ざわめきと喧騒 恐れと野次 そこは、あらゆる音に満ちている 憎しみを込めた罵りも 強者への敬意も 愛するものへの断末魔の悲鳴 途絶えることのない音の中 落ちた針さえ聞きとめることができると思う一瞬がある 空間の全てが己と共にあるような
その瞬間を好いていた 家族との穏やかな時間 国民の笑い声 とも の笑顔
それら全て振り切ってでも、戦場を好いた己が存在する
理由はなんだろうか 理由はなんだろうか よもすれば、そのためだけなのだろうか (人間に過ぎぬ姿だと)
戦場を好く
一人の王がいた。 王は険しい大地と、無骨な天空との王だった。 豊満な大地の民は言う。彼の王の髪は枯れた大地のようだ。 険しい大地の民は言う。我が王の髪は竜の体のようだ。 天空の神は憐れんで言う。おぬしの髪、それは我が眷属の証に過ぎぬ。 王はそのどれの声も聞かず、己の髪は己の色だと思った。
幼きトラバントは既に幾度となく戦場を翔けたことがある。トラキアは貧しい大地、傭兵として戦いに出ねば暮らしが成り立たぬ。王族は率先として向かう必要があった。 流れる神の血はいやおうなく天分の才能を下し、幼き王子の飛ぶ覇道は臣下たちを誘った。 関係なき戦。怨恨も確執も欠片もないどこらかしこの戦いに参入するたびに、人を殺める逡巡などは微塵もなくなる。もともとそういう時代であり、それが人間だった。 血祭りにあげるのが一人、また一人と増えれば英雄とされる身分である。 天空より向けられる殺戮の手におののく愚民、それゆえか負けというものはないものだといつしか思い込んでいた。
そのトラバントが始めて参じた自国のための戦。それは負け戦であった。
マンスターがミーズを攻めた。その動きに若きジェネラル、ハンニバルは迅速に反応した。強固な防衛線を作り、巧妙に攻めさせ急使を送る。北トラキアより戦闘のきっかけを開いたのである、そのような好機を逃すことはない。 父王はすぐさま竜騎士を編成し、トラバントを連れて国境へ向かった。トラキアは複雑な地形、本城をがら空きにしても攻め込まれる憂慮はない。 だが、マンスターの不用意な動きに迅速に反応したのはレンスターも同じ。当時レンスターのカルフ王は精力溢るる40代、その動きの早さを予想できなかったトラキアは手痛い一撃を食らった。 穏健なカルフはマンスター側の非を指摘し、全面戦闘の前にいち早く休戦を持ちかける、父王は、そしてそれに鼻息をかけられる器ではなかった。 敗戦の屈辱に震えるトラバントが休戦条約の場を離れた場所で、出会ったのがキュアンであった。この二人、これが初対面である。 キュアンはトラバントより若く、これが初陣であった。 二人はその後幾度となく槍を交え互いに戦っていくこととなる。イードの砂漠での決戦まで。
トラバントが己のための戦いをするとき、それは常にキュアンと戦うこととなった。 ト ラキアとレンスターは犬猿の仲。南北トラキアの戦いとなれば必ずレンスターはやってくる。自然成長を続ける若き王子が出てくるわけだ。 二人が槍を交えるときは、静かなことがない。怒鳴りあいのし合いだったからだ。
「トラキアの統一……」 「お前にできるわけがないな」 「お前じゃないんだし」 「何だと!?」
ただ、初対面は戦場ではなかった。 なんとも珍しいことである、その後はすべからく戦場での出会いであった。故にそんなことを話したのもその時しかない。
「競争か?」 「お前に負けるわけないだろ」
トラバントは、ふと郷愁から立ち戻った。 こうして思い出を謡うのも、戦場だけであった。ざわめきの止まぬこの場所。 高々と槍を掲げる。そこに握られたものは天槍と呼ばれる神の槍ではなかったけれど。この輝きは、トラバントの民に今も夢を見させているだろうか。 (教えてくれハンニバル) 幼いころより兄であり第一の臣下であった、そして己が先に裏切った老将軍。彼は常に朴訥なトラキアの第一の民であった。彼がトラバントを離れるときは、トラキアがトラバントより離れたときなのだ。 しかし、トラバントは彼の心を裏切った。戦場がトラバントを呼んでいる。
部下たちが翔けていく。 見下ろす先にはまだ少年と呼んでいい姿があった。弓兵は何故か、彼の周囲には揃えられていない。いっそ無防備と呼べるような姿であった。少なくとも身分には沿わぬと。 トラバントはそう感じてから滑稽だ、と思う。 戦場にまで臣下に取り囲まれる王子は、このユグドラルには存在しない。 ましてや、少年はレンスターの王子であった。トラバントは少年を一度も見たことはなかったが、トラキア中に張り巡らされた包囲の目はそれが確かにレンスター王子であると伝えている。 レンスターを象徴する豊かな大地の色の髪に、輝くばかりの白い武具。 あれはバルドの血なのか、とトラバントは思った。キュアンは黒衣を纏う男であったので、トラバントは少年にキュアンを重ねなかった。 戦場で数度だけ垣間見たキュアンの妻に似ている。剣を振るう姿はいっそうそれを濃くしていた。そうだ、自害したのだ、あの女は。
向かってくるトラキア兵をいとも容易く退けながら、少年はトラバントを睨み付けていた。その手に握られているのはツバメ返しという秘剣であったが、近づいてくる竜がいなくなると、その剣を収めて華奢な剣を抜いた。 血を知らないような白い刀身。それを飾り剣だと思うほどトラバントは甘くはなかった。魔法剣である。 少年はトラバントを見上げた。魔剣を発動させる気配は見えなかった。 「トラバント・・・やっと巡り会えた」 漏れ出るような言葉に、感じたのは疑惑だった。少年の声音は焦がれて焦がれて、やっと恋する相手に出会えたような声だった。
だが、とトラバントは思う。わしも似たようなものだ。
少年の声はキュアンと似てはいなかった。大地の色をした髪だけが、あの男に酷似している。 髪も瞳もアルテナのほうがキュアンに似ていて、むしろ少年の瞳は赤に近い。 それでも少年の方がキュアンを思い出させるのは彼が男だからだろうか。 「私は……この日が来るのをどんなに待ち望んだことか……」 少年の体が震えた。彼はいっそ泣きそうであった。だが瞳は弱まるわけではなく、一層強く燃えていく。 高まる感情を持て余しているようにも見えたし、それに身を任せようとしているようにも見えた。 少年は瞳を伏せて、そして苛烈な色を宿して再びトラバントをにらみつけた。 「貴様をこの手で殺すことだけを夢見て、私は生きてきたのだ!!」
トラバントが感じたものは。 それは思いがけない動揺だった。 よくあることであった。トラバントが奪った命に仇と称してやってくるものたちは。だが目の前の片手でくびり殺せそうな少年の言葉に初めてトラバントは戸惑った。 それは、戦場では珍しく致命的な間であった。 少年の名はリーフといい、聖痕を継がないキュアンの第二子。そのリーフが、剣を構えた。
トラバントを救ったものはそれは思いがけない者であった。駆け上がってきた敵が、リーフの動きを制したのである。 「邪魔をするな、フィン!」 だが忠義溢れる臣下の瞳はたぎるような復讐の蜜に染まり、言葉だけは穏やかではあったものの主を制した。 「ふん……フィンか、貴様生きていたとはな」 「我が主君の無念、ここで晴らす……!!」 かつて若かった少年は、今はすっかり男盛りの騎士となっていた。だがひとところに奪われた瞳に一体何が見えようか。件の名器勇者の槍を、トラバントは力でもってねじ伏せる。 一撃、二撃。フィンの動きが大きく鈍った。 ここは城の上だ。竜にまたがるトラバントとは違いフィンには馬がない。圧倒的なリーチの差がある。 フィンは騎兵であり、地に降りた戦いでトラバントを圧倒することはできなかった。 止めだ。 そう思ったとき光が一手に飛んできた。剣である。 竜を大きく羽ばたかせトラバントはそれを叩き落さんとしたが光の剣はそれものともせず深々と羽根に突き刺さる。 竜をやられたか、だがやはりリーフは少年だった。彼は剣を放り投げたのだ。 フィンは大きく傷つき駆け寄る余裕はなく、リーフは新たに剣を抜くにはまだ遅い。 トラバントは銀の槍先をリーフに向けた。いまだ体の完成しない少年、トラバントの槍の一撃を食らえばたやすく命は奪えよう。 だがリーフは、静かな瞳をしていた。
その瞳に、トラバントはキュアンを思うのだ。 決して穏やかではないその気性を、だが穏やかとみせるその色に。 リーフの瞳は赤い柘榴。キュアンの瞳とは程遠い。 けれどもその瞳はキュアンから継いだものであった。
「フィン!」 半死半生である臣下が、その言葉に腕の武器を振り上げた。トラバントへではない、リーフにである。リーフは勇者の槍を受け取り様に駆け出した、トラバントへ。 「そして、私は……」 リーフが叫んだ。瞳は変わらず燃えていたが、それは静かであった。 槍を構える。そこには一点の隙も感じられない。トラバントとリーフの間合いは、今や同じ間合いとなった。互いに等距離が必殺の間合いである。 「これからは、トラキアを見据えて、生きていくっ!!」
トラバントの槍は空を切った。 キュアン、わしは。
抜け落ちる意識の中、トラバントは囁いた。 リーフが己を見ている。最後の一瞬まで見落とさぬようにと。
砂の舞う音を聞いた。 キュアン聞いているか。わしとお前は、結局最後まで引き分けだ。
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