けもの道
              アリス様





Y


 自分が汚されたときの幻がようやく消え、
辺りには再び暗闇が広がった。
「何よ………こんなの見せて、何だって言うのよ!」
 泣き叫ぶ問いに、答えはなかった。

 遠くから、声が聞こえる。
 聴きたくもなかったが、反射的に顔を上げた。
 セインガルド城の、兵士詰め所。柱の辺りに固まっている男三人の声。

「客員剣士だと?あんなガキが?」
「ガキだからじゃねえの?」
「お稚児趣味の大臣にでも取り入ったか?」

 聴くに堪えない、陰口。柱の影から囁かれる其れは
はっきりと聞こえていた。………そう、リオンの耳に。
 王国客員剣士とは、兵士としての下積み無しで近衛兵や騎士、
場合によっては将軍に抜擢される。

 国内で名を売ったものと、何か国王の耳にはいるほどの実績を上げたものを
王宮に招くため、まずは其れに見合うだけの実力を有しているかを、
七将軍直々に試される。

 リオンは14歳にして、合格者が居ない方が多いと言われるその試験を突破したのだ。
 其れも、近衛兵として招かれた。
 近衛兵は文武両道、才色兼備でなければならない。
 最年少で近衛兵に招かれたとなれば、其れを妬む者が居るのも当然だ。
 其れに加え、リオンはその風貌から、聴くに堪えない噂を流されていた。
 もっとも、本人は右から左へ流していたが。
 彼の実力は誰もが知っている。故に、その下らない噂を本気で信じる者は居ない。

 其れでも根も葉もない噂は絶えなかった。
 むしろ、同調しているルーティがかんかんになっていたくらいだ。
 つい先程の、忌まわしい過去の痛みさえ吹き飛ばすくらいの、憤り。

「ふ………っざけんじゃないわよ!!リオンはね、ちっちゃい頃からずっと
剣の特訓して、ちゃんと鍛えてるんだから!
あんた達なんか束になっても敵わないくらい強いのよ!
自分たちが頭の良さでも剣の強さでも勝てないからって、バカ言わないでよ!」

 聞こえないのは百も承知の上だ。だけど、怒鳴らずにいられない。
 リオンが本当に強いことも、頭がいいことも分かっている。
 何度も精神を重ね合わせ、彼の過去を見てきたから。
 だから、そんな風に揶揄されることが忍びなかったのだ。
「あいつは………辛い思いも、痛い思いもいっぱいして、強くなったのよ」


 そして、世界が暗転する。
 また自分の過去が見えるのかと、ルーティは身構えたが、
再び現れたのは、リオンだった。

 その日は、リオンの15回目の誕生日。
 近衛兵にもなった自分を、きっと父は誉めてくれる、認めてくれる。
 そう思って、父親を訪ねる。
 どきどきと心臓が高鳴って、期待が胸に満ちていた。

 だが、霧がかったように霞んだ父親は、背中だけでこう言った。



『リオンよ。これからは、あまり此の家に近付いてくれるな』



 声は、聞こえなかった。ただ、リオンの頭の中で処理された意味が、
ルーティの頭の中に流れてきた。同時に、酷い絶望が流れ込む。

「…………痛っ………」
 ルーティは荒縄に胸を締め上げられるような苦痛に思わず胸を押さえた。
 リオンが感じる痛みが、そうさせたのだ。

 僕は、何をしても認めて貰えないのか?
 だったら、僕は父上の何なんだ?ただの、手足?道具?

 自分の部屋に閉じこもり、服も脱がずにシャワーを浴びる。
「うっ……くっ………あ……」

 “僕は、何……………!?”

 シャワーの音に掻き消される、リオンの泣き声。
 水を含んで身体に張り付く衣服。
 その圧迫感は彼の胸を締め付ける其れにも似ていて。
 涙は、全てシャワーの水と共に排水溝へ流れ込む。
 随分と長いこと、リオンは空のバスタブにうずくまっていた。

「リオン……………………」
 ルーティの頬を、幾筋もの涙が伝う。
 だけど、同情はしない。同情なんてしたら、
今も凛と前を見据える彼に、失礼だから。

 だから。
 ルーティは手の甲で涙をぶっちぎった。
 愛されたいと願う心、愛されない絶望。
 その所為だろうか、彼があんなにも人を拒絶するのは。


 孤児院に来たばかりの子供にも、時々居る。
 甘える術を全く知らない子供。甘えたいのに、拒絶する子供。
 そう言った子供達は大抵、親に虐待された子供達だ。
 抱き締められた時に、しなだれかかることも知らない子供達。
 抱かれると、ただ、棒のように立ちつくす。
 その時の子供達の戸惑った瞳が、脳裏に蘇る。
 
 暴力を振るう以外にも、子供を無視することも虐待に当たる。
 どんなに子供が話し掛けても、知らない振りをし、ろくに食事さえ与えない、
そんな親だって、時にはいるのだ。
 その点で言えば、リオンは虐待されたと言っても良いのかも知れなかった。


 急激に日が沈んでいくように、再び闇が辺りを包む。
「ああもう、今度は何よ」
 いささかうんざりしながら、過去を映し出す、忌々しい窓を見る。
 其処に浮かび上がった映像は、またしてもリオンだった。
 だけど、様子がおかしい。

「や、めろっ…………!!」
 セインガルド城の会議室。其処の床に、リオンが押さえつけられている。
 彼が悪さをして取り押さえられるとは思えなかった。
 ぺた、と窓に手を付いて、映像を覗き込んだとき、ルーティは気が付いた。

「リオンに『なって』ない………?」
 同調していない。少しだけほっとしながらも、彼の身に何が起こったのか
知りたくなって――例え其れが、どんな辛いものであっても――窓に目を向ける。
 改めて見ると、数人の男が、リオンの華奢な腕や脚を押さえつけ、
引きちぎらんばかりの勢いで、彼の服を脱がしていく。

「んなっ……………!?」
 男が、男を犯そうとでも言うのか。
 そりゃあリオンは、並みの女の子よりずっと綺麗な顔してるけど。

 ルーティが頬を真っ赤に染めてうろたえている内にも、リオンの肌は
どんどん露わにされていく。引き締まった筋肉を覆う肌は、驚くほど白い。
 はだけられた胸や脚の間を同性にまさぐられ、嫌悪感からリオンは激しく抵抗する。
 同性にされると言うだけではなく、幼い頃に見た性器のグロテスクさが、
性行為全てに対して、嫌悪感を催すくらいのトラウマになっていた。
 まろびだされた相手の性器を見て、おぞましさに顔を背ける。

 その時、一人が暴れるリオンにこう耳打ちした。
「――――様からの依頼でね。あんたの身体は、剣だけじゃなく、
こう言うことにも使えるんだって事を教えてやれってさ」

 囁かれた瞬間、リオンの身体から力が失せた。
 紫の瞳には、涙こそ無かったものの、絶望の色が浮かんでいた。
 そして、尚も続けられる陵辱。
 苦痛に喘ぎそうになるのを必死に堪え、心だけは決して屈しないリオンの姿は、
例えどんなに犯されても、汚されても、決して穢れないとさえ思わせた。

 ルーティは、その映像から目を逸らさず、真っ直ぐに見ていた。
 見ていることしかできないことが、こんなにも辛いとは思わなかったけれど、
真実を歪曲させずに知ることが、其れだけで何かに繋がるような気がして、
きつく拳を握りしめて、最後まで其れを睨み付けていた。

 行為が終わり、倒れたままのリオンを放り出して、男達は居なくなっていた。
 耳が痛くなるほどの静寂の中、リオンがようやく体を起こす。
 自分の身体にこびり付いた「汚らわしいもの」を見て、呆然とする。



「どうして、こんな事を………剣だけで、充分じゃないか。其れでも足りないのか?
僕はこんな事までしなければいけないほど、弱くない!!」


 その時初めて、リオンの両の目から涙がこぼれ落ちた。
 拳を痛めるのも構わず、床を殴りつける。其れでも無様に叫び出さぬよう、
唇をきつくかみしめて。

 何度も何度も床を殴り、皮が剥け、血が出る。そうしてようやく、
彼は床を殴るのを止め、ぽつりと呟いた。
「あんな奴…………父親なんかじゃない」
 あいつだって、僕を息子だと思っていないんだ!
 絞り出すように吐き出された言葉。きつくかみしめられた唇には、
うっすらと血が滲んでいた。

「父親……あの人が、依頼したって言うの……?」




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