「明日立つのかい?」
花束を片手に、王宮内を彷徨うイシュタルをセリスが呼び止めた。
「ええ。フリージで正式な継承の儀を。貴方の戴冠の際にはフリージ公爵として出席させていただくわ」
「厳しそうだねえ……」
「帝国の美点を伝えられるのは私とティニーだけ。存分監督するわよ?」
「怖いな」
くすくすと微笑んだセリスは、イシュタルの手に握られた花束を見てふと首を傾げた。
「庭で摘んでいたよりも、減っていない?」
「見ていたの。声をかけてくれればよかったのに」
イシュタルは青い花束を見下ろした。
天へしっかりと伸び、一輪だけ花を咲かす。
「何の花だと思う?」
「え?……いや、私は花には詳しくなくて」
「ふふ。この城にしかない品種だから無理はないわ」
イシュタル、というの
「……誰が名付けたのか、聞いても?」
「秘密よ」
これは、追悼か。
彼女はけして黒衣を纏わなかったが、
銀色の髪を束ねるリボンだけが黒いものになっているとセリスは知っていた。
「次はどこへ?」
セリスが口元に笑いを浮かべ、彼女の名を持つ花束を示す。
「それでは、セリス陛下へ忠誠を示して」
おどけたように花束の中から一本差し出す。
「冗談がきついよ。――私を過去にしてしまうつもりかい?」
娘はくすりと笑うと……冗談とは言い切れない瞳を瞬かせた。
イシュタルはそうして王宮のどこかしこに花を捧げ、最後に塔の上に上がった。
そこからはバーハラの全貌が見えた。
戯れた庭園。小さな噴水。彼女の部屋のある棟、奥宮――。
「ここは、わたしの過去」
呟きが風に乗る。
「わたしのいま」
青い花が房を揺らし、共に彼女の髪を攫っていく。
「わたしの、明日……」
そこから、残った花を散らす。
イシュタルは風に乗り、見る間に彼女の視界から消えていった。
END