瞳に映った黒髪の残滓にふと目を奪われた 視線の先にいた舞姫 駆け去っていこうとする姿に関心を失くして逸らされようとした瞳 目に入った剣の姿に感じた違和感に彼女はどうやら気がついたらしく やはり黒い瞳をして言った
「デルムッドは知らないかしら?」
いや、とスカサハが首を振ったのを見て立ち去るレイリア その瞳には、彼女が携える剣が見えた 華奢な細身の剣は似合わなかったわけではない そういうわけでは、ないけれど
二つの剣
レイリア、という女を考えてみる。 彼女はダーナで軍に加わった踊り子だ。アレスと知己の仲らしく同じ踊り子のリーンとも仲がよい。ナンナと仲がよい様子には意外と驚かされた。 彼女たちは軍の治療部隊に似ている。戦渦に於いては無力だが、合間合間に踊ってみせる彼女たちの舞は心を和ませるのだった。 スカサハは癒されたい心など持ち合わせていなかったから見に行ったことはない。妹のラクチェも同じだ。それは決して、彼女たちを馬鹿にしているわけではなく、己の問題であったけれど。 長い黒髪は空気に絡み、濡れたような瞳は見るものを陶然とさせる。高貴な美貌と少女のような笑顔を併せ持った女で。
剣が似合う女とは、思えなかった。
そもそも、彼女の姿をよく見るようになったのはアレスや……そして、デルムッドのためだった。 アレスは会議によく連れ出される身であったが、彼は三回に一回は面倒がってデルムッドに代わりをさせる。 レイリアは、不思議とデルムッドの近くによく見られるのだった。 スカサハはセリスの横にたいていいるから、そうすると必然的にレイリアの姿を見ることとなる。 自分たちの黒髪とどこか似た色合いの髪に、ふと視線をとられることがあった。彼女の髪が長いからだ。イザークの王族としてシャナンも髪が長かったが、レイリアのそれはさらに長い。 戦うことを知らない長さ。踊る際もひょっとすると邪魔になるのではないだろうか。 足取り軽やかに、舞うように歩く女だった。常に身に着けた胸元の鈴飾りがしゃらしゃらと鳴りながら。 とかく、レイリアはそういう女だった。また、そういう認識しかなかった。 だからその剣を見たときに、まるで始めて見る人を見るように映ったのだった。
戦闘の合間に、医療テントで治療を手伝っているレイリアを見つけた。 スカサハは負傷者に肩を貸して入ってきたところで、常に嵐のような忙しさに包まれているテント内に多少乱暴に彼を横たわらせた。 レイリアは水を運んでいたり薬草を届けていたり、運び役が主だったがそれの他にも意外と包帯を巻くのは手馴れていた。 長い黒髪は汚れる地面に無造作にかかっているがそれに気にした様子はない。むしろ、治療される怪我人のほうが(その余裕のあるものはだけれども)それを気にしているくらいだった。 たまに治療班の娘たちの誰かに示唆されてやっと気がついたように笑う。高く結われた髪をさらに簡略に結って、また忙しなく動き始めた。
作業には邪魔ではないのだろうか、あの差された剣は。 戦火への回復に出向いているのはトルバトール隊や魔道書も扱う高位の司祭たちだ。この場にいるのはシスターばかりで剣を持っているものはレイリアくらいしかいない。 同じく手伝っていたリーンも、魔法剣である護身刀の守りの剣を置いている。ティニーは剣を差してはいたが、彼女はまた杖をもっていたから気にならなかった。 瞳に残る細身の剣。 直ぐに前線へ戻らなくてはならない。スカサハはその場を後にした。
次に彼女を見止めたのは戦況の合間だった。見に行くつもりはなかったが偶然通り過ぎた広間で彼女はいた。 その刃は百の兵士を切り裂き、その術が千の兵を平らげる。そういった解放軍の戦士たちが今は一様に舞台の中心を見ていた。 そこにいたのは彼らの主君でも忌むべき大敵でもない。すらりと手足を伸ばした踊り子だった。
その手には、剣の輝きがある。
黒曜石の瞳が凛と切っ先を見つめているのに、スカサハは一種の既視感に襲われた。あれは、どこだ……。どこで見たのだったか。 重さなく剣が踊る。生きているかのように空気を走る。 輝きを宿した剣先には微塵も血を感じさせない。レイリアと剣と同じだ、スカサハが見てこなかったものだ。 あの剣をスカサハは知らない。だが、剣を見つめる彼女にはもはやレイリアと剣の不揃い感を感じさせなかった。 レイリアはまるで剣と共に生きてきたかのように操った。切っ先は軽いもので、スカサハにもその動きは追うのがやっとだっただろう。だが流麗に動かされる流れは視線を置いてはいかなかった。 レイリアの剣がそんな風に動くのは、剣に力が乗っていないからだった。そこには空気しかないとわかっている流れであった。 彼女は人を切る剣を知らない。だが彼女は剣を知っている。
スカサハは、どこで見たのかを思い出した。 あの瞳は、戦場のものだ。 守られるべき存在に、親切だけれども優しくないデルムッド。 彼が横にやってくるレイリアをそのままにしている理由が少しわかった気がした。 音楽に背中を向けて、スカサハはその場を去った。
ぱしゃん。 その日、彼女を見かけたのは夜だった。 見かけた、というのは正確ではないかもしれない。レイリアはスカサハの進行上にいたからだ。 レイリアは黒く不透明と化した噴水のふちに座っていた。ぱしゃん、とまた水音が鳴る。 音の元は噴水の中へと放られた彼女の足からだった。傍にはサンダルがばらばらに脱ぎ捨てられている。 確か、今日も彼女は踊っていたはずだ。ならば今はそれから解放されたというところか。
横を通り過ぎればよいのに向けられた視線に気がついて、レイリアがスカサハを振り向いた。あ、と彼女の咽喉から言葉がついて出る。 「スカサハ?」 名前を呼ばれてスカサハは返事をしないわけにはいかなくなった。ああ、と生返事を返して姿を見せる。 振り返ったレイリアは、背の低い噴水のふちに座っているものだから長い黒髪が地面に落ちている。くるくると夜に絡まるようにして。 黒い瞳にどことなくがっかりした色を見て、スカサハは微かに苦笑した。 デルムッドだとよいと思ったのだろう。生憎スカサハの髪は漆黒であったからデルムッドと間違える余地もなかった。
「スカサハが夜中ふらついているなんて珍しいわね」 ふらついているわけではなかった。今日は戦の後始末で忙しくこんな時間まで動いていただけで。 夜中にうろついているよりも、早朝に鍛錬するほうだったからスカサハは大抵用事が終われば部屋に戻る。だからそう思ったのだろう。 同時に、レイリアは夜中に起きているのだと思った。 その目の色合いに気がついたらしく、レイリアは舌を出していった。 「夜が好きなのよ」 だから、毎朝が辛いわ、と笑って言うレイリアに踊りの最中のような気配は感じられない。あの時抜いていた剣は、今日もレイリアの腰元に差されていた。 変哲もない剣だった。 レイリアのような女が持ち歩くには飾りが足らず、実用に足りるほどしっかりもしていない。ただ細い剣であったので持ち歩くのに不便ではなかった。 興味が湧いていたのだろう。ふと、その剣を見てみたいと思った。 「レイリア、その剣を見せてもらっても良いか?」 レイリアは不思議そうに目を丸めて、一瞬考えた後。いいわよ、頷いて剣を外して差し出した。 すらり、と剣を抜いてみた。イザークは剣の国だ。ましてスカサハは傍系であったので幼い頃よりボールよりも剣を持って過ごしてきた。粗悪な剣から、幼馴染が受け継いだ魔法剣まで。剣を見る目はあるほうだと思う。 レイリアの剣は、思っていたよりもずっと普通の剣だった。手入れはしているようだが素人のものだし、悪いものではないが良いものということもない。新しく打たれた刃のようだった。 「もう少し、バランスをとりながら磨くといいな。バランスが少しずれている」 お節介を多少やいて剣を返すと、レイリアは大事に受け取りながら真剣な目で頷いた。それからこういうときはどうするのか、とまで聞いてくる。 少しの間、噴水の横で話をした。それは遠くに見るとまるで密会のようだったが、その中身は専門的な話であった。
「あたし、剣をこれまで手入れをしたことがないのよね。だから、見よう見まねなの」 誰の、とレイリアは言わなかったし、スカサハも聞かない。ただ彼の手入れの仕方は少し変わったものだから、さぞやレイリアは苦労しただろう。 「ずっと持ってた剣もあったんだけど、それは曇りなくぴかぴかだったから……剣っていうのは、そういうものかと思っていたくらい」 レイリアは剣をもつ女だった。だが、それはスカサハの知る剣ではなかった。 「戦わなくなっても、剣はなくならないんじゃないかしら」 そこに秘められたものがなんであったのかスカサハにはだからわからない。だが、それはスカサハの全く知らない剣であるようで、また同じ剣でもあるような気がした。 レイリアは、大切そうに剣を抱きしめる。 デルムッドに貰ったの。そう嬉しそうな声で言った。
長い黒髪に黒曜石の瞳。高貴な美貌に少女のような笑顔。 血の煙たつ戦場とは遠く。 そして、戦場の色をした瞳をもつ。
レイリアは、剣が似合う女だった。
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