ。 「これ、あなたなら使えるでしょう?」 そう言ってラナが差し出したのは杖だった。 リライブの杖だったかとスカサハは思い出す。 正直に言って、回復の杖の種類はよく分からない。 感じる力が違うのだと、以前ラナは言っていた。
意外な気がした。 ラナは母エーディンからいくつもの杖を受け継いでいたから、 そのうち一つをあげることはそうおかしくはない。 ただ、ユリアが杖を使うというのが意外だった。 あの少女から感じたのは、魔法のにおいだったのに。 杖を用いるシスターとは違う気がした。
「スカサハ」 ラクチェに声をかけられたことに、スカサハは最初気づかなかった。 いつもなら、声をかけられる前に気づく。 「どうしたラクチェ、お前は先発隊だろう?」 準備はいいのかと聞いている。 「スカだってそうじゃない」 ラクチェがむくれるのが可愛くて、スカサハは笑った。 「俺はもう準備が出来てるさ」
スカサハの準備はそう時間を必要としない。 愛用の剣はいつでも手入れがされているし、 パワー・リングは稽古中以外は決して外さない。 稽古中に外すのは、手加減が出来なくなるからだった。 意図しての手加減はしていないつもりだが、無意識にセーブがかかる。 たとえその結果模擬戦に負けることがあっても、戦闘に影響はないからだ。 「何を見てたの?」 ラクチェが聞いた。 「なんだったかな」 スカサハが流す。嘘をついたのとは違った。 本当に、自分が何を見ていたのかが気にならなかったのだ。
ラクチェの肩を叩いて、スカサハは促した。 「行くぞ」 ラクチェは一瞬浮かべた不満そうな表情を忘れた顔で答える。 「セリス様の期待に応える働きをしなきゃね」 やる気を見せるラクチェにスカサハは何とも複雑な思いがした。 (あいつらと話をするのに、やる気なんて出して欲しくないんだが) ただ、答える。 「そうだ、おまえが大変なんだからな」
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解放軍はガネーシャを出た。
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