けもの道
              アリス様





V

 人の声を聞いて顔を上げる。もう、こんな思いはたくさんだと思いながらも、
知らなかった姉の過去を知りたいという欲求にも駆られて、泣き濡れたその面を上げた。

「ねえ、アトワイト。あたしの親のこと、知ってる?」
『残念ながら、あまり知らないわ』
「そっか……あたしにも、兄弟って、居るのかなあ?」
『もし、出会えたら、どうする?』
「う…ん。もし、その人が、あたしを兄弟だって認めてくれるなら…」

 今度は、同調していなかった。故に、彼がルーティの胸の内を知ることは出来なかった。
 自分を捨てた肉親を、恨んでいるのか。それとも、会いたいと願うのか。
 彼女の言葉の続きを聞きたいと思う。だけど、聞きたく無いとも。
 もし、あの人にまで拒絶されたら。
僕は、本当に。


「リオン?」
 目の前に、人の顔。
 今度は、現在のルーティか………。
「リオン?大丈夫?」
「!」
 肩を揺さぶられて、思わず、リオンは飛び起きていた。
 先程までの彼女は、リオンとは別の世界にいた。
 過去のルーティを、リオンは見ていたのだ。
 だが、今此処にいるルーティは真っ直ぐに彼を見、手を触れている。

「本物、なのか?」
「そう……よ」
 ルーティも似たようなものを見てきたのだろう。
涙の跡がくっきりと見える。目も赤い。
 はっとしてリオンは自分の頬に手をやる。
塩の固まりが目尻に付着してはいたが、濡れてはいなかった。
在らぬ方に顔を向けながら声を掛ける。

「此処は、モンスターの体内か?」
「多分ね」

 ゆうに一部屋分はありそうなスペース。
明かりはないが、薄明るい世界に目が慣れると、
気味の悪い凹凸がそこかしこに見受けられた。
座り込んだまま脈打つ壁に手を触れると、
そのすぐ向こうで水を吸い上げている音が響く。
厭に元の形を残したモンスターだ。

「ねえ」
 周囲を観察しているリオンに、ルーティが思い切ったような、固い声で話し掛ける。
「何だ」
「あんたも、何か見たの?」
「『も』って事は…………見たのか」

 ちら、とルーティを見ると、ばつが悪そうな顔で俯いた。
「本当のことかは、分からないけど…あんたの過去…見ちゃったの…」
 どの記憶を見たかは分からないが、
自分のことも他人のことも詮索するのが嫌いな彼女は、
其れに酷く罪悪感を感じているようだった。

 リオンとて、他人に知られたくないような彼女の過去を知ってしまったのだ。
多少の後ろめたさから、視線を泳がせる。
「僕もだ。お前が金に執着している理由を見せられた」
 ルーティから目を逸らしながら、おあいこだと付け足すと、ルーティは小さく頷いた。

「……ねえ」
「……ん?」
「…ううん…何でもない」

 何かを聞きたそうではあったが、あえて追求はしなかった。
 代わりに、ずっと手にしていたアトワイトを差し出す。
「持ってきてやったぞ」
「あ…ありが…と…」

 そうっとアトワイトを手に取り、其れが本物であることを確かめるかのように
しっかりと握りしめる。その表情は、暗闇の中、一人で泣いていた頃の其れと、
よく似ていたように思えた。

「………おい」
「ん………?」
「もし、お前に生き別れの兄弟が居たら………どうするんだ?」
 ルーティは驚いてリオンを見、そして、柔らかく微笑んだ。
「そっか、あたしの過去、見たんだもんね…。そうね、姉弟が居たら……」

 暫く俯いた後、顔を上げる。其の、ほんの少しの間が、
リオンにはとても長く感じられた。
心臓が痛いほど激しく脈打っている。

 聞きたい。けど、聞きたくない。
 拒絶するのか?それとも…それとも………。

「もし、向こうが、あたしを認めてくれるなら」
 ああ、認めるよ。厭でも、真実は変わらない。
 お前と僕の血が繋がっている、そのことは、神様にだって変えられやしない。
 我が侭で、頭が悪くて、口うるさくて。
 でも、お前は、僕のたった一人の姉弟なんだ。



「……一緒に、生きたいなぁ………」



 遠くを見つめるルーティの表情は、今迄見たこともないほど穏やかで、優しくて。
 何より、彼女の答えが、リオンの胸の奥まで染み入ってくる。
 優しく、温かく。
 嬉しいと、心の底から感じた。
 今すぐこの手を伸ばして、抱き締めて、此処に居るよと言いたい。
 でも。
 教えてはいけない。
 あいつの手駒を増やすだけだから。
 父親があんな人間だなんて、何時か知るとしても、教えたくない。
 そして、自分の罪を、知られたくない。
 知ったら、拒絶されるだろうから。
 其れだけのことを、してきたのだから。

「リオン?泣いてるの?」
 振り向いたルーティの手が、リオンの頬に伸ばされた。冷たい。

 …………泣いている?僕が?

「辛いこと、思い出したの?」
「誰が…っ…泣いてなど…」
 涙を止めようとすればするほど、ぼろぼろと涙が零れる。
 彼女の、ルーティの前でだけは泣くまいと、口を手で覆って、目を固く閉じる。
 此処で弱みを見せたら、甘えてしまったら、今よりももっと離れられなくなる。
 ずっと傍にいたいと願う心が強くなる。
 でも、其れは叶わない。叶えてはいけないから。

 自分は、一人だと言い聞かせる。車座になり、膝に顔を埋めて。
 一人で良いんだ。一人で生きてきたから、一人で生きてゆける。
 そう思わなければ、何処かで挫けてしまう。負けてしまう。誰も守れなくなってしまう。
 泣く必要など無いんだ。僕は、エミリオじゃない。リオンだ。
 泣きたくない。泣くのは、エミリオで良い。
 こんなに弱くて、みっともない姿を、よりにもよってルーティに見られるなんて。

 リオンが歯を食いしばって声を殺していると、柔らかい腕が、
リオンの肩をそっと抱いた。
顔を上げることは出来なかったが、其れがルーティの腕であることは、
彼女の匂いで分かった。
 ルーティはリオンを抱き寄せ、優しく背中を叩いてやる。
幼い子供をあやすように。
 こんな無様な顔、見られたくない。

「…ふっ………う………」
 必死に声を殺し、瞼を力任せに拭う。
 ルーティの手が、その腕をそっと止め、諭すように囁く。

「泣いて、良いよ」

 涙でぐしゃぐしゃになった彼の顔を努めて見ないように、目を逸らして。
 泣き顔を見られるのが厭なのは、自分も同じだから。
「思いっきり泣いて、良いよ。泣いて、泣いて、泣いて、すっきりして、
いつものあんたに戻ればいいよ………あたしは、何も見て無いから。
何も、聞いてないから、さ」
「………………っ」

 必死に張っていたリオンの虚勢が、音を立てて崩れ去ってゆく。
 気が付くと、ルーティの体に縋り付いていた。

「…っ……あ…ぁ…」

 溢れる涙を拭いもせず、ルーティの首筋に顔を埋めて、リオンは泣きじゃくった。
 こんな風に泣くのはどれくらい振りだろうと、ぼうっとした頭で考えながら。


「リオン達、大丈夫かなあ」
 モンスターを見張れと命じられたスタン達は、相変わらず其処にいた。
 モンスターを見失ったのではない。相手はその場にいた。
 先程と違うのは、大樹のモンスターである其れが地にしっかりと根を下ろし、
いかなる攻撃も受け付けない強固な表皮を作り出している事だ。
 恐らく体内に取り込んだ獲物を効率よく消化(消化器官が備わっているかは
分からないが)するために、じっとしているのだろう。
 二人が取り込まれてから数十分が経過していた。

「モンスターが動かないと言うことは、まだ中に居るんだろう。
どっちにしろ、剣が効かないのでは手の出しようがない」
 マリーが冷静に状況を分析する。フィリアが其れに相づちを打つ。
「そうですね。かといって炎の晶術では、中にいるお二人も危険ですわ」
「畜生。せめて二人と連絡が取れれば………」
 スタンは歯がみするしかなく、フィリアは只、神に祈った。
「大丈夫だ。二人を信じよう。二人ともこんな処でくたばるほど弱くはない」
 マリーの凛とした声が、揺るぎない、二人への信頼をはっきりと現していた。




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