「ノール」

常のように突然訪れた来訪者にノールは視線を向けた
碧の髪に碧の瞳
その瞳に宿る色は焔
礼装をほとんど普段着としてしまっているエフラムである

「陛下」

その手に持たれた籠からの香りにノールは本を閉じ茶の準備を整える
簡素ながらも動き易い、研究指定服が僅か揺れる
茶葉は籠からエフラムがほうった
程なく芳醇な香りが立ち、茶会の準備は整った



「どうだ、上手くやってるか?」
他愛もない話題をぽつぽつとした後、エフラムがそんなことを言う
常である
「少し、見えてきたところです」
ノールは今進めている研究を事細かに話した
勿論エフラムは理解などしていないだろう
彼がそれに口出しをしてきたことはない
だが間違いをし始めた時、エフラムはきっと気がつくだろう
甘くないクッキーをかじりノールは説明を終える

「上手く、やっているか」
ノールはなんでもないことのように続けた
「ルーテさんを始めとする理魔道士は、中々好意的です」
七転八倒もいいところだったが、言わない
「そうか」
エフラムも聞かない



この人が自分を気遣ってくれているのを知っていた
礼装を普段着にしているのは、着替えの時間などないからとか
グラドを救うため
闇魔道の研究のために
非難を受けているのも知っていた


(そして、やはりノールを疎ましいとも思うことを、止められないことも)
(時に風化していることも)


優しい人だ
強い人だ
普通の、人間だ

ノールは、それでいいと思っている
一人の人ができることなど、民衆が期待するほど多くは無い

エフラムの額に填められた宝冠が鈍く光る
自己の研究をそれは大事にするルーテ
何を思ったのか、研究結果の一番目はその宝冠だった





エフラムが立ち去った
ランプの灯りを強くして、また本に向き直る
これは、自分にできるかもしれない些細なことだ
ノールは紅茶を飲み干した
エフラムが持ってくるお茶会は、ノールの最大の贅沢



(あのひとを、よき伝説にしよう)








碧空の勇王エフラム

それはマギ・ヴァルに残る伝説の王にして戦士の名
全土を舞台とした魔王の復活騒ぎに終止符を打った英雄の話

ルネスを妹姫と共に奇跡的な復興を成し遂げた後、グラドを襲った災害の援助に尽力
皇統の潰えたグラドの評議会に請われ、二重王国の王位に着くこととなる
総合魔道研究所を創立、初代学長に大魔道士ルーテを置く
グラドの優秀な魔術の素養者、ルネスの野にある才能の持ち主を積極的に集わせた研究所は
光、理、闇
それに拘り無く”魔道”としての集積性を追及
国土復興に大いに貢献したという
やがて、ルネス=グラド二重王国は屈指の魔道力と洗練された騎士達を象徴とした大陸を先導する国家へと変貌する

ノールという名は史実には残されておらず
ただ、碧風の優王女と呼ばれたエイリークの日記にのみ記載が見られる

かの大戦の後グラド帝国に帰還
ある重大な研究を全て抹消
身一つで総合魔道研究所に来訪
闇魔道
その可能性
その危険性
一つの魔道としての汎用化
また学術分野に発展させることに生涯をかけたという



二人が友人であったことを残した著述は、一切無い







END











(04/12/07)