夢を見る 曖昧で鮮明 生々しくも嘘めいた 己ではないようで かの者ではないようで 現実ではないような
いつから見ていたのかは覚えていない いつまで見ているのかはわからない 只、毎夜夢に見る
本当になるだろうか 本当になるだろうか (空気のように感覚が伝わらない)
夢に思ふ
ああ、倒れる。 リーフは眼前を崩れ落ちる王の姿にそう感じた。後に問われたとしたならば、あまりに淡白な感想である。 本願の達成に、リーフは高揚しない心に気がついていた。 さぁ勝ち鬨をあげろ、と叫ぶ理性とは別に。
トラバント、という男のことをそれこそリーフは物心のつく前から知っていた。実際に面識があったわけではないが、一時期は一日に一回は聞かされた名前である。 トラバントたる男は、卑怯で冷酷。酷薄な瞳と乾いた髪をしたトラキアの王である。 幼いリーフは成長するにつれてそれには何割かの誇張が混じっていることを知っていたが、それでも刷り込まれた印象はそうそう消え去るものではない。
リーフはキュアンとエスリンの息子として、既に存在意義は北トラキアの奪還とトラキアへの報復であった。そ れを成し遂げんとしないものはリーフではなく、リーフがリーフたるには常にその復讐に心をたぎらせねばならなかった。 片やそうして復讐を説きながら、養い親達は一方で非常に道徳的な帝王学を説きさえした。 曰く王たる者は民への哀れみを持たねばならないとかである。 リーフにあてがわれた「そうであるべき」は多種多様であり、また矛盾しあっていた。
故にリーフは学び取るものを選び取ることとなった。それは単純な知識を、ではなくリーフを形作る思想である。 フィンからは深きレンスターへの愛情を。ラケシスからはその気高い心を。アルスターの王夫妻よりグランベルへの親愛を、フレストの司祭からはその慈悲を。ターラ市長からは確固たる独立への意思を。そして、フィアナの村人からは民が同じ存在であることを、それぞれ受け入れたのである。 リーフには守られる揺り籠はない。彼にあるものは人々よりの好意と希望、剣と盾。 少年は与えられる好意を利用しなければ生き抜くことはできなかったし、好意と期待とが一致であることを無意識に理解していた。それがいずれ賢王と称される理由である。 そのリーフが、ただひとつ刷り込まれたのがブルームとトラバントへの憎しみだ。 憎しみというのは醜いものだがリーフの口から出ればそれは美談であり、彼の持つ正当性であった。
だから、いつからか。 そうそれはフィンが復讐を口にしなくなったころ。 リーフは毎夜毎夜夢を見るようになっていた。 人の見る夢は様々というが、リーフは夢の思い出をそれ以外もっていない。夢といえばそれを指すのである。
それは砂漠、であったりオアシスであったり暗い城壁の下であったり抜けるような青空の下であったり。 男が槍を構える。 リーフが剣を構える。 互いに打ちかかっていって、リーフの剣は男を貫く。 「思い知れ、トラバント!」
そう叫んで、目が覚める。
リーフはトラバントについて好んで口には出さない。話題を振るのは常に周囲のものであり、リーフが話を振ることはない。 例えば、もしも告げれば驚くだろうか。 己が毎夜夢に見るほど、トラバントを殺したがっていると。
槍が、引き抜かれた。 リーフの目の前には絶命したトラキアの王だった男がいる。 さぁ、勝ち鬨を。 リーフの理性がそう叫ぶ。トラキアの新たな幕開けの開始なのである。
王の御旗が落ちた瞬間、その場には静かな沈黙が訪れていた。あれほど騒がしかった戦場が今は小さな呟きさえ捉えようとしている。 トラキア兵は天空の兵士。 ここが城壁の上であっても彼らには問題がなく、動くことのない王を。静かに槍を引き抜いた王子を見つめていた。いまだ二十にも手が届かぬ少年である。 事切れたトラバントを見つめて、リーフは空気を吸った。残る血の残滓。乾燥した空に舞う砂の味。 トラバントの最後の呟きを思い出す。
「統一、トラキア」
恨み言も父への悔やみも家族への愛情も、国のことも。 一言でなければ言葉にしたかもしれないが、トラバントはそれだけ呟いていった。統一トラキア。 父も仇も、見上げた先の同じ夢を見ていた。
リーフは己に自問自答する。 (トラキア統一は、私の夢か?) そして、リーフは己の答えを知っていた。トラキア統一は、己の夢ではない。この半島に生きる国民の夢であり、切望であり、時代の要求であった。 リーフは独裁者にはなれない男だ。民がリーフを使い、リーフが彼らに応える。そうやって生き延びてきて、そしてこれからも道をつなげようとしている。
リーフはトラバントを眺めていた。トラバントを戦場へと導いたものは統一という麻薬であった。そのためにキュアンとトラバントは互いを食い合い、時代の中で消えてゆく。 トラバントも、また麻薬に冒されたトラキアの民であった。 リーフは、とうとう自覚せざるを得なかった。
リーフは貫いた勇者の槍をからりと落とすと、竜に突き刺さった剣を抜く。光の剣と呼ばれる魔法剣には血ひとつつかず即座に流れ落ちるのである。 この剣は、トラキアには似合わない。 トラキアは血で血を洗ってきた国である。血に濡れた王たちこそが覇権を握る国であるから。だが、それでもリーフは光の剣を高々とかざした。
「トラキアの民よ」
(憐れまれるべき民よ)
「我が民よ」
トラキア兵が、力が抜けたように大地に降りた。 彼らの表情に浮かぶものはどうしようもない悔しさであり、嘆きであり、そして戸惑いと歓喜であった。 そして、涙だ。
「私は長く続く戦乱に終わりを告げよう。トラキア半島が戦場の大地と呼ばれることへ、終焉を成す」
トラキアの兵はどうしようもなく涙を流していた。北トラキアの兵も同じである。 悔しい。悲しい。辛い。 だが、一線ひいた向こう岸にいる人を。 どうしようもなく求めていたのだと歓喜に騒ぐ。 リーフは、今までのどの王とも違う王となる。何かわからない感情に涙が流れた。 血の伝わぬ剣。
静寂に満ちた戦場でリーフはそっとため息をついた。 夢などやはり当たらない。 いまだ感触を伝える腕と、床に転がる勇者の槍。 歓喜に震える南北の民と、達成感に満ちぬ己の姿。
(大変だっただろう、トラバント) リーフに静けさをもたらしたものは、王へのただの憐れみだった。
気づいてしまった。 自覚してしまった。
もうこの男を殺す夢は見ない。
少年性の喪失に、やっとリーフは自覚する。 それはなんだか、酷く淋しい。
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