あの子がいたから、私は暁の巫女だった

暁の巫女となり
私は大切なものが沢山増えて
捨てられないものが沢山増えて
命を賭ける、夢ができて


それはあの子がいなくなっても
選ぶべきものだと




……思った





 サ ザ




 サザと出逢ったのはまだあの子が小さい頃だった。時の流れをあの子の成長に重ね始めたのも、確かあの頃。
 印付きである私はデインで表立って生きることはできない。自然影で生きることになる。今では目に留まる銀髪だといわれるけれど、あの頃はそうではなかった。影で生きることを当たり前と受け止めた私は、驚くほど景色に落ち込んでいたに違いない。
 あの日もいつものように影のように佇んでいた私は、勿論サザの目にだって映らなかっただろう。
 サザは痩せた、ぎすぎすとした子供だった。貧民街では珍しくない。別に弱者に必要以上に優しいわけでもない、強者に諂うわけでも、歯向かうわけでもない。本当に、ただの子供だったと思う。
 けれどサザは風の流れを読む子供で、路地裏に吹き込む冷たい風から、そっと身を守る。そんな様子の子供だった。
 風に僅か揺れる、汚れた髪。
 その色が風の理である緑で。それが彼を視界に収めた始めかもしれなかった。


 風から身を守るように小さくなる少年。彼の横に黙って佇み、見下ろす私。
 少年が見下ろす私に気がつき。翳んだ眼差しでたまに見上げ。緑の瞳に、私の金色が映ったころ。サザが小さな手を伸ばして。
 揺れれば容易く振り払えるくらいに、服の裾を掴んだ。
 私は服の裾から指を外して、代わりに自分の指を絡ませて。


 それから、サザと歩き始めた。










 サザは、風が吹き出していくように目覚めた。
 頬は擦れば病的な青褪めた白。風のようだと思った髪は、水にくぐらせてみれば萎れている。多くの路地裏の子供がそうであるように、サザも栄養不足で死にかけていた。
 水を与え、食べ物を与えて。小さなナイフを持たせると。サザは今まで小さく動かなかったことが嘘のように動き始めた。


 ひとつずつ笑顔を覚えるサザに、私は微笑み。
 ひとつずつ温かい言葉を身につけたサザに、私は囁き。
 差し出された無二の信頼に、私も同じものを。


 冷える夜にお互いを抱きしめて眠ると、不思議と寒くなかった。
 安心したように眠るサザを見下ろして、この温もりが失われることだけが、不安だと信じた。
 信じていた。






 サザは私にされたことをなぞるように、余剰の水や食べ物を、小さい子に与えることを覚えた。その度伺うように振りかえるサザに微笑むと、やはりサザも笑顔を返す。
 それなのに私がそうしようとすると、サザは難しい顔をする。私よりずっと小さいのに、手のかかる妹を見るような顔で怒るのだ。


 仕方のない子。

 私が笑うと、サザも仕方のないミカヤだ、と言いたげに唇を尖らす。





 壊したのも、私が先だった。





 サザはラグズを、半獣と呼ぶ。
 それはデイン人として極当たり前のことだ。まして首都たるネヴァサにいては、ラグズの姿を見ることもない。
 私はそれを知っていた。けれどわかっていなかった。
 サザが当たり前のように会話の中に『半獣』と混ぜたことで、私の夢は凍りついた。



 サザ、大きくなったね。
 何だいきなり。当たり前だ。


 あれから、何年経ったと思ってる――。


 サザは自分の言葉にふと黙り込み、私を見つめた。この子は、頭の回転が早い子だった。
 風色の瞳には、私が映っている。おそらく、サザと出逢ったころからほとんど変わっていないだろう……。



 ミカヤは違う。


 サザは必死の顔でそう言う。
 真実、そうだろう。私はその言葉を疑うほどサザを他人とは思っていなかった。サザも、私が誤ってその言葉を受け取ったなど、思いはしなかっただろう。
 サザの中で『半獣』と『ミカヤ』とはまるで違うものだ。私にとってそうであるように、『他人』と『ミカヤ』がまるで違うように、異なっていた。


 混同していたのは私だ。

 サザはやはり、ラグズを半獣と呼ぶ。私にその血が流れていようと。
 私が、印付きだろうと。


 デインが戦争を始めた頃、まだ私より小さなサザの背中を見ていた。
 あの目をみたら、私は離れられないだろう。
 あの瞳に、私の瞳が映ったら。


 後ずさり、踵を返して。私は雑踏の中に紛れ込んだ。肩に留まったユンヌが引き止めるように髪をついばむ。知らない。しらない。立ち止まっては戻れない。
 もう会わないと思った。











 サザと離れて、私はまた、一人のミカヤに戻ろうと思った。
 誰とも触れ合わず、占いで日銭を稼ぎ、一人で生きて行ける、ミカヤに――。
 なのに。


 子供が泣いていれば、頭を撫でてやりたい。
 女性が嘆いていれば、理由が知りたい。
 戦争に若者が連れ出されるのに納得がいかない。
 国土が荒れれば心が騒ぐ。


 私はどうしてしまったの。
 今サザはいないのに。優しいミカヤでいなくていいのに。


 目の前で人が死に掛けて、目を逸らせた頃とは違う。
 発作的に駆け寄って、白く輝く手を伸ばし。


 ――ああ。

(大丈夫か、ミカヤ?)

 サザに逢いたい。















「――サザ!!」
 鷹王の腕に絡めとられ、サザの姿は中空にあった。
 傍らにあったはずの体躯が、恐ろしいほど小さく見える。遠いのだ。大地から。
「おっと、動くなよ」
 血が凍る。先見の景色が遠くに失せる。
 だって私はこの運命から逃れられないのに。
 デインを守るため。デインの民を守るため。いつまで?もう何もかも不可能で、滅びるしかないとしても。
 一瞬でも、一秒でも、デインの民が生き延びる道を。
 だから炎を燃え上がらせ。
 一番嫌いな方法で。
 例え己の良心から謗られ罵られようと――!


 だから
 例え


 サザが

「――――っ!」





 あの子がいたから、私は暁の巫女で。

 私は大切なものが沢山増えて。
 捨てられないものが沢山増えて。
 命を賭ける、夢ができて。


 それはあの子がいなくなっても。
 選ぶべきものだと。






 ――そんなの嘘ばかりだ。





 私はサザと出逢い、暁の巫女と呼ばれる私になった。
 ユンヌの声を聴くこと。
 刻まれた印。
 祖国として愛する国。
 どれか一つ欠けても、きっと私は暁の巫女にはならなかった。
 でもきっとサザが居なければ、私はミカヤでもなかった。


 だから、ねえ、サザ。





(あなたごと『ミカヤ』を抱きしめて、逝ってもいいよね)











(07/07/23)