けもの道
              アリス様





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 モンスターの攻撃で意識を失ったルーティは、
最初、自分が何処にいるのか分からなかった。

「アトワイト…………?」
 手にしていたはずのアトワイトが居ない。何処かで落としたのか。
「マリー!スタン!フィリア!!………返事してよ!
………………………居ないの?!リオン!リオン!!」
 いつも傍にいた仲間を捜し、声を張り上げる。

 今迄一人でやって来たのに。
 何であたし、こんなに必死にあいつらを探してるの?

 とにかく何処かに出口はないかと、ぐるりを見回す。
 すると、背後にぼんやりとした明かりが見えた。
「あ、出口?」
 さほど疑いもせず、ルーティは其れに駆け寄った。
 だが、其れは薄く煙の掛かったガラス窓のようなもので、
向こうに子供が一人、大きな机に向かっていた。

「ねえ!君!ここ開けて…………あら?」
 子供の机に立て掛けられている、いぶし銀の柄。
 アンティーク調の細工で飾られた其れは、見覚えがあった。
「シャルティエ………?何で、あんな処に?」
 不意に、気配を感じたのか、子供がこちらを振り返った。
 幼い子供特有の、艶やかな黒髪、紅い唇、くりくりした瞳。
 その愛らしい顔にも、何処か見覚えがある。
「あ…………!」
 机の上にきらりと光る、金のピアス。
 子供の瞳は、深い紫。
「リオン?!!」

 そして、気が付くと、
ルーティは「窓」の傍にいながらにして、彼の意識と同調した。
「何、これ」

 ルーティの意志とは関係なく、
まだ5,6歳と言った頃のリオンは哲学書に目を戻した。
 シャルティエを腰に差すにはまだ小さすぎるため、
一緒に出掛けることはまだ無かったようだ。
 かなり戸惑ったが、害は無さそうだと根拠もなく確信し、
リオンの見ている世界と、彼の部屋を見回した。
 ヒューゴの屋敷に行ったことは何度か在ったが、思い返すと、
リオンの部屋には入ったことがない。

「それにしても、殺風景にも程があるわよね。
お金があるのに、玩具のひとつも置いてないなんて」

 花さえ飾られていない、殺風景な部屋。
 豪華なタンスに、デスク。その上に山と積まれた哲学書。
 ルーティのように本が嫌いな人間にしてみると、
背表紙を見ただけで頭痛がしてくる、そんな本ばかり。
 だが、リオンはその本を全て読んだだけではなく、内容も覚えていた。
 高すぎる椅子の上で、小さな脚をぷらぷらさせながら。

「ちっちゃい頃から、かわいげのない生活してたのね」

 ふと、リオンが窓の外を見る。
 港へ続く大通り。街の子供達が追いかけっこをしながら走っていく。
 其れを見守る女性……母親だろうか。
 年上の女の子を追いかけていた男の子が、石畳に躓いて転んだ。
 姉とおぼしき少女がすぐに駆け寄り、少年を抱き上げる。
 母親が顔を覗き込む。その後ろから、父親らしき人が来て、
少年の頭を少し撫でると、軽々と肩車してみせる。

 きゅうっと、リオンの胸が痛む。体の中が、冷える。
其れは、ルーティの中にも伝染して。
 否、ルーティの中にも発生した感情だったかも知れない。

 ―――――――いいなあ。

 そう思いはしたが、リオンは、其れを口に出すことはなかった。

 ようやく命じられた分を読み終え、次の稽古までには
余裕があると判断した彼は、椅子から飛び降りると真っ直ぐドアに駆け寄る。

『坊っちゃん、どこ行くの?』
「図書室!」
 幼いリオンの声は、少し高くて、可愛いと思った。
「何だ………こんな時もあったのね」

 小さな少年にとって、広い屋敷は未知の場所にも似ていた。

(………あれ?そう言えばリオンって、ヒューゴの屋敷で育ったの?)
 リオンは、その剣の腕を買われて、ヒューゴの屋敷に住んでいるのだと
思っていたが、少し違うらしい。
 きっと、この屋敷に縁のある人が、この家に彼を預けたのだろう。
 そして、何かの事情で離ればなれになった…………。
 ルーティはそう解釈した。仮にヒューゴとリオンが親子だとしても、
彼らの態度は親子というにはあまりに不自然だ。

 マリアンがこっそり買ってきてくれた童話の本を読もうと、リオンは
図書室へ向かった。その通り道には、『父親』の書斎がある。
「あ、父上、帰ってる」
 ドアの向こうから、男の声が聞こえていた。

「え………?何だ、お父さん、居るんだ」
 なら、もう少し子供に構ってあげればいいのに。
 父親が居る彼が、彼女は少し羨ましい気がした。

「父上……また、お仕事だよね」
 仕事中に書斎に入って、何度も怒鳴られたことを思い出す。
 その為、父親の仕事を邪魔しないようにこっそりと足音を忍ばせ、
扉の前を通り過ぎようとしたとき。

 呻くような女の声が、微かに聞こえてきた。
(この声って………やだ、子供が見るもんじゃないってば!!)
「何だろう………?」
 思わずルーティは叫んだが、過去の幻影に声が届くはずもない。
 まだ幼いリオンは隙間から書斎を覗いた。

(ダメ!ダメだってば、見ちゃダメー!!)
 ルーティは思わずあたふたするが、其れも無駄なあがき。
 
 其処から見えたのは、絡み合う男と女。
 父親の顔は、掠れて見えない。
 マリアンと、父親が、陽も高いうちから淫蕩な行為に耽っていた。
 父親のデスクに上半身を寝かせ、ロングスカートを
腰までたくし上げ、身悶えるマリアンは、ただの女でしかなかった。

 リオンの視点からはっきり見える、成人の性器。
 其れはグロテスクな内臓の一部くらいにしか見えず、腹の底から
何かがせり上がってきた。

――――――――――気持ち悪い!!

 口許を抑え、リオンは走り出した。
 込み上げる吐き気は強烈で、部屋に飛び込むなりトイレに駆け込む。
『坊っちゃん?どうしたの?』
 机に立て掛けられたシャルティエが心配そうに声を掛けるが、
リオンには聞こえていなかった。
 ただ、母親のように、姉のように世話を焼いてくれた人が
自分の父親と睦み合っている姿は、強烈なものがあった。
 『それ』がどんな行為かは、書物で知っていた。
 だけど、実際目にした其れは、あまりにも汚らわしいと、そう思った。

「………………母親代わりの人が、自分の父親と、か」
 マリアンと話しているときの、リオンの表情は柔らかい。
 其れは、彼がマリアンに心を許している証拠だ。
 そして、片思いなのだろう。だけど、其れは決して報われることはない。
 何故なら、彼女が愛しているのは彼の父親なのだから。
 
 その父親がヒューゴだとは、そして自分の父親だとは
その時の彼女は、露程も思っていなかった。


 その次に見たのは、自分の過去。
 その景色を見た瞬間、ルーティは息を呑んだ。
 努めて忘れようとしていた記憶だったからだ。

 レンズハンターに成り立てで、洞窟の奥に財宝があると聞きつけて
入り込んだ、古い鍾乳洞。
 恐らく同業者が居るだろうとは思っていたが、さほど危険だとも思わなかった。

「あ、湧き水。ラッキー」
 生水を飲もうとするルーティを止めるアトワイトが居ない。
 この時は偶然、刃こぼれしたアトワイトを研ぎに出していたからだ。

 生温い水筒の水にうんざりしていたところだ。冷たい湧き水を手に掬い、
のどを潤す。すっかり火照った体の中を冷水が伝い、胃に収まるのが分かる。

 その時だった。

「あ…………?」
 身体に力が入らない。

「やだ、こんなの、思い出したくない!!」
 どれ程彼女が叫んでも、見せつけられる幻は消えない。

 身体に回ったのは、即効性の神経毒。どこからか、わらわらと現れる
山賊紛いのレンズハンターとおぼしき男達。
 目さえ動かすことができず、男達に何処かへ運び出される。
 そして、分かっていた行為。

 罠に掛かったのが男なら、金目のものを奪い取って捨てるか、殺す。
 女で在れば、性欲処理に使い回して、金品を奪う。
 場合によっては、女を売り飛ばすこともあっただろう。
 洞窟の天井に反響する声から、彼女を娼館に売り飛ばそうか
相談しているのが聞き取れた。

「何で、こんなの、見なきゃいけないのよ!
もう厭!止めて!お願いだから!」
 誰が見せて居るとも分からない過去の幻と、
其れからもたらされる痛みや悲しみに、絶望的な叫び。

 動けないのをいいことに、無遠慮に身体を撫で回し、或いは舐め回す。
 殆ど慣れていない内から、無理矢理男が侵入してくる感触。
 汚らわしいものが口を犯す嫌悪感。
「ウッ……っぐ、………っあ…」

 厭、厭、厭!!

 髪を掻きむしり、かぶりを振って、身体を丸める。
 其れでも、耳にこびり付く、男達の笑い声。
 いやらしい言葉に脳まで嬲られる。
 自分が汚れていく。汚されていく。


 嵐のような陵辱の時間がようやく過ぎ去った。
 盗られるようなものもなかったため、それ以外の被害はなかった。
腰に差していたショートソードも、情けからなのか、残されていた。
 どんなやりとりがあったのか、途中から意識が飛んだため
良く覚えていないけれど、不幸中の幸いにも売り飛ばされるのは免れた。
 だけど、心に残された傷は大きい。
 二度目の、強姦。残されたのは、汚された身体、引き裂かれた痛み、
悔しさから零れる涙。殺してやりたいと思うほどの怒り。
 そして、罠を見抜けなかった自分への憤り。
 自分の中に眠り続けていた、大きな負の感情に飲まれそうになる。

「何で、こんなの思い出さなきゃいけないのよ!!」

 ルーティは一寸先も見えぬ闇に突っ伏し、消し去りたい過去に叫んだ。




▽▽▽