けもの道
              アリス様





Z


 もう何度目だろうか。世界が暗転する。

 ルーティは諦めて覚悟を決めた。だが、幾ら待っても何も見えない。
「あれ………?」
 幻術が解けたのかと思って辺りを見回すと、其処は現実の、鍾乳洞のように
木の枝らしきものが垂れ下がった空洞だと言うことが分かった。
 立ち上がって数歩歩くと、すぐに壁に辿り着く。さほど広くはないようだ。
蔦が絡まり合ったようにでこぼこした壁に触れると、生き物のように脈打っている。

「何よ、これ……まさか……モンスター?」

 とにかく状況を整理しようと、ルーティは中央にどっかりと胡座をかいて座り込み、
あまり得意ではない状況整理と脱出方法の思案にに没頭した。

 まず、ここはおそらく、モンスターの体内。
 先程戦っていたのは樹がレンズを取り込んだモンスターのようだった。
 そいつの根っこに張り倒され、其処から意識がない。
 そして、以前大きな樹の空洞を利用したほこらで夜を明かしたことがあったが、
その場所とよく似た壁があり、更に其れは脈打っている。
と言うことは先程のモンスターに食われたと言うことだろう。
 アトワイトを持っていないと言うことは、外に落としてきた可能性が高い。
 いつもで在れば、考えるのはアトワイトに任せっぱなしなのだが、
その彼女が居ないとなれば、自分で策を練るしかない。
 アトワイトが居なければ晶術はおろか、樹を削って脱出すると言うことも出来ない。
 どこからここに放り込まれたのか、出入り口などはさっぱり見当も付かない。
 外に居るであろう仲間達も、どうにかしようと頑張っていてくれるかも知れないが
だからといってのほほんとしている時間はないし、
助けられるのを黙って待っていられる性分ではないことは、自分が一番良く知っている。

 第一、スタンがディムロスで炎の晶術を使ったりしたら、
玉のお肌が小麦色を通り越して、ファンダリア人やカルバレイス人もビックリな
墨色にまで灼けてしまう。はっきり言って、其れだけは避けたい。

 其れに焼死というのも頂けない。アレは見た目が派手で即死できそうに見えるが、
実は熱気が肺と喉を焼いて叫ぶことが出来なくなり、皮膚を焼く痛みにのたうち回り
身体の大半を焦がすまで死ねない上、其処までの意識ははっきりしているという。
 そんな苦痛だらけで見た目の宜しくない死に方など御免こうむる。



「ああああああもう!何で死ぬことまで考えてるのよあたしは!!」



 はっと正気に戻り、漆黒の髪をがしゃがしゃと掻き乱す。
 指に引っかかった自分の髪を見て、同じ色の少年を思い出す。
「あいつが何かしてくれるなんて、思えないわよね…………」

 正直に言えば彼が……リオンが一番頼りになるのだが、
あのひねくれ者が率先して自分を助けに来るとは思えなかった。
 とにかく、今は脱出することを考えなければ。
 今は遠く離れたクレスタには、自分の帰りを待っていてくれる子供達が居る。
 孤児院の生活は、自分が稼いだ収入が頼りなのだ。
 あの子達のためにも、自分は必ず生きて帰らなければ。

 ぎゅうっと拳を握りしめて、天井を振り仰ぐ。
 すると、その一点がごそごそと蠢いているのが見て取れた。
「何…………?」
 モンスターが攻撃を仕掛けてくるのかと、身構える。
 だが、今は丸腰だ。避けるくらいしかできない。其れではいずれ食われてしまう。
 ぎり、と歯がみして其処を睨み付けていると、自然の中にはあり得ない色が見えた。

 暗がりの中にも鮮やかで美しい、カーマインとコバルトブルー。
「え……………?」
 目の前に墜落してきたのは、人だった。其れも、ひねくれ者の剣士。
「リオン……っ……」
 慌てて声を掛けようとしたが、どきりとして声を詰まらせた。
 リオンの頬には、涙の跡があったからだ。

 見せつけられた過去の傷痕。自分だけのものなら、まだ良かったかも知れない。
けど、見せられたのはリオンのそれでもあった。
 何故かは分からないが、彼もこのモンスターに「食われ」て、
記憶を掻き回されたのだろう。そして、その断片がルーティに流れ込んできた…………。
 と言うことは、彼がルーティの過去を見ていた可能性もある。
 
 誰かの過去なんて知りたくない。知ったら、自分の過去を詮索される。
 知られたくなんかないから。だから、誰のことも知りたくない。

 いつも、そう思ってきた。けど、不慮の事故で知ってしまった。
 床に大の字で転がっているリオンの泣き濡れた頬を、そっと指で拭う。

 この子は、一体どれだけ悲しい思いをしてきたんだろう。
 どれだけ、信じて、その度に裏切られてきたんだろう。
 あたしも同じ。信じることを、もうずいぶん遠いところに置いてきてしまった。
 裏切られて、傷付けられて、その度に人から遠ざかって。
 人なつっこい振りして、腹の中では疑心暗鬼。
 
でもね。途方もなくお人好しの田舎者に出会って、思い出せてきたのよ。
 誰かを信じること。背中を預けること。
 其れは、あんたも同じでしょう?
 あたし達、もうあんなに誰かを疑わなくても良いのよ。
 だから、もう泣かないで。

 囁きながら、柔らかなリオンの髪を指で梳いてやる。
 何故だろう、いつもはあんなにいがみ合っているのに。
 今はこんなに、心が穏やかで、優しくなれる。
 リオンと喧嘩することさえ、もしかしたら楽しいのかも知れない。

 リオンの頬を汚していた涙の雫が乾いたのを見て、ほっと息を吐いた。
 だが、吐き出された安堵の息は、すぐに驚きと共に彼女の喉に吸い込まれた。

 リオンの身体が、透けていく。
「リオン!!しっかりして!起きて!リオン!!…………リオン!!」
 リオンの身体はどんどん半透明になり、ルーティによる懸命の叫びにも応えない。
 何が起こっているのかも分からないまま、彼の薄い肩を掴もうと伸ばした手首を、
背後から誰かががっちりと掴んだ。

「!!」
 驚いて振り向くと、其処にあったのは忘れたくて堪らなかった、おぞましい男の顔。
 駆け出しのレンズハンターだった頃、遺跡の中で右も左も分からない彼女を
出口へ案内してやると言って騙し、ルーティの処女を奪った男達。
 恐らく一生癒えることのない傷を刻みつけた張本人。

「い………厭ぁ!!来ないで!あっち行って!!」
 振り解こうと暴れても、掴まれた腕は解放されることはなく、赤子の手を捻るが如く
ねじ伏せられてしまう。其れも、リオンの身体の上に。
 気が付けば、二人が倒れているのはあの時の遺跡の石畳の上。
 もはや何処までが幻で、どこからが現実なのか分からない。
 今起こっているこのことが、全て悪い夢であって欲しいと思う。

「うぁっ…………!」
 触れれば、確かに感じたであろうリオンの体温が、
倒れた先にあった筈のその存在が、恐ろしく希薄になっていた。
「リオン?!……ちょ、ちょっと!ねえ!リオン!」

 まさか。
 まさか死んでしまったのか。
 男達に衣服を剥ぎ取られながら、未だ目を覚まさぬリオンに向かって、
ルーティは叫び続けた。声を限りに。
「リオン!起きて………助けて!!リオン!」
 
 叫んだ声は風に流され、応える声はなく、
目を閉じたリオンはそのまま消えてゆこうとしていた。
 そして、ルーティの身体に無理矢理押し入る、焼きごてのような男の欲望。
 引き裂かれる痛み、道の開かれていない女の中を乱暴に行き来するもの。

「あ…………っく!…リオン……リオン………うあああああああああっ!!!」
 在るのはただ、痛みだけだった。
 必死に助けを求めて、消えてゆく少年に手を伸ばす。

 消えて欲しくない。助けて欲しい。目を開けて。行かないで。一人にしないで。

「厭………厭!……行かないで、リオン……行かないで………………」




▽▽▽